ep,10 韋駄天の宝4
後悔しないように
亡くさないように
今この瞬間を大切に
抱きしめましょう
/
それは、ずっと昔のお話。
遠く霞んだ、旧い記憶の淵。望郷の彼方。
僕は――いや、俺は。
「こら、 。何をしているの、そんなところで?」
優しげな表情の女が、強張った声で言う。叱っているのだろう。少年は、高い気に登って、何かをしているようだった。
「虫取りだよ、 !」
「危ないから降りて来なさい」
……はーい。沈んだ声で、女の言う事に従う。嘆息し、俯いたまま女のもとに戻る。
「よろしい」
ニコリ。微笑んで、暖かい笑顔を向けられる。俺は――この笑顔が、好きだった。
―――――――――――――ずっと。
○
「 、 ! 見て見てこれ!」
「うん? どうしたの?」
はしゃぎながら右手に握った何かを見せつける子供と、それを穏やかに問う女。周囲はキッチン。エプロンを羽織ってるところから、多分、料理中だろう。
「へへっ」
握った拳を開き、手のひらを顕わにする。――そこには、金色の鱗粉を纏った、蝶の姿がひとつ。
「あら」
しかし、さもありなん。拳で握りしめていた蝶のそれは、圧に耐え切れず潰れてしまっている。辛うじて面影を残した黄金の両翼も、今ではもう、僅かにも動きはしない。これでは、大空をはばたけない。
「……あ、」
うめき声。少年は、自身の手のひらを見て、嘆く。
「ち、違うんだ。僕は、僕はただ、 に綺麗なコイツを見て欲しいと思って――ただ、それだけで……」
少年は、今にも泣いてしまいそうな蒼白。眼には大粒の雫が充填されており、もはや時間の問題だった。
――が。
「はいはい」
暖かい声音で、少年の頭に触れる。大きな手で、小さな少年の頭を、優しくさする。慈愛に満ちた、記憶の断片。
「綺麗な羽根ね。 に見せてくれようとしたんだよね? 優しい子だね、 は」
そう言って、なだめるように頭をなでる。ニコリと、微笑んで。
「でも、今度からは気を付けてね。これじゃあ、蝶々さんお空飛べなくなっちゃうから」
うん。頷いて、羽折れた亡骸を、二人で庭に埋める。
●
ガシャン。なにかが割れる音。少年は、気になって音の袂を見やる。
「 ?」
床に倒れ伏し、荒い呼吸で、喘ぐように蹲る女。割れた皿で手を切っていたが、そんなものは些末だ。もっと、女の身体の容体が、もっと致命的に思えた。
「な――おい、どうしちゃったんだよ。 !」
「はぁ、はぁ……はぁ……」
返事はなし。喋る気力も、立ち上がる体力も皆無だった。
「すぐに医者呼んでくるからな、待ってて!」
――その日から、 が家に居ることは、無くなった。
●
ずっと、病院のベッドの上。一生、寝たきり。そう宣告されたのは、せめて聞き違いに思いたかった。――でも、自分の眼から見ても の容体は、明らかなまでに医者の言うの通りだったから。
「ごめんね」
こんな時でも、こんな状態でも、 の笑顔は、いつものままだった。
「すぐ良くなるから」
ならない。そう知っているのは、医者と僕だけ。 は、知らない。
「だから――その間は、ごはん作ってあげられないや」
ちょっと残念。そう零した途端、僕は、何もかもがやるせなくなった。
「僕さ、この街でるよ」
「え――?」
先程まで微笑んでいた女性は、驚いたように目を見開く。
「僕。 の病気が治るように、クスリ探してくるよ」
「――えっと。な、何を言ってるの?」
「だから、出て行くよ」
少年の告白に、女性はしばらく沈黙した。
「そんなのダメよ」
そして、それを否定した。否、と断じた。
「先生が言ってたんだ。ある薬草から調合したクスリが必要なんだって。――だから」
「ダメだって言ってるでしょう!!」
聞いたこともないくらい大きな声で怒鳴る女性。表情も、見たことないくらい強張っていた。
「そんな危ないコト、許可出来るわけないでしょう。あなた、まだ10歳よ? いけません。一人で世界に飛び出すなんて」
「でも――」
「 は元気だけはあるんだから、心配しなくてもすぐに治るから」
微笑む。――汗を、ボロボロと流しながら。
「――ッ!」
噛み締め。握り締め。砕けるくらい力強く。悔しい。悔しいで頭がいっぱいで、そのまま焼けて死んでしまいそうだった。
「僕は――」
僕は、このままでいいのだろうか。
「……ただ」
このまま何もせず、何もなさずに家に居て。それで――それでいいのか?
「僕は――」
いいわけが――ない。
これじゃあ、きっと後悔する。
「僕は、それでも出て行く!」
そう告げ、 に背を向け、扉を開き、力強く閉める。
僕は……俺は、―――――――――絶対に帰らない。
目的を、果たすまで。
6/ココマデキタラ
「――は」
目を覚ますと、そこはベッドの上。外は、やけに騒がしい。
外が騒がしいのはいつものことだけど、それ以上に、ずっと騒がしさを帯びていた。
「なに、が――」
立ち上がろうと身を起こす。――と、
「痛って」
頬がズキズキとうずく。触れると、少し腫れていた。口の名かも少し切っており、血が出ていた。
「――ああ、そうか」
そうか。俺、アイツと決闘してたんだっけ。
決闘していたとはいえ、俺は意識を失っていたとなると、時間の経過はあった筈。この騒がしさにそれは釣り合わない。――となると、
「起きたか、セングゥ」
「……ナチェットのおっさん」
よし。言って、ナチェットは手を差し伸べセングゥ立ち上がらせる。
「痛むか?」
「いや――それより、この状況って……」
「襲撃だ」
やっぱりか。
それなら、この騒ぎも理解出来る。
「状況はどうなってるんすか」
「船尾がやられてな。外見はともかく中がやべえ。応急処置が完了したが、今船員が10人がかりで直してるところだ」
「後ろをついてくるなんて、運が良いヤツらっすね」
「全くだ。正面から来やがったモンなら、秒刻みで藻屑になってたろうがな」
それは大げさな表現ではない。ナグルファルの後ろをつき、船尾から隠密に奇襲を仕掛けるのは、偶然であれそれは最良の攻撃方法だからだ。ナグルファルに正面から海戦を仕掛けてきた日には、その船は悉く海底の遺物と化す。これは、事実であり確実である。
「それで、敵は?」
「連合国軍、海坊主だ」
「海坊主だって!?」
何故、そう思えてならなかった。
確かにウチは海賊だ。しかし、ナグルファルはもともと海賊船ではない。なのに、軍が攻撃してくること自体が奇異な話なのに――何故、よりによってあの海坊主が。若くして大佐という地位に立ち、狩王の左腕、黒騎士の側近とまで言われたソイツが、何でよりにもよって。
「ウチには今、アイツらが乗っている」
「――あ、」
なるほど。――確かに、疫病を破ったというアイツらなら軍にマークされるだろうし、同じく大佐の海坊主がしゃしゃり出るのも肯ける。
「――クソ。とんだ疫病神だぜ」
唾を吐くように呟いて、足元を見る。
「そんなアイツに、負けちゃったんすよね……俺」
負けた。あの野郎に――量に、俺は敗れた。約束通り、俺は――
「いや、負けてねえよ」
今、信じられない一言を聞いた。
「お前はまだ、負けてねえよ」
「――な、んで」
ナチェットは、先程の仲介人。そして、審判でもあった。
あの状況あの場面で、俺は負け以外のなにものでもないだろう。なのに、どうして――
「リョウが言ってたぜ。『まだ僕はセングゥに勝ってない』ってな」
「――……あの、馬鹿やろう」
クソ。完全に負けた。情けなんて掛けやがって、そんなに俺を完膚なきまでに叩きのめしてえかよ。
「お前が負けるなら、それは全力を出してからだって。そう言ってたぞ」
「なんだ。知ってたのかよ」
全力――すなわち、全速力。韋駄天の業のトップギアを。
ドォン。外で、何かしらが爆発した。
「3の方、使えそうか?」
「なんとか。――ただ、いつもみたいに長くは続きはしませんよ」
「いっつも短えだろうがクソガキ」
嬉しそうに、ガハハと笑う。――そうだよな。どうせ負けるなら、全力を出した後――だよな。
「見せてやるよ、リョウ。俺の、最高速をな――!」
◇
少し、時間を遡る。
「うわぁ、なんだあれ」
珍しく、フェルトが驚いたと言わんばかりの表情で、言う。
「まるでウミヘビだね」
「この世界のウミヘビはあんなにでかいのか」
驚きだ。
まさか、こんなことが起きるなんて。
海の波が発生するのは月の引力やら船の移動やらで、どうしても終始さざめいているもの。それは仕方ない。けど、それはあくまで波には規則性が無く、あくまで無秩序に約束されているということ。
さて肝心の、今現在海にさざめく波はどうだろう。ありえない。
縦横無尽。波が、一線のもとに蛇行する。その数はゆうに10、20を超えており、もはや偶然で、ここまでの奇跡が連発しようとは思える筈もない。比喩するに、まさしく巨大なウミヘビの群れ。または、海竜種のそれ。――言うまでも問うまでもなく、これは、間違いなく使力だろう。
「えっと――見間違えじゃないよね……あの波の上、人が立ってるよ?」
「ルサ。君の眼で見間違えはありえないだろう」
「だ、だよね」
蛇行する波の上に、人間が立っている。複数。コチラに向かって、進行している。おかしな、悪趣味な夢でも見ているようだった。ここまでくると、もはやギャグだ。
「あ」
波が飛び、船に突っ込んできた。――そして、ウミヘビの波でサーフィンしていた人間はと言うと、器用に船に乗り込んできていた。
「連合国軍だ。指名手配中の三名を捉えに来た」
軍人というよりはむしろお前たちこそ海賊らしいという無理やりっぷりで、連合国軍の軍人たちは次々乗り込んできた。
「大人しく出頭しろ。――さもないと、命はない!」
「……なんて言ってるけどよ、お前らどうすんだ?」
船員の内一人、やけにルサに懐いてる男三人組が尋ねてきた。
「どうするって――そんなの」
「そんなの、却下に決まってるでしょ――ッ!」
おおおおおおおおおおおおおおっ!!
ルサの宣言により、男たちは吠えた。同時、軍人たちに切りかかる。
「バカが。やれ、容赦するな、お前たち!」
両勢力、同時に切りかかる。
ルサも使力を発動し、次々に軍人たちを斬り裂いて行く。剣戟だろうが銃撃だろうが、そんなものはルサには意味を成さない。その戦いぶりは、圧倒と言えるほどに、まさしく無双だった。
「すっげ……」
肝心の僕はと言うと、抜刀すらしていなかった。いや、出来なかった。先程のセングゥとの戦いで受けたダメージが、ハッキリ言って大きすぎたのだ。思うように、剣を出す事が出来ないでいた。それどころか、いつも以上に体が重く上手く動かない。本気で殴り過ぎなんだよ、あのバカ。
「クソ。これじゃあ、足手まといだな。――フェルト、僕に構わずルサのサポートに行ってくれ」
「いや、私は船の修復に回ろう。私は戦闘に向いてはいない。その方が、効率的だ」
「わかった。よろしく頼む」
そう言うと、フェルトは黒い影の中に消えて行った。
「さて」
どうしたもんか。
フェルトを送り出してなんだけど、考えてみたら、僕も船の修復組に回った方が良い気がしてきた。
少なくとも、戦場よりは足手まといになることはないはずだ。
「そうと決まれば――」
呟いて、船尾に向かおうと踵を反した瞬間――聞き覚えのある衝撃と、覚えのある火薬にも似た焦げ臭さを感じ取る。
「――なんだってんだよ、ちくしょう……」
ここに来て、またアンタの相手か。
甲板に現れたのは、イキったサングラスに軍服を適当に着こなした金髪の、やからのような男。それは見覚えがあり、忘れようにも忘れられないほど印象の深い、強烈な姿。
「あ、あんたは……」
甲板を軒並み覆った爆煙の内から、一人だけ、たった一人だけ意識のあるルサが言う。他は、みんな爆発の衝撃で伸びてしまっている。当のルサにしても、不意打ちだったのが災いして避けきれなかったようだ。
「ペスト……!」
ペスト。連合国軍大佐、紅蓮の疫病。一切合切を黒く焼き焦がすその所業から、『黒死の病』とも。その男が、今再び僕たちの前に立ち塞がった。
「よぉ、久しぶりだな殺人鬼。俺の顔覚えててくれて嬉しいぜ」
「はっ。忘れたくとも忘れられないっつーの」
はっはっは。哄笑し、手負いのルサには興味が無いと言わんばかりに、僕へと視線を向ける。
「よぉ、御使い。お前と再戦しに来たぜ。――よろこべ。面倒臭がりのこの俺が、わざわざ再戦をしにきたんだぜ。嬉しいだろ」
「嬉しいね。見逃してくれると、もっと嬉しいかな」
「あ? 見逃す? らしくねえな。お前、俺に勝ってるんだぜ?」
「いま、僕あんまり動けないんだよね」
「……」
沈黙。予想外、といった顔だ。
「――まじか。まぁ、一番の目的は、お前を捕えることなんでな」
言って、近づいてくる。
「正直。上が重要視してるのはお前だけなんだよ、御使い。お前が大人しく、俺達についてくるっつーなら、今すぐ部隊を引き上げてもいい。このまま船を沈めるのだって、望ましいとは思わないだろ? お前ひとりが出頭するってんなら、この殺人鬼もあのピエロ野郎も見逃してやるよ」
「――……それは」
それは、僕一人の命で、皆救われるということ。
僕一人のせいで、皆殺されてしまうということ。
その、二者択一。
「真に受けちゃだめだよ、リョウ!」
ルサが、叫ぶ。
「こんなイキリ野郎のいうことなんか真に受けるな! アンタにはやることがあるでしょ、忘れたの!?」
「それは――」
ハヤトを生き返らせる、こと。それが最終的な、僕のやるべきこと。
でも。――それでも、ここの皆が殺されるのは、それ以前の問題だ。
目先の最悪を前にして、それでも自己の欲望を貫けるほど――僕は、強い人間じゃないんだよ。
「わかった。――僕は……」
「なんだよ。俺との決闘を中途にしたまま、船から降りるつもりか? リョウ」
背後から、聞き知った声がかかる。――無論、それは。
「セングゥ……」
よぉ。腫れた頬を指でさしながら、つまさきで床を叩く。
「まだ、俺は本気じゃなかったかんな。さぁ、続きをしないのか? 出来ないよな。こんな状況じゃ」
言って、皮肉げに微笑む。
「お前、誰だ?」
「韋駄天だよ」
そう吐き捨てて、正面に立つ大男を見据える。
「お前に、見せてやんよ――」
跳ぶ。跳んで、跳ねる。ステップを踏んでいる。つまさきを立てて、床を鳴らしている。
それは、ある種メロディのような滑らかな響きで。そして、だんだんと重みを増すのが理解出来る。
「本物の『神速』を」
韋駄天の業。――SKANDA:3
瞬間――セングゥの周囲に変化が起こる。
セングゥの身体を、光の粒子がつつむ。まるで、それは衣服のように形を得て纏わりついて、見知ったセングゥのカタチとは異なるモノへと成った。それは、まるでその存在を――ナニかが上塗りしたように。
「宣言するぜ」自信ありげな面持ちで、訝しむペストを睨む。「お前は、二度とここには戻ってこれねぇ」
「は?―――――---……」
そして、消えた。
ペストは、消えた。
セングゥも、また。
消えた。
消失した。
目の前から、姿を消した。
「どういうこと――だ……」
それは比喩でなく、多分幻でもない。真実、二人は目の前から消失したのだから。
そして――
「OKだ、お前たち」
シキ船長が、快活な口調でそう告げた。
見ると、表情のソレも先程と打って変った、面持ちの良いものとなっていた。
「船長。もう、大丈夫なんですかい?」
意識を取り戻した一般の船員が、尋ねる。「ああ」と頷いて、
「さぁ、殲滅しよう」
◇
同刻。その様子を、自身の船の上から、アイス・ヒットは眺めていた。
「――馬鹿な」
驚きのあまり、手に持っていた双眼鏡を落としてしまう程に、それはもう驚愕の極みであったと言わざるを得ない。
「奴らは――どこへ行った!?」
まるで理解が追いつかない。意味がわからない。こんな荒唐無稽、有り得るわけがない。
幻術や幻覚の類もありえない。この距離でこの精度の幻術など、あの人の他に存在するはずがない。
「現実であるとするなら、ヤツらはどこへ――?」
その瞬間、特別大きな衝撃が、船内に駆けまわる。
「なっ――どうしたと言うのだ!?」
「はっ。砲撃であります!」
「砲撃だと!?」
バカな! この距離で命中させられるほど大掛かりな大砲は、あんな小ぶりな船にはつめまい。その命中精度もまた然り。ありえない――わけではないが、確率は低いはず。
「バカな――どんな大砲を使ったのだ?」
言って、再び双眼鏡を臨む。そして――
「――有り得ん」
再び、双眼鏡を落としてしまう。今度はレンズにヒビが入った。
「……一体、――どれから撃ったと言うのだ!?」
戸惑い。焦り。――それも当然。眼前の船は、その表面は――見渡す限りの大砲で埋め尽くされていた。
船のいたるところに。もはや全てが――大砲のそれ。もはや、痛々しいを通り越して、反って勇ましほどだ。先程までただの旅客船だったソイツは――一面の凶器と化した、悪魔の如し怪物へと成り果てた。
「ふ……」
有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない。
こんな馬鹿げたこと、あってたまるものか!
「ふざけるな……」
こんな嘘のような、こんな虚構のような、こんな――こんなこと、有り得ていいはずがない。
「ふざけるなぁあああああああああああああっ!!」
ヒットは叫んだ。奮起した。激昂した。
「私は、連合国軍大佐、海坊主アイス・ヒットだぞ!! 海流の王と呼ばれた、高位の使力使いだぞ!! 貴様らのような賊に、脅かされるなど断じて有り得ん!!」
叫んで、最大出力に使力を行使する。
海が、その波々が、牙をむく。
――それは、大津波のような、
巨大で強大な、
一体の海竜のように――
「消えろ!! 潰れろ!! ハハハハハハハハハハ!!」
呵呵大笑。勝利を確信し、腹の底から哄笑する。――が、
「うるさい小僧だね」
海竜は、その一言の直後、微塵と化した。
粉砕。玉砕。塵芥。10mあまりの巨大な竜は、波へと帰した。
「な――」
再び、理解不能。それによって、とうとう正常な判断力を失う。
「なんなのだ――貴様はぁああああああ!?」
砲弾の嵐。雨のような、鉄の球体。
それを、器用に避けながら、船は進む。
カタチをカエテ。
スガタをカエテ。
まるで――まるでそれは……
「海竜種……だと」
まさしく、竜。木材性質のそれは、あろうことか船の姿より形を変え、一糸まとわぬ竜の姿そのものへと変わった。
「アタシの異名を知っているね? 現人神……けどこのほかに、もう一つだけ異名を持ってんだよ、アタシはね」
言って、竜は腕を振り上げる。
「海竜の王――レヴィアタン……つってな」
青い雪の紋章――その船を、完膚なきまでに粉砕した。
これが後に『アリシアの海竜事件』と名付けられた騒動の、その全貌である。
7/ソシテ
「アタシの使力ゥ?」
鬱陶しそうに聞き返す船長。
「そう。アンタの能力教えなさいよ」
と言う風に、先程からずっとルサに捕まって放して貰えないのだ。うん、ほんとうに鬱陶しそう。
「なによあの化けもの! 聞いてないわよあんなの! アタシ達だけ話させて、アンタは秘密だなんて有り得ないでしょ!?」
「いや、なんでフェアにしなきゃいけないんだよ。――はぁ、まあいいよ。話してやる」
諦めて、シキ船長が語る。多分、そうとう疲れてて、仕方なくというよりは泣く泣くといった感じ。
「アタシの能力は――この船だ」
「は?」
意味不明――そんな様子のルサ。まぁ、僕にも理解不能ではあった。
「まぁ、待て。一言で言うと、そういうこと。――アタシの使力はね、この船の内部構造、性質、その他全てを自在に操ることなのさ。ほれ、さっきこの船、竜になっただろう。あれこそこれ。――まぁ、この船の上に居る限り、この船はアタシの思い通りってだけの能力さね。アタシが認識したモノがこの船の上にある限り、そのものの性質を理解する事も出来る。無機物なら造形の変化すら可能だ」
「じゃあ、――僕の嘘を見破ったのは」
「お前の心拍を完全に把握してたからな。嘘ついたりなんかしたら、そりゃ一発だぜ」
なるほど。
「まぁ、船とリンクしてるからな。船が傷つけばアタシもダメージを負うからね。そう便利な能力でもないさ」
それであの砲撃の時、船長はああなっていたのか。
「おっそろしい女! なによそれ、強過ぎじゃない。神なんて呼ばれてるけど、あながち本当の話じゃない!」
「まぁね。つっても、アタシはまがい物だけどな」
「?」
それは、一体どういうことだろう。
その瞬間――
ドン、と空から何かが降ってきた。
「お、噂をすれば――だね」
それは、セングゥだった。
先程まで消えていた、どこかへ行っていた、セングゥであった。
「ただいまっす」
「ああ。それで――アイツは?」
「地球の裏側まで連れてってやりましたよ」
そうか、と微笑する船長。――いや、今、ものすごいこと口にしなかった!?
「あの、地球の裏側ってのは?」
恐る恐る、尋ねる。
「ん? お前、コイツの使力知らないのか?」
「知ってますよ。加速でしょう」
それで何故地球の裏って話になるんだ。
「加速――ねぇ」セングゥが口を開く。「惜しいな。まぁ、正確には『纏速』だ」
「てん……そく?」
そう。言って、転んだまま立ち上がろうともせず堂々としている。なんか、いやにシュールだ。
「速さを纏うって意味。俺はね、とある神様を身体に内包してて、それの力の一部を身体に纏ってんのさ」
「――韋駄天……」
韋駄天――仏教における護法神の一角。もともとはSKT、ヒンドゥー教の軍神であったが、様々な信仰が習合して、今のソレに至る。
夜叉が仏舎利を持って逃げた際、それを追って捕まえた通説から速さを象徴する神としてまつられるようになった。それが、彼の使力のそれ。韋駄天の業。速度の象徴。すなわち、神速。
「まぁ、神様を纏うのは体力つかうからな。この様だぜ」
荒い呼吸でそう言う。まるで動けない。なるほど、身体を酷使した代償は、数時間寝たきりになる――そういう等価。
「これが、俺の全力だ」
どんなもんだ。笑って、僕に言う。
「ああ。凄まじいよ」
「そうだろ」
笑って、満足げに言う。
「あーあ、動けねえや」
徐に、セングゥはダルそうな口調で呟く。
「これじゃあ、決闘できねえや」
「え――それは」
僕の話に割り込むように――ていうか実際割り込んで、ナチェットおじさんが言う。
「セングゥの戦闘不可能につき、リョウの不戦勝――!」
「なっ――」
それは、思いもよらぬ宣言であった。
「いや、それは流石に――」
「俺がレフェリーだ。文句は言わせねえよ」
「いや、理不尽でしょ。――セングゥも、ホラ、なにか言わないと」
「いいんだよ」
言って、もう一度強く言う。
「もう、いいんだよ」
「いいって――キミ……」
「男は一度した約束は破らねえ。――それに」
それに――
「もう。後悔はしたくないんだよ」
到着したそこは、アエーシュマのコウポホルン、その港。
それは、僕たちの目的地であり、セングゥの目的地でもあった。
「アエーシュマ出身だったのか、キミ」
「まぁな。だからお前たちの目的地を聞いた時はびっくりしたぜ」
僕におぶられながら、セングゥは道を指示する。目的地は――無論。
「ていうか、船長たちはこないんだね」
不思議に思ったのか、ルサは訝しむような表情でつぶやく。
「来ないだろ、そりゃ」
「どうして?」
「どうしても」
ふぅむ、わからん。たしかに、僕もその理由は分からなかった。
けど、セングゥの言葉のそれには、どこか強い確信じみたものがあったから、少し不思議だ。
セングゥの指示通りに道を進む。坂を上り、路地を通り、橋を渡り――少し、長い道のりを歩く。
それでも、歩くにつれ、セングゥの鼓動が高まっているのが、背中越しに理解出来る。
刻々と、目的地に近づいているのが、理解出来る。
「ここだ」
言われて、辿りついた場所は、案の定病院だった。
「入ってくれ」
指示通り、院内へと入る。
カウンターを通り過ぎ、階段を登る。
四階に至ったところで止まるよう指示される。左端から4番目の個室。そう指示された。不吉だ。
廊下を歩く度、大所帯だからか足音がうるさい。カツカツと、脳裏に響く音。緊張で、とても不快に感じた。
そして、404号室。
正面まで辿りついて、セングゥを地面に降ろす。
「歩ける?」
「ああ」
そうか。外で待ってると伝えると、セングゥは頷いて扉を開けた。
ぎぃ。あの頃とは違って軽く開けられるはずの扉が、やけに重く感じた。
廊下なんかよりよっぽど暗い空間。その奥に、それはあった。
白いベッド。その上で寝そべっている、母親の姿。
あんなに栗色だった髪の毛が、軒並み白く染まっている。そして、艶のあった肌も須くうるおいに欠けていた。
「母さん」
震える声音で、その人を呼ぶ。
俺の声に反応して、その人もまた、こちらを向く。
口を開いて――そのまま、微笑む。あの時と、全く変わらない笑顔で――
「――おかえり。セングゥ」
――ただいま、母さん。
◇
そのまま俺と母さんは、しばらく話し続けた。
たくさん、色んなことを話した。
益体のない話から、これまでの冒険の話。とにかく、色んなことを話し続けた。
どうしてだろう。母さんに会えて、こんなに楽しいのに。こんなに嬉しのに。話したい事が、やまほどあったのに。――どうして、俺はあれほど、会いたがらなかったんだろう。
本当に、愚かだ。馬鹿だ。阿呆野郎だ、俺は。
「面白いわね、アナタの船の船長さん」
「だろ? 本当、すげー人なんだぜ!? 俺が乗せてくれって言った時も、俺の眼をみただけで本気を見抜いたんだから――本当、あの人はすごいよ」
「ふふ――そうね。セングゥがそう言うんだから、きっとそうよ」
母さんは終始笑顔だった。よほど俺の話が面白いのか、ずっと笑っていた。ソレが嬉しくて俺も喋るのをやめなかった。止まらなかった。止まりたくなかった。――止めちゃあ、いけないと、思った。
「それでさ、それでさ。他にも――」
「セングゥ」
話を割るように、俺の名前を呼ぶ。
「なんだよ、母さん」
「ねぇ、セングゥ」
だからなんだよ? そう問うた時、母さんは泣いていた。
「ごめんね」
「……」
「本当に、ごめんね」
その謝罪の意味が、俺には分からなかった。
「な――なに言ってるんだよ。なんで、謝る必要があるんだよ」
「ごめんね」
「だから――」
「ずっと独りにしてきてごめんね」
その言葉は、何故か、胸に突き刺さった。
まるで、心臓を槍で穿たれたかのように――息が、出来ないでいた。
「ひとり、じゃあないってば。言ったろ? 俺には仲間がいた。船長がいた。ナチェットのおっさんや、馬鹿だけど仲間はみんな良いヤツらだった。――それに、最近知り合ったやつだけど、親友みたいなヤツも出来た。だから――だから、独りじゃなかったんだよ。これまでも――これからだって、俺は――」
「ごめんね」
母さんが謝るたび、だんだんと胸が痛んできた。
「ごめんね」
謝る母さんの眼からは、大粒の涙が零れ落ちる。
「セングゥの顔見て、安心したんだ――母さんがいなくても、しっかり育ってくれてて」
やめてくれ。そんなことを、言わないでくれ。
「顔なんて、もうお父さんにそっくり――お父さんと一緒で、きっと強くなるわね」
弱弱しい声音で、笑って、俺の頬に触れる。
「――でも、男の子なんだから、そんな風に泣いちゃだめよ?」
泣き虫は直しなさいね。そういって、頬から手を放す。
「ごめんねセングゥ……」
微笑みを向けて、本当に、幸せそうな顔。
やめてくれ。そんなこと――言わないでくれ。だって、だってようやく――ようやくなんだよ。こんな、こんなことって――
そのさきを、言わないでくれ――頼むから。
母さん。
「これからも、独りにしちゃうから……ごめんね」
「 ッ」
声にならない声がこだまする。
嗚咽を漏らし、涙を零し、力の抜けた母の手を、ひたすら握った。
失われゆく体温を――亡くさないように




