↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
底辺ハンター一家のダンジョンドリーム~200年続く迷宮時代、貧乏暮らしから始まる成長譚~  作者: 盆ちゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/31

第5話「父の背中」

# 第5話 父の背中


 夕方、神代悠斗が家に帰ると、玄関先に見慣れた作業靴が並んでいた。


 父の大輔の靴だ。


 ただし、いつも履いている普段靴ではない。傷のついた厚手のブーツだった。つま先には擦れた跡があり、靴底には細かな溝が刻まれている。何度も修理を繰り返したのだろう。側面には、古い補修材の色が残っていた。


「ただいま」


「おう、お帰り」


 居間から父の声が返ってきた。


 悠斗は靴を脱ぎながら、もう一度ブーツを見た。


 父が探索者だった頃に使っていたものだ。


 以前は物置の奥にしまわれていたはずなのに、どうして今日、玄関に出ているのだろう。


「父さん、その靴……」


「ああ、これか」


 大輔が居間から顔を出した。


「ちょっと物置を整理していたんだ。捨てるものと、残しておくものを分けていてな」


「捨てるの?」


「使えないものはな」


 そう言って、大輔はブーツを持ち上げた。


「こいつは、もうダンジョンじゃ使えない。だが、思い出まで捨てる必要はないだろう」


 悠斗は返事をしなかった。


 父が探索者だったことは知っている。


 幼い頃、父は時々、ダンジョンで見た景色や、仲間と一緒に仕事をした話をしてくれた。巨大な鉱石の壁。暗闇の向こうで光る魔石。初めて見る素材を見つけたときの驚き。


 けれど、それらの話はいつも、どこか遠い世界の出来事のように聞こえていた。


 父が今の自分と同じように、ダンジョンへ憧れていた時期があったことを、悠斗はあまり考えたことがなかった。


「父さんって、昔はどんな探索者だったの?」


 気がつくと、そんな質問をしていた。


 大輔は少し意外そうな顔をした。


「急にどうした?」


「昨日から、採集士のことを調べてるんだ。探索者の仕事についても、もっと知りたいと思って」


「そうか」


 父はブーツを床に置き、居間の椅子に腰を下ろした。


「じゃあ、少し話してやるか」


     *


 夕食の準備が始まるまでの間、悠斗は父と向かい合って座っていた。


 大輔は、昔のことを思い出すように、ゆっくりと話し始めた。


「俺が探索者を目指した頃はな、今よりも装備の性能が悪かった。魔石を使った機器も、今ほど普及していなかったからな」


「今より危なかったの?」


「危険の種類が違った、というほうが正しいかもしれない。装備が良くなっても、ダンジョンそのものが安全になるわけじゃない」


 大輔は指を折りながら説明した。


「魔物への対処。道の確認。仲間の体調。持ち込んだ物資の管理。帰りの時間。どれか一つでも見誤れば、簡単に予定が崩れる」


「戦うことだけじゃないんだね」


「戦うことだけで済むなら、苦労は少ないさ」


 父は苦笑した。


「魔物を倒せても、帰れなければ意味がない。珍しい素材を見つけても、持ち帰る方法がなければ利益にならない。依頼を成功させても、仲間が無理をして次の仕事に出られなくなったら、長い目で見れば損になる」


 悠斗は、その言葉を頭の中で繰り返した。


 昨日、資料で読んだこととつながっている。


 素材の価値は、見つけた時点で決まるわけではない。


 安全に回収し、持ち帰り、必要としている人に届けて、初めて仕事として成り立つ。


「父さんは、何が得意だったの?」


「俺か?」


「うん」


 大輔は少し考えた。


「何でもできる人間じゃなかったよ。突出して強かったわけでもない。だが、仲間と相談して、無茶をしない判断をするのは嫌いじゃなかった」


「じゃあ、リーダーみたいなことをしていたの?」


「そういう時もあった。いつも俺が決めていたわけじゃないがな」


 父はブーツの傷を指先でなぞった。


「探索者には、それぞれ得意なことがある。前に出て戦う人間。仲間を守る人間。魔術で道を切り開く人間。周囲を調べる人間。素材を見つける人間。全員が同じことをできる必要はない」


「でも、強い人のほうが評価されるんじゃない?」


「分かりやすいからな」


 大輔は、否定しなかった。


「魔物を倒した数や、強敵を撃退した実績は目立つ。派手な成果は人の目に入りやすい。だが、探索は一人で完結する仕事じゃない。目立つ人間だけで成り立つわけじゃないんだ」


 悠斗は、昨日の学習施設での会話を思い出した。


 剣士の少年は、採集士のことをよく知らなかった。


 仕事はあるだろう、と言っていたが、その先については分からない様子だった。


 自分も、剣士の仕事について同じように知らないことが多い。


 知らないから、分かりやすい評価に引っ張られてしまうのかもしれない。


「父さんは、探索者をやめたことを後悔してる?」


 質問した瞬間、悠斗は少しだけ後悔した。


 父の体が以前よりも思うように動かなくなったことは知っている。探索者としての活動を続けられなくなった理由も、簡単なものではなかったはずだ。


 大輔はすぐには答えなかった。


 窓の外へ目を向け、それから息を吐いた。


「後悔がまったくない、と言えば嘘になる」


 悠斗は黙って聞いた。


「もっとできたんじゃないか。あのとき、別の判断をしていたらどうなっていたか。そういうことを考える夜はある」


 父の声は静かだった。


「だが、探索者を目指したこと自体を後悔しているわけじゃない。仲間と働いた時間も、自分の目で見た景色も、無駄だったとは思わない」


「……そっか」


「ただし、楽しかったことだけじゃない。失敗もしたし、判断を誤りかけたこともある。だから、お前が探索者を目指すなら、俺の格好いい話だけを覚えて帰るなよ」


 大輔は、悠斗の目をまっすぐ見た。


「危険な仕事だ。夢があるからといって、危険が消えるわけじゃない」


「分かってる」


「本当に分かっているか?」


 少し厳しい声だった。


 悠斗は、すぐには答えられなかった。


 家族を支えたい。


 稼げるようになりたい。


 いつか家族全員で焼肉を食べに行きたい。


 そのために探索者になりたいと思っていた。


 けれど、自分がダンジョンで何を見て、何に遭遇し、どんな判断を迫られるのか、まだ何も知らない。


 危険だと理解しているつもりでも、それは知識として知っているだけなのだ。


「……まだ、分かってないと思う」


 悠斗は正直に答えた。


「だから、これから学ぶ」


 大輔はしばらく息子を見つめていた。


 やがて、その表情がわずかに緩んだ。


「そうか。それならいい」


     *


 夕食の時間になり、母の美咲と陽菜、蒼太も食卓についた。


 今日のおかずは、野菜と豆腐を中心にした炒め物だった。肉は少しだけ入っている。美咲は食材の値段を見ながら、なるべく家族全員が満足できるように工夫していた。


「今日は父さんと何を話していたの?」


 美咲が尋ねた。


「昔の探索者の話。ダンジョンでどんな仕事をしていたのか、聞いてたんだ」


「あら。珍しいわね」


「採集士について調べていたら、もっと探索者の仕事全体を知りたくなってさ」


「それはいいことね」


 美咲は微笑んだ。


「知らないことを知ろうとするのは大事よ。分からないまま怖がるのと、分かったうえで慎重になるのは違うから」


「母さんも、父さんが探索者だった頃は心配だった?」


「もちろん」


 美咲は即答した。


「帰ってくるまで、ずっと心配していたわ。連絡が来ない日なんて、何度も時計を見ていたもの」


「そんなに?」


「そんなに、よ」


 母は笑ったが、その目には少しだけ当時の不安が残っていた。


「でも、心配だからって、あなたのお父さんの仕事を全部否定したわけじゃない。本人が考えて、仲間と相談して、帰ってくるために努力していたことも知っていたから」


 大輔が少し照れくさそうに頭をかいた。


「そんな立派なものじゃないさ」


「立派かどうかを決めるのは、あなた一人じゃないでしょう?」


 美咲の言葉に、大輔は黙った。


 陽菜は二人の顔を交互に見てから、悠斗に尋ねた。


「お兄ちゃんも、ダンジョンに行くの?」


「まだ先の話だよ。学校で勉強して、訓練して、それから考えることもたくさんある」


「危ない?」


「危ない場所だよ」


 悠斗は正直に答えた。


「だから、ちゃんと勉強しないといけない」


「じゃあ、ちゃんと勉強してね」


 陽菜は真剣な顔で言った。


「お兄ちゃんが帰ってこなかったら、わたし困るから」


「陽菜……」


「蒼太も困るよね?」


「うん!」


 蒼太は口いっぱいにご飯を頬張ったまま、勢いよくうなずいた。


「おにいちゃん、いなくなったらだめ!」


 その言葉に、悠斗は思わず笑ってしまった。


「分かった。ちゃんと帰ってくるよ」


「約束?」


「約束」


 小さな指を差し出され、悠斗は自分の小指を絡めた。


 子供同士の、簡単な約束。


 それでも、悠斗にとっては軽いものではなかった。


 ダンジョンに入るなら、帰ってくるための準備をする。


 自分がどれだけ稼げるかだけではなく、どれだけ安全に活動できるかも考える。


 家族を支えるというのは、金を持ち帰ることだけではない。


 自分自身も、この家に帰ってくる人間の一人なのだ。


     *


 食事のあと、悠斗は再び物置へ向かった。


 父が整理していた荷物の中に、古い探索者用の道具が残されていたからだ。


 大輔の許可を得て、悠斗は棚の上に置かれた箱を開けた。


 中には、使い込まれた小型ライト、古い収納袋、傷のある工具、折り目のついた地図ケースなどが入っていた。


 どれも新品のような輝きはない。


 むしろ、使い込まれた跡ばかりが目立つ。


「これ、全部父さんが使ってたの?」


「ああ。今は性能のいい道具が増えたが、昔はこういうものを工夫して使っていた」


 大輔は箱の中から、小さな道具を一つ取り出した。


「これは素材を傷つけずに取り出すときに使っていた工具だ。何にでも使えるわけじゃないが、道具の扱い方を覚えるのは大切だぞ」


 悠斗は工具を受け取った。


 手のひらに収まるほどの大きさなのに、ずっしりと重い。


 先端には細かな傷がつき、持ち手には長年握られていた跡が残っている。


「採集士も、こういう道具を使うの?」


「対象によるだろうな。採集の方法は素材ごとに違う。手で取れるものもあれば、道具が必要なものもある。無理に引き抜けば価値を損なう場合もある」


「なるほど……」


 悠斗は工具をじっと見つめた。


 採集士という言葉から、草を摘んだり、石を拾ったりする姿を想像していた。


 だが、実際には素材を見分け、傷つけずに取り出し、運べる状態に整えることまで考えなければならないのかもしれない。


 まだ分からないことは多い。


 それでも、少しずつ具体的な形が見えてきた。


「父さん、これ、もう使わないんだよね?」


「そうだな。今のお前がダンジョンで使うものじゃない。まずは学校で、正しい道具の使い方を習え」


「うん」


「ただ、見るだけなら構わない。何のためにある道具なのか、考えてみるのも勉強だ」


 悠斗は工具を箱へ戻した。


 そのとき、ふと棚の上に立てかけられた古い写真が目に入った。


 何人かの探索者が並んで写っている写真だった。


 若い頃の父もいる。


 今よりずっと顔が引き締まり、背筋を伸ばして立っていた。隣にいる仲間たちも、それぞれ装備を身につけ、カメラに向かって笑っている。


「父さん、これ……」


「昔の仲間と撮った写真だ」


「みんな、今も探索者をしてるの?」


「続けている人もいる。別の仕事に移った人もいるだろうな。今は連絡を取っていない相手もいる」


「そっか」


 悠斗は写真を見つめた。


 ここに写っている人たちは、きっとそれぞれ違う夢を持っていたのだろう。


 強くなりたい。


 大きな成果を残したい。


 家族を養いたい。


 仲間と一緒に、もっと先へ進みたい。


 その夢が今どうなっているのか、悠斗には分からない。


 ただ、写真の中の父は、今よりも若く、まっすぐ前を見ていた。


「父さん」


「なんだ?」


「俺も、いつか自分の仕事に誇りを持てるようになりたい」


 大輔は黙って聞いていた。


「採集士がどう評価されるかは、まだ分からない。どれくらい稼げるかも、どんな仕事ができるかも分からない。でも、何も知らないまま諦めたくないんだ」


 悠斗は拳を握った。


「家族を支えたい。それは変わらない。だけど、そのために危険を無視するんじゃなくて、ちゃんと学んで、できることを増やしていきたい」


 言葉にすると、思っていた以上に自分の気持ちがはっきりした。


 大輔はしばらく息子を見ていた。


 そして、写真を棚に戻すと、悠斗の肩に手を置いた。


「なら、まずは目の前のことを一つずつやれ」


「うん」


「焦るなとは言わない。家計のこともあるし、早く稼げるようになりたい気持ちも分かる。だが、焦って自分の限界を見誤るな」


「分かった」


「それから、困ったときは相談しろ。お前が自分で考えることは大事だが、一人で全部抱え込む必要はない」


 悠斗はうなずいた。


 父の手は大きかった。


 昔から何度も見てきた手だ。


 家の修理をするときも、重い荷物を運ぶときも、弟を抱き上げるときも、父はその手を使っていた。


 かつてはダンジョンの中でも、仲間を支えるために使っていたのだろう。


 その手が、今は自分の肩に置かれている。


 悠斗は、父の背中を見ていた。


 探索者として活躍していた頃の背中だけではない。


 家に帰り、家族の暮らしを支え、思うように動かなくなった体と向き合いながら、それでも父親として立っている背中だ。


 自分が目指すべきものは、単純な強さだけではないのかもしれない。


 そう思った。


     *


 自分の部屋に戻った悠斗は、ノートを開いた。


 今日も、いくつか新しいことを書き込む。


『探索者は戦うだけの仕事ではない』


『素材は、採取して持ち帰るまでが仕事』


『安全管理と仲間との連携が必要』


『自分の限界を知ることも大切』


 そして、最後に一行。


『父さんのように、帰ってこられる探索者になる』


 書き終えた瞬間、悠斗はペンを止めた。


 父のようになりたい。


 そう書いたものの、父と同じ道を歩く必要はないのかもしれない。


 父には父の得意なことがあった。


 自分には、自分の得意なことがあるはずだ。


 その答えは、まだ見つかっていない。


 けれど、探すことはできる。


 採集士として何ができるのか。


 何を学べばいいのか。


 どんな仕事なら、安全に、そして継続して取り組めるのか。


 その一つ一つを知っていけば、いつか自分なりの道が見つかるかもしれない。


 悠斗はノートを閉じ、机の上に置いた。


 明日からは、学校で本格的な進路指導が始まる。


 探索者を目指すための訓練も、少しずつ具体的になっていくだろう。


 簡単な道ではない。


 それでも、昨日よりは前に進めている。


 悠斗は部屋の明かりを消す前に、もう一度、ノートの表紙を見た。


 表紙には、まだ何も書いていない。


 いつか、このノートにどれだけの記録が増えるのだろう。


 その記録が、家族を支える力につながるだろうか。


 今は分からない。


 だからこそ、明日も調べる。


 学ぶ。


 そして、自分にできることを一つずつ増やしていく。


 その決意を胸に、悠斗は布団へ入った。


 暗闇の中で、父の言葉がよみがえる。


 ――魔物を倒せても、帰れなければ意味がない。


 悠斗は目を閉じた。


 いつかダンジョンへ入る日が来ても、この言葉だけは忘れないでいよう。


 それが、探索者を目指す自分にとって、最初に守るべき約束なのだから。


次回、第6話「第三探索者育成学園」


探索者を目指す若者たちが集まる、第三探索者育成学園。


そこで悠斗を待っていたのは、スキルによって異なる訓練内容と、探索者として歩き始めるための現実だった。採集士としての第一歩が、いよいよ始まる。


ここまでお読みいただきありがとうございます!少しでも面白いと感じたら、画面下から【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価をいただけると、執筆の大きなモチベーションになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。