第4話「採集士という評価」
第4話 採集士という評価
翌朝、神代悠斗はいつもより早く目を覚ました。
まだ窓の外は薄暗い。古い集合住宅の壁越しに、隣の部屋で誰かが起き出す物音が聞こえる。遠くを走る配送車のエンジン音も、朝の静けさの中では妙にはっきりしていた。
悠斗は布団から起き上がると、枕元に置いていたノートを手に取った。
昨夜、初めて自分の手で書き込んだノートだ。
『採集士について調べる』
『どうすれば、家族を支えられるか考える』
たった二行。
けれど、何も知らないまま悩んでいた昨日までとは違う。そう思いたかった。
「……よし」
小さく声に出して、悠斗は着替え始めた。
今日は学校へ行く前に、少しだけ寄り道をするつもりだった。
十五歳のスキル判定を受けた者には、結果に応じた進路案内が配布される。昨日、判定会場で渡された薄い冊子にも、探索者を目指す者向けの情報が載っていた。
剣士、盾士、魔術士、斥候。
それぞれのスキルに応じた訓練や、探索者として活動するための基本的な知識がまとめられている。
もちろん、採集士についての項目もあった。
ただし、そのページは驚くほど短かった。
だからこそ、悠斗は気になっていた。
採集士は、本当に自分が思っているような仕事なのか。
それとも、周囲が言うように、探索者としては大した価値のないスキルなのだろうか。
*
朝食の席には、いつもと同じ光景が広がっていた。
母の美咲が味噌汁を温め直し、妹の陽菜が眠そうな顔で椅子に座っている。弟の蒼太は、まだ半分夢の中にいるような顔で、茶碗を両手で抱えていた。
「悠斗、今日は早いね」
美咲が声をかけた。
「ちょっと調べたいことがあって」
「昨日のスキルのこと?」
「うん。採集士って、具体的に何をするのか知りたくてさ」
そう答えると、向かいに座っていた父の大輔が箸を止めた。
「いいことだ。自分のスキルを知るのは大事だからな」
「父さん、採集士ってそんなに珍しいの?」
「珍しいかどうかより、評価が分かれやすいスキルだな」
大輔は少し考えてから言った。
「探索者の仕事は、魔物を倒すことだけじゃない。素材を見つける人間も必要だし、荷物を運ぶ人間も必要だ。帰り道を確保する人間だって必要になる」
「でも、みんなが憧れるのは剣士とか魔術士だよね」
「そうだな」
父は否定しなかった。
「派手だからだ。魔物を倒した映像はニュースになる。強い探索者は名前が売れる。だが、採集した素材が誰の手に渡り、どう加工され、何に使われるかまで気にする人間は、そう多くない」
悠斗は味噌汁の表面を見つめた。
「じゃあ、採集士は必要だけど、人気がないってこと?」
「そういう傾向はあるだろうな。ただし、人気と価値は別だ」
大輔は箸を置いた。
「覚えておけ。評価が低いと言われていることと、本当に役に立たないことは同じじゃない。逆に、評価が高いからといって、何も考えずに飛び込んでいいわけでもない」
「……うん」
「まずは、何ができるのかを調べろ。できないことも調べろ。できないことを知らずにダンジョンへ入るのが、一番危ない」
その言葉は、昨日も聞いたものと似ていた。
けれど、今日は少し違って聞こえた。
父は探索者だった。
ダンジョンで何が起こるのか、悠斗よりもずっと知っている。だからこそ、簡単に夢を応援するだけでは済ませないのだろう。
「父さん」
「ん?」
「採集士でも、家族を支えられると思う?」
大輔はすぐには答えなかった。
悠斗の顔を見て、それから食卓の上に並んだ質素な朝食へと視線を落とした。
「可能性はある。だが、簡単だとは言わない」
正直な答えだった。
「どんなスキルでも、使い方を知らなければ金にはならない。逆に、地味なスキルでも、必要としている相手を見つけられれば仕事になる。お前はまず、その違いを自分で確かめろ」
「分かった」
「それと、家族を支えることばかり考えて、自分のことを後回しにするなよ」
父の声が少しだけ低くなった。
「お前が倒れたら、支えられるものも支えられなくなる」
悠斗は返事をしようとして、言葉に詰まった。
自分の夢を話すとき、いつも家族の顔が浮かぶ。
母の疲れた手。
妹が欲しいものを我慢するときの笑顔。
弟が、何も知らずに明日のことを楽しみにしている姿。
そして、以前よりも長く休むようになった父の背中。
自分が頑張れば、少しでも家族の暮らしを楽にできる。
そう思っていた。
けれど、頑張ることと、無理をすることは違う。
「……気をつける」
「よし」
大輔は再び箸を手に取った。
「それなら、今日はしっかり食べていけ」
「うん」
「お兄ちゃん、おかわりする?」
陽菜が茶碗を持ち上げた。
「いや、まだ大丈夫」
「じゃあ、わたしが食べる!」
「陽菜、それは自分のおかわりをもらってからね」
美咲が笑い、蒼太もつられて笑った。
悠斗も笑った。
この家の暮らしは、決して豊かではない。
それでも、こうして笑える朝がある。
だからこそ、失いたくなかった。
*
家を出た悠斗は、学校へ向かう途中にある公共学習施設へ立ち寄った。
迷宮時代になってから、探索者向けの情報を扱う施設は各地に整備されている。一般向けの資料から専門的な研究報告まで、閲覧できる情報は幅広い。
ただし、危険区域の詳細な地図や、未公開の探索記録などには閲覧制限が設けられていた。
十五歳になったばかりの悠斗に、そうした情報へアクセスする権限はない。
それでも、今の自分に必要なのは、まず基礎知識だった。
受付端末で探索者関連の資料を検索し、悠斗は表示された一覧を順番に確認した。
探索者の基礎知識。
ダンジョン内の安全管理。
魔石と素材の流通。
初級探索者の進路。
そして、スキル別職業案内。
「……あった」
採集士の項目を見つけ、悠斗は説明を開いた。
そこに書かれていた内容は、判定会場で聞いた説明と大きく変わらなかった。
採集士は、ダンジョン内に存在する植物、鉱物、その他の採取可能な資源を扱うことに適性を持つスキルである。
採取対象の探索や素材の回収に関わり、探索活動を支える役割を担う。
ただし、具体的な能力や適性の程度には個人差があり、実際の活動を通じて確認する必要がある。
悠斗は文章を読み返した。
「個人差……」
つまり、採集士だから何でも見つけられるわけではない。
採集士になった瞬間、珍しい素材の場所が頭に浮かぶわけでもない。
どんな素材でも簡単に採れるわけでもない。
昨日までの自分は、スキルという言葉に、何か特別な力を期待していたのかもしれない。
けれど、説明文には夢のようなことは書かれていなかった。
書かれていたのは、地道な仕事の説明だった。
悠斗はノートを取り出し、内容を書き留めた。
『採集士は素材の採取に関わる』
『能力の詳細は個人差がある』
『実際の活動で確認する必要がある』
書き終えてから、次の資料を開いた。
素材の流通に関する入門記事だった。
ダンジョンで得られる素材は、すべてが同じ価値を持つわけではない。
需要が高いもの。
加工に手間がかかるもの。
保管が難しいもの。
安定して供給されるもの。
希少性だけでなく、品質や状態、取引先の需要によっても評価が変わる。
そして、素材を採取したからといって、そのまま高値で売れるとは限らない。
「……そうか」
悠斗は小さくつぶやいた。
ただ素材を集めればいい、という仕事ではないのだ。
何を集めるのか。
どこで使われるのか。
どのような状態なら価値があるのか。
どうやって安全に持ち帰るのか。
考えるべきことは、思っていたよりも多かった。
だが、不思議と嫌ではなかった。
魔物を倒すことだけが探索者の仕事ではないのなら、自分にもできることがあるかもしれない。
まだ、それが何なのかは分からない。
それでも、知らないことが一つずつ減っていく感覚は、昨日までの不安とは違っていた。
*
次に悠斗が目を向けたのは、進路案内に載っていた探索者の評価制度だった。
探索者の世界では、実績や活動内容に応じて評価が行われる。
戦闘能力、探索経験、危険区域での判断、依頼の達成状況。
評価の仕組みは一つではなく、所属する組織や受ける仕事によって重視される項目も異なる。
採集士についても、素材の回収実績や品質、活動の安定性などが評価に関わると説明されていた。
しかし、一般向けの紹介記事には、こんな一文もあった。
『採集を主とする探索者は、戦闘職に比べて単独での活動範囲が限られる場合がある。初級者は安全管理と同行者との連携を十分に学ぶことが望ましい』
悠斗は、その部分で指を止めた。
単独での活動範囲が限られる。
安全管理。
同行者との連携。
どれも当たり前のことに思える。
だが、言葉の裏側には、採集士だけでは対処しにくい危険があるという意味も含まれていた。
ダンジョンには魔物がいる。
道に迷うこともある。
素材を探すことに集中していれば、周囲への注意が薄れることもあるだろう。
採集士として役に立つためには、素材の知識だけでなく、自分の身を守る知識も必要になる。
悠斗はノートに新しい項目を書いた。
『採集士だからといって、安全とは限らない』
書いた文字を見つめ、少しだけ苦笑する。
当たり前のことだ。
それでも、文字にしておかなければ忘れてしまいそうだった。
自分は家族を支えたい。
そのためには稼がなければならない。
けれど、危険を無視して稼ごうとすれば、父が言ったとおり、支える前に自分が倒れてしまう。
安全を守りながら、できる仕事を増やす。
それが今の自分に必要なことなのだろう。
*
資料を読み終えた頃には、施設内の利用者も増えていた。
探索者を目指す同年代の少年少女が、端末の前で資料を読んでいる。
剣士向けの訓練映像を見ている者。
魔術士の基礎理論を勉強している者。
仲間と一緒に、探索者育成学園の入試情報を確認している者たちもいた。
悠斗はふと、自分と同じ採集士の資料を見ている人がいないか探した。
すぐ近くの席に、一人の少年が座っていた。
少年は探索者向けの職業案内を開き、いくつかのページを流し読みしている。
悠斗は少し迷ってから、声をかけた。
「あの、ちょっといい?」
「ん?」
「スキル判定の結果って、もう出た?」
「ああ。昨日な」
「何だった?」
「剣士。そっちは?」
「採集士」
そう答えると、少年の表情が一瞬だけ変わった。
「ああ、採集士か」
たったそれだけだった。
露骨に笑われたわけではない。
馬鹿にする言葉を投げられたわけでもない。
それでも悠斗には、その反応の意味が分かってしまった。
「……採集士って、やっぱり評価は低いのかな」
自分でも、なぜそんなことを聞いたのか分からなかった。
少年は少し考えてから答えた。
「どうだろうな。俺は剣士だから、剣士のことしか詳しくないけど。学校でも、戦闘系のスキルのほうが目立つんじゃないか?」
「そうだよね」
「でも、素材を集める人も必要なんじゃないの? ダンジョンで採れるものって、いろいろ使われてるんだろ」
「うん。資料にもそう書いてあった」
「なら、仕事はあるんじゃないか?」
少年はあっさりと言った。
それは励まそうとして口にした言葉なのかもしれない。
あるいは、本当にそう思っただけなのかもしれない。
どちらにしても、悠斗が期待していたような、明確な答えではなかった。
「まあ、俺は剣士だから、よく分からないけどな」
少年はそう言って、再び画面へ目を戻した。
会話はそこで終わった。
悠斗は自分の席に戻りながら考えた。
採集士は必要だと、資料には書かれている。
父も必要だと言った。
少年も、仕事はあるだろうと言った。
けれど、誰も採集士の未来を保証してはくれなかった。
当然だ。
自分だって、まだ何もしていない。
昨日スキルが判明したばかりの十五歳が、何かを成し遂げたわけでもないのだ。
それなのに、周囲の評価だけを気にしていた。
悠斗はノートを開き、しばらく考えてから書き込んだ。
『評価が低いかどうかだけで決めない』
『自分に何ができるのかを確かめる』
そして最後に、もう一つ。
『採集士として、仕事をするために必要なことを調べる』
書き終えた悠斗は、ゆっくりと息を吐いた。
自分のスキルが変わるわけではない。
剣士になれるわけでも、魔術士になれるわけでもない。
それでも、採集士として何を学ぶかは、これから自分で決められる。
今の自分にできることは、そこから始めることだった。
*
施設を出ると、空はすっかり明るくなっていた。
悠斗は学校へ向かいながら、通り沿いの店を眺めた。
魔石を利用した設備が並ぶ商店街。
配送用の小型車が走り、店先では商品の搬入が行われている。
ダンジョンから得られる資源は、探索者だけのものではない。
加工する人がいる。
運ぶ人がいる。
売る人がいる。
それを使って暮らす人がいる。
自分は今まで、ダンジョンを遠い世界の出来事のように考えていたのかもしれない。
だが、ダンジョンはもう、社会の一部になっている。
ならば、採集士という仕事にも、自分が知らないだけの役割があるのではないか。
もちろん、そう考えたからといって、すぐに生活が楽になるわけではない。
家計の苦しさも変わらない。
夕食の材料を買うとき、母が値段を確かめる姿も、父が体の具合を見ながら仕事の予定を考える姿も、明日になればまた目にするだろう。
それでも、昨日よりは少しだけ前を向ける気がした。
学校に着いた悠斗は、教室へ入る前にノートを開いた。
最後のページに、今日の結論を書き加える。
『採集士の評価は、他人が決めることだけではない』
そこまで書いて、ペンを止めた。
少し格好をつけすぎただろうか。
そう思って、苦笑する。
まだ何もできていない自分が書くには、大げさな言葉かもしれない。
けれど、今の自分が忘れたくないことだった。
ノートを閉じ、悠斗は教室の扉を開けた。
これから、学校で何を学ぶのか。
採集士として、どんな訓練を受けるのか。
まだ分からないことだらけだ。
だが、分からないからこそ、確かめる意味がある。
悠斗は席に着き、机の中にノートをしまった。
そして、次の授業を待った。
自分の未来を決めるのは、昨日の判定結果だけではない。
そのことを、少しだけ信じられるようになっていた。
次回、第5話「父の背中」
かつてダンジョンに挑んでいた父・大輔。
その背中を見つめながら、悠斗は探索者という仕事の厳しさと、家族を守ることの本当の意味を考え始める。
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