第7話 絶対の約束(4)
ヨハクの姿は見えなくなったが、ダイマオウイカの足がうねうねと動きながら海水へと浸っていく。
海中ではきっと戦闘がおこなわれているのだろう。
「……ちなみに、あの潜水スーツ、どうやって作ってるんですか? うちでも作れたら嬉しいんですけど」
こっそりゴロー補佐に耳打ちすると、苦笑が返ってくる。
「トウキョウの潜水スーツは、チルドレンの頭髪や血液を素材として練りこんでいるんですよ。そのため、量産できませんし、作れたとしてもキッズサイズのみです」
そもそもがチルドレンありきなので、オオサカでの実現は不可能。
やっぱすごい子供たちなんだな。言ってしまえば体の一部を素材にしているのだ、その素となるあの子たち自身だって、おそらくこの海の中で自由に行動できるのだろう。ヨハクもさっき「痛い」と言うだけで、「死ぬ」とは言わなかった。痛みを我慢すれば、生身でも海に飛びこめる。
——でも、やっぱり痛いんだ。
どんなに驚異的で、人間離れしていても、あの子たちだって人間なんだから、痛いものは痛い。
あたしはグローブを嵌めた手をぎゅっと握りしめる。
そのとき、ざばん、と大きく波飛沫が上がった。そこには、太長い触腕とダイマオウイカのものらしき頭部の一部が見えた。
想像を絶する大きさに、本気で血の気が引く。
海獣や怪獣と思われたっておかしくはない。
気持ちが悪くて鳥肌が立った。
ざぷん、とまた一つ大きく波が立つ。海中に沈んでいたダイマオウイカの触腕の一本が、海面から持ちあげられた。よく見ると、その触腕にはトライデントを突き刺すヨハクがいる。ダイマオウイカはヨハクを引き離そうとぶんぶん触腕を振り回すが、ヨハクの握るトライデントは突き刺さったままだ。
観念したダイマオウイカは暴れるのをやめた。代わりに、ヨハクの捕まる触腕を徐々に足の付け根——口元へと持ってくる。
食べる気だ。
「ヨハク、逃げて!」
あたしがそう叫んでも、きっとここからじゃ声は聞こえない。
ヨハクは触腕にぶら下がったまま、されるがままになっている。
いよいよ目と鼻の先というところにまで近づいたとき、ヨハクは身を翻す。触腕に足をかけ、踏みしめるようにして、突き刺さっていたトライデントを引っこ抜いた。
一瞬でかまえなおしたかと思ったまさにその瞬間、ヨハクはトライデントでダイマオウイカの目の間を刺した。
鰭から足の付け根までが真っ白になる。目に見えて、ダイマオウイカの動きがおかしくなった。弛緩するように脱力。完全に動きを止めて、そのまま海に沈んでいった。
「ヨハクが仕留めました!」
「よし!」
ゴロー補佐たちは歓喜を滲ませる。コンテナの裏から飛びだして、嬉しそうに飛び跳ねていた。
あたしはヨハクの姿を探した。ダイマオウイカの死骸につられてヨハクも沈んでいったのだ。海面へと走り、覗きこもうとして——ばしゃっと波が立った。
「どわーっ!」
強酸性の飛沫が我が身に降りかかろうとし、あわや溶けるというところで、あたしは後ずさって回避した。
本当に心臓に悪い。あたしは胸を撫でおろしながら息を整える。
海面から上がってきたのは、ダイマオウイカを見事に仕留めたヨハクだった。
「できたよ、ジュリ!」潜水ヘルメットを外したヨハクは、声を上擦らせて言った。「図鑑で読んだとおり! イカは目と目の間に脳の中枢があるんだって! そこを刺せばすぐに仕留められると思ったんだ! ダイマオウイカの体の色が変わるところ、ジュリも見た!?」
ぼたぼたとヨハクの体から滴る海水が、地面を溶かして水玉の跡を作っていく。あたしもはじめは「見てたよ」「すごいじゃん」と言っていたが、テンションの上がったヨハクがわちゃわちゃと走り回り、足を滑らせたのを見て、再び「どわーっ!」と叫んだ。
反射でグローブを向ける。
篭手から噴出したリボンが、ヨハクの濡れた体に巻きついた。
頼りないリボンはヨハクに巻きついたそばから海水に溶けていったものの、溶けきるよりも先に、その体を引っ張ることができた。
ヨハクは踏鞴を踏んでしゃがみこむ。あたしも、ヨハクを引っ張った拍子に尻餅をついた。今日は心臓に悪いことだらけだ。
「こんな水辺でヘルメットもなしにはしゃぐんじゃないわよ! 海に落ちてその頭が溶けちゃったらどうすんの!」
「くくっ、あははは、ジュリ、糸をリボンにしたんだ?」
「はあっ? したけどそれがなに!」
「わざわざリボンに変えたのも、こうして助けてくれたのも、僕のことが心配だから?」
それは、いつものヨハクの捻くれた聞きかたではなかった。
ただ純粋にあたしに尋ねている。
あたしが「そりゃそうよ」と言うと、「僕に発破かけたのも?」と重ねてきた。
「どうせ子供らしくないとか、かわいくないとか思うんだろうけど、僕だってさすがに、ジュリが意図してああ言ったんだろうなってことくらいわかってるよ。まあ、なんで臨時の世話係にそんなこと言われなきゃいけないの、とは思ったけど」
「臨時の世話係だからあんなこと言ったんじゃないわ」あたしは立てた膝に肘をつく。「あのままのヨハクを見過ごせなくて言ったのよ。あたしがオオサカの首長補佐でも、通りすがりの大人でも、同じことを言ったと思うわ」
ヨハクの、ちょっとすましているところ、実は強がりなだけなところ、本で読んだことを実践してみたいところ、それらはいたいけでいじらしくもあるが……だめなところはだめだと教えなくちゃいけないって、あたしは考えている。人として。
そんなふうに答えると、ヨハクは再び「ジュリ、」と口を開いた。
「僕がまた怪我したら、心配してくれる?」
まるで怪我しようとしているみたいに聞こえて、あたしは睥睨した。
「縁起でもないこと言わないでよ。もう怪我なんてさせない」
強い語気でそう告げたのに、ヨハクはことさら嬉しそうにした。ぴょんと跳ねるように立ち上がって、その場を去っていく。
こいつ、本当にわかってるんだろうな。わかってるんだろう。なにせ彼らは理解が速く、聡いので。
それなのに、彼らは、心配されることにあまりにも慣れていないから、当たり前のあたしの不安をこんなにも喜んでしまうから、だから、あたしはもっと心配になってしまうのだ。
「ジュリ! 早く帰ろう!」
「はいはい」
あたしも立ちあがって、ヨハクの後に続く。
こうして、ダイマオウイカの討伐は、ヨハクのちょっとした成長と共に、幕を閉じたのだった。
「え? ダイマオウイカ? 楽勝だったよ? 僕はたったの一撃で仕留められたしね。ていうか、逆に、あんな雑魚を倒せないやつとかいるの? 泳げないレーヨンくらいしか許されないでしょ」
「おいなんも成長してへんやんか」
五人の部屋の扉に凭れかかっていたあたしはツッコんだ。
夜、寝る間際のベッドの上でねだられたヨハクが、みんなに今日のことを自慢げに話しているところだった。その語り口調にヨハクの悪いところが全部出ていたので、あたしは呆れてしまう。
ヨハクの態度にキレるだろうと思っていたミクロは、意外にも悔しそうにしているだけだった。いや、だけではない。どうやってダイマオウイカを倒したのか、熱心に耳を傾けている。
耳を傾けているという点ではイチルも同じだったが、彼が手放しに「すごいよ、ヨハク、さすがだ」と褒めるのを、ヨハクはくすぐったそうにしている。それを眺めるイチルもどこか嬉しそうだ。自信に満ちたヨハクの様子に満足しているのかもしれない。
「僕、いろんな本読んでるから、ダイマオウイカの弱点も知ってたんだ」
「目と目の間ね……そういえば、一回目にニィナが倒したときも、そのあたりにトライデントを刺してた気がする」
「でも、統計数は少ないし、本に書いてあるのも昔の知識だし、本当は、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだよ? 自信なかったけど、でも、」ヨハクは恥ずかしそうに俯く。「ジュリが……できるって言ってくれたし」
そう言ったヨハクに、イチルは少しだけ目を瞠って、しかし、それは一瞬でいつもどおりの表情に変わる。ヨハクの頭を撫でながら「そっか」と微笑んだ。
ヨハクは「やめてよ」とイチルの手を恥じらい、視線を逸らす。逸らした先にあたしを見つけて、ヨハクは「そういえば、」と声をかける。
「ニィナは? せっかく僕の武勇伝を聞かせてやろうと思ったのに」
「自分より一足先にダイマオウイカを倒した相手に、よくそういうこと言えるわよね。お花を摘みに行ったのよ」
「そういえば、なんでお手洗いのことをお花を摘みに行くっていうんだろうね? トイレのことをお手洗いっていうのは、そりゃ、手も洗うし、なんとなくわかるけど」
あたしが「話飛んだな~~」とコメントすると、背後から「呼んだ?」と声をかけられる。あたしは肩をびくつかせた。振り返るとニィナがいて、そのまんまるい目であたしを見上げていた。廊下の灯りに照らされて、揺らめく髪の輪郭がちりちりと輝く。
驚いたあたしが「いつの間に」と問うと、ニィナは「ヨハクに呼ばれたのが聞こえて」と答えた。
「にしたって全然足音が……って、ニィナ、裸足じゃない」
いつかの日みたく、夜の冷たい空気に晒された小さな足を見て、あたしは眉を顰める。
ベッドの上で語らう彼らの足は、あたしの贈ったルームシューズにより温められている。てっきりニィナもそうだと思っていたのに。
「ルームシューズはどうしたの?」
あげたときはあんなに喜んでいたのに。
あたしが尋ねると、ニィナは片足の上にもう片足を乗せて、「ううううう」と唸りながら体を揺らす。
「ニィナのルームシューズは、ベッドの下の、宝物箱に入れてるの」
「なんで履かないの? 寒いでしょ?」
「せっかくくれたのに、かわいいのに、汚れるのがやなんだもん」
「はあ?」
あたしはさらに眉間に皺を寄せるも、ニィナは「歩いてたら、毛糸がほつれちゃったし」とぶつぶつ言葉を重ねるだけだった。
素人の作ったルームシューズなんてそんなものでしょう。ルームシューズじゃなくって、元々は靴下の失敗作だし。特にニィナのものは最初に作ったから、他の子たちのよりも手慣れてなくて、疎かになってしまった部分もあったはずだ。
「でも、大事にしまっておくんじゃあ、作った意味がないんだけど」
「だってぇ」
「せっかくニィナのために作ったのに」
「でも、やなの!」
ニィナは愚図る。なんだかむきになっているようにも見えて、あたしは内心で戸惑っていた。
ニィナは五人の中では特に甘えたがりなところはあるが、駄々をこねるようなタイプではない。それがこの様子だ。ルームシューズなんて大したことのないもののために。
あたしは呆れ気味に口を開く。
「そんなもったいぶらなくたって、それくらいあたしが、」
また作ってあげるから——そう続けようとして、言えなくなった。
本当に作ってあげられるだろうかと、逡巡した。
あたしはあくまで臨時の世話係だから。
いつまでもここにいるわけじゃないから。
ニィナもそれ知っていた。ヨハクが理解しているように、この子だって理解しているのだ。
宝物箱にしまいこむくらいお気に入りのルームシューズは、ほどけてしまえばどうすることもできないのだと、理解している。
あたしは、言おうとした言葉を、喉の向こうへ押しこんだ。
おもむろにしゃがみこみ、一途にこちらを見上げるニィナの頭を撫でる。よく梳いた毛皮みたいに、ふかふかでつやつやだ。その感触を確かめるように、あたしはゆっくりと撫でつづける。
そして、押しこんだ言葉の代わりに、もっと別の言葉を吐いた。
「……あたしが、教えてあげるわよ」
ニィナは緩やかに目を瞬かせる。
その無垢な姿にあたしは微笑んで、言葉を続けた。
「編み物のやりかた、教えてあげる。汚れたって、糸がほどけたって、自分で作ればいいのよ。そしたら、ニィナの好きなように、あたしのよりももっとかわいいルームシューズだって作れるわよ」
「……本当?」
「うん」
「ニィナに教えてくれるの?」
「明日にでも教えてあげる」
「絶対だよ。ニィナ、明日が来るのを楽しみにしてるからね。絶対だからね、ジュリー」
「うん。おやすみ。また明日」
「また明日」
そう約束したあと、ニィナは部屋に戻っていった。
その背中を見送りながら、どうしようもなくもどかしくて立ちつくす。あたしは思いを馳せる。
痛いことも、寒いことも、寂しいことにもまだ慣れない、心のうちだけで持て余してしまう、不器用な彼ら。
あたしは、ここを去るまでに、このなにも知らない子供たちに、どれだけのことを、どんなことを教えてあげられるだろう。




