第6話 絶対の約束(3)
余計なことは言わずに、見守ることにしたんじゃなかったのかよ。
その日の夜、あたしは「やらかしたか?」と自問自答していた。ちょっと感情に任せて口を滑らせてしまったところはある。つい口が出てしまった。手が出なかっただけましかもしれない。
あたしは御所の二階の廊下を歩いていた。
トカゲに頼んでいた物を受け取りに、先刻まで外に出ていたのだ。河豚にプロペラをくっつけたみたいな機体が、オオサカからばびゅんと飛んできたらしく、使いの者があたしに荷物だと言って預けて帰ったと聞いた。その荷物をゴロー補佐から受け取ったのがついさっき。
部屋に戻る道すがら開封すると、大量の毛糸やらリボンやらが出てきた。どれもこれもカラフルであどけなく、一見すると、手芸でもすんのか、って感じだ。暗器道具に使うやつだから、もっと落ち着いた色がいいんだけどなあ。
左腕で箱を抱えて、右手で物色する。
すると、なにやら騒がしい声が聞こえた。御所の二階の廊下には、常夜灯として、蝋燭の火がいくつも灯してある。それを辿るように歩いていけばあたしの部屋だ。その途中に、あの五人が共に寝起きする部屋もあるのだが、声はそこから聞こえてくる。
時刻は十一時半。子供はもう寝る時間のはずだ。あたしはコンコンと扉をノックする。すると、中から聞こえてきた声がぴたりとやみ、しばらくしてから扉が開いた。
「なんだよ、ジュリ」
出てきたのは、トランプを持った寝間着姿のミクロだ。
部屋の奥は真っ暗だったが、蝋燭の火に反射した眼が、四人分浮かびあがる。
普通におっかなくてあたしはぎょっとした。
「明かりもなしになにやってんのよ」
「俺たちは夜目も利くからいらねえの。ジュリこそなんの用だよ」
「こんな夜中に声が聞こえたから、まだ起きてるのかと思って」
「遊んでないでさっさと寝ろって?」
「まだなんにも言ってないでしょうが。夜中なのに楽しそうにしてるなあって覗いただけで、寝かしつける気はないわよ」
ていうか、やっぱり遊んでたんだ。
楽しげな声の中にはヨハクのも混ざっていた。あれだけ口さがなく罵られたのに、意味不明だ。ミクロとヨハクはすぐ喧嘩するくせに、次の瞬間にはけろっとして一緒に遊んでいる。仲がいいのか悪いのかよくわからん。
「臨時でも世話係なんだから、夜ふかしを叱るべきなんじゃねえの?」
「叱られたいの?」あたしは苦笑する。「でも、夜ふかしして遊ぶのって楽しいじゃない。あたし絶対テンション上がっちゃう。ちなみにみんなはなにやってるの?」
「ババ抜き。そこまで言うんならジュリも混ざる?」
「まだそこまで言ってないのよ」あたしは抱えていた荷物を見せるように揺らした。「楽しそうだけど、遠慮しとくね。作業しなくちゃいけないの。明日のために、糸を別の素材に変えようと思って」
すると、気になったのか、ニィナが「えっ、見せて」と言って、部屋の奥から近づいてきた。あたしの抱える箱の中を覗きこんで「うわあ、かわいい」と呟く。
女の子の目には、こういう雑貨は魅力的に映るのだろう。まん丸い瞳がさらにまん丸くなっている。ニィナが「もっと見ていい?」と言い、あたしも中に入ることにした。
気を利かせたイチルが、廊下からいくつか蝋燭を持ってきてくれたので、部屋の様子をじっくり見ることができた。初日に顔を合わせたときにも見た部屋だ。二人掛けのテーブルに大きなソファー、クローゼットの中にはテレビ。五人の寝起きする部屋でもあるため、奥には五つの小さなベッドが並べられている。その足元はこの子たちの物でしっちゃかめっちゃかだ。
五人は、一つのベッドの上に集まっていたようだ。レーヨンはずっとベッドに座りこんだまま、こちらを見ている。弾みをつけたニィナがぼふんとベッドに舞い戻った。ミクロとヨハクは地べたに座り、ベッドの縁へ腕を乗せる。ヨハクはあたしを見て、居心地悪そうにしていた。蝋燭を部屋のあちこちへと置いたイチルが少し遅れて戻ってくる。あたしもベッドの上に腰かけさせてもらう。
ニィナは箱の中のものに目をきらきらとさせて「すごい」とこぼしていた。
「この毛糸の色かわいいね、玉虫蜚蠊みたい」
「嫌な比喩」
「明日の準備って、ジュリもダイマオウイカと闘うのか?」
「うーん、正直、ジュリちゃんが対峙するのは無理があると思うよ」
「万が一のためよ。それに、このあいだの鬼ごっこで、ヨハクに怪我させちゃったからさ。毛糸とかリボンなら安全かなって、糸と交換しようと思ってたのよ」
あたしの言葉に、ヨハクが拗ねたような顔をした。すっごく嫌そうだ。実際に「やだよ、本当に捕まっちゃうじゃん」とこぼしていた。
「あんたらの運動神経と体力すごすぎて、あたしがこれ使ったところで、普通に逃げられるのがオチよ。それに、ゲームなんだから、勝ったり負けたりして当然でしょ。むしろたまにはそっちが負けてくんないと、あたしが可哀想じゃない?」
「……わかった。いいよ。たしかに、可哀想なジュリのために、僕が譲って、負けてあげるべきだよね。本で読んだよ。これがノブレス・オブリージュの精神ってやつなんでしょ?」
「あんた、そういうところやで」
言いだしっぺはあたしだが、ここまで手の平を反されると癪に障るな……普通に性格が悪い。でも、あたしに委縮するだけじゃなくて、ちゃんと言い返せるようなメンタルになったようで、そこはよかったと思った。もうあたしが怒ってないのを、図太く察している。
あたしだって別にヨハクが憎いわけじゃない。あのときはついカッとなってしまったが、ヨハクがミクロを傷つけたことに、あたしも傷ついたのだと思う。二人で一人みたいなところのある二人だから。
それに、いつか本当に嫌われることもあるんじゃと、ちょっとだけ不安になった。当の本人たちはけろっとトランプなんてしていたわけだが。
「……てかさ」あたしは話を変える。「みんな、だいぶ薄着じゃない?」
半袖半ズボンの寝間着で、おまけに五人とも素足だった。唯一イチルだけは上からジャケットを羽織った格好でいたが、それでもじゅうぶん薄着だ。見ているだけで手足が冷たくなる。
「寒くないの?」
夜はとにかく冷える。ただでさえ届きにくい太陽が、完全に姿を消してしまうから。汚染物質に太陽光を遮られ、日中に熱を溜めることもできなかった地上は、月光すら届かない、闇の中の冷蔵庫みたいなものだ。地域差は関係ない。トカゲなんて靴下を履いて寝る。
まあ、子供体温って言葉もあるくらいだし、五人はあのチルドレンなのだから、これしきの寒さなんてへっちゃらなのかもしれない。
「寒いよ?」
寒いんかい。
あたしは「じゃあ、なんでそんな薄着なのよ」と顔を顰める。
「ストーブは点けらんねえし、しょうがねえだろ」
「寝るときは毛布にくるまってるし大丈夫」
「防寒めんどくさい」
いくら丈夫だからって、怪我もするなら風邪だって引く。爆心期前ならいざ知らず、医療さえ衰退した現代において、病はまさに命取りだ。それも、どうせすぐに治るから、と蔑ろにするのだろうか。
あたしはため息をつく。
足元に鉛筆が二本転がっているのを見つけたので、それを拾いあげる。編み棒にしては歪だが、無理ではないだろう。ニィナの瞳の色よりも薄い色の毛糸玉を掴み取り、その糸をほどいていく。輪を作り、それを鉛筆に引っかけ、編み始めた。
「なにしてんの」
「靴下編んでる」
編み物なんて久しぶりにやったが、意外と覚えているものだ。手が勝手に動く。模様をつけるとなると厳しいが、簡単なものならあしらえることができた。
はじめは五人ともあたしの様子が気になったのか作業を眺めていたが、ミクロ、イチル、ヨハクの順番で飽きていったらしく、トランプへと戻っていった。
ニィナとレーヨンは気が長いようで、一向に飽きる気配がない。ニィナは俯せの体勢で頬杖をつき、食い入るように作業を見ている。
それなりの時間が経過し、あたしが「できた」とこぼすと、他の三人も再びこちらへ視線を遣った。
「……靴下じゃなかったっけ?」
「失敗した。靴下っぽいルームシューズ」あたしはそれをニィナに渡す。「まだ片っぽだけだけどあげる。もう片っぽはいまから作るから」
ニィナはあたしの作ったルームシューズを両手で受け取とると、蕩けるような声で「かわいい」とこぼした。
「すごい……ジュリーが作ったの?」
「目の前で作ったやん」
「かわいい、リボンついてる」早速、左足に履く。「イチル、似合う?」
「うん、似合ってるよ」
「えへへへへ」
「なに調子乗ってんだよお前」
「はいはい、妬むな。全員分作るわよ」
あたしがそう言うと、ミクロは「妬んでねえ」と反論したが、イチルは「全員って五人みんな?」と驚いた。あたしは「うん」と頷く。
「なんで?」
「履いたほうがあったかくない?」
「あたたかいけど……」
「やだよ、そんなの、だっせー。リボンなんて趣味じゃねえし」
「それはニィナ用。かわいいから、ニィナに似合うと思って」
「えっ」ニィナは嬉しそうにした。「ニィナかわいい!?」
厳密には、かわいいと言ったのはリボンになのだが、嬉しそうにしているニィナはかわいらしかったので、あたしは「かわいいよ」と告げた。すると、さらにニィナは頬を緩める。
ミクロは「調子に乗んなブス」と言った。
イチルは「こら」とミクロを叱った。
「寒くないって言うなら、無理して受け取る必要ないわ。でも、寒いのに無理する必要もないでしょ。ぶっちゃけ、昔ちょっと作っただけで、大したものは作れないけど、夜ふかしのお供にはちょうどいいと思うわよ」あたしは四人を見遣って尋ねる。「いる? いらない?」
だんまりを決めこむなか、レーヨンは間髪入れずに「どっちでもいい」と答えた。痩せ我慢でも突っ撥ねるでもない、どこか淡々とした声。とりあえず嫌がってはいないことはわかったので、あたしは強めに「じゃあ、受け取れ」と推した。応答も早かった。レーヨンにつられて、残りの三人も頷く。
結局、その夜、五人分のルームシューズを作るために、あたしまで夜ふかしすることになったのだった。
夜ふかしどころか徹夜である。普段はさして眩しくもない朝日に目が抉られたくらいだ。意識ははっきりしているのに、頭はぼうっとする。こんな状態でダイマオウイカと対峙するのかと憂鬱だ。
あたしとヨハクは、ゴロー補佐や武装した役人と共に、四輪駆動のオフロード車に乗って、トウキョウ湾まで来ていた。
はじめて訪れるトウキョウ湾だったが、爆心期以後、復興が遅れているのが見てとれた。ゲートブリッジ、通称の恐竜橋は、陥落したまま放置されている。孤立した埋立地もそのままにされているところが多く、舗装が割れて滅茶苦茶だった。
到着したのは、元は港だったという埠頭。真っ平でだだっ広くて、錆びたり熔けたりしているコンテナが無造作に散らばっているものの、閑散とした印象を受ける。当時は栄えていたであろう影も見えるけれど、所詮、影は影だ。停泊した船はどろりと傾いていた。
それもこれも、この海のせいである。
鉄や人を簡単に熔かす強酸性の海。
滓玻璃金で補強するまでは埋め立てた土地すらも崩れるほどだったという。爆心期の一時は放射性物質にも脅かされていたらしく、一日沿岸にいただけで死に至ったそうだ。
だが、汚染されたとて海は広く、時が経てば薄まる。いまでも滅多に人は寄りつかないが、死の漂う印象はさほどない。むしろ、新たな生態系を育んでいる。
オオサカの内海もそうだが、トウキョウの海も鮮やかな黄緑色をしている。生息する藻類が海水を染めあげるためだ。昔は空の色を映す青だったらしいが、たとえいま空を映したとしても、鈍色になるだけなのだろう。
「この海の中でも平気なんて、本当にチルドレンってすごいわね」
「平気なわけないじゃん。普通に痛いよ」
ヨハクの言葉に唖然とするあたし。
え? あんたら平気とちゃうの?
そこへ続けざまにヨハクは言う。
「潜水用のスーツがあるんだよ。それを着て海に潜るの」
一人、車に戻ったヨハクは、その潜水スーツとやらに着替えた。酸をも恐れぬスーツというのだからどれだけ頑丈で武骨なのかと思ったら、体にぴったりと密着するような、伸縮性に富んだ、身軽なスーツだった。
びっくりした。ずいぶんと軽量な潜水スーツである。オオサカでは、海に潜るときは滓玻璃金の鎧を着る。重いために自由に身動きは取れず、本当に潜るためだけのスーツである。しかし、ヨハクの着るそれなら、海の中でも自由に泳げそうだった。
ヨハクが滓玻璃金製のトライデントをかまえる。対ダイマオウイカ用に支給されたものだ。海水にも溶けない滓玻璃金は、海岸沿いの補強や武器として使用される。透き通った銅のように光沢する、大きな三叉槍だった。
ミクロはあたしへと振り返り、躊躇いがちに口を開く。
「……本当にできるかわかんないから」
「まだ言うか」
「どうせジュリは僕に痛い目見せたくて連れてきたんだろうけど」
「んなわけ。昨日のでじゅうぶん身に沁みたでしょ。あたしだってあんたを痛めつけたいわけじゃないわよ」
「だったら、ここまでする必要あった?」
「そこまで言うならやってみろよ、って思ったのはたしかだけど、それとこれとは別」あたしはため息まじりに告げる。「ぶっちゃけ、あんたの言うことをあんま信じてないのよ。あんたって、本当はできることでも、保険をかけてできないって言うときあるじゃない」
「…………」
「あたしはイチルみたいに甘やかさないわよ。あんたができること、知ってるから」
ヨハクは薄っすらと目を見開かせる。
そのとき、「来ました!」と声が上がた。
海面が揺らぐ。大波が立つ。優れた嗅覚を持つというダイマオウイカは、陸の上の獲物の香りすらも嗅ぎとるのかもしれない。ゆらゆらと大きな影が見えたかと思えば、その触腕を大胆に覗かせた。
全貌が見えないとはいえ、その不気味な様子にぞっとする。
「ジュリさん! あとはヨハクに任せてこちらへ!」
あたしを呼ぶゴロー補佐は、あちこちに散らばったコンテナの裏に隠れ、待機している。あたしもそれに倣い、海水のそばから下がろうとして、あたしはヨハクへ言った。
「怪我には気をつけて!」
あたしの声が届いたかはわからない。言い切らないうちに、潜水ヘルメットを被ったヨハクが、海へと飛びこんだ。




