第2話「焼肉屋の前で」
『底辺ハンター一家のダンジョンドリーム』
第2話 焼肉屋の前で
翌朝。
神代悠斗は、いつもより三十分も早く目を覚ました。
目覚まし時計が鳴る前だった。
「……早すぎたか」
布団の中で天井を見上げる。
眠れなかったわけではない。昨夜は、思っていたよりもすんなり眠りにつけた。
ただ、目が覚めた瞬間に思い出してしまったのだ。
今日が、十五歳のスキル判定の日だということを。
悠斗は布団から起き上がり、制服に着替えた。机の上に置いていた書類を確認し、学生証と筆記用具を鞄へ入れる。
忘れ物はない。
何度確認しても、忘れ物はない。
それでも、鞄を閉じると、また開けてしまう。
「……落ち着け、俺」
自分に言い聞かせて、ようやく部屋を出た。
台所では、母の美咲が朝食の準備をしていた。
「あら、おはよう。今日は早いのね」
「うん。目が覚めた」
「緊張してる?」
「……少しだけ」
「少しだけ、ね」
母は笑ったが、それ以上は追及しなかった。
食卓には、ご飯と味噌汁、それから卵焼きが並んでいた。卵焼きはいつもより少し多めに作られている。
「今日は特別?」
「そうね。悠斗の大事な日だから」
「別に、いつも通りでいいのに」
「お母さんが、そうしたかったの」
悠斗は何も言えなくなった。
卵焼きを一切れ口に運ぶ。
甘さが、いつもより強く感じられた。
やがて父の大輔も起きてきて、食卓についた。
「いよいよだな」
「うん」
「判定の結果が出たら、まずはちゃんと説明を聞け。周りの反応だけで自分の将来を決めるなよ」
「分かってる」
「それから、帰りに寄り道するなら連絡しろ。美咲が心配するからな」
「父さん、俺、もう十五歳だよ」
「十五歳だから言ってるんだ」
父は真面目な顔で答えた。
その言い方がおかしくて、悠斗は少し笑った。
いつも通りの朝。
いつも通りの家族。
けれど、今日だけは何もかもが少し違って見えた。
朝食を終え、玄関で靴を履く。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
「頑張ってね、お兄ちゃん!」
陽菜が手を振った。
「お兄ちゃん、魔物を倒せるようになる?」
蒼太が尋ねる。
「まだ分からないよ」
「じゃあ、強くなったら教えてね!」
「……ああ。約束する」
悠斗は笑い、玄関の扉を開けた。
外の空気は少し冷たかった。
今日という日が、始まった。
◇
神代家から判定会場へ向かうには、駅前の商店街を通るのが一番早い。
悠斗は普段よりも早足で歩いていた。
街には、いつもと変わらない朝の風景が広がっている。
通勤する会社員。
学校へ向かう学生。
荷物を積み込む商店の店員。
頭上を走る魔石動力の交通機関。
二三〇八年の日本では、魔石技術はすでに生活の一部だった。
道路脇の街灯には小型魔石が組み込まれ、公共施設では魔石を利用した空調設備が稼働している。駅の案内表示や物流システムにも、ダンジョン由来の技術が使われていた。
ダンジョンが発見されてから二百年以上。
人類は、その資源と技術を利用して暮らしを発展させてきた。
その恩恵は、悠斗のような普通の家庭にも届いている。
しかし、便利な暮らしと、経済的な余裕は別の話だった。
魔石技術が進歩しても、家賃は安くならない。
交通機関が便利になっても、食費がなくなるわけではない。
街が豊かになっても、すべての家庭が裕福になるわけではないのだ。
悠斗は駅前の大型広告に目を向けた。
そこには、探索者の姿が映し出されていた。
黒い装備に身を包んだ青年が、巨大な魔物を前に剣を構えている。隣には、光り輝く魔法を放つ女性。その後方には、重厚な盾を持った探索者が立っていた。
画面の下には、彼らが所属するクランの名前と、最近達成した探索実績が表示されている。
華やかな世界だった。
高性能な装備。
大規模なクラン。
高難度ダンジョンへの挑戦。
成功すれば、莫大な報酬と名声を得られる。
悠斗も、あんな探索者になりたいと思ったことがある。
けれど、今は少し違った。
自分が有名になる必要はない。
父よりも強くならなければならない、と決めつける必要もない。
大切なのは、家族を支えられること。
自分の力で稼ぎ、生活に余裕を作ること。
そして、家族が安心して暮らせるようになること。
そのために、どんなスキルが必要なのか。
答えは、まだ分からない。
悠斗は広告から目を離し、再び歩き始めた。
◇
商店街の角を曲がったときだった。
香ばしい匂いが、風に乗って流れてきた。
悠斗の足が止まる。
視線の先にあったのは、焼肉店だった。
大きなガラス窓の向こうには、テーブル席が並んでいる。店の入り口には、昼食用の定食メニューが掲示されていた。
焼肉定食。
カルビ定食。
特選肉盛り合わせ。
どれも、悠斗にとっては気軽に注文できる値段ではなかった。
店の前を通るたびに、値段を見る。
見て、諦める。
それが、いつものことだった。
「……いい匂いだな」
思わず呟いた。
窓の向こうでは、店員が開店準備をしている。肉を運ぶ台車が厨房の奥へ消えていった。
その光景を見ていると、昨夜の食卓が思い浮かんだ。
野菜炒め。
少しだけ入った肉。
肉を見つけて喜んでいた蒼太。
好きなものを遠慮なく食べてほしい。
陽菜が、メニューを見ながら悩まずに注文できるようにしてあげたい。
父と母にも、値段を気にせずに食事を楽しんでほしい。
悠斗は拳を握った。
「いつか……」
小さく、声が漏れる。
「いつか、絶対にみんなを連れてくる」
誰に聞かせるでもない誓いだった。
高級な焼肉店でなくてもいい。
家族が五人で座れる場所ならいい。
たくさんの肉を焼いて、みんなで分け合って、食べきれないくらい注文して。
そんな日が来たら、きっと楽しいだろう。
そのためには、まず稼がなければならない。
探索者として、自分にできる仕事を見つける。
安全に働き、少しずつ経験を積み、家族の暮らしを支える。
派手な成功ではなくてもいい。
少しずつでいい。
そう考えたとき、胸の奥にあった緊張が、別の感情へ変わっていくのを感じた。
不安は、まだある。
判定の結果がどうなるかは分からない。
けれど、自分が何のために頑張りたいのかは、はっきりしていた。
「よし」
悠斗は焼肉店に背を向けた。
今は、眺めているだけだ。
けれど、いつか。
この店の扉を、家族と一緒に開ける。
その夢を胸にしまい、悠斗は再び歩き始めた。
◇
判定会場は、駅から少し離れた場所にある公的施設だった。
建物の前には、同じ年頃の少年少女が集まっている。
制服姿の者もいれば、私服の者もいた。
保護者と一緒に来ている者も多い。
受付付近では、職員が受検者の名前を確認していた。
「神代悠斗さんですね。こちらへどうぞ」
「はい」
受付を済ませた悠斗は、指定された待合室へ向かった。
中には、すでに何人もの受検者が座っていた。
「なあ、どんなスキルが出ると思う?」
「俺は剣士系がいいな。探索者になったら、前衛で活躍したい」
「私は治療系がいいな。戦闘は怖いけど、誰かを助ける仕事ならやってみたい」
それぞれが、自分の未来について話している。
期待に満ちた声。
不安を隠そうとする笑顔。
緊張した面持ち。
そのすべてが、悠斗にはよく分かった。
自分も同じだったからだ。
隣の席に座った少年が、悠斗に話しかけてきた。
「君も今日が判定?」
「うん」
「何か、なりたい職業とかある?」
悠斗は少し考えた。
「……家族を支えられる仕事がいいかな」
「へえ。具体的には?」
「探索者になれたらと思ってる。でも、どんなスキルになるか分からないから」
「そっか。俺は剣士がいいんだ。やっぱり、魔物を倒すのって格好いいだろ?」
少年は楽しそうに笑った。
「強いスキルが出たら、すぐに探索者育成学園を受けるつもりなんだ」
「そうなんだ」
「君は?」
「俺も、学園には行きたいと思ってる」
そう答えたものの、悠斗の声には少し迷いが混じった。
探索者育成学園に進めば、知識や技術を学べる。
同じ夢を持つ仲間にも出会えるかもしれない。
だが、学費や装備代のことも考えなければならない。
夢を追いかけるには、現実的な問題がついて回る。
少年はそこまで気にしていないようだった。
「まあ、お互い頑張ろうぜ」
「うん」
そのとき、待合室の前方で職員が立ち上がった。
「受検者の皆さん。これから順番にスキル判定を行います。名前を呼ばれた方は、案内に従って移動してください」
ざわめきが止まる。
待合室に、緊張が広がった。
悠斗は膝の上で手を握った。
いよいよだ。
ここまで来たら、もう逃げられない。
いや、逃げるつもりなどなかった。
自分の未来を知るために、ここへ来たのだから。
◇
判定は、一人ずつ行われた。
名前を呼ばれた受検者が奥の部屋へ入り、しばらくして戻ってくる。
表情はさまざまだった。
嬉しそうに笑う者。
難しい顔で説明書類を読み込む者。
何とも言えない表情で、保護者のもとへ向かう者。
判定結果が、必ずしも本人の希望どおりになるわけではない。
それは、待合室にいる誰もが理解していた。
「次の方。神代悠斗さん」
職員の声が響いた。
「はい!」
悠斗は立ち上がった。
鞄を持ち、案内された部屋へ向かう。
扉の向こうには、机と椅子、そして中央に設置された判定装置があった。
装置は、透明な円筒形のケースに収められている。内部には、淡い光を放つ結晶体が浮かんでいた。
「こちらの装置で、あなたのスキルを確認します」
担当職員が説明した。
「手順は簡単です。指示に従って装置に触れてください。痛みなどはありませんので、落ち着いて行ってください」
「分かりました」
「では、こちらへ」
悠斗は装置の前に立った。
透明なケースの中で、結晶体が静かに輝いている。
手を伸ばす。
指先が装置に触れた瞬間、結晶体の光が強まった。
「……っ」
まぶしい。
だが、痛みはなかった。
光は装置の内部を巡り、やがて中央に収束していく。
数秒後。
装置の上部に、判定結果が表示された。
担当職員が画面を確認する。
そして、わずかに首を傾げた。
「……神代さん」
「は、はい」
「あなたのスキルは――」
悠斗は息を止めた。
この結果が、自分の未来を決めるわけではない。
父はそう言った。
母も、同じことを言ってくれた。
それでも、期待せずにはいられなかった。
強いスキルであってほしい。
稼げるスキルであってほしい。
家族を支えられる可能性があるスキルであってほしい。
その願いを胸に、悠斗は職員の言葉を待った。
やがて、職員は判定結果を読み上げた。
「《採集士》です」
その瞬間。
悠斗の頭の中が、真っ白になった。
第2話 了
次回、第3話「十五歳のスキル判定」
告げられたスキルは《採集士》。戦闘系スキルを期待していた悠斗は、その評価と向き合うことになる。自分にできることを探すための第一歩が、ここから始まる。
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