第4話 絶対の約束(1)
あたしがトウキョウへ出向し、チルドレンの臨時世話係になってから、早くも三日が経った。
彼らとの出会いこそ衝撃的だったものの、初日以降は、意外にも平穏にすごせている。穀倉を襲撃されるという事件をとんでもない方法で収めたりも、大人の仕事の邪魔をしたりもしない。よく食べて、よく遊んで、よく眠る彼らに付き添う、いかにも世話係らしい仕事で、あたしの一日は終わる。
ただし、そのよく遊ぶというのが、なかなかの重労働ではあった。
よく晴れた今日、あたしたちは鬼ごっこに興じていた。
「ぎゃーっ! イチルが鬼だ!」
「逃げろ!」
少し離れた木の上で、ニィナとミクロの悲鳴が上がる。本気の悲鳴ではなくて、もっと純粋な、きゃっきゃとした楽しそうな音色だ。
あたしはそれを聞きながら、碌に舗装もされていない獣道を駆けずり回り、息を切らしていた——絶対に捕まってはならないのだ。
今回は運よく初めのじゃんけんで鬼を逃れた。なんとしてでもこのまま逃げきる。鬼になった瞬間、あたしは詰む。
はじめて彼らから鬼ごっこに誘われたときは、童心を思い出してわくわくしたものだったが、いざ彼らに混じってみれば、これがとんだ無理芸であることを悟った。
まず、行動範囲の広さがえげつない。まさかの皇居敷地内全域で鬼ごっこをしやがるのだ。
チルドレンの住まいである御所の周りは、鬱蒼とした森林で溢れている。彼らが猿山と呼ぶ、その険しくも豊かな環境は、彼ら曰く、鬼ごっこに最適なのだとか。
あたしからしてみれば、あほんだら、といった感じだ。ドーム球場何十個分ものだだっ広い敷地を、びっちりと木が埋めつくしているのだ。足場も視界も悪い、この魔窟の森は、鬼になった人間のやる気を一気に削ぐ。
こんな規格外の広さで鬼ごっこが成立するのは、彼らがチルドレンである他にない。
「わっ、もうイチルあんなところまでいるよ!」
大きな木の太い枝に、両足を引っかけてぶら下がっていたニィナが、遠くを眺めながらそんなことを言った。
あたしも振り返ってみるが、イチルの姿なんて見えない。しかし、あたしたちよりもずっと先に逃げていたヨハクも「こわっ」と顔色を悪くする。
あたしの視力では捉えられずとも、彼らの目には見えているのだ。
ヨハクはその小さな体で、獣のように獰猛に、木から木へ、岩から岩へ、縦横無尽に飛び移っていた。それを追うのはミクロだ。二人は色違いの錆のように鮮やかな髪を靡かせ、凄まじいスピードで走り去っていった。ほんの数秒で、彼らの姿が完全に見えなくなる。
実に驚異的な身体能力だ。五人ともがこのスペックを持ち合わせているのだから、こんなでたらめな鬼ごっこも成立する。
でも、当然だが、あたしは無理だ。
もしも鬼になったとして、この敷地内で、彼らを見つけられる気も、捕まえられる気もしない。
実際、あたしが鬼になったとき、あまりに絶望的で途方に暮れた。空も暮れた。どこにいるかもわからないのに、たまに、落ちこむあたしを嗤う声だけが聞こえて、わりと本気で心が折れた。むごたらしいワンサイドゲーム。
せっかく今日は鬼を回避できたのだから、絶対に捕まってはいけない。捕まった瞬間、あたしは詰む。
「あっ、ジュリちゃん見っけ」
「わああーっ!」
イチルの声が聞こえて、あたしは本気で悲鳴を上げた。
無理無理無理無理。
普通に怖い!
ただでさえ全速力だった足に鞭打って、必死に逃げ回った。
日頃から動きやすい服装を選んでいて心底よかったと思う——ヒールなんて履いていたら地獄だった。
あたしを追いかけるイチルが「逃げないでよ」と涼しい声で言う。
「いやああ、本当怖いのまじで来ないで絶対来ないで」
「あはは、ジュリちゃん必死。面白い」
「うるさいうるさいこの鬼畜外道おたんこなす!」
「酷いなあ。ちゃんと手加減してるじゃん」
イチルの言ったように、彼は一般的な体力と脚力しか持たないあたしに合わせて、かなり手を抜いてくれている。いや、この場合は、足を抜いている、とでも言うのか。他の四人は一切の手加減(あるいは足加減)もないというのに、親切な話である。
しかし、その親切が、逆に怖い。いつでもとどめを刺してしまえるところをあえて遊ばれているような、薄ら寒い心地になる。
あとどれだけあたしは逃げ回ればいいの。あたしは腕時計を確認した。驚くことに、かれこれ二時間は遊びつづけている。予定としては、あと三十分は動く必要があった。
それはイチルも理解しているようで、あたしが手首を出した時点で、「残り三十四分と十九秒だよ」と言った。体内時計まで完璧らしい。
一見するとただの遊びだが、あたしたち——というか、チルドレンは、ただ遊んでいるわけではなかった。
チルドレンは神の悪戯により、発電機ともコネクトしている。どういう仕組みかは知らないが、チルドレンが運動することで得られる熱エネルギーを、電力エネルギーに変換、そのエネルギーをトウキョウ全域に分配しているらしい。つまり、この子たちの運動量が、そっくりそのままトウキョウの動力源になるのだという。
遊ぶだけでエネルギーが生みだせるなんてすっごいお得!
そういう理由もあり、チルドレンは一日に最低三時間、外で遊ぶことを推奨されていた。彼らがこの広大な敷地を猿山と称して好き勝手できているのは、熱電発電のためという大義名分のためだ。
チルドレンの鬼ごっこは、権利ではなく義務なのだ。
よく食べよく遊ぶことは子供の義務。
「あと三十分逃げきれるかあ!?」
と、半ばキレながらあたしは叫んだ。この調子で逃げきれるわけがない。あの日みたく、虚しい気持ちを味わうのはごめんだ。
周囲を確認する。どうせ周りにはイチル以外いないんだし、当たって怪我をさせることもないだろう。
あたしは両手に嵌めていたグローブの安全装置を外した。
「へっ?」
イチルの口からそんな素っ頓狂な声が漏れたのは、あたしのグローブの手の甲、拳鍔にも見える篭手から、糸が噴射したからだ。
先に猪目型の錘のついたその糸は、大きな木の枝に巻きつく。拳を握り締めながら、くんっと手前に引っ張ると、糸はグローブの篭手へと高速で巻き取られる。その瞬間に大きく地を蹴れば、あたしの体は宙へ飛翔した。
まるで振り子のように揺れ、あたしの体が前方へと押しだされたとき、もう片方の手から糸を噴射させ、別の木へと巻きつかせる。一本目の糸をこちらに手繰り寄せれば、二本目の糸にぶら下がったあたしは再び大きく揺れた。スウィングロープの要領で、イチルから距離を取る。
「うわああーっ、なにそれ楽しそう!」
すると、どこからともなくニィナの声が聞こえた。視線を滑らせると、レーヨンにおんぶされた状態で、二人してあたしを見上げていた。
そこへ、茂みから顔を覗かせたヨハクとミクロも合流する。二人ともそっくりな眼差しで目を見開かせている。
あたしの追跡を止めたイチルも、木の上で止まった。あたしのグローブから出た糸をしげしげと眺めて、分析するように呟く。
「……テグスにしては丈夫な糸だ。大人の体重が加わっても千切れる気配がない。レーヨン、わかる?」
「炭素繊維を滓玻璃金で強化したもの。キョウト産」
「ジュリはオオサカの首長補佐だったんだろ? ゴローの警棒とおんなじ暗器の一種なんじゃねえの」
本当に明敏な子たちである。
ミクロの言うとおり、これはあたしの持つ暗器道具だ。用途としては、さきほどのような立体移動や危険分子の確保・拘束など、多岐に渡る。この糸を用いた護身術が、オオサカ首長補佐としてのあたしの警護スタイルだった。
「いいなあ。かっこいい。ジュリー、ニィナにもそれやらせて!」
ニィナは弄ばれた人形のようにぐにゃぐにゃとした動きで近づいてきた。その動きに半ば引きながら、あたしは「だめ」と断じた。
これの取り扱いには注意が必要なのだ。レーヨンの見立てどおり、この糸は炭素と滓玻璃金の合成繊維でできている。
滓玻璃金とは、爆心期以後、列島連邦の各地で採掘されるようになった、新種の鉱物のことだ。山という山のいたるところで発見されていたため、隕石落下の衝撃による化学変化で生成されたのだろうと言われている。
滓玻璃金から製錬された金属は、光に翳せば炎のように輝くが、一見して透明な銅のようで、加工がしやすいのに硬くて丈夫という理想的な性質を持っていた。
そんな金属をワイヤーのように紡いだのが、イチルがテグスと称した、この暗器道具だ。
柔軟にもかかわらず硬くて丈夫、おまけに錘はハーケンのように尖っている。会敵した場合はともかく、こんなところで扱っては、下手をすれば怪我人が出る。
そのため、あたしはいまの今まで出し惜しみしていたのだ。
「そんなのずるじゃん」たちまちヨハクが顔を顰めた。「大人が子供相手にそこまでする? あまりの卑しさに言葉も出ないね。ジュリがそれ使うんなら、イチルもハンデはなしにしようよ」
そして、こういう揚げ足を取られることも予想できてきた。
たしかにこの子たちからしてみれば、あたしのはずるに値する。
しかし、糸にぶら下がったままのあたしは、「いや、よく考えてみてよ」とその意見に反論した。
「あたしがこれを使ったって、本気のイチルには敵わないでしょ。あんたたちは道具に頼んなくてもこの森を縦横無尽に動けるんだから」
「それはそうかも」
「えー、そうかな」
「そんなことない、絶対僕が負ける」
ミクロ、ニィナ、ヨハクの順番にこぼした。イチルが「レーヨンはハンデありとハンデなしならどっちがいいと思う?」と尋ねれば、レーヨンは「どっちでもいい」と返した。
「俺もどっちでもいいよ。ジュリちゃんがそれを使うんなら、やっと張り合いがでてきたなって思うし。ヨハクはハンデなしで普通に逃げていいからさ」
「逃げるって……いまの鬼はジュリじゃなくてイチルでしょ?」
「あ、そうだ。タッチしなきゃね」
そう言った瞬間、イチルは木の幹を蹴って、あたしの目の前へと躍りでた。
あたしが「ひっ」と短い悲鳴を上げたときには、イチルはあたしの肩を叩いていた。笑いながら「ジュリちゃんが鬼」と言って、弾丸のように遠ざかっていく。
やられた!
とっとと逃げていればよかった!
ミクロたちも「逃げろ!」と言って走り去っていくので、あたしはその後を追った。
「……いや無理! あんたら速すぎ!」
「へへんっ、もっと速く走れるし!」
「おい誰がもっと速走れ言うてん!」
あたしの悲鳴を聞きつけた彼らは、自慢げにスピードを上げた。
糸の使用を許可されたことから、あたしもなんとか彼らを追うことができた。もう遥か彼方まで引き離されることはないし、追いかけられるあの子たちもあの子たちで楽しそうだ。
しかし、盲点だったのは、視力的な問題だ。
文字どおりの盲点である。
いくらあたしが暗器の扱いに慣れているとはいえ、ここは使用場所として適していない。まったく開けていない、見通しの悪すぎる森の中。いくら動けるようになったからって、あたしの視界が追いついていなかった。
あたしが糸を伸ばした先、ただの木の枝だと思っていたところに、ヨハクが隠れていた。
「うわっ」
ヨハクの足首に糸が巻きつく。そのまま足を取られたヨハクは、木の上からずり落ちた。
あたしは咄嗟にもう片方の糸を発射させ、木の幹に巻きつけた。ヨハクの足首を取っていた糸を離す。木の幹へと伸ばした糸を巻き戻し、それによる移動の遠心力で、幹の周りをぐるりと浮遊する。そのまま、落下するヨハクを抱きとめようと手を伸ばして——しかし、ヨハクが先に体勢を整え、地面へと着地した。
まるで猫のような柔軟な動きで、ヨハクはくるりと空中で身を翻し、なんてことのないように降り立った。
やや遅れてあたしが着地する。慣性による制動距離を計算したうえでの着地だったので、地面を滑る足が完全に止まったのは、ヨハクがすぐそばまで迫ったときだ。
ため息をついて「ほら、負けるって言ったじゃん」とこぼしたヨハクの手を、あたしは引っ掴んだ。
「大丈夫!?」あたしはその顔を覗きこむ。「ごめん、木の上にいたなんて気づかなくて……怪我はない? 足見せて」
「えっ、へっ、なに」
目を瞬かせているヨハクの足元へ、あたしはしゃがみこむ。
その細っこい足首を確認すると、案の定、血が出ていた。
糸が巻きついたときに喰いこんでしまったのだろう。危うく彼の足を輪切りにしてしまうところだった。あたしは顔を蒼褪めさせる。
「もう鬼ごっこのときに糸は遣わないから、本当ごめん、痛かったよね、ごめんね」
あたしがひたすらに謝っているのを、ヨハクはぽかんとした顔で見下ろしていた。
ただ、それはヨハクだけではなくて、一部始終を見ていた他の子供たちも同様だった。
ニィナだけはどこか浮足立った様子で「ニィナもね、さっき擦り剥いちゃったの! 足の裏も切っちゃったんだよ!」とか「このあいだもね! 膝を怪我してね、すっごく痛くてね!」とかアピールしてきた。
そんなニィナのことを、ミクロは苛立ったように見つめている。ヨハクが怪我をしたというのに、そんな反応ならば当たり前だ。未だにびっくりしているイチルを含めて、彼らには危機感がなさすぎる。
「医務室に行こう。ここからだとちょっと遠いけど、手当てしなきゃ」
あたしはヨハクを抱えて移動しようとする。
そこにミクロがつべこべと口出しをした。
「ナメてんのか? 俺たちはチルドレンだぞ。外皮膚はお前らと同じそれだが、内皮膚は格子構造のコラーゲン層でできてる。それどころか毛細血管から表皮に至るまで自癒因子が、って、ちょっと!」
あたしはそれを最後まで聞かずに、糸を使ってその場から離脱する。
この子たちの寝起きする御所まで戻れば、一階の奥に医務室があるのだ。ゴロー補佐に案内してもらったこともあり、基本的な生活圏内の情報は、とうに頭に入っていた。運よくも今日は、トウキョウ医務院から派遣された非常勤の麻医者が当直している日だった。
大慌てで御所へと戻り、あたしは医務室の扉を開ける。
「急患よ。いますぐ手当てして」
ヨハクの手を引いてきたあたしを見て、その医師は「へっ?」と目を見開かせた。それにかまわずにヨハクを椅子に座らせ、「血が出てるの」とあたしは告げた。
「ええと、切り傷のようですね」
「手違いで怪我させちゃったのよ。消毒したいから道具を出して」
あたしがそう言うと、医師は動揺したようだった。たちまち苦い顔で「消毒薬には限りがあり、容易に使うわけには……」とこぼす。
現代において、消毒薬は貴重だ。隕石落下の衝撃によって、薬品として必要な物質が消滅したり、作用機序に歪みが生じたり、化合が難しくなったりしたためだ。
医師の言い分も理解できたが、いま目の前に怪我人がいるのに、ここで出し惜しみしてどうする。あたしは内心でイライラしながら「そんなダバダバは使わないわよ、」と反論する。
「ちゃんとケチるから、とっとと持ってきて」
「しかし、」
「トウキョウの公的医務院は医療の知識もない医者を雇っているのかしら」間怠っこしくて、あたしは語気を強める。「この世界での死亡理由の約八割は、汚染物質を摂りこんだゆえの疾病。原因となる毒素の摂取経路のうちの約四割は創傷部位から……舐めときゃ治るの時代はとっくに終わっとんやぞ、お前の脳みそは化石なんか?」
いくらトウキョウの空気が他よりよっぽど清潔だからって、それ以外にも人体に有害な脅威はまだまだある。だからこそ、この御所にも救急箱なんてちゃちいものは置かずに、医務室を設置しているのだ。
「わかったらとっとと出すもん出し。ここまで言うてまだ出し惜しみするんやったら、怪我人増やせばええんか?」
近くのペン立てに収められていた鋏を取りだし、あたしは自分の腕に突きつけた。鋏の刃を肌に食いこませれば、医師の顔色が目に見えて変わった。
しかし、そのとき、あたしの鋏を持つ手を、ヨハクが握る。
「別にいいよ」
移動中もずっと黙っていたヨハクが、あたしを見上げて告げた。なにがええねん、と言おうとした矢先、ヨハクはあたしに見せつけるように、怪我した足を椅子から浮かせる。
一瞬だった。さっきまで血を滴らせていた傷口が、メキメキと治っていく。信じられない光景に、あたしは目を見開かせる。しばらくして、ヨハクは傷口のあった箇所を手でごしごしと擦った。血の拭われた足首は、きれいに修復されていた。
「僕はチルドレンだから。傷口から入った汚染物質も、体内で解析・分解できる。消毒薬は他のひとたちに回してあげて」
慌てふためくあたしに困惑していた彼らにも、消毒薬を出し惜しみした医師にも、やっと納得がいった。
彼らはチルドレン。
先人たちの遺した人間遺産であり、新人類であり、人類の希望。
これしきの怪我など、掠り傷にもならないらしい。




