第14話「白石凛の願い」
# 第14話 白石凛の願い
探索者育成学園に入学してから、悠斗は毎日のように新しい知識をノートへ書き込んでいた。
採集士としての基礎。
素材の識別と採取の判断。
装備の点検。
仲間との情報共有。
そして、危険を感じたときには無理をせず撤退すること。
どれも地味な内容ばかりだ。
しかし、悠斗は地味なことを嫌いではなかった。
派手な技を覚えたからといって、すぐに金が稼げるわけではない。毎日少しずつ知識を増やし、できることを増やしていく。それが今の自分に必要なことだと考えていた。
「神代君、またノートを見ているの?」
朝の教室で声をかけてきたのは、月城美鈴だった。
「昨日の安全講習をまとめ直してるんだ。授業中に書いたものだけだと、あとで見返したときにわかりにくいから」
「真面目ね」
「忘れて危ない目に遭うよりはいいだろ?」
「それはそうね」
美鈴は素直に頷いた。
彼女は剣士としての訓練を欠かさない。授業前でも、時間があれば訓練場で基本動作を繰り返している。
悠斗から見れば、美鈴は自分よりもずっと探索者らしい生徒だった。
それでも彼女は、採集士の授業で習った内容を軽く扱ったりはしない。
それぞれの役割に必要なものが違うだけで、学ぶべきことに上下はない。
最近、悠斗はそう考えるようになっていた。
「おはよう。朝から勉強熱心だね」
今度は桐谷健吾がやってきた。
「おはよう、健吾。美鈴も」
「おはよう」
「今日は座学が多いんだっけ?」
「午前中は基礎知識の確認だったと思う。午後はスキル別の課題だな」
悠斗が時間割を確認していると、教室の前方から落ち着いた声が聞こえた。
「その前に、今日の資料を確認したほうがいいと思います」
三人が振り向く。
そこには、黒髪の少女が立っていた。
肩にかかる程度の髪。細い眼鏡。整った姿勢。手元には、すでに数枚の資料が揃えられている。
少女は教室の掲示板に貼られた時間割を見ていた。
「午後の課題は、スキル別の実習だけではありません。実習記録の提出もあります。前回の説明では、提出内容に不足があれば再提出になると書かれていました」
「えっ、そうなのか?」
健吾が慌てて自分の鞄を確認した。
「資料、ちゃんと入れたかな……」
「昨日配られたプリントの下段に書いてありました。確認しておいたほうがいいですよ」
「助かった! ありがとう!」
「どういたしまして」
少女は淡々と答えた。
その様子を見て、悠斗は少し感心した。
掲示された時間割だけでなく、配布資料の細かな注意まで覚えているらしい。
「君、同じクラスだったんだな。俺は神代悠斗。こっちは桐谷健吾と月城美鈴」
「知っています。入学後の自己紹介で聞きましたから」
少女は三人を順に見た。
「白石凛です。よろしくお願いします」
「よろしく、白石さん」
悠斗が挨拶すると、凛は小さく頷いた。
「神代君は採集士でしたね」
「そうだけど……俺のスキル、知ってたのか?」
「学内の実習では、スキルごとに課題が分かれますから。誰がどの分野を学んでいるのか、把握しておくと資料の整理がしやすいんです」
「なるほど」
凛は特別に自分を見ていたわけではないらしい。
それでも、悠斗は彼女に興味を持った。
知識を集め、必要な情報を整理し、先回りして確認する。
それは、探索者にとって大切な能力の一つだ。
「白石さんは、どんなスキルなんだ?」
健吾が尋ねた。
「神官です」
「神官か。回復や支援をするスキルだよな?」
「一般的にはそう説明されています。ただし、具体的に何ができるかは、個人の能力や訓練によって異なります。スキル名だけで、すべてを判断することはできません」
凛は迷いなく答えた。
その説明は、以前の授業で教師が話していた内容とよく似ていた。
スキルは適性であり、それだけで将来が決まるわけではない。
悠斗は思わず頷いた。
「確かに。俺も採集士って聞いたときは、何ができるのか全然わからなかったからな」
「自分の能力を把握するには、実際に試して記録する必要があります。聞いた話だけで判断するのは危険です」
「……白石さんって、いつもそんな感じなのか?」
「そんな感じ、とは?」
「いや、何でもない」
悠斗は苦笑した。
言葉の選び方を間違えたら、細かく説明を求められそうだ。
凛は不思議そうな顔をしたものの、それ以上は追及しなかった。
◇
午前の授業は、探索者に必要な基礎知識の確認だった。
教師が提示したのは、魔物の基本的な分類、ダンジョン内で見られる環境の違い、素材の保管方法、負傷者が出た際の初期対応など、これまで学んだ内容を組み合わせる課題である。
「では、この状況について考えてみよう」
教師が画面に文章を映し出した。
『探索中、班の一人が転倒し、足に痛みを訴えた。本人は歩けると言っている。目的地までは、あと少しの距離である』
「この場合、班として何を優先する?」
生徒たちが考え込む。
「本人が歩けるなら、少し休ませてから進むという方法もあります」
一人が答えた。
「では、痛みの原因がわからなかったら?」
「……無理はさせないほうがいいと思います」
「そうだ。本人が歩けると言っていることと、安全に活動を続けられることは同じではない。では、どう対応するべきだろう?」
凛が手を挙げた。
「まず活動を止めて、怪我の状態を確認します。軽傷に見えても、原因がわからない場合は自己判断で続行させません。そのうえで指導者に報告し、事前に決めた手順に従って帰還するか判断します」
「いい答えだ。本人の申告は大切だが、それだけで判断を完結させてはいけない」
教師は頷いた。
「負傷者が出た場合、本人だけでなく班全体の計画を見直す必要がある。活動を続けることが、負傷者にとっても、ほかの仲間にとっても危険になる場合があるからだ」
悠斗は凛の答えを聞きながら、ノートに要点を書き込んだ。
怪我をした本人は、仲間に迷惑をかけたくないと思うかもしれない。
もう少しなら歩ける。まだ大丈夫だ。
そう言って、無理をする可能性もある。
だが、本人の気持ちを尊重することと、危険な判断をそのまま受け入れることは違う。
「神代君はどう考える?」
教師に指名され、悠斗は顔を上げた。
「俺も、まずは活動を止めるべきだと思います。採集士として考えるなら、目的の素材が残っていても、怪我をした人を無理に連れて進むのはよくないです。素材を持ち帰ることより、全員が帰れることを優先します」
「その通りだ。では、負傷者が出たことで帰還に時間がかかりそうな場合、何を考える必要がある?」
「予定より早く帰るつもりで、残りの行動を考え直す必要があります。必要なら、採集を中止することも……」
「いいだろう」
教師は次の問題へ進んだ。
悠斗はノートを見下ろした。
昨日の安全講習で学んだことが、今日の課題にもつながっている。
一つひとつの知識は別々に見えても、現場ではすべてが関係してくるのだろう。
採集の技術だけを覚えても、十分ではない。
戦闘の知識だけでも足りない。
探索者として活動するためには、周囲の状況を見て、自分の役割を理解し、仲間と相談しながら行動する必要がある。
そう考えると、学ぶことはまだまだ多かった。
◇
昼休み。
悠斗と健吾、美鈴は、食堂の端の席で昼食を取っていた。
悠斗の弁当は、母の美咲が用意してくれたものだ。ご飯に卵焼き、野菜のおかず。それから、昨夜の夕食に出た肉を少しだけ甘辛く煮直したものが入っている。
豪華とは言えない。
だが、家で食べるものを無駄なく使ってくれる母には感謝していた。
「白石さん、さっきの授業でも詳しかったな」
健吾が食事をしながら言った。
「資料をよく読んでいるんだろうな。質問への答えも、要点が整理されていたわ」
美鈴もそう評価した。
「神官なら、怪我をした人を助ける機会もあるだろうし、そういう知識を身につけようとしているのかもしれないな」
悠斗が言うと、健吾は少し首を傾げた。
「でも、それだけかな。なんというか……白石って、授業の内容を覚えるだけじゃなくて、何かを確かめているように見えるんだよな」
「何かを確かめている?」
「うまく言えないけどさ。先生の話を聞くときも、答えを知っているかどうかだけじゃなくて、その答えが本当に正しいのか考えている感じがする」
悠斗は少し考えた。
確かに、凛は簡単に断定しない。
わかっていることと、わかっていないことを分けて話す。
その姿勢は、探索者として役に立つだろう。
「本人に聞いてみたらどうだ?」
美鈴が言った。
「えっ、何を?」
「何を考えているのか、気になるんでしょう?」
「いや、気になるっていうか……」
健吾は言葉を濁した。
「まあ、同じクラスだし、話す機会はあるだろ」
悠斗は弁当の残りを食べた。
人には、それぞれ探索者を目指す理由がある。
金を稼ぎたい者。
強くなりたい者。
有名になりたい者。
家族を守りたい者。
その理由がわかれば、一緒に活動するときにも相手を理解しやすくなるのかもしれない。
もっとも、悠斗の場合は、理由を聞かれたら答えは決まっている。
まずは金だ。
そして、家族と一緒に暮らしていくため。
いつか、家族みんなで好きなものを好きなだけ食べられるようにするため。
その目標だけは、入学してから一度も変わっていなかった。
◇
午後の実習では、スキルに応じた課題が出された。
悠斗は採集士として、複数の素材候補から採取対象を選び、識別の根拠と保管方法を記録する。
似た形の植物が並べられているため、見た目だけでは判断しにくい。
悠斗は、葉の形、茎の状態、表面の特徴を順番に確認した。
以前なら、似たものを見つけた時点で、どちらかを選んでしまったかもしれない。
だが、今は違う。
わからない部分を残したまま、無理に結論を出す必要はない。
「こちらは識別できました。もう一方は、今の資料だけでは確実に区別できません」
担当教師に報告すると、教師は二つの植物を見比べた。
「判断の仕方はいい。では、次に何をする?」
「追加の資料を確認するか、担当者に質問します。確認できるまでは、採取対象として扱いません」
「よし。採集士として必要な判断だ」
悠斗はほっと息を吐いた。
正解を当てることばかり考えていたら、迷ったときに焦っていたかもしれない。
しかし、探索者の仕事では、知らないことを知らないと認めるのも大切だ。
実習が終わる頃には、ノートに新しい記録が増えていた。
その帰り、廊下の掲示板の前で、悠斗は凛を見かけた。
彼女は実習記録の提出方法について、教師に質問しているようだった。
「提出する記録に、判断の根拠も書く必要があるということですね?」
「そうだ。結果だけでは、どのように判断したのかわからないからな」
「わかりました。確認できた事実と、まだ確かめられていない部分を分けて記載します」
凛はそう答え、資料に目を落とした。
悠斗はその言葉に、少し驚いた。
確認できた事実と、まだ確かめられていない部分。
それは、彼が採集士の授業で意識するようになったことと同じだった。
自分の判断を、他人が確認できる形で残す。
そうすれば、間違いがあったときにも原因を探しやすい。
そして、仲間が次の判断をするときにも役に立つ。
「白石さん」
悠斗は声をかけた。
「神代君。何か用ですか?」
「いや、さっきの質問が聞こえたんだけどさ。実習記録って、どこまで細かく書くつもりなんだ?」
「確認したことと、その根拠です。判断できなかったことも、わからないままにせず、何が不足しているのかを記録するつもりです」
「なるほど。俺も、採集士の実習で似たことを言われたよ。結果だけじゃなくて、どうやって判断したかを残せって」
「大切なことだと思います。結果が合っていても、根拠が曖昧なら、別の状況で同じ判断ができるとは限りませんから」
凛はそう言って、資料を閉じた。
「神代君は、採集士として探索者を続けるつもりなんですよね?」
「うん。今のところ、それ以外に考えてない」
「採集士の仕事について、どう考えていますか?」
予想していなかった質問だった。
悠斗は少し考えた。
「素材を見つけて、採取して、安全に持ち帰ること。そこまでできて、初めて仕事になると思ってる。もちろん、素材の価値を判断したり、必要なものを選んだりするのも大事だと思うけど」
「そうですか」
凛は静かに頷いた。
「私は、神官として人を助けられるようになりたいと思っています。でも、回復の知識だけあればいいわけではないはずです。怪我をする前に危険を避けることも、誰かが判断を誤らないように情報を共有することも、人を助けることにつながると思います」
その言葉には、普段の淡々とした話し方とは少し違う、強い意志が感じられた。
「だから、今はできるだけ多くの知識を身につけたいんです。自分に何ができるのか、何ができないのか。それを理解したうえで、必要なときに行動できるようになりたい」
「……いい目標だと思う」
悠斗は素直にそう答えた。
凛は少しだけ目を伏せた。
「ありがとうございます」
それから、彼女は小さく付け加えた。
「ただ、私には、もう一つ理由があります」
「もう一つ?」
「はい」
凛はすぐには続きを話さなかった。
廊下の向こうから、次の授業へ向かう生徒たちの声が聞こえてくる。
「今は、まだうまく説明できません。自分の中でも、整理できていない部分がありますから」
「そっか。無理に話さなくてもいいよ」
悠斗はそう答えた。
誰にでも、簡単には話せない事情がある。
自分だって、家の家計がどれほど厳しいのかを、初対面の相手に詳しく説明したいとは思わない。
凛が話したくなったときに、聞けばいい。
「ただ、もし俺に手伝えることがあったら言ってくれ。採集士だから、戦闘ではあまり役に立てないかもしれないけど」
「自分の役割を、過小評価しすぎないほうがいいと思います」
「えっ?」
「まだ能力のすべてを確認したわけではないのでしょう? できないことを決めつけるのは、判断材料が不足している状態で結論を出すのと同じです」
凛は真面目な顔で言った。
悠斗は思わず苦笑した。
「……確かに。白石さんに言われると、説得力があるな」
「事実を指摘しただけです」
凛は表情を変えずに答えた。
その返事がおかしくて、悠斗は少し笑った。
凛も、ほんのわずかに口元を緩めたように見えた。
「では、私はこれで。記録の提出がありますから」
「ああ。また明日」
「はい。また明日」
凛は一礼して、廊下を歩いていった。
その背中を見送りながら、悠斗は考えた。
彼女は、ただ成績がいいだけの生徒ではない。
知識を身につけることにも、人を助けることにも、はっきりとした目的がある。
けれど、その目的の奥には、まだ話されていない理由があるらしい。
それが何なのか、今の悠斗にはわからない。
わからないからこそ、いつか聞いてみたいと思った。
◇
帰宅すると、台所から包丁の音が聞こえてきた。
「ただいま」
「おかえり、悠斗。今日は少し早かったわね」
母の美咲が振り返った。
「午後の実習が予定どおり終わったから。父さんは?」
「まだ仕事よ。今日は倉庫のほうが忙しいって言っていたわ」
「そっか」
悠斗は鞄を置き、手を洗った。
居間では蒼太が木の剣を振り回し、陽菜がそれを見ながら笑っている。
「ゆう兄! 見て見て! おれ、今日は魔物を十匹も倒したんだぞ!」
「おお、すごいな。ちゃんと帰ってこられたか?」
「もちろん!」
「なら合格だな」
「えーっ、もっと褒めてよ!」
蒼太が頬を膨らませる。
悠斗は笑って、その頭を撫でた。
陽菜もこちらを見上げている。
「お兄ちゃん、学校はどうだった?」
「今日は安全について、いろいろ勉強したよ。無理をしないこととか、危ないときは引き返すこととか」
「それって、探索者になるために必要なの?」
「必要だよ。どんなに強くても、危険に気づけなかったら困るだろ?」
「そっか。お兄ちゃん、ちゃんと帰ってきてね」
陽菜の言葉に、悠斗は一瞬だけ返事を止めた。
それから、穏やかに笑った。
「ああ。ちゃんと帰ってくるよ」
その約束は、誰かに言われたからするものではない。
自分がそうしたいから、するものだった。
夕食の準備を手伝いながら、悠斗は今日の授業を振り返った。
採集士としての知識を増やすこと。
仲間と協力すること。
危険を避け、無事に帰ること。
そして、仲間が何を目指しているのかを知ること。
探索者になるというのは、ただダンジョンへ潜ることではない。
自分の役割を知り、他人の役割を知り、それぞれの目的を持った人間が協力して仕事をすることなのだろう。
まだ、悠斗には仲間と呼べる相手が多くいるわけではない。
だが、健吾や美鈴とは少しずつ話すようになった。
今日、新しく白石凛という少女の考えも知った。
これから出会う人たちが、どんな目標を持っているのか。
自分とは違う考え方をする人たちと、どうすれば協力できるのか。
その答えも、これから学んでいくことになる。
悠斗はエプロンを身につけ、母の隣に立った。
「母さん、何か手伝うことある?」
「そうね。じゃあ、野菜を切ってくれる?」
「了解」
包丁を握り、まな板の上の野菜を切り始める。
今日も、特別なことは何もない。
けれど、こうして家族と過ごす時間があるからこそ、悠斗は前に進もうと思えるのだった。
いつか、家族みんなで焼肉を食べに行く。
その夢に向かって、明日もまた、一つずつ学んでいこう。
### 次回予告 第15話「東雲紅葉の登場」
知識と記録を大切にする白石凛と話した悠斗。
次に彼の前へ現れるのは、明るく元気で、魔法の訓練に人一倍熱心な少女――東雲紅葉。
勢いのある彼女の実技を目の当たりにした悠斗は、魔法の力と、その扱いに必要な慎重さについて考えることになる。
異なる才能を持つ生徒たちが、少しずつ同じ学園の中で交差し始めていた。
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