第8話「剣士・月城美鈴」
# 第8話 剣士・月城美鈴
第三探索者育成学園に入学してから数日。
神代悠斗は、朝のホームルームが終わると同時に、机の上へ一冊のノートを広げていた。
表紙には、丁寧な字でこう書かれている。
『採集士として探索者になるための記録』
スキル判定を受けた日から書き続けているノートだ。父から聞いた話、図書室で調べた知識、授業で習った内容。思いついたことは、できるだけその日のうちに記録するようにしていた。
まだ、書かれている内容は少ない。
採集士は素材の採取に関わる。
採集には知識と観察が必要。
危険な場所では、自分の安全を優先する。
どれも当たり前のことかもしれない。それでも、悠斗にとっては大切な手がかりだった。
「神代、またノートか?」
隣から声がした。
顔を上げると、桐谷健吾が興味深そうにのぞき込んでいた。
「うん。授業で聞いたことを忘れないうちに書いておこうと思って」
「真面目だなあ。俺なんて、授業が終わったら頭の中が次の訓練のことでいっぱいだぞ」
「健吾は訓練が好きなんだね」
「そりゃな。身体を動かしてるほうが、自分に何ができるか分かりやすいから」
健吾はそう言って、椅子の背もたれに腕をかけた。
「でも、神代みたいに記録するのも大事だと思うぜ。何ができるか分かってなきゃ、いざってときに困るだろ」
「……そうだね」
自分のやっていることを肯定してもらえた気がして、悠斗は少しだけ表情を緩めた。
そのとき、教室の前方から教師の声が響いた。
「次の授業は、スキル別の基礎訓練だ。各自、指定された訓練区画へ移動すること。今日は実際に道具を使い、それぞれの適性を確かめてもらう」
教室の空気が変わった。
座学では、スキルの種類や探索者の役割について学んできた。しかし、今日からは自分の身体を使って確かめる時間が増えていく。
悠斗もノートを閉じ、筆記具を鞄へしまった。
採集士として、何ができるのか。
その答えを少しでも見つけられるかもしれない。
◇
訓練区画は、学園の建物の奥に設けられていた。
広い室内には複数のエリアがあり、剣や盾を扱う場所、魔法の基礎を練習する場所、素材の識別や採取を学ぶ作業台などが並んでいる。
壁際には安全用の器具が備えられ、各区画の境目には、訓練中の事故を防ぐための仕切りが設置されていた。
「ここでは、強さを競うことが目的ではない」
担当教師は、集まった生徒たちを見回した。
「自分の適性を理解し、どのような訓練が必要なのかを知ること。そして、自分の技量を過信しないことだ。スキルがあるからといって、最初から使いこなせるわけではない」
教師は剣術訓練区画へ視線を向けた。
「剣士の適性を持つ者は、基本姿勢と素振りから始める。力任せに振るのではなく、身体の軸、足の運び、刃の軌道を意識するように」
何人かの生徒が、待ちきれない様子で顔を輝かせた。
その中に、一人の女子生徒がいた。
黒髪を後ろでまとめ、訓練着の袖を整えている。周囲の会話に加わることなく、教師の説明を一つも聞き漏らすまいとするように、まっすぐ前を見ていた。
名前は、月城美鈴。
教師が名簿を確認して告げる。
「月城。前へ出て、基本動作を見せてくれ」
「はい」
美鈴は短く返事をすると、訓練用の剣を手に取った。
その動きには、無駄な迷いがなかった。
剣を握る手の位置を確かめ、足を開き、膝を軽く曲げる。教師の合図を待ってから、ゆっくりと剣を振り下ろした。
ヒュッ、と風を切る音がした。
一度。
二度。
三度。
動きは派手ではない。速さを誇示するような振り方でもなかった。
それでも、剣先が通る軌道は安定していた。
美鈴は一度ごとに姿勢を確かめ、足の位置を修正し、また剣を振った。
「月城、肩に力が入りすぎている。振り終わった後の姿勢も意識しなさい」
「はい。ありがとうございます」
指摘を受けた美鈴は、すぐに構えを整えた。
次の一振りでは、肩の力がわずかに抜けていた。
教師がうなずく。
「いい。今の感覚を忘れないように」
美鈴は返事をすると、再び基本動作を繰り返した。
悠斗は、その様子を見つめていた。
剣士というスキルについて、悠斗が知っていることは多くない。
戦闘を得意とする適性。武器を扱い、魔物と戦う役割。
おおむね、そんな理解だった。
だが、目の前で行われているのは、単純に剣を振るだけの動作ではない。
姿勢を整える。指摘された部分を直す。何度も繰り返す。
地味で、根気のいる作業だった。
それでも美鈴は、途中で手を抜こうとしなかった。
「……すごいな」
思わず、悠斗はつぶやいた。
「月城さん、前から剣の練習をしてたのかな」
隣にいた健吾が、訓練区画を見ながら答えた。
「どうだろうな。でも、今のを見る限り、少なくとも真剣に取り組んでるのは間違いないだろ」
「うん」
「俺も負けてられないな」
健吾は拳を握り、別の訓練区画へ向かった。
悠斗も、自分の担当場所を確認する。
そこに用意されていたのは、小さな作業台と、いくつかの採取道具だった。
剣も盾もない。
代わりに、素材を傷つけずに扱うための器具や、細かな部分を観察するための道具が並んでいる。
華やかさはなかった。
だが、これが自分の学ぶべき場所なのだ。
悠斗は作業台の前に立った。
◇
「採集士の基礎訓練では、まず対象を正しく観察することから始める」
担当教師は、台の上に置かれた数種類の植物を指し示した。
「見た目が似ていても、性質が同じとは限らない。採取する部分を間違えれば、素材としての価値を失う場合もある。対象を確認せず、知っているつもりで手を出すことは避けなさい」
生徒たちの前には、葉の形や色が少しずつ異なる植物が並べられていた。
「今日は、指定された特徴を持つ対象を見つけ、記録する。採取は教師の確認を受けてから行うこと」
悠斗は、すぐにノートを開いた。
葉の形。
茎の太さ。
色の違い。
傷の有無。
教師が説明した項目を、一つずつ書き留めていく。
それから、台の上の植物を観察した。
最初は、どれも似たようなものに見えた。
葉の大きさが違うことは分かる。色にもわずかな差がある。しかし、それが何を意味するのかまでは判断できない。
悠斗は焦らず、対象を一つずつ見比べた。
葉の縁に小さな切れ込みがあるもの。
茎の根元が少し太いもの。
葉の裏側に、薄い模様が見えるもの。
気づいた特徴をノートに書き込み、教師の説明と照らし合わせる。
やがて、指定された特徴を持つ植物を見つけた。
「先生、これだと思います」
教師が近づき、悠斗の示した植物を確認する。
「よく見つけたな。判断の根拠は?」
「葉の縁の形が、説明された特徴と一致しています。それと、ほかのものと比べて葉の裏側の模様も似ています。ただ、これだけで決めていいのかは、まだ自信がありません」
「その答え方でいい。見つけたことと、確実に判断できることは別だ。分からない部分を分からないままにしておけるのも、探索者には必要な能力だ」
教師は植物を確認してから、採取の手順を説明した。
悠斗は指示に従い、道具を使って慎重に作業を進める。
力を入れすぎない。
対象の状態を確かめる。
採取した後も、傷や変化がないか確認する。
終わったとき、悠斗の手元には、教師の確認を受けた植物が一つ残っていた。
たった一つ。
剣士のように目立つ成果ではない。
しかし、悠斗はその植物を見つめ、胸の奥に小さな手応えを感じていた。
自分にも、できることがある。
まだ、ほんの少しだ。
それでも、何もないわけではない。
ノートに記録しようと顔を上げたとき、剣術訓練区画から、再び風を切る音が聞こえてきた。
月城美鈴は、まだ練習を続けていた。
◇
授業の終わりを告げる合図が鳴った。
生徒たちは道具を片づけ、教師からの講評を聞くために集まっていた。
美鈴は訓練用の剣を所定の場所へ戻すと、手の位置を確かめるように指を軽く動かした。
その様子を見ていた悠斗は、少し迷ってから声をかけた。
「あの、月城さん」
「……何?」
美鈴が振り返る。
近くで見ると、真剣な表情が印象的だった。怒っているわけではないのだろうが、気軽に話しかけていいのか、少し考えてしまう。
「さっきの剣の訓練、すごかったから。ずっと同じ動きを繰り返していたよね」
「基本だから」
美鈴は、簡潔に答えた。
「基本ができなければ、応用もできない。そう教わったから、繰り返しているだけ」
「それでも、すごいと思う。指摘されたところを、すぐに直していたし」
美鈴は少しだけ目を見開いた。
褒められると思っていなかったのかもしれない。
「……ありがとう。でも、まだ全然だよ」
彼女は自分の手を見下ろした。
「先生に言われたことを直せても、次に同じ失敗をすることがある。頭では分かっているのに、動くとできないこともあるから」
「そうなんだ」
「だから、繰り返すの」
その声には、迷いがなかった。
悠斗は自分の手元に目を落とした。
採集の授業でも、同じだった。
説明を聞けば理解できたつもりになる。けれど、実際に対象を前にすると、判断に迷うことがある。
知識があることと、実際にできることは違う。
それは、剣士でも採集士でも変わらないのだろう。
「僕も、今日の授業で同じことを思ったよ。特徴を覚えても、実物を見たら迷うことがあったから」
「あなたは、採集士だったね」
「うん。神代悠斗」
「月城美鈴」
名前を名乗り合う。
それだけの短いやり取りだったが、悠斗は少しだけ距離が縮まったように感じた。
「採集士って、実際にはどんなことをするの?」
美鈴が尋ねた。
悠斗は意外そうに顔を上げた。
「素材を見つけて、採取して、持ち帰るための準備をする……って、今は習っているところ。まだ、実際のダンジョンには行っていないけど」
「そう」
美鈴はうなずいた。
「剣士が戦うだけでは、探索は成り立たないんだろうね」
その言葉に、悠斗は思わず彼女を見た。
「どうして、そう思うの?」
「ダンジョンに入って、魔物を倒したとしても、それだけで全部が終わるわけじゃないから。素材を回収する人も必要だし、帰り道を考える人も必要だと思う」
美鈴は少し考えてから続けた。
「私が剣を振れるようになっても、それだけで探索者として十分だとは思っていないよ」
悠斗は、父の言葉を思い出した。
探索者は戦うだけの仕事ではない。
素材は、採取して持ち帰るまでが仕事。
自分が何度もノートに書き留めてきた言葉だった。
それを、美鈴も別の立場から考えている。
「……僕も、採集士だからできることを見つけたい」
悠斗は言った。
「戦うのが得意じゃなくても、仲間の役に立てるようになりたいんだ」
美鈴は、しばらく悠斗を見つめていた。
「なら、まずは自分の仕事を覚えることだね」
「うん」
「私も、剣士としてやるべきことを覚える。お互い、まだ始まったばかりだから」
そう言って、美鈴は軽く頭を下げた。
「じゃあ、また授業で」
「あ、うん。また」
美鈴は道具を片づけるために歩き出した。
その背中を見送りながら、悠斗は考えていた。
彼女は剣士として強くなろうとしている。
ただ力を求めているのではなく、できないことを認め、基本から積み重ねようとしている。
自分も同じように、採集士として一歩ずつ進めばいい。
誰かと比べて、自分の価値を決める必要はない。
大切なのは、自分に何ができるのかを知り、それを伸ばしていくことだ。
◇
帰宅後、悠斗は夕食までの時間を使って、いつものノートを開いた。
今日の授業で学んだことを、忘れないうちに記録する。
採集の訓練では、対象の特徴を観察し、判断の根拠を説明することが必要だった。
分からないことを、分かったふりで済ませない。
教師の確認を受けてから、採取を行う。
そして、今日新しく書き加えた項目が一つあった。
『基本を繰り返すことは、どのスキルでも大切』
少し考えてから、その下にもう一行を書き足した。
『自分の役割を理解し、仲間の役割も理解する』
「……よし」
ノートを閉じたところで、台所から母の声が聞こえた。
「悠斗、ご飯の準備を手伝ってくれる?」
「分かった、今行く!」
悠斗は椅子から立ち上がった。
今日も食卓に並ぶのは、豪華な料理ではないだろう。
それでも、家族が待つ場所へ帰ってこられる。
その当たり前を守れる探索者になりたい。
いつか、家族みんなで焼肉屋へ行く。
その夢は、まだ遠い。
けれど、今日の自分には、昨日まで知らなかったことが一つ増えた。
それなら、明日も一つずつ増やしていけばいい。
剣士・月城美鈴との出会いは、悠斗にとって、そんな小さな一歩になった。
そして学園では、彼がまだよく知らない別の役割を持つ生徒が、次の訓練に備えていた。
探索者は、一人だけでは成り立たない。
そのことを悠斗が本当の意味で理解するには、もう少し時間が必要だった。
次回予告
# 第9話 盾役・桐谷健吾
剣士の訓練を見て、自分の進む道を考え始めた悠斗。
次の授業で彼が目にするのは、仲間を守るための技術を学ぶ桐谷健吾の姿だった。
攻撃する力だけでは、探索者は生き残れない。
守るという役割の難しさを知ったとき、悠斗は仲間と探索することの意味を、もう一歩深く考えることになる。
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