第5話 絶対の約束(2)
遊び疲れた夕刻。
あのあともヨハクは猿山へと引き換えし、みんなと一緒に鬼ごっこに興じていた。あたしも途中まではそれに加わっていたが、ついには体力の限界を向かえ、「ごめん、先に帰る」と言って、彼らから離れることにした。
御所に戻ったあたしは、与えられた自室までの廊下を歩きながら、ジャケットを脱ぐ。
もうすっかり汗だくだ。服も手足も汚れている。本当なら風呂にでも入りたいところだが、トウキョウはオオサカと違って、水がない。
否、水がないというより、設備が整っていない。トウキョウの生活水は地下水から供給しているらしく、地下水の引き上げと濾過のための稼働エネルギーも、チルドレンが賄っている。しかし、稼働のためのエネルギー量は相当のもので、彼らが一日遊び回ったとて足りないのだ。
トウキョウにとって、水は無駄遣いできない資源である。飲料水を確保するため、風呂や洗濯は一週間に一回しか許されていない。
水瓶のおかげで潤っていたオオサカとは雲泥の差だ。正直、かなりきつい。精神的にもそうだが、心なしか体も重い。いや、重いのは筋肉痛が原因かも。自覚するとさらに気怠く感じてきたので、あたしの歩幅はとぼとぼと情けのないものになる。
すると、正面から、ゴロー補佐が歩いてきた。彼はあたしを見つけるなり、「お疲れさまです」と声をかけた。
「お疲れさまです、ゴロー補佐」
「この時間まで外に出られていたんですね。鬼ごっこですか?」
「ええ、まあ」
疲れが出ていたためか、あたしの笑みは苦笑となった。それを見たゴロー補佐は、もう一度「お疲れさまです」とあたしを労った。
「ここに来て三日目ですが慣れましたか?」
「だいぶ。はじめは、ガスマスクなしで歩くひとたちを見て、怖いなあ、って思いましたけど。ただ、部屋の造りには慣れませんね。ここは豪華だし、とても広いですから」
「ははは。きっとじきに慣れますよ。子供たちも、すっかり貴女には慣れたようですし」
慣れというか、ナメているというか。もともと大人には動じない性格のようだし、あたしにビビる子たちでもないだろうが、世話係として共にすごすようになってからは、さらに。
まず、あたしを呼び捨てにする。最初、イチルに「ジュリちゃん」と呼ばれたときなどは、一回りも歳の離れた男の子にちゃんづけで呼ばれる居心地の悪さに慄いたものだが、ニィナは「ジュリー」と、ミクロとヨハクは「ジュリ」とそれぞれ呼ぶので、馴れ馴れしさでならイチルはよっぽどましだったんだろうな、と思った。ちなみにレーヨンがあたしをどう呼んでいるかは知らない、呼ばれたことがないので。
また、あたしの怒声に効果がないことも悟った。イガラシ首長やゴロー補佐の期待を裏切る結果となって申し訳ないが、あたしが一番手を焼いている。なにせ、あたしの言うことなど聞きやしない。
なんと昨日、あたしはあの子たちに落とし穴を仕掛けられた。主犯はミクロで、共犯はヨハクだ。まじでとんでもない双子である。わけもわからぬまま穴に落ちてたあたしは、目を白黒させながら、地上でけたけたと笑う二人を見上げた。
幸い、あたしに怪我はなかった。幸いというか、落とし穴には、大量の木の葉と綿、折り鶴で作られたクッションが敷き詰められていたのだ。綿は御所にあったソファーなどの家具から抜き取ったらしい。折り鶴にはクレヨンで「これからよろしくね、ジュリー」と書かれていた。いま思えばニィナも共犯だった。
「は!? なにしてくれとんねんボケェ!!」
あたしは怒りのままにそんなことを吐いた。反射での言葉だったので、一切の躊躇も理性もなかった。しかし、笑っていた二人の声がぴたりとやんだので、〝あっ、しもた。こいつら泣く〟と我に返った。
だが、わなわなと震えたヨハクが、
「なんて粗悪で貧弱な語彙によって構成された発言……知性のある生き物とは思えない、ごろつきだってもっと品があるのに……ヒトの形をした畜生なんじゃないの?」
などと宣ったので、あたしは「くぉんのクソガキァ」と穴から這いあがり、二人を追い回したのだった。もちろん、あんな脚力に追いつくわけもなく、捕まえることは叶わなかったが。
「……驚異的な子たちですね」
あたしの口からは、しみじみとした感想がこぼれ落ちていた。それを聞き取ったゴロー補佐は、「そうですよね」と頷いた。
「驚くべき身体能力でしょう? その理由は、彼らの脳波に起因します。特異な電気信号によって、身体をコントロールしているんですよ。運動神経がいいというよりは、元々の神経が違うのです。加えて、丈夫な身体。大抵の怪我は自然治癒で完治します。そのスピードも我々とは段違いです」
それについては今日、確認できた。
生活を共にしていると、あまりに人間離れした彼らにびっくりすることが多いが、あの回復力にはいっとう目を瞠った。
道理で、あたしが慌てふためいていたのを、あんなふうに驚いていたはずだ。彼らからしてみたら、大の大人が見当違いのことで取り乱して、おとなげないなんて思ったかも。
「そういえば、ゴロー補佐はどうしてここに?」
「あっ、そうでした。ジュリさんにお伝えしようと思って……頼まれていたまぐれの電話機が見つかったんですよ」
思わぬ朗報に「助かります」とあたしは頬を緩める。
五十年前までは世界に普及していた電話という連絡手段は、現在では壊滅している。壊れて滅んでしまった。理由は単純、電話環境を整備するためのシステムも人間も環境も、きれいさっぱりなくなってしまったからだ。
それを再現する技術はいまのあたしたちにはなく、だからこそ、トカゲは首長会議において、防災行政無線の発掘を提案した。生き残った機器を見つけだし、再利用を目論んだのだ。
整備するシステムも、人間も、環境が壊れても、たまに、まれに、運がよく、いまもなお通信の可能な機器は存在していた。
まぐれで繋がっている電話。
まぐれの電話機。
あたしはトウキョウには疎いので、このあたりにまぐれの電話機はないかと、ゴロー補佐に頼んでいたのだ。教えてもらったのは、国会議事堂や警視庁本部跡からも離れた公衆電話。
夜も近い時間に、丸腰の女一人がトウキョウの街をうろうろするものではないが、あたしは丸腰ではないので問題ない。
あたしは手に嵌めたグローブを一瞥する。
糸は使わないとあの子たちに言ったが、暗器道具として携帯している以上、その時が来れば絶対に使用するものだ。加えて、世話係としてのあたしは、どう足掻いてもあの子たちと行動を共にすることが多い。その時があの子たちのそばにいるタイミングである可能性は絶対にある。
せめて、あの子たちが怪我をしないよう、手を打たなければ。
歩いていると、目的の公衆電話を見つける。割れたガラス壁で覆われた、個室のようなボックス。黄ばんだ緑の電話機がレトロだった。
あたしはボタンを押して、応答を待った。
電話の相手は、トカゲだ。
『——おう、久しぶりやな、ジュリ。元気にしてる? 肋骨の一本や二本は折れてない?』
「あたしはどんな抗争地帯にいるのよ」
そうツッコむと、トカゲは『これ、これ、これが欲しかった!』としみじみ言った。聞くと、あたしの代理である補佐が、あまりに従順でボケ甲斐がないのだと。神妙な声音で「あれはボケ殺しやで、俺は毎日あれに殺されてる」と語るトカゲに、殺されてんのに元気そうやなこいつ、とあたしは思った。
『まあ、オオサカのほうは心配しなくていい。なんとかやってる』
「引き継ぎも全然できなかったのに、みんながんばってくれてるのね」
『ジュリのほうはどう? クソガキちゃんたちのお世話は?』
「あんたの世話に比べたらねえ」
『俺、時代の寵児どころか、神の寵児超えちゃった?』
「……と、言いたいところだけど、手を焼いてるわ」螺旋する電話のコードをくるくると指に巻きつける。「みんなして悪知恵がはたらくし、体力もすごいし、一人一人癖が強いしで、くったくた」
ここ三日で、五人それぞれの個性が見えてきた。
年嵩でリーダーシップのあるイチルは、みんなのお兄さん、って感じだ。ゴロー補佐の前評判どおり、かなり話が通じる。行儀の悪い四人を叱ることも、喧嘩を仲裁することもある。十三歳くらいとのことだったが、それよりもずっとおとなびて見えた。
そんなイチルに懐いているのがニィナだ。五人の中でおそらく唯一の女の子というだけあって、イチルもなにかとかわいがっている。お絵描きやお人形遊びが好きで、だけど、外で遊ぶのももちろん好きで、かなりのおてんばだ。関節が柔軟なのだろう、軟体動物のようにウネウネと動く体は、たまに本気でぎょっとする。ちょっと空気の読めないところがあるため、わりと頻繁にミクロを怒らせている。
イチルがリーダーだとしたら、ミクロはガキ大将だ。いたずら好きで、言葉遣いが乱暴で、負けず嫌い。むきになるとすぐに怒る。ニィナを睨んだり、髪の毛を引っ張ったりと、いじめているところをよく見かける。双子の兄弟であるヨハクとも言い合いをする場面はあるが、舌戦ではヨハクに分があるらしい。
ヨハクもミクロと同じでいたずら好きだ。口が達者で、厭味ったらしく、こまっしゃくれた態度を取る。えらそうなのもミクロと一緒だが、ヨハクは妙なところで卑屈っぽいというか、ネガティブなところがある。鬼ごっこにおけるあたしへのハンデを嫌がるのもヨハクだけだ。ミクロとは別のベクトルで負けず嫌いだと思う。
第一印象では寡黙な印象のあったレーヨンだが、この数日で、思ったよりかは口数が多いとわかった。とはいえ、五人の中では一番しゃべらない。真面目に「うん」とか「すん」とかしか言わない。応答が短すぎて、声で男女を判別することもできない。ただし、尋ねたことにはきちんと答えてくれる。ニィナと一緒にいることが多く、よく彼女に手を引かれている。十二歳とのことらしいが、それぐらいの齢なら女の子と手を繋ぐのを恥ずかしがるものだろうに。ミクロはよく嫌ったらしい目でその様子を見ていた。
あたしの感想に、トカゲは『へえ』と頷く。
『意外とちゃんと見てんじゃん。えらいね、ママは』
「あたしがいつあの子たちの親になったのよ」
『にしても、すごいな、チルドレン。底なしの体力に、発電機とのコネクト。羨ましいね。これが神の悪戯か。しかも、怪我してもすぐ治るなんて……時代の寵児として、俺はどう張り合えばいいのか』
「まずその図に乗るところを直せば?」
『暴動を鎮圧したってのも納得だ。そもそも、チルドレンがそういった緊急任務を請け負うことはよくあるんだろ?』
首長会議の日での暴動鎮圧は、五人の気まぐれだと思っていたが。
イガラシ首長は、自分たちでは手に負えない仕事を、人類の希望であるチルドレンに託していた。突発的な暴動に始まり、各所で湧いた害虫の駆除、熱電発電など多岐に亘る。五人もそれを小遣い稼ぎのように、あるいは遊びのように、難なくこなしている。
「でも……見ていてはらはらすることはあるわよ」あたしは髪をがしがしと掻き乱す。「なまじ回復が早いだけに、多少の怪我でもけろっとしてるんだもの。見てるこっちが痛いわ」
『どれだけ優秀で有能っつったって、見てくれは子供だもんな』
「今日はあたしが怪我させちゃったし」
『えっ、ジュリ、いくらなんでも体罰は、』
「ちゃうわ。不慮の事故よ」
事故とはいえ、胸に刺さった。怪我をさせた原因はあたしにあるし。
怪我をしてもすぐ治るのと痛くないのは、まったくの別だ。コラーゲン層だか自癒因子だか知らないが、いくら身体が丈夫だからって、出血するくらい皮膚が裂ければ、当然、痛みは伴う。
いずれにしろ、いまの糸のままではまた怪我をさせてしまうだろうから、なにか別のものに変えるしかない。
幸い、あてはある。
七連に加盟しているヒョウゴは、巨大な薬座を抱えている。
薬座とは、活性化した山に生える植物の、栽培・利用をおこなう組織だ。七連の抱える山々は、滓玻璃金といった鉱物だけでなく、新種の茸や山菜など、多様な植物も自生している。それらは、食物や薬品としてはもちろん、繊維としても有用だ。あたしの糸にしても、紡いだのキョウトの技術師だが、原材料はヒョウゴの薬座から調達していた。
「……トカゲ。急で悪いんだけど、毛糸とかリボンとか、柔らかい素材のものを送ってくれる? なるはやで」
近日中に届ける、という心強い返事をもらえたので、あたしは「じゃあね」と言って受話器を下ろした。そのとき、割れたガラス扉の向こうから、背中を叩かれる。
「誰と電話?」
「うわっ」驚いたあたしは振り返った。「イチルか、びっくりした」
暗がりを帯びて深まった茶色い髪の毛が、夜さりの風にふわふわと靡いている。よく見ると、イチルの瞳はわずかに閃いていた。まるで先ほどまで発光していたかのように。
「ていうか、イチル、よくここに来れたわね」
「あはは、まぐれの電話なら、俺たちのほうがよく知ってるよ」
よく場所がわかったわね、という意味じゃなくて、こんなに暗くて遠いところまでよく一人で来れたわね、という意味だったのだが。
オオサカにいたあたしよりも、イチルのほうがトウキョウには詳しい。過剰な心配はかえって失礼かもしれないと、あたしは訂正しなかった。代わりに、「なんでここにいるの?」と尋ねる。
「ジュリちゃんが電話してるみたいだったから、気になったんだ。なんの話だったの?」
「大したことないわよ」あたしは扉を開けて、ボックスを出る。「あたしの上司……あ、元上司になるのかな? そいつと話してたのよ」
「なんの話?」
「なんの……」あたしはウーンと悩む。「なんの話だっけ」
元々、なにかあって連絡を取りたかったわけではない。定時の状況報告でもない。ここ最近のトカゲのこと、あたしのこと、それからちょっとした頼み事。それくらいの話しかしていなかった。
「なにそれ。子供には言えない話でもしてた?」
イチルは目を細めて笑った。
あたしも喉を鳴らして笑う。
「むしろ、子供になら言えるような、大人げない話かな。イチルもいつか遠くに知り合いができたら、電話してみようかしらって思うはずよ。そのときにわかるわ。別に大した理由なんてなくて、ただ相手の声が聞きたくて、もしくは自分の話を聞いてほしいっていう、それだけの話なんだってね」
帰路を辿りながらそう言うと、隣を歩くイチルが、あるかなきかの表情で、目を瞬かせる。ややあってから、「それってホームシック?」と尋ねてきたので、あたしは「近いかも」と答えた。
「大人になっても、人恋しさや寂しさを覚えるものなの?」
「人恋しさに大人も子供も関係ないんじゃないかしら」
「どうだろう。成長するからには、人は、未熟な部分を克服すべきだって、俺は思うけど」
あたしは素直に感服したので、「一理ある」と漏らす。
「イチルって、考えかたがしっかりしてるよね」
「え……そう?」
「うん。たしかに、成長するからには進化すべきよね……かっこいいこと言うわ」あたしは納得したのち、うーん、と考えてみる。「でも、寂しいって気持ちは、ただの不安であって、未熟だからってことにはならないんじゃないんじゃない?」
「不安になることがそもそも未熟なんじゃなく?」
「生きてて不安にもならないやつは、よっぽどの完璧超人でしょうよ。人間を超えた存在になんか、無理してならなくてもいいわ」
ていうか、これすらなんの話だ? トカゲと話しているときより、イチルと話しているときのほうが、小難しい話をしているような感覚に陥る。時代の寵児は神の寵児には敵わないか……次に話すときは相対性理論の話とか振ってみる? あたしもよく知らないけど。
「でも、不安そうな相手を見ているとこっちも不安になるっていうか、どうにかしてあげたいって思うものじゃない。たとえばだけど、ヨハクはちょっと消極的なところがあるから、見ていてはらはらする」
「ああ……イチル、いっつも気にかけてるもんね」
あたしは少し仰いで、今日のことを思い出した。
鬼ごっこ中の糸の件にしたって、あたしが使おうが使うまいが、正直、有利不利はさほど変わらないと思う。そりゃあ使ったほうがあたしの機動力は増すが、ヨハクたちのほうが体力も地の利もある。なのに、ヨハクは嫌がった。自分が負けると言い張った。
「ヨハクはよく頭が回るし、運動勘だってすごくいいのに、ゲーム中でもわりとすぐ、できないできないって言うわよね」
ヨハクのそういうところは、たまに、とても、目に余る。
もやもやしていた気持ちを捏ねくり回していると、隣からうんともすんとも聞こえなくなったので、ふとそちらを見遣れば、イチルはあたしをじっと見つめていた。
「どうしたの」
「いや、ジュリちゃん、本当によく見てるんだなって、びっくりして」
「いや、それあたしの台詞なんだけど」
たしかにイチルはしっかりしているが、ここまで周りが見えているなんて。ヨハクには、いくらイチルのが二歳年上だからって手を焼かせてんじゃないよ、と思う。
「ヨハクはやる前から弱音癖。イチルはすごく気遣い上手」
あたしがそう言うと、イチルは少しだけ俯いた。
照れたのかしらと伺うが、その表情はどこか不思議そうだった。
この子はたまにこういう表情をするときがある。それはきっと、相手が自分に関心を持ったときだ。どれだけ叱りつけても飄々としているくせに、相手の関心がこちらに向いているとき、心配されているとき、どうしてだろうという顔をする。
あたしがそれにもやもやしている間に、イチルは口を開いた。
「ヨハクには自信がないのかなって思うんだよね。いくら俺が、そんなことないよ、ヨハクならできるよ、って言っても、ずっとああだから。だから、なんとかして自信をつけてあげたいんだけど……」
イチルはそのように悩んでいたが、むしろヨハクは、イチルのそういう優しい言葉を欲しがっているのではないかと、あたしは感じていた。
どれだけ賢くても、知能が高くても、彼らはまだいたいけで、些細な関心でも欲しがるものだ。ヨハクの怪我にニィナが張り合ってきたのもそういうことだろう。でも。
「えらいじゃん」
「俺はみんなのお兄ちゃんだからね」
ちょっと誇らしげなイチルが微笑ましく、その心がけも立派だったので、あたしは余計なことは言わずに、見守ることにした。




