第6話「第三探索者育成学園」
# 第6話 第三探索者育成学園
翌朝。
神代悠斗は、いつもより少し早く家を出た。
制服の入った鞄を肩にかけ、胸ポケットには小さなノートをしまっている。昨日までなら、ノートに何を書き込むかなど考えもしなかっただろう。
けれど、今は違う。
採集士として何ができるのか。
どんな知識が必要なのか。
安全に活動するために、何を覚えなければならないのか。
調べたいことが増えるたびに、知らないことの多さにも気づかされる。
「……今日から、か」
悠斗は通学路の先を見た。
目指すのは、第三探索者育成学園。
ダンジョンが社会の一部となった時代に、探索者を志す若者たちを育てるために設けられた教育機関だ。
一般的な学科の勉強だけでなく、探索者として必要な知識や技能を学ぶことができる。
もちろん、学園に入ったからといって、すぐにダンジョンへ入れるわけではない。
基礎を学び、訓練を受け、危険を理解する。
その積み重ねが必要になる。
父の言葉を思い出しながら、悠斗は歩き続けた。
*
学園の正門が見えたのは、朝の通学時間が本格的に始まった頃だった。
門の向こうには、いくつもの校舎が並んでいる。
一般教科を学ぶ教室棟。
探索者の知識を身につけるための講義棟。
実技訓練に使われる施設。
遠くには、広い運動場のような場所も見えた。
敷地の一角には、頑丈な柵に囲まれた訓練区画がある。入口には注意事項を記した案内板が立ち、訓練施設の利用には教員の許可が必要であることが示されていた。
「すごいな……」
悠斗は思わず足を止めた。
これまで、ダンジョンに関する施設を外から見ることはあっても、探索者を目指す者たちが学ぶ場所へ入るのは初めてだった。
校門を通り抜けると、周囲には同年代の生徒たちが大勢いた。
新しい制服に身を包んだ者。
友人と笑いながら歩く者。
掲示板の前で、今日の予定を確認している者。
その中には、昨日のスキル判定で見かけたような、期待に満ちた表情の生徒もいた。
「今日から、ここで勉強するんだよな」
悠斗は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
不安がないわけではない。
剣士や魔術士のスキルを得た生徒たちは、きっと実技訓練を楽しみにしているだろう。
では、採集士である自分は何を学ぶのか。
自分にも、この学園でできることがあるのだろうか。
考え始めると、昨日までに読んだ資料の文章が頭の中を巡り始めた。
だが、ここで立ち止まっていても答えは出ない。
悠斗は掲示板へ向かった。
*
掲示板には、クラス分けと初日の予定が表示されていた。
悠斗は自分の名前を探し、指定された教室を確認した。
教室へ向かう途中、廊下の壁に貼られた案内が目に入った。
『探索者としての自立には、基礎知識・技能・判断力の習得が必要です』
その下には、いくつかの注意事項が並んでいる。
スキルの適性だけで進路を決めないこと。
自身の能力と限界を理解すること。
危険な行為を独断で行わないこと。
そして、仲間や教員の指示を確認すること。
悠斗は足を止め、内容を読み直した。
父が話していたことと重なる部分が多い。
探索者として働くためには、スキルの種類だけでなく、学ぶ姿勢も重要なのだろう。
「そこ、気になる?」
不意に声をかけられた。
振り向くと、同じ制服を着た少年が立っていた。
「え?」
「その注意書き。入学したばかりだと、ちょっと堅苦しく感じない?」
「ああ、いや……。父さんにも似たようなことを言われたから」
「へえ。お父さんも探索者なの?」
「昔はね。今は違うけど」
「そうなんだ」
少年は興味深そうにうなずいた。
「俺は、早く実技をやってみたいな。せっかくスキルが分かったんだし、自分がどこまでできるのか試したい」
「気持ちは分かるよ。でも、最初は基礎からなんじゃないかな」
「まあ、そうだろうな」
少年は肩をすくめた。
「俺、剣士なんだ。君は?」
悠斗は一瞬だけ迷った。
昨日、学習施設で同じ質問をされたときのことが頭をよぎる。
採集士だと答えた瞬間、相手の表情が変わった。
今回も、同じ反応をされるかもしれない。
それでも、隠す必要はなかった。
「採集士だよ」
「ああ、採集士か」
少年はそう言ってから、少し考えた。
「素材を集めるスキルだよな。ダンジョンの中で植物とか鉱物とかを採る仕事?」
「説明では、そういうことになってる。細かいところは、まだ分からないけど」
「じゃあ、これから勉強するんだな」
「うん」
「お互い頑張ろうぜ」
少年はそれだけ言って、教室のある方向へ歩いていった。
悠斗は、その背中をしばらく見送った。
特別に励まされたわけではない。
採集士の価値を認められたわけでもない。
ただ、同じ学園で学ぶ生徒として話をしただけだ。
それでも、昨日よりは少し気持ちが軽かった。
自分が採集士であることを、わざわざ隠す必要はない。
大切なのは、そのスキルで何を学び、何ができるようになるかだ。
悠斗は教室へ向かった。
*
教室には、すでに何人もの生徒が集まっていた。
窓際の席では、二人の生徒がスキル判定の結果について話している。
「俺、盾士だったんだ。前に出るより、仲間を守るほうが向いてるってことかな」
「いいじゃん。パーティーには必要だろ」
「そうだといいけどな。攻撃系のスキルのほうが人気あるし」
「そんなの、実際に訓練してみないと分からないだろ」
別の席では、魔術士のスキルを得た生徒が、家族から聞いた話を得意げに披露していた。
悠斗は空いている席に座り、鞄からノートを取り出した。
そのとき、教室の扉が開いた。
「みんな、席についてくれ」
入ってきたのは、三十代くらいの男性教員だった。
落ち着いた声と、無駄のない動作。
教卓の前に立つと、教室全体を見渡した。
「今日から君たちの学園生活が始まる。まずは自己紹介の前に、ここで何を学ぶのかを説明しよう」
教員は黒板に文字を書いた。
『探索者育成の基本』
「この学園の目的は、単にスキルを鍛えることではない。探索者として必要な知識、技能、判断力を身につけることだ」
教員は生徒たちを見回した。
「君たちは、それぞれ異なるスキルを持っている。得意なことも違うし、苦手なことも違う。だが、スキルが違うからといって、学ぶ必要のないことがあるわけではない」
黒板に、さらにいくつかの項目が加わった。
一般教科。
探索者基礎知識。
安全管理。
技能訓練。
チーム活動。
「戦闘系のスキルを持つ者も、素材の扱いや安全管理を学ぶ。採集系のスキルを持つ者も、危険を避けるための知識や、緊急時の行動を学ぶ。どの分野を目指すにしても、基礎をおろそかにしてはいけない」
悠斗は、ノートにその言葉を書き留めた。
自分にも、学ぶべきことがある。
それを教員が最初に示してくれたことが、少しだけうれしかった。
「それから、もう一つ」
教員の声がわずかに厳しくなった。
「スキルの評価と、人間そのものの評価を混同しないこと。判定結果によって、得意分野の違いは生まれる。しかし、それだけで君たちの将来が決まるわけではない」
教室が静かになった。
「自分のスキルを過信する者も、逆に卑下する者も、探索者として成長するうえでは注意が必要だ。自分の得意なことを知り、苦手なことを認め、必要な訓練を積む。その積み重ねが重要になる」
悠斗は、ペンを握る手に少し力を込めた。
まるで、自分に向けられた言葉のように感じた。
採集士という評価を気にしていた。
周囲がどう思うのかを考えていた。
それ自体が悪いわけではない。
だが、そればかりに気を取られて、自分が何を学べるのかを見失ってはいけない。
「では、自己紹介を始めよう。名前と、学園で学びたいことを簡単に話してくれ」
*
自己紹介は、教室の前から順番に進んでいった。
剣士の生徒は、強い探索者になりたいと語った。
魔術士の生徒は、自分の魔術を磨き、将来は大きなダンジョンで活躍したいと言った。
盾士の生徒は、仲間を守れるようになりたいと話した。
それぞれの言葉には、期待と緊張が混じっていた。
やがて、悠斗の番が来た。
椅子から立ち上がると、思っていた以上に教室が広く感じられた。
「神代悠斗です。スキルは採集士です」
何人かの生徒が、こちらを見た。
その視線を意識しながらも、悠斗は続けた。
「まだ、自分のスキルで何ができるのか、詳しいことは分かっていません。だから、この学園で採集士の役割や素材の扱い方、安全に活動するための知識を学びたいと思っています」
そこで一度、息を吸った。
「将来は、探索者として仕事ができるようになりたいです。以上です」
短い自己紹介だった。
華やかな夢を語ったわけでもない。
誰かを驚かせるような目標を口にしたわけでもない。
それでも、今の自分に言えることは、きちんと言えたと思った。
「ありがとう。座っていいぞ」
教員の言葉に従い、悠斗は席へ戻った。
そのとき、後ろの席から小さな声が聞こえた。
「採集士か……」
続いて、別の声。
「戦闘は苦手なのかな」
悠斗の背中が、わずかにこわばった。
聞こえなかったふりをすることもできた。
言い返すこともできたかもしれない。
けれど、今は何も言わなかった。
相手が自分のことを知らないように、自分も相手のことを知らない。
スキルだけで、何ができるかを決めつけることはできない。
それは、教員も言っていたことだった。
悠斗は前を向いた。
これからの訓練で、自分が何を学べるのか。
それを確かめるほうが、今は大切だった。
*
自己紹介が終わると、教員は初日の授業内容を説明した。
午前中は一般教科と探索者基礎知識。
午後は校内施設の見学と、安全管理についての講義。
実技訓練は、全員が基礎的な知識を身につけてから始めるという。
「早く訓練をしたいと思っている者もいるだろう。だが、焦る必要はない。準備を怠ったまま能力を試すことは、成長ではなく無謀な行為になりかねない」
教員はそう言って、資料を配り始めた。
悠斗の手元にも、一冊の冊子が置かれた。
表紙には、探索者基礎課程と書かれている。
ページを開くと、ダンジョンの基本構造や、探索時の注意点、装備の管理方法などがまとめられていた。
採集士だけに向けた内容ではない。
すべての探索者を目指す者に必要な基礎知識だった。
悠斗はページをめくりながら、真剣に読み始めた。
分からない言葉があれば、余白に印をつける。
詳しく知りたい項目があれば、ノートに書き出す。
授業が始まると、思っていた以上に覚えることが多いと分かった。
ダンジョンの中では、普段の生活とは違う状況が発生する。
通信が安定しない場所もある。
地形が複雑で、目印を見失いやすい場所もある。
魔物だけでなく、足場や視界、持ち込んだ物資の残量にも注意しなければならない。
知識を得るほど、簡単に考えてはいけない場所なのだと実感した。
それでも、悠斗は読むことをやめなかった。
自分には、まだ何もできない。
だからこそ、今できることを積み重ねるしかない。
その考えは、昨日よりもずっとはっきりしていた。
*
昼休み。
悠斗は食堂の隅の席で、持ってきた弁当を広げていた。
中身は、昨夜の残りを詰めたものだ。
ご飯と野菜のおかず、少しの肉。
決して豪華ではないが、母が朝早くから用意してくれたものだった。
悠斗は一口食べてから、午前中の授業で取ったメモを見直した。
「熱心だな」
顔を上げると、朝に廊下で話した剣士の少年が立っていた。
「ここ、座っていい?」
「うん。どうぞ」
少年は向かいに座り、昼食を取り出した。
「俺、桐谷健吾。朝は名前を聞かなかったな」
「神代悠斗。よろしく」
「よろしくな」
健吾は弁当を開けると、悠斗のノートに目を向けた。
「ずいぶん書いてるな。俺、午前中だけで頭がいっぱいになったよ」
「俺も、知らないことが多くてさ。忘れないように書いてるんだ」
「採集士の勉強?」
「それもあるけど、探索者の基礎全般かな。採集をするにしても、安全に動けなかったら意味がないから」
「なるほどな」
健吾はうなずいた。
「俺も剣の訓練だけやってればいいわけじゃないんだな。盾士とかと組むこともあるだろうし、仲間の動きを見ないといけないんだろうな」
「そうだと思う」
「だったら、ちゃんと勉強しないとな」
健吾はそう言って、弁当を食べ始めた。
会話はそれほど長く続かなかった。
けれど、悠斗は不思議な感覚を覚えていた。
採集士だからといって、誰もが自分を否定するわけではない。
剣士だからといって、誰もが自分のスキルだけを磨けばいいと考えているわけでもない。
それぞれに不安があり、分からないことがある。
自分だけが取り残されているわけではないのだ。
悠斗は弁当を食べ終えると、ノートを閉じた。
午後の授業では、学園の施設を見学する。
その中には、実技訓練に使われる設備も含まれているらしい。
採集士としての訓練がどのようなものになるのかは、まだ分からない。
だが、見ておきたいものはたくさんあった。
*
午後の施設見学で、悠斗たちは講義棟の裏手にある訓練区画へ案内された。
そこには、さまざまな訓練用設備が設置されていた。
剣を振るための練習場所。
盾の扱いを学ぶための区画。
魔術の制御を練習するための設備。
さらに、足場や障害物を配置した模擬環境もある。
「ここでは、教員の指導のもとで基礎的な技能を学ぶ。いきなり危険な場所へ入ることはない」
案内役の教員が説明した。
「実技を行う際は、必ず指示に従うこと。自分の判断だけで設備を使用したり、他の生徒の訓練範囲へ入ったりしてはいけない」
生徒たちは、興味深そうに周囲を見ていた。
健吾も、盾の訓練区画を見て目を輝かせている。
「早くやってみたいな」
「気持ちは分かるけど、まだ基礎からだよ」
「分かってるって」
健吾は笑った。
悠斗は、その隣で別の設備に目を向けた。
区画の端に、いくつかの作業台が並んでいる。
その上には、採集道具や保管容器の見本らしきものが置かれていた。
戦闘訓練の設備ほど目立たない。
けれど、悠斗にとっては気になる場所だった。
「あの作業台は、何に使うんですか?」
悠斗が尋ねると、案内役の教員はそちらを見た。
「素材の取り扱いを学ぶための設備だ。採集や分類、保管などの基礎を扱う授業で使用する」
「採集士向けの授業ですか?」
「採集士の生徒が中心になることはあるが、素材の扱いは他のスキルの生徒にも関係する。どのような素材が、どのような状態で扱われるのかを知ることは、探索者にとって重要だからな」
悠斗は思わず、作業台へ一歩近づきそうになった。
しかし、見学中であることを思い出し、その場にとどまった。
今はまだ、見るだけだ。
道具の使い方も、素材の扱い方も、これから学ぶことになる。
それでも、自分が学ぶ場所がきちんと用意されていると分かっただけで、胸の奥が少し軽くなった。
採集士のための授業がある。
採集士として学ぶべきことがある。
それは、少なくとも、この学園が自分のスキルを無意味なものとして扱っていないということだった。
もちろん、学園がそう考えているからといって、将来が保証されるわけではない。
仕事が簡単に見つかるわけでもない。
だが、学ぶ機会はある。
その機会をどう使うかは、自分次第だ。
*
施設見学が終わる頃には、空が少しずつ夕方の色に変わり始めていた。
教室へ戻った生徒たちに、担任の教員が最後の説明を行った。
「今日の内容は、明日以降の授業につながっていく。分からないことがあれば、遠慮なく質問するように。分からないことを分からないままにしておくほうが、後になって困ることになる」
そして、明日の予定が告げられた。
午前中は基礎講義の続き。
午後は、スキルごとの適性を踏まえた学習内容の説明。
実際の技能訓練に向けて、それぞれが何を学ぶのかを確認する時間になるという。
悠斗は、ノートに明日の予定を書き込んだ。
採集士としての授業内容。
素材の扱い方。
自分のスキルでできることと、まだできないこと。
確認したいことは山ほどある。
それでも、焦る必要はない。
今日一日で、探索者として必要なものがすべて分かったわけではない。
むしろ、分からないことが増えた。
だが、それは悪いことではなかった。
自分が何を知らないのかが分かれば、何を学べばいいのかも見えてくる。
悠斗は鞄を持ち、教室を出た。
廊下の窓から、訓練区画が見えた。
いつか自分も、あの場所で訓練を受けるのだろう。
採集士として。
探索者を目指す一人として。
そして、家族を支えたいと願う少年として。
悠斗は一度だけ足を止め、訓練区画を見つめた。
「……明日も、頑張ろう」
小さくつぶやき、再び歩き出した。
帰ったら、今日学んだことをノートにまとめよう。
分からなかった言葉も調べよう。
そして、父に聞きたいことがあれば、きちんと質問しよう。
すぐに結果が出なくてもいい。
今は、基礎を積み重ねる時期なのだから。
そう考えられるようになったことが、今日の一番の収穫だった。
次回、第7話「合格の向こう側」
学園生活が始まり、悠斗は探索者を目指す仲間たちと少しずつ顔を合わせていく。
しかし、入学はゴールではない。スキルの違い、実力の差、そして将来への不安。それぞれが抱える事情が見え始める中、悠斗は自分がこの学園で何を成し遂げたいのか、改めて考えることになる。
ここまでお読みいただきありがとうございます!少しでも面白いと感じたら、画面下から【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価をいただけると、執筆の大きなモチベーションになります!




