ep,9 韋駄天の宝3
4/ナンデソウナルノ
「――お母さんだ」
僕たち一行はシキ・イロハ船長率いるアルク・アン・シエル海賊団の船、ナグルファルに乗ってから五日が経った。
船に同乗を許してもらってから、僕たちは色んなことをした。仕事の手伝いを主に、航路周辺を荒らす海賊退治などもした。
そして気が付けばもう五日が過ぎており、今に至るというわけだ。
「――は?」
「は? じゃねえよ。お母さんだよ」
いや、この場合「は?」意外の反応は僕のレパートリーの内に有り得ないんだけど。
「察しが悪いんだな」
などと言われても、そもそも察しもクソもないのだ。
「いや、察しもなにも……こんな唐突で脈絡もなしにそんな事を言われても――そりゃあ、もうあんな反応しかとりようが無いでしょう」
「失望したね、お前には」
「あれ、期待してくれてたんですか」
「揚げ足を取るな。残念ながらお前への期待など、アタシにとっては『ああ、もう二年くらい雨が降らないでほしいなぁ。でもどうせ降るんだろうなぁ。はぁ、期待するだけ無駄だよなぁ』くらいのものだ。あまり図に乗るな」
なんて詳細な比喩なんだ。
いや、そもそも二年も雨が降らない状態なんて、そんなことあっていいわけないだろう。
「――それで、お母さんがどうしたんです?」
嘆息まじりに問う。まさかこの人、「お前の母親は私だ」――なんて、どっかの暗黒面のみたいなカミングアウトでもする気ではなかろうか。……いや、ありえねえよ。色んな意味でありえねえ。つーかなにより笑えねえ。
「今日お前をここに呼びつけたのは他でもない」
「はぁ」
「お前ら――なんだ、あのたるんだ仕事は?」
お母さんはどこに行った!?
「え、――いや、仕事って……」
思いもよらぬ切り返しに戸惑う。さっきから謎のお母さんについて思いをはせていたというのに、なぜなにゆえ話の展開が仕事に行きついたのか。いくら考えても理解不能だった。
「……仕事ってこの船でお世話になる条件の――ですか?」
「それ以外になにがあるってんだい」
「はぁ。――えっと、それで……何が言いたいんですか?」
はぁ。今度は、シキ船長のため息。僕のそれより幾分か大きい、嘆息。
「――正確に言えばね、アイツらはちゃんと働いてるよ。そりゃあもう、たまげるくらいに」
「はぁ」
「けどな。お前らアレだ、限度ってのを知らねえ」
「限度……ですか」
そう、限度。言って、シキ船長は机に乗っけていた脚を組み直す。とても細く長い脚だからだろうか、今の仕草、とってもセクシーだった。
「まず、ルサ。海賊掃除や海竜種退治の際だ。――暴れてくれるのは結構なんだがね、アイツ、船を壊し過ぎだ。端的に言えば無茶し過ぎってこと。元気なのは結構だけど、お前、至急やめさせろ」
「はぁ」
「次に、フェルト。コイツについても主だった問題は少ないんだけどな、まぁ言うなれば釣り過ぎだ。船員が食い切れる量だけ釣ってこい。海の幸を無駄にするな」
「はぁ」
なんだか、予想していたよりは問題らしい問題でもなっそうだ。――いや、ルサの場合は深刻か。船が壊れちゃ元も子もないしな。一応、きつく注意をしとこう。
「えっと、それじゃあ、後で二人に言っときますね」
「あ?」
「え?」
何言ってんだコイツとでも言いたげな眼差し。あれ、僕なんか変な事でも言っただろうか。
「――お前、まさか本当にこれだけだと思っちゃってる?」
「え、まだ他に何か?」
「あるに決まってんだろバカヤロウ!」
手元にあった航海日誌を投げつけられる。痛い。
「底なしのバカたれだね、お前は」
「はぁ」
「まだお前について何も言ってないだろ」
――まぁ、そりゃあそうか。
でもしかし――僕について、そう堂々と叱られるような要因が、はたして存在するのだろうか。僕はこれでもまじめに仕事しているつもりだし、そんな怒られるようなことに心当たりはなかった。
「とやかく言われるいわれはねえ――そんな顔だな」
いい度胸だな――と、ニッコリ嗤いながら呟く。いや、怖いっす。本当、シャレにならないレベルで。
「まぁ、いいよ。バカってやつには大抵自覚が無いもんさ。誰もお前を責めれやしねえ。悲しい事だけどな」
「はぁ」
「まぁいい。本題に入ろう。――お前は、全部だめ」
バカな! 全部だと!? ていうか、全部って何から何まで?
「えっと――どういうことですか?」
一応これでも、本当にまじめに仕事をしているつもりだったから、正直驚いている。
「お前はセングゥとくっちゃべり過ぎだ」
ほんとうにつもりだけだったようです、ごめんなさい。
「おや、顔つきが変わった。言われてみると自覚が出てきたか」
「えっと――まぁ、はい」
「仲いいよなぁ、お前ら。いや、仲良しはいいことなんだけどよ。一線を越えた間にだけはなるんじゃねえぞ?」
ならねえよ。
「なるわけないじゃないですか。――それで、言いたい事はそれだけですか? これからは必要以上に仲良く話するなってことでいいんですね?」
「いや、今まで以上に仲良くお話をするんだ」
「はぁ?」
本当に何言ってるんだこの人?
「何が言いたいんですか?」
「だから、話をしろっつってんの」
おかしいな。まるで要領を得ないのは僕だけであろうか。そんなはずはないと思いたい。
「そこで――お母さんだ」
「船長が僕のお母さんだって話ですk」
言いかけた中途、今度は僕の頬に何かが掠った。
恐る恐るに後ろを振り向くと、背後の扉には果物ナイフが突き刺さっていた。それもかなり深く、グッサリと。
「――冗談ですよ」
「だよなぁ。冗談が遺言だなんてのは嫌だもんなぁ」
「あははは。当たり前じゃないですか。冗談キツイですよ船長」
快活な笑顔で答える。多分、ぼくの身体は今、冷や汗でいっぱいだと思う。
「セングゥにな、言ってやって欲しいんだよ」
「シキ船長がお母さ――」
ギロリ。
睨まないで。
「――じゃなくて、何をどういう風にですか?」
「母親に会いにいけってことを――だよ」
「母親に? セングゥの?」
ああ、と首肯するシキ船長。疲れてるからか、どこか哀愁のような重苦しさを感じさせる雰囲気が、この人には、これで結構似合うように思えた。
「いや、でも――どういうことなんですか?」
「お前さ、アイツ――セングゥが母親の話をするの、聞いたことがあるか?」
「え――」
言われて、少しの間考え込む。
「別に母親に限定しろとは言わねえよ。父親でもなんでもいい――とにかく、アイツが自ら家族の話をするのを、お前は聞いたことがあるか?」
見たことがあるか? ――いや、それは、
「ないです、多分」
だろうね。わかりきった口調で、つまらなさげに言うシキ船長。
「アイツは家出っ子だからな」
「――家出っ子?」
「そう。――だから、仲良しなお前から、さりげなく言ってやってくれ」
母親に、会いに行け――と。そう言った。
「えっと――理解が悪くてすみません。あの、まったく意図が掴めないんですが」
「アイツの事情はな――……いや、それこそ勝手にアタシが喋っていい話じゃない。そこは、まぁアイツ本人から聞けばいいさ。――とにかく、アイツに母親に会いに行くよう伝えてくれ」
――なんて、言われても。
何が言いたいのか、趣旨が解らないのだ。
ただ単に母親に会え――なんてだけの話でもないだろう。
セングゥとセングゥのお母さんとの間に、なにかがあったのか。それとも――
「……お前。母親のことで何かあったのか?」
唐突に、シキ船長が問うてきた。
本当に、心臓が飛び出るかと思った。
「え、なんでですか――」
「母親の話をした時」続けるように、僕の真意を窺うように、シキ船長は口を開く。「お前の心拍が急変化した」
心拍――? どういうことだ?
「それで、話戻すけど。――お前、母親の事で何かあったのか?」
「……」
この人には、嘘が通じない。嘘をついても意味が無い。話を、はぐらかす利益が無い。
「はぁ……」
嘆息。やれやれ。あまり、こういう話は好きじゃないんだけどな。
「僕――自分の母親を、見た事が無いんです」
「なに?」
訝しむような視線。まぁ、今の内容だけじゃ、とてもじゃないが意味不明だもんな。
「母親の顔を、知らないんです。そりゃ生まれた時に会ってるんだから、覚えてない――っていう方が適当なんでしょうけど。……それでも、僕は物心ついて一度も、母親をこの目で見たことがないんですよ」
「……」
重い沈黙。そりゃ、当然か。だからこういう暗い話は嫌いなんだ。言う方も、聞く方もつかれる。なにより気を遣わせてしまう。
「そうか。――それなら、尚更だ」
「――え?」
「尚更、セングゥに伝えてやれ。母親のもとに、早く帰れってな」
「なおさら……?」
僕が言葉の意味を理解しあぐねていると、それを察してか、シキ船長は再び口を開いた。
「セングゥの母親がな、危篤なんだ」
「――……」
その一言で、全てを察した。
全テヲ、理解シタ。
危篤――すなわち……。
「それは――」
それは、セングゥは――
「――はい。分かりました」
それは、母親に会うべきだ。
絶対に。何に変えても。必ず。
手遅れになる前に。
「さすがはアタシが見込んだお兄ちゃんだ。そう言ってくれると思ってたぜ?」
「まぁ、こればっかりは僕でなくとも同じですよ。――ていうか、そもそも何でシキ船長がそんなコト知ってるんですか。離れた人間の情報なんて」
「御得意の情報屋に少し前から調べて貰ってたんだよ。そしたら、案の定のタイミングでね」
皮肉げに呟いて、椅子を翻す。
「話しはそれだけだ。――危篤の話は、なるべくするんじゃねえぞ」
◇
シキ船長の話から数時間。僕はと言うと、なかなかセングゥに話を切り出せないでいた。
船内ですれ違ったり、見かけたり――話す機会はいくらでもあったが、いかんせん一歩踏み出せずにいた。
「だって――なぁ……」
ことがことだし、そう気楽に話しかけるのもいかがなものか。
しかしかといって、このままなぁなぁにしていくのもどうだろうか。それを思えば、玉砕覚悟で話してみる方が気持ち的に楽だろう。
「――でもなぁ」
しかし、聞く所によるとセングゥは、今現在家出真っ最中ときた。
帰れ――と言って素直に帰るほど、そう簡単にいくわけがない。
なにかしら、事情があって家出してきたに違いないのだ。
「……難儀だ」
「何か言った?」
――と、唐突に目の前から声がかかる。
「ルサ、フェルト」
目の前には、仕事真っ最中のルサとフェルトが立っていた。
「なんかボヤいてたみたいだけど、なに?」
「いや、独り言ヒトリゴト」
ふぅん、と訝しむような返事。ルサは最近ご機嫌斜めだ。その心は、いつまで経ってもアエーシュマに到着しないことに起因する。まぁ、イライラする気持ちも、分からんこともないんだけどな。
「なにか考え事をしているようだけど」
ギクリ。
「いや、なにもしてないけど」
「今ギクリって言ってたけど」
口に出てたのか……。
――全く。本当にフェルトは、何でもお見通しだな。
シキ船長との会話を、二人に話した。
話とは、無論セングゥの母親についてと、
「それで、家に帰れって話ね」
そう、そういうこと。
「アタシも、その話には賛成かな。――アタシもお母さんお父さん死んじゃってるし、手遅れになる前に一度会った方が良いと思う」
「だよなぁ」
やっぱり会った方が良いんだよ。こういうのは、手遅れになるときっと後悔する。
「そうと決まれば、早速」
行動あるのみだ。
◇
案の定――というよりやはり、セングゥはすぐに見つかった。
「おお、リョウ。どした? なんかわかんねえコトでもあんのか」
「いや。少し話が合ってね――今いいかな?」
「おう。今ちょっと選択取り込んでるからよ。少し待ってくれ」
「それなら、僕も手伝うよ」
悪いな。という、屈託のない笑顔。――やっぱり、気が引ける。
セングゥと共に、干してあった船員たちの衣類や布団を取り込む。
この作業も三回目。さすがに手慣れてきたが、もうずっとここで働いてるセングゥの作業を思うと、やはり核の差が顕わになるのも仕方ない事だ。
そう言えば――セングゥはどのくらい昔から、この船に乗っているんだろう……?
「セングゥ。君さ、どのくらい前からこの船に乗ってるんだ?」
「あん? 面白いこと聞くんだな。話ってのはそれか?」
「いや。今たまたま、少し気になっただけだよ」
そうか。呟いて、懐かしむように蒼空を仰ぎ見る。
「ここに来たのは今から7年前のことだ。だから、俺が10歳の頃だな」
ということは、僕たちは同い年だったのか。タメだったのか。
「で、ソレが何か?」
「いや、ただ単に気になっただけだよ。――海賊になる前はどんな暮らしをしてたんだ?」
「普通に、ごく普通の家庭で育ったよ」
嘘だ。
わかる。セングゥは、嘘をついている。
「お母さんは、どんな人だった?」
「どんなって……いや、なんでそんなコト聞いてくるんだ?」
「聞いちゃダメな事かな」
「好ましくはないぜ」
「……」
――沈黙。さて、どういうことだろう。
何故セングゥは家庭事情をはぐらかす。
誤魔化す必要なんてないだろう。
君は、何を隠してるんだ?
「――お母さんに、会おうとは思わないか?」
「いやだね」即答。続けて、早く強い口調で、言う。「絶対会わない。無理なんだよ」
「どうして――」
「どうしてもクソもあるか。会わないったら、会わない」
絶対に。そう付け足して、口を閉ざした。
確固たる意志。変えようのない決意。捻じられぬ、重い想い。なにかが、なにかがセングゥを断固たらしめている。
からめ手は、無理みたいだな。なら――
「どうしても、会う気は無いのか?」
「言ってるだろ。あんまりしつこいとテメェ――」
「ぶん殴るか?」
「あ?」
意外そうな表情で、眼を開いて驚く。
「殴るか? 強引に、容赦なく。力ずくで黙らせるか? 僕は構わないけどな、それで」
「――何が言いたいんだよ」
「別に。君が言っても効かないなら、原始的だけど殴って従順になってもらうしかないから」
これは本当に、仰天といった表情。本気で、驚いている。
「――リョウ。本気で言ってんのか?」
無論だ。本気だとも。
「本気だよ。だから、もう一度だけ言うよ。今すぐお母さんに会いに行くんだ」
例えば、これで絶交したとしても。
この世界に来て、初めての同性の友人であるセングゥとの友情にヒビを入れることになったとしても。――それでも、僕は。僕はセングゥに、母親に会って欲しいと思う。
間に合うように――1秒でも早くソレが叶うのだとしたら、友情なんていらない。関係なんていらない。絶交だろうがなんだろうが、そんなものは知らない。だから――
「お願いだから。――会うんだ」
「――そうかよ」
吐き捨てるように、
「お前の言いたい事は分かるよ」
睨み殺すように、
「でもな、俺にも、守りたいものがある」
一切合切を叩きつぶす鬼のように、
「お前の言い分は、許容できねえよ」
それでも、自己を貫いた。
「……わかった。――表へ出よう、セングゥ。公開決闘だ」
「公開処刑の間違いだぜ、御使い」
言って、嘲けるように、嗤うセングゥ。
「勝負に負けたら、君は僕のいうことを聞け」
「俺が勝ったら、お前を船から降ろすぞ。お前だけを、だ」
お安い御用だ。
5/ヤッパリコウナッタ
「よし、お前ら準備はいいな?」
副船長であるナチェットおじさんが、緊張まじりに言う。
合図。
同時にこれは、カウントダウン。
「だいじょうぶ」
「あたぼー」
よし――と呟いて、二人に甲板の中心に立つよう指示する。
「……おい、なんだこりゃ?」
騒ぎに気付いた一般乗組員が大勢群がってくる。
「ああ。なんでも、決闘らしいぜ」
「決闘? なんで。あんなに仲良かったアイツらが?」
「さぁな。――でもまぁ、仲介人が居る。正式な決闘だ。てことは、殺し殺されには発展しねえよ」
言って、再び甲板の中央に目を向ける。
彼らの目に映る大男。身長は2メートルを超えるであろう巨漢は、名前をナチェットと言う。皆からはおじさんと呼ばれている。この船の副船長で、実力も折り紙つきだ。
この人を仲介に入れたのは決闘の勝敗を決定的にさせるためだ。後になってうやむやにされるのは、コチラとしても向こうにしても好ましくない。だから、公平に第3者――レフェリーを迎え入れる必要があった。この人はこの船のナンバー2。名実ともに、この人が相応しい。
「お前ら、覚悟はいいな?」
頷く。セングゥもまた、同様。
「――よし。良い眼だ。お互い、賭けるモノを」
「負けたら船から降りる」
「負けたら、母親に会う」
「よし」
しばしの沈黙。
なんて、静けさ。まるで世界が停止したような、そんな空気。
吹く風だけが生を帯びている。
すべてが、停滞している。
途端、唐突に――
「始め――ッ!」
一斉に、息を吹き返す。
死んでいた死屍累々が、命を灯す。
道理。韋駄天は、加速する。
「――ハァ!」
目にもとまらぬ脚撃。高速にして神速の、真実神の速さを帯びた、一撃。響く轟音。雷鳴にも似た、鼓膜を痛烈する衝撃。――しかし、
「――やるね」
僕の抜刀の方が、幾分か早かった。
純白の刀身は、韋駄天の一撃を完全に殺していた。
「その剣さ、お前の使力か?」
藪から棒な問い。少し動揺して、でもすぐに平常心に戻る。
「なんで?」
「いや、なんか変な感じでよ」
変な感じとは……?
「ま、どうでもいいや。お前の動体視力は大したもんだからな、少しギアを上げようか」
言って、祈りでも捧げるように、両の手を合わせる。
オーバーテイク。そう呟いて、
「SKANDA:2」
一言、漏らす。
瞬間――セングゥが消える。
「これだ――」
そう、これだ。初めて会った時に使われた、セングゥのトップギア。まさしく神速を名乗るに相応しい、眼の端にすら捉えられない、超越速度。
「殺す気で行くぜ」
宣言通り、セングゥの猛攻は苛烈を極めた。
殴り。蹴り。斬りつけ。抉り。刺し。穿ち。――ありとあらゆる苦痛を、僕の不死の身体に浴びせる。
死なない分中断が入る事はないし、死ねない分痛い感覚が永遠を支配する。殺す気で行く――だなんて、良く言ったものだ。これでは、身体はともかく精神の方が殺されてしまう。
嗚咽。吐血。流血。打撲、骨折。もう、ボロボロのボロボロ。こんなに痛いのは、生まれて初めてだ。
もう、諦めても、いいかもしれない。
――ああ、でも。……だけど。
「くそ」
だけど。
「なんで」
こんな行為にどんな意味があるかは知らないけど。
「なんでだよ」
少なくとも――
「なんで、諦めないんだよ――ッ!」
渾身の一撃。すなわち、右のストレート。
それを、受け止める。
血まみれの、血に塗れた身体で。セングゥの腕を掴む。
「なんで、そんな――わけわかんねえよ」
「……確かにね」
かすれた声で、吐血まじりの咳込みを挟んで、セングゥを睨む。
「……白状すると、僕もわけがわからない」
なんで、そう思って仕方がない。どうしようもない。
「……自分のことでもないのに。ついこないだ知り合った、クソ生意気な野郎の都合だってのに。ムキになる理由なんて、何ひとつありはしないのに。なんで、僕はこんなに熱くなってるんだろうって、不思議に思ってるよ」
「なら、とっとと諦め――」
「……キミさ。後悔したことないだろ」
僕の一言に、セングゥは硬直した。固まった。動かなくなった。
それは、何を意味してか。
「……後悔――そりゃあね。まぁ、船長に怒られて――それで『ああ、やっちゃった』くらいのなら、確かに毎日経験してるだろうけど……けれど、君は本当の意味で、取り返しのつかない後悔をしていないんだ。きっと、今までの全ての行いを、自分が正しいものだと思い込んでいる。君の家出だって、君は自分が正しいものだと思い込んでいる。酔いしれている。だから、君は過ちに気付けず、後悔をしたことがないんだ」
本当の意味での後悔。
例えば、僕がハヤトを見殺しにしたソレ。
例えば、
例えば、例えば例えば例えば例えば例えば例えばタトエバ例えば例えば例えば、たとえば。
小さな後悔。
小さな過ち。
大きな後悔
大きな過ち。
後悔に、定規なんてない。
後悔に、大きさなんてない。
後悔に、意味なんてない。
だから――それでもと言うのなら、もう。
少なくとも、僕は、後悔しないだろう。
「――君のお母さんが、危篤なんだよ」
「――……っ?」
刹那。セングゥは停止する。
それは、比喩でもなければましてや冗談でもなし。本当に、真実セングゥは、停止した。
一転攻勢。セングゥの頬を思い切り殴りつけ、そのまま押し倒す。
馬乗りになって、乱暴に腕を抑え付ける。
「君のお母さんは、今、生死の境を彷徨っている」
言って、セングゥの瞳を覗く。
「手遅れになる前に、会わなきゃダメだ」
「――……俺は」
――その、瞬間。
――ドゴン。
◆
「指令。目標、捕捉しました」
「よろしい。そのまま気づかれないよう射程圏へ入るんだ」
はっ、と活気の入った返事。言うまでもなく、軍人のソレ。
「しかし、あれで海賊船とは。ただの旅客船にしかみえないがな……」
銀髪に長髪。ポニーテイルにまとめられたそれが起因して、うっかり女性のように見えてしまうが彼は男。シャキっとした面持ちに、やる気と活気に満ちた、ギラギラとした空気が、ソレを物語る。
「見た目に惑わされねえようにな」
「ふん。貴様の二の舞になどなるか、ペスト」
「おいおい。それが心配して言ってやってる同期への態度か? なぁ、ヒット?」
ヒット。そう呼ばれる男。
「ふん。そもそも、何故私がこのような海賊退治などに赴かねばならんのだ」
「まぁそう言いなさんな。相手はこの俺が敗れた御使いだぜ。人出が多いに越したこたぁねえ――それに、ここはお前の独壇場じゃねえか。なぁヒット」
無論だ。そう呟いて、嘆息する。
「――確かなんだな? ヒナ様の“預言”は」
「ああ。この海域、この時間。そして、目の前には特徴通りの不審船と来た。誰がどう見ようっと明白だっつの」
「……まぁ、そうだな」
言って、醜悪な笑みを浮かべる。
「指令。射程圏突入です。いかがいたしましょう?」
「――いかが? ……決まっている」
全弾、発射――。
海坊主。連合国軍大佐、――アイス・ヒット。開戦ののろしを上げる。それは、無慈悲な砲弾によって――
◇
瞬間、爆発。
船尾に、何かが命中した。
「なんだ!? 何が起きている!?」
先程まで決闘に夢中になっていた船員たちも、突然の事態にてんやわんや。それを――
「落ち着けアホ共ォ―――ッ!!」
シキ船長の怒号が押し鎮める。
「してやられたね。相手はアタシらのケツ取ってやがる。完全な不意打ちを喰らっちまったよ」
快活な口調でそう言うが、船長のソレは――様子は、只事ではなかった。
「シキ……船長……血が――」
青ざめた表情。口からは鮮血が漏れ、とてもじゃないが平然と話せるような容体ではない。
「ちょっと、どうしたのよアンタ!?」
さしものルサも、これには心配しきりだった。
「どうもこうも、これがアタシの使力だからさ」
「はぁ?」
意味不明と言った表情。ゴメン、僕にも意味不明だ。
「敵船、確認できるか?」
「へい――あれは……『蒸気船』――それも軍のモノです!」
蒸気船――蒸気機関は、この世界にもあったのか。
「印は?」
「へい――青い、雪の紋章……海坊主です! 海坊主、アイス・ヒットだ!」
ちっ。舌を打つ、シキ船長。最悪だな、そう付け足し、こちらを睨む。
「――……」
無言のまま、少しの沈黙が続いた。そして――
「契約を変更するぞ。ミヤイ・リョウ」
契約――それは、僕たちの同乗を許した条件と、その契約。
言って、僕にその内容を告げる。
耳を疑う内容。それは――僕は、それがどういう意味を持つか、理解しているからだ。
「任せたぞ、御使いのお兄ちゃん」
「――……っ」
躊躇った。返事を、返答を、その契約の返答に対する答えを――。
だが、
「……はい」
任せてください。力強く、頷いた。この人の期待を、セングゥを、裏切る事はしたくないから。
「……それじゃあ、行こうか」
身を翻し、一同を臨む。
「野郎ども――」
準備はいいか? 問う。
「死ぬ覚悟は――出来てるか?」
問う。是非を――問う。
一同、満面の笑み。
「ンなもん――あるわけねえ!!」
よろしい。
戦闘開始――。シキ・イロハの宣言により、海戦は幕を開ける。
同刻、連合国軍大佐、アイス・ヒットは幻を目にする。
「おかしい」
弾は、命中していた。船尾から煙を上げていたはずだ。
しかし、その面影は、まるで残っていない。きれいなままの、補足した当時の船のままだ。
「命中していたはずだが――」
当たっていなかったのか。
それは、彼にとって初めてだった。彼がこと海戦において、大筒を外すと言うのは、生涯初の経験であった。それ故に、その正確さ故に、彼は連合国軍大佐の銘を頂いている。だから、この経験は、未だ未体験のもの。屈辱であった。
「クソ。もう一度だ――……ハァ!?」
再び、ありえない光景を目にする。
船というのは、その巨大さ、運転の難解さ、波の抵抗やら諸々の条件が重なり、船体の急な方向転換を不可能賭する。それは、彼が一番よく知っている。この方これで何年も船に乗ってきていないのだ。それは、常識と言っても過言ではない――が、しかし。その常識は、あっさりと打ち砕かれる。
船が、急に方向転換した。あの巨体が、180度回った。ここまでくれば、もう夢でも見ているようだ。
「なんだ、あの船は……?」
「まるでバケモノだな。うわさに聞く現人神ってやつか」
「あの船が――?」
ペストの一言を聞いて、わずかにニヤける。
「ははっ! 笑止ッ! このアイス・ヒット、貴様を狩ることだけを近年の目標にしてきた。――まさか、ようやくソレが姿を見せるとは。――いいだろう。見せてやるとも、我が使力を! 海坊主と恐れられた、私の実力を――ッ!!」




