第8話 ジュリ賞をあげる(1)
朝起きると、とんでもなく強い雨が降っていた。
ばちばちと世界中のなにもかもを叩く音がけたたましくて、おまけに外の景色は言いようもない色に塗り潰されている。
ここ五十年で地球上の天候は激変した。本を正せばインパクトによるもので、直接的な原因は世界各地で乱発した火山の噴火だ。
地球のマントルから流れ出る溶岩には、硫黄が多く含まれている。同時多発的な火山の爆発後、大気中に二酸化硫黄が放出され、それにより発生した雲から、強酸性の雨が降る。大気中に溜まったエアロゾルが未だに晴れずにいるのだ。強いときだと胃液が降ってくるのに近い。
「こんな雨じゃあ、今日は一日籠りっきりかな……」
いつもの服を着て、バナナクリップで湿気た髪を結わえる。
部屋を出て、あくびを噛み殺しながら廊下を歩いていると、その脇をてててっと駆けていく金髪が見えた。顔を洗ってきたらしいニィナだった。
ニィナは私を見るなり、ぱっと顔を明るくさせ、足を止める。
「おっはよーう! ジュリー!」
「はい、おはようさん」
「おはようさん?」扁桃腺と同じイントネーションで、ニィナが反芻した。「ニィナはニィナさんだよ?」
あたしはそれを無視した。無視したというより、ニィナの足元を見たのだ。あたしのあげたルームシューズを履いている。惜しみもせずに使ってくれているらしい。よかったよかったと頷くと、ニィナに服の裾を掴まれた。
「ジュリー、髪にリボン結んで」
上目遣いでお願いされた私は、「はいはい」と言っていつものようにニィナたちの部屋に入る。ベッド際に散らばったリボンを拾い、一つ一つ、ニィナの髪に結んでいった。
オオサカから贈られてきた大量のリボンだが、もちろん大量に余ってしまった。一応、暗器道具の備品なわけだし、予備として何本かはストックしておくことにしたのだが、にしても余る。ちょうどニィナの瞳の色と同じリボンを見つけたので、いくつか適当に結んであげたら、ニィナにたいそうウケたのだ。
結わえることもなく、本当に結んだだけのものだったけれど、その日以来、ニィナには毎朝ねだられるようになった。
いずれは自分でできるようになればいいと思うけれど、ニィナのふわふわな髪に青いリボンを飾っていくのは意外と楽しい。結局、私は一度も断ることなく、ねだられるがまま、リボンを結んでいる。
毎日やっていることといえば、編み物もだ。あの日以来、あたしはずっとニィナに編み物を教えている。たまたま本棚にあった編み物の本を読み解きながら、いろんなものを二人で作っていると、ニィナのスキルが劇的に進化した。
最近ではニィナのほうがずっと上手で、あたしやイチルたちの編みぐるみまで作ってしまった。さすがチルドレン、技術の習得と応用が速い。
その様子を近くで眺めているのはレーヨンだ。ニィナが夢中で編み物をしている横で、ぼんやりとその様子を眺めている。
イチルとミクロも一度は気にかけたものの、「教えてあげようか?」というあたしの誘いには首を振った。
ただ、ヨハクは興味がありそうだった。すらすらと手指を動かすニィナがかっこよく見えたのかもしれない。たしかにあれはちょっと真似したくなる。あのスピードと正確さは、趣味の域を超えて、職人技のようだから。
「あんたもやってみる?」
あたしがそう尋ねると、ヨハクは少しだけ迷った。
もしもできなかったら恥ずかしいからだろう。
しかし、変に意地を張って突っ撥ねることはなくなった。控えめな態度で「……僕にもできると思う?」とあたしを見る。
「できるでしょ。いきなりあの域は無理だけど、あんた要領はいいからすぐ追いつくだろうし」
そんなふうにヨハクに言うと、むっとしたニィナが「ヨハクには負けないもん」とさらに編み棒を素早く動かした。目にも止まらぬ速さだ。ミシンか?
ややあって、ヨハクは少しだけ嬉しそうにして、「やってみる」と頷いた。
その日から、編み棒を動かすニィナとヨハク、そして見学のレーヨンというメンバーで、編み物クラブが結成された。
もう教えることはなにもない、とあたしは早々にクラブから卒業したのだが、たまにニィナが「ジュリー、毛糸が絡まっちゃった、ほどいて」とあたしのもとを訪れる。あたしは「自分でほどけるやろ」と言うのだが、ニィナは甘えた声で「無理だもん」と言うのだった。
このところ、ニィナのぶりっこがすごい。あたしが臨時の世話係になってから二週間も経ったし、懐いてくれたんだろうな、と思うのだが、にしたところで、尋常でない甘えかただ。
朝にリボンを結ぶのはもちろん、昼には「ジュリー、ご本読んで」、夜には「眠れないの、歌って」、夜中に起こされては「怖いの、おトイレついてきて」。本当は読み聞かされなくとも自分で読めるし、五人の中の誰よりも先に寝るし、一人でトイレにも行ける。それなのに「ジュリー」とあたしを呼ぶのだ。
一番手こずったのは「歌って」というお願いだ。子守唄なんて知らん。しょうがないので、子守唄代わりにキラキラ星を歌ってやった。
「きらきらリトルスター
夜空のエレメノピー」
ニィナのお気には召したようで、以来、ベッドに入る際には「きらきらの唄を歌って」とせがまれるようになった。昨晩も歌った。歌詞を覚えてしまったレーヨンとミクロとヨハクが一緒になって歌いだして、イチルが苦笑まじりに「寝ようよ」と言うまでがお約束である。
「昨日の夜も楽しかったねえ、ジュリー」
「ここに来てあんなに笑ったのはじめてよ。あんたら、ハモリなんてどこで覚えたの。いきなりメゾソプラノ・ソプラノ・アルトの混声三部合唱が始まって、あたしの腹筋は死んだわ」
しかも、部屋に戻っても思い出し笑いをしてしまって、なかなか寝つけなった。
あたしがそう言うと、「笑い声うるさかったよ」と返ってきた。
誰のせいや思てんねん。ていうか聞こえてんのかよ。やはりこの子たちの耳が常人よりも遥かにいいからか、もしくはあたしが相当うるさかったからか。
答えが出る間もなく、あたしとニィナは厨房と接続する食堂に着いた。
ここでは朝昼夜の三度の食事を料理人に作らせている。この子たち専属の料理人がいるなんてありえない贅沢だ。この皇居に住むにふさわしい貫禄。洗濯なんかもしてくれる家女中までいるほどなのだ。仕えているつもりはまったくないが、世話係であるあたしを含め、侍従職みたいなものだった。
大きな四角いテーブルに向かい合って、あたしたちは朝餉を食べる。
テーブルの長辺に三人ずつ座れるように椅子が用意されているのだが、あたし、ミクロ、ヨハクの座る体面、イチル、ニィナの座る側の席が、一つ分空いていた。
「……レーヨンは今日も来ないの?」
「うん。お腹すいてない、ってさ」
ミクロはそう言って、食事を続けた。
ここに来てから、レーヨンが食事の席についているのを見たことがない。寝坊かと思って部屋を見に行ったこともあるのだが、一人ボードゲームをしていた。朝は胃が弱いタイプなのかと思い、そのときは諦めたのだが、なんと昼の席にもレーヨンは現れなかった。さすがにあたしも呼びに行ったのだが、そのときもレーヨンは「お腹すいてないから」と言って、席に着くのを拒んだ。挙げ句、夜にも現れなかった。別のタイミングで食事を摂っているのかもしれないが、あたしにはそれがとても不審だった。
「ニィナこれ嫌ぁい。イチル、食べて」
そんなことを考えていると、ニィナが皿に乗った色鮮やかな豆たちを睨みつけ、イチルに皿ごと渡しているのが見えた。
「いいよ」
「いや、待て」あたしは止めに入る。「ニィナ、イチルに食べてもらうの何回目よ。たまには自分で食べなさい。イチルも甘やかさない!」
「えー、だってだって、おいしくないんだもん!」
「ここの料理人の腕ってそんなによくないから、ニィナの言い分もわかるよね」ヨハクはフォークでサラダを突きながら言った。「たまに味つけがすんごいやつもあるからさ。それくらいいいんじゃない?」
料理人の名誉のために弁明させてもらうが、料理の味にはなんら問題はないこの子たちが贅沢を言っているだけだ。しかし、ニィナはあたしの意見を断じた。
「そんなことない! ジュリーが食べてるのはおいしい!」
「んなわけあるか。全部一緒のメニューよ」
「でも、この前ジュリーのデザート一口もらったときは、いつもよりもおいしかったもん!」
「は? あたし、いつあげたっけ?」
「えっ……う、うーんと」
「ニィナ、あんた、あたしの皿から勝手に取ったの? あんたたちの本気のスピードで盗み食いされたら、あたしもわかんないんだけど!?」
「とにかくニィナはこれ食べないから!」
「あっ、ちょっと」
ニィナは皿を傾けて、フォークで掻き落とすように、豆をイチルの皿へと移した。イチルは「まあまあ」とあたしを宥める。そして、ミクロとヨハクも別の食べ物に苦戦しているのを見て、「二人の分も俺が食べようか?」と助け舟を出した。
ミクロは不味そうにしながらも「自分で食べれるし!」と口の中にいれたが、ヨハクは除けたピーマンをイチルへと寄越した。
「こら、好き嫌いしないの。しっかり食べなきゃ一生チビのまんまよ」
「一生チビのわけないじゃん、まだ子供なんだから、食べなくてもある程度背は伸びるよ。なに言ってんの?」
このクソガキ。
あたしはため息をつく。別に、苦手な食べ物があるくらいなら、あたしも目を瞑るのだが、この子たちはあまりにも好き嫌いが多い。なんでも食べるイチルを見習え、とまでは言わないが、もう少し選り好みせずに食べたほうがいいと思う。
いまの時代、なんの不自由もなく食にありつけるのは、本当にありがたいことなのだ。特にトウキョウは、首長会議の日に暴動があったように、食料に困窮しているのが現状だ。市井では一日なにも食べないですごさねばならないところもあるのかもしれない。それを思えば、この子たちのわがままがどれほど贅沢なことか……。
「おはようございます、みなさん」そのとき、ゴローさんがやってきた。「食事中に申し訳ないのですが、イガラシ首長から、出動命令です。今回の任務は二つ。市街地を騒がせている玉蟲蜚蠊の駆除と、ゴミ山からリストにある物で使えそうなのを漁ってこいとのことです」
子供たちはむしゃむしゃと口を動かしながら、ゴローさんのお話を聞いていたが、あたしは驚いて「えっ」と声を漏らした。
「あの……こんな強い雨の日にも出かけるんですか?」
あたしがそう言うと、ゴローさんは朗らかに頷いた。
「彼らはチルドレンですからね。私たちよりも体が頑丈なのです。こんなぞっとするような雨の中でも彼らなら生き抜いていけます」
あたしは窓の外を見る。少しは弱まったみたいだけれど、まだ強酸性の雨はやんでいない。そんな中で出かけるなんて。
あたしが呆気に取られているあいだに、イチルは、ごくん、と飲みこんで、「リストちょうだい」と手を出す。ゴローさんはリストを渡す。イチルは「……ふうん、」とこぼした。
「雑貨がほとんどだね。こんなの必要?」
「今回は予備のための回収ですから。人手もそんなにいらないかと。どちらかといえば、玉蟲蜚蠊の駆除のほうが大きな問題ですね」
玉蟲蜚蠊は、日本各地で見られる害虫で、ホログラム加工したかのようなオーロラの体を持つ。なんでも食べるという特性を持ち、時間をかければコンクリや鉄ですら食べるので、見つけた瞬間に駆除しなければならない。
七連では、オオサカとワカヤマに玉蟲蜚蠊の駆除剤の生産工場を確保しているため、それを用いた駆除が主流だ。こちらでもチバに駆除剤の生産工場があると聞いたが、取引していないのだろうか?
あたしが疑問に思っているのを見抜いたゴローさんが、苦笑まじりに答えてくれる。
「トウキョウにはお金がないので……」
なるほどね。そう言われては、あたしも苦笑するしかない。
なんとか食事を終えた四人は任務への段取りに移った。レーヨンともこの話を共有した結果、イチル、ニィナ、レーヨンが玉蟲蜚蠊の駆除に、ミクロがゴミ山に行くことになった。人数が偏りすぎている気がしたが、ミクロは「一人でも平気」と言うので、任せることにしたのだ。ヨハクは「本の続き読みたい」とお留守番。
本当にこの雨の中で仕事をするのか。あたしが気にかかっていると、ゴローさんは「大丈夫ですよ」と声をかけた。
「ダイマオウイカを退治したときの潜水スーツのように、雨にも溶けないレインコートと長靴を支給しています。でないと、僕だってこの皇居跡まで来れないでしょう?」
あたしは、それもそっか、と息をつく。
玄関扉の前のロビーに彼らと集まる。遠目からでも目立つような黄色いレインコートと長靴を身につけていた。特にレーヨンは「雨は苦手だもんな」とイチルにもっと着こまされていて、この少年の全貌が見えないほどだった。
すると、あたしは服の裾を引っ張られた。振り返ると、レインコートを持ったニィナが、あたしを見上げていた。
「ジュリー、お着替え手伝って」
またか。あたしは「一人で着れるでしょ」と返したが、ニィナは「ううん。着れないの」と目をうるうるさせた。
それを見たミクロが鋭く睨みつけてくる。
ああもうまた喧嘩になるやろ。
「いまの服にも寝間着にも着替えられるニィナが、たかがレインコートを羽織るくらい、できないわけがないでしょ」
あたしがそう言うと、ニィナは顔を膨らませて、「ジュリーが手伝ってくれなきゃ着替えない!」とあたしの腰に抱き着いてきた。
そのとき、ずっとイライラしていたミクロが、とうとう口を開く。
「おい、調子乗んなよ」あたしに掴まるニィナの腕を鷲掴んだ。「なにかわいこぶってんだブスのくせに! 甘えてんじゃねえよ!」
暴言を吐くミクロに、イチルは「こら」と眉を顰める。
しかし、ミクロは止まらない。
「毎日毎日、ジュリージュリーって! ジュリがいなかったらなんにもできねーのかよ! ガーキ! ガーキ!」
「あんたがクソガキや」
囃すように騒ぐミクロの頭に、軽く手刀を落とす。
なにすんだとあたしを睨むミクロをよそに、あたしはニィナを見下ろした。
「ニィナも。どれだけ甘えても手伝わないわ。イチルとレーヨンを待たせてるんだし、早く着替えなさい」
あたしの言葉に、ニィナは唇を尖らせたものの、ややあってから渋々「はぁい」と言って、腕を離す。
もうニィナが離れたというのに、ミクロはあたしを睨みつけている。かんかんに怒っていた相手であるニィナではなく、あたしを。
ぶっちゃけ、ミクロのニィナに対する乱暴な態度は、好意の裏返しだと思っている。好きな子ほどいじめたくなるとかいうあれだ。
最初は、純粋にミクロは苛立っているのだと思っていた。ニィナの空気の読めないところや、甘えたなところは、ミクロの癪に障るのだろう、と。
しかし、よく見てみると違った。
本来、ミクロは冷静な子で、負けず嫌いではあるものの、自分のだめなところはきちんと反省するタイプだ。だから、機嫌が悪くとも、誰彼かまわず怒鳴りつけたり、当たり散らすことはない。
それなのに、ニィナの前ではその冷静さを欠くのだ。平常心ではいられない。ニィナには自分が負けているところを見られたくないし、自分以外の誰かに執心しているとイライラする。ミクロの感情のトリガーはいつだってニィナだ。
今回のこれも、一丁前に嫉妬しているというだけの話だ。周りにごろごろ男子のいるなか、歳の離れた女のあたしに嫉妬するなんて、なにをとち狂ってんだとも思うのだが……客観的に見ても、現在のニィナの執心はあたしだ。
おまけに、「レーヨン、行こう」と別の男の子の手を引いて、ニィナは出て行こうとする。
ミクロは唇をぎゅっと縛った。
「……ゴローさん。そのゴミ山って、ここから近いんですか?」
「えっ」あたしの質問に驚いたものの、ゴローさんは頷いた。「ええ、そうですね。廃棄場ではなく、このあたりにあった公園を、昔、ゴミ捨て場にしたとかで作られたところです。歩いていける距離ですね」
「ゴローさんの着てきたレインコートはこれですか? 意外と細身なんですね。女性でも着れそう」
「僕はガタイのいいほうではありませんが、太っているわけでもないですから」
「ゴローさん、シュッとしてはりますもんね」
「えっ、シュッ?」
「てことで、これ借ります」
「えっ、シュッ、じゃなくてジュリさん!?」
あたしはレインコートをふんだくり、それを着こみながら皇居を出た。本当にすみません、ゴローさん。なるはやで戻るんで、ヨハクと一緒に本でも読んでてください。
外に出てみると、雨の猛威を思い知る。あたしは元々着ているジャケットのフードと、レインコートのフードを二重に被った。下手をすると顔が溶けちゃいそうだ。
あたしは先に出ていたミクロを追いかける。一人ぼっちのレインコートが見えて、「待って」と声をかけた。その小さなレインコートはちらりとこちらを振り返る。案の定、ミクロだった。ミクロはあたしを見るなり「なにその格好」とこぼした。
「似合ってない?」
「なんでジュリまでレインコート着てんのかって聞いてんの」
「こっから近いんでしょ? あたしもついていこうと思って」
「はあ? いいって、一人で行けるって行っただろ」
「あたしがミクロについていきたかっただけ」
意味わかんねえし、とミクロはこぼしたが、あたしを置いて行くことはなかった。了承してくれたんだと思う。二人で並んで歩きながら、話を続けた。
「もうちょっとニィナに優しくしたら?」
「……なんだよ、叱りに来たのかよ」
「や、だって、好きな子に嫌われたらミクロも悲しくない?」
「すっ!?」
ミクロはその髪の色のように、顔を真っ赤にさせた。人間って、こんなすぐに顔を赤くできるものなんだ。それぐらい血が上ったんだな、と思うとちょっとかわいくて、あたしはにやりと笑った。
「ニィナがあたしやイチルに懐いてんのは、ミクロみたいに乱暴な言葉を向けたりしないからよ。照れくさくなってつい言っちゃうのはわかるけど、素直になったらいいのに」
「べ、別に、ニィナのことなんて好きじゃねえし!」
「はいはい」




