第13話 安全講習
# 第13話 安全講習
探索者育成学園に入学してから、少しずつ授業の内容が難しくなってきた。
スキルごとの基礎訓練に始まり、採集士としての素材の見分け方、戦闘訓練における危険察知と状況判断。
どれも神代悠斗にとって初めて学ぶことばかりだった。
そして今日の授業は、探索者にとって最も重要なものの一つ。
安全講習だった。
「今日の授業は、面白い技術を覚える時間ではない。派手な魔法を撃つことも、格好よく剣を振るうこともない。だが、これを軽視する者は探索者を続けられなくなる」
教壇に立った教師は、教室を見渡しながら言った。
「安全管理だ」
黒板に大きく書かれた文字を見て、悠斗はノートを開いた。
隣の席では桐谷健吾が、いつもより真剣な顔をしている。少し離れた席の月城美鈴も、背筋を伸ばして教師の話に耳を傾けていた。
「探索者は、ダンジョンの中で活動する。そこには魔物がいる。足場が崩れる場所もあれば、毒性のある植物や、触れただけで危険な素材もある。魔物がいなくても、安全とは限らない」
教師は映像を切り替えた。
画面に映し出されたのは、岩肌がむき出しになった通路だった。床の一部は崩れ、天井からは細い亀裂が何本も伸びている。
「これは、過去に調査されたダンジョンの通路だ。見た目だけで、通行できると思うか?」
「崩落の危険があると思います」
美鈴がすぐに答えた。
「その通り。ただし、危険があると判断できても、それだけでは足りない。では、どうする?」
「別の道を探します」
「正解の一つだ。では、別の道がなかったら?」
美鈴は一瞬、言葉に詰まった。
「……調査して、安全が確認できるまで進みません」
「それも一つだ。だが、学生の訓練では、そもそも自分たちだけで判断を完結させる必要はない。指導者に報告し、指示を仰ぐ。危険を見つけた者が、必ず解決しなければならないわけではないんだ」
悠斗は、その言葉を書き留めた。
危険を見つけることと、危険を解決することは別。
採集士の授業でも、似たことを学んだ。
素材を見つけることと、採取してよいか判断することは違う。
知っているつもりでも、実際の行動では混同してしまうかもしれない。
「探索者に必要なのは、何でも自分で解決する能力ではない。自分で判断できないことを、判断できないと認める能力も必要だ」
教師はそう言って、次の映像を映した。
今度は、ダンジョンの入口付近に並べられた装備品だった。
「では、出発前の確認について説明する。装備、食料、水、連絡手段、地図、帰還予定時刻。これらを確認するのは誰だ?」
「各自が自分の分を確認するんじゃないですか?」
教室の前方から声が上がった。
「それは当然だ。では、仲間の確認は必要ないか?」
「……必要だと思います」
「そうだ。自分では問題ないと思っていても、他人から見れば異常に気づけることがある。留め具が緩んでいる。薬品の容器にひびが入っている。水筒の蓋が閉まっていない。本人が気づかない小さな問題が、現場では大きな問題になる」
教師は装備品の映像を拡大した。
見た目には問題なさそうな鞄。しかし、肩紐の付け根には小さなほつれがある。
「この状態で重い素材を持ち帰ろうとすれば、どうなる?」
「途中で切れるかもしれません」
悠斗は答えながら、自分の鞄を見下ろした。
学校へ持ってきた教科書とノートが入っているだけだが、肩紐には以前から少し毛羽立っている部分がある。
探索用の装備ではない。今すぐ危険というわけでもない。
それでも、普段から道具の状態を確認する習慣は身につけられる。
「神代。今の話で、何か気づいたことはあるか?」
突然名前を呼ばれ、悠斗は顔を上げた。
「はい。道具の確認は、出発直前だけじゃなくて、普段からやっておく必要があると思います。出発前に壊れていると気づいても、修理できる時間がないかもしれないので」
「いい視点だ。前日までに確認できるものは前日までに確認する。出発前には、もう一度確認する。二度確認することは無駄ではない」
悠斗は慌ててノートに書き足した。
――装備は普段から点検する。 ――出発前にも再確認する。 ――自分だけでなく、仲間同士でも確認する。
当たり前のことに思える。
けれど、当たり前だからこそ、忘れやすいのかもしれない。
◇
午前の後半は、探索計画の立て方についての講義だった。
教師は黒板に簡単な図を描いた。
入口、通路、採集地点、帰還経路。
そこに予定時刻と、確認すべき項目を書き込んでいく。
「探索計画を立てる際、最初に考えるべきことは何だと思う?」
「目的地までの最短経路ですか?」
別の生徒が答える。
「それも必要な情報だ。だが、最短経路が最も安全な経路とは限らない。では、神代はどう考える?」
悠斗は図を見つめた。
自分が採集士としてダンジョンに入るなら、まず目的の素材がある場所を調べるだろう。
だが、それだけでは足りない。
「……帰り道です」
「理由は?」
「目的地に着けても、帰れなければ意味がないからです。行きに通れた道が、帰りも同じ状態とは限らないと思います。荷物が増えれば、移動に時間がかかるかもしれませんし」
「よく考えているな」
教師は図の上に、帰還経路を示す矢印を加えた。
「探索者は、目的地に着くことを成功と考えがちだ。しかし、依頼を達成しても、帰還できなければ仕事は完了しない。素材を持ち帰って初めて、採集の成果が生まれる」
悠斗は父の言葉を思い出した。
素材は、採取して持ち帰るまでが仕事。
父は探索者として活動していた頃、何度もそう考えてきたのだろう。
右脚を負傷してからも、父は危険な仕事を無理に引き受けない。収入が少ないことに悩みながらも、家族のもとへ帰ることを優先している。
その選択が、どれほど難しいものなのか。
十五歳の悠斗には、まだ全部はわからない。
それでも、少しずつ理解できるようになってきた。
「計画には、撤退の基準も必要だ」
教師が黒板に新しい文字を書いた。
撤退基準。
「予定時刻を超えた。想定外の魔物を発見した。負傷者が出た。装備に異常が見つかった。地図と現場の状況が一致しない。こうした場合に、どうするかを事前に決めておく」
「その場で相談して決めるのでは駄目なんですか?」
生徒の一人が尋ねた。
「相談すること自体は必要だ。だが、危険な状況になってから初めて撤退について考えると、判断が遅れることがある。事前に基準を決めておけば、個人の意地や焦りに左右されにくくなる」
教師は、教室をゆっくり見回した。
「もう少しで目的の場所に着く。あと少しで目標の素材が集まる。そう思ったとき、人は引き返しにくくなる。苦労してここまで来たのだから、成果を持ち帰りたい。そう考えるのは自然なことだ」
悠斗は黙って聞いていた。
採集士として活動するなら、珍しい素材を見つけたときほど、欲が出るかもしれない。
それが高値で売れるものなら、なおさらだ。
家族の生活費。
陽菜の治療薬。
古くなった家電の買い替え。
頭の中には、いつだって金のことがある。
だからこそ、稼げる機会を逃したくないと思うだろう。
だが、そこで無理をして怪我をしたら。
探索者として働けなくなったら。
治療費が必要になり、家族に負担をかけたら。
そもそも帰れなかったら。
得られるはずだった収入どころではない。
「撤退は失敗ではない。危険を避け、次に活動できる状態で帰るための判断だ。予定どおり進めなかったことを恥じる必要はない。予定を変更すべき状況なのに、意地を張って進むことのほうが問題だ」
その言葉は、悠斗の胸に強く残った。
彼はノートに大きく書いた。
――撤退は失敗ではない。 ――帰還できることを成功に含める。 ――稼ぐために、稼げなくなる危険を冒さない。
最後の一行を見て、悠斗は少しだけ苦笑した。
自分らしい考え方だと思った。
◇
午後は、班ごとの安全確認演習だった。
実際のダンジョンへ行くわけではない。訓練用の部屋に、模擬装備と地図、想定状況が書かれたカードが用意されていた。
生徒たちは数人ずつの班に分かれ、出発前の確認から撤退判断までを順番に練習する。
悠斗の班には、健吾と美鈴もいた。
「まずは装備の確認だな」
健吾が鞄を机に置いた。
「俺は盾の留め具と固定具を確認する。訓練用だから大きな問題はないと思うけど、実際に使うときは毎回見ないとな」
「剣も同じね。刃だけじゃなく、柄や留め具も確認する必要があるわ」
美鈴は自分の模擬剣を手に取って、状態を確かめた。
「じゃあ、俺は採集道具と収納用の容器を確認する。容器に傷があったら、素材を入れたあとで漏れたり、壊れたりするかもしれないから」
「役割ごとに見る場所が違うんだな」
健吾が感心したように言った。
「でも、誰か一人が確認すればいいってことじゃないんだよな。全員で確認するんだろ?」
「うん。自分の担当部分を確認して、最後にお互いに見落としがないか確かめる。そういう形だと思う」
悠斗が答えると、美鈴も頷いた。
「確認する人が増えれば、見落としに気づける可能性も高くなる。ただし、誰かが見ているから自分は確認しなくていい、ということにはならないわね」
「なるほどな。自分の確認と、仲間の確認は別ってことか」
健吾は自分のノートに書き込んだ。
三人で確認項目を読み上げ、模擬装備の状態を確かめる。
そのあと、地図を広げた。
「目的地はここ。採集予定地点は二か所。帰還予定は午後三時。途中で問題が起きた場合は、ここまで戻って指導者に連絡する……でいいかな?」
悠斗が案を出すと、美鈴は地図を覗き込んだ。
「この経路だと、採集地点から帰還経路に戻るまでに、同じ通路を通ることになるわ。もしそこが通れなくなったら?」
「別の道を使うことになるけど、地図には詳しい情報がないな……」
「なら、別の道を使う前提で計画を立てるのではなく、通行できない場合はそこで活動を中止する条件にしたほうがいいと思う」
美鈴の意見に、悠斗は頷いた。
「そうだな。知らない道に入るのは危険だ。地図にない場所を、その場の判断だけで進むのは避けよう」
「よし。じゃあ、帰り道が使えない場合は、勝手に別経路へ進まず、指導者に連絡。指示が得られない場合は、事前に決めた安全な場所で待機する、という条件にするか」
健吾が案をまとめた。
教師が三人の机にやってきた。
「計画を見せてくれ」
悠斗が地図と確認表を渡す。
教師は一通り目を通したあと、確認表の一か所を指で示した。
「連絡手段の確認が抜けているな」
「あっ……!」
悠斗は思わず声を上げた。
装備、道具、地図、予定時刻。そこまでは確認していた。
だが、連絡手段が正常に使えるかどうかは、項目に入れていなかった。
「持っていることと、使えることは違う。端末の充電が切れていないか。通信が可能な範囲なのか。連絡が取れない場合にどうするのか。そういったことも計画に含める必要がある」
「すみません。そこまで考えられていませんでした」
「間違いを見つけたなら、修正すればいい。実際に危険な場所へ行く前に、こうして見落としを確認することが訓練の目的だ」
教師は確認表を返した。
「それに、連絡が取れなくなった場合の対応は、全員が知っていなければならない。代表者だけが把握していても意味はないぞ」
「はい!」
三人は不足していた項目を書き加えた。
悠斗は、少し恥ずかしかった。
安全について何度も学んできたのに、まだ見落としがある。
けれど、それは悪いことばかりではない。
今のうちに気づけたなら、次は同じ失敗を避けられる。
何もわからないまま本番に出て、そこで気づくよりずっといい。
◇
最後の演習は、想定外の事態が起きたときの判断だった。
班ごとに配られたカードには、探索中に起こりうる状況が記されている。
悠斗たちが引いたカードには、こう書かれていた。
『予定していた採集地点に到着したが、地図に記載されていない魔物の足跡が複数見つかった。周辺に魔物の姿は見えない。採集予定の素材は、通路の先にある』
「どうする?」
健吾がカードを机に置いた。
「足跡があるだけなら、魔物が近くにいるとは限らないわ。でも、いないと判断できる材料もない」
美鈴は慎重に言った。
「採集地点まで行くのは危険だと思う。足跡の大きさや新しさを確認するにしても、近づきすぎない範囲で調べて、指導者に報告するのが先じゃないかな」
悠斗は、カードの文章をもう一度読んだ。
素材は通路の先にある。
予定していたものだ。
そのために準備をして、ここまで移動してきた。
だが、魔物の姿は見えない。足跡がいつのものなのかもわからない。
この状況で、採集を続ける理由はあるだろうか。
「俺も、いったん活動を止めるのがいいと思う。足跡が何の魔物のものか、今の情報だけではわからないから。採集地点に進むのは、そのあとで判断すればいい」
「じゃあ、報告して指示を待つ。状況によっては、別の採集地点に切り替えるか、予定を切り上げて帰ることになるな」
健吾のまとめに、二人も同意した。
教師がやってきて、三人の回答を確認する。
「判断の方向性はいい。では、一つ質問だ。もし、今日の採集を達成すれば、報酬が予定より多くもらえるとしたら?」
健吾が眉を寄せた。
「それでも、危険がわからないなら進まないほうがいいと思います」
「なぜだ?」
「報酬が増えても、怪我をしたり、帰れなくなったりしたら意味がないからです。そもそも、魔物の情報が足りない状態で進むのは、最初の計画から外れています」
健吾の答えを聞いて、教師は頷いた。
「いい答えだ。報酬は判断材料の一つだが、安全確認を省略する理由にはならない。金額が大きいと、普段なら避ける危険を軽く考えてしまうことがある。だからこそ、事前に決めた基準が重要になる」
悠斗は、胸の奥が少し痛むのを感じた。
金が欲しい。
家族のために、少しでも早く稼げるようになりたい。
その気持ちは、今も変わっていない。
だが、焦って判断を誤れば、家族を支えるどころではなくなる。
夢を叶えるために必要なのは、目の前の報酬を追い続けることだけではないのだ。
「今日の講習で覚えておいてほしいことは三つある」
教師は黒板の前に立った。
「一つ。出発前の確認を怠らないこと。二つ。状況が計画と違っていたら、立ち止まって報告すること。三つ。撤退を恥じないこと」
黒板に、三つの項目が並ぶ。
「安全は、誰か一人が守ってくれるものではない。自分で確認する。仲間と情報を共有する。わからないことは質問する。そして、危険があれば引き返す。その積み重ねが、探索者として活動を続けるための基礎になる」
授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
生徒たちが片づけを始める中、悠斗はノートの最後に今日のまとめを書いた。
――出発前の確認を怠らない。 ――計画と違う状況では、立ち止まって報告する。 ――自分だけで判断しない。 ――撤退は失敗ではない。 ――無事に帰ることも、探索の成果である。
書き終えてから、悠斗はペンを置いた。
「どうした、悠斗。まだ何か書くのか?」
健吾が鞄を肩にかけながら尋ねた。
「いや。今日の授業、思っていたより覚えることが多かったなって」
「確かにな。盾の訓練でも、ただ攻撃を受け止めればいいわけじゃないって教わったけど、安全管理も同じなんだな。何か一つやれば終わり、ってわけじゃない」
「そうね」
美鈴が模擬剣を片づけながら言った。
「強くなることは大切。でも、強さだけで危険をなくせるわけではないもの」
「……俺は、まだ戦闘も採集も、できることが少ないからな」
悠斗はノートを閉じた。
「まずは、基本を覚えるところからだ」
「それでいいんじゃないか?」
健吾は気負いのない声で答えた。
「俺だって、まだ盾をうまく使いこなせているわけじゃない。美鈴だって、毎日基礎練習をしてるだろ?」
「ええ。基礎を繰り返すことに、終わりはないと思っているから」
「そっか。なら、俺も地道にやるしかないな」
悠斗は立ち上がった。
教室の窓から、午後の日差しが差し込んでいる。
探索者として大きく稼げるようになるまで、どれくらいかかるのかはわからない。
家族の生活は、今日も厳しいままだ。
帰宅すれば、母の美咲は夕食の準備をしながら家計を計算しているだろう。父の大輔は、仕事の疲れを見せまいと笑い、陽菜は治療薬を飲み、蒼太は元気に遊んでいるはずだ。
その暮らしを変えたい。
いつか、家族みんなで焼肉を食べに行きたい。
その夢を、焦りで壊すわけにはいかなかった。
悠斗は鞄を背負い、教室を出る前にもう一度ノートを開いた。
最後に、一行だけ書き加える。
『稼ぐためにも、生きて帰る』
「よし」
小さく呟き、悠斗は仲間たちのあとを追った。
夢への道は、まだ遠い。
だが、その道を歩くために必要なことを、今日も一つ覚えた。
それだけでも、前に進んでいるのだと思えた。
### 次回予告 第14話「白石凛の願い」
安全講習を終え、探索者として必要な基礎を学び続ける悠斗。
そんな彼が次に出会うのは、冷静で成績優秀な少女、白石凛。
知識も判断力も備えている彼女が、探索者を目指す理由とは何なのか。
そして、彼女が胸に秘めている願いとは――。
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