第18話 地の塩や世の光でなくとも(3)
ゴローさんはレインコートを着て、外に止めていた車の後部座席にあたしを乗せる。その際、懐から取りだした手錠であたしの両手をがっちりと固定した。手抜かりのない男だ。
車を発進させたので、あたしはルームミラー越しのゴローさんを睨みつけた。
「なにが目的」
「イガラシ政権の破滅。ひいては神の落とし子などという誇大妄想の討滅です。我々の思想にあれらは邪魔ですから」
「思想?」
「言ったじゃないですか。どうせこんな世界は長くはもたないんだから、苦しいまま延命するよりは楽しく死のう、って」
厭世主義のデストルドーと思われがちだが、実際は刹那快楽主義。
「……やっぱり落伍社の人間だったのね」
「はい。そして、ご存知でしょうが、あの毒はホトケユリの毒です。オオサカでは希少なので、ばれないと思っていたのですが……目論見が甘かったですね。そもそも、貴女に服毒させた料理人のミスですが」
「料理人も落伍者の者?」
「ええ。過去の世話係はあくまでも協力者ですが。そんなほいほい潜入できるわけじゃないので、都合のいい人間を揃えるので精一杯ですよ。怪しまれない程度に少しずつ、イガラシ政権を瓦解させる計画だったのに、貴女のせいで滅茶苦茶だ」
ゴローさんは自嘲するように顔を顰めた。
今回のことだけでなく、あたしという存在は、真実ゴローさんにとってはイレギュラーだったはずだ。
これまでは、自分にとって都合のいい人材を行政部に紛れこませ、チルドレンの世話係に配置した。間違ってもあの子たちに情の移らないような、いざとなれば切り捨ててしまえるような、あるいは円滑にコントロールできるような、そんな人間を。
道理で、後任の世話係がなかなか決まらないわけだ。あたしが候補者を見て直感的に納得できなかった理由が、今、はっきりとわかった。
「で、あたしをどうするつもり? 殺してやろうって?」
「あはは、西の人間は血の気が多いんですかね? さすがにそこまで非人道的なことはしませんよ」ゴローさんは場違いなほど屈託なく笑った。「ただ、いい交渉材料にはなってくれるんじゃないかと。臨時の世話係なんて勝手に雇われたときにはどうしたものかと思いましたが……貴女は彼らのよい弱点になりました」
「弱点?」
「人質ってことですね」
あたしは目を眇めて笑った。
「はあ? オオサカ首長補佐のあたしが、人質として上手く機能すると思うわけ? このことをオオサカが知れば、最悪、七連が介入することだってありえる。そうでなくとも、あたしは全力で抵抗する。ベッドの上でしか生活できないようなお嬢ちゃんを車に乗せてるんじゃないのよ? 死ぬ覚悟でこのまま暴れ散らかして、車ごとあんたと一緒に強酸性の海に沈んでやろうかしら」
「どうでしょうね。貴女は知りたいはずだ。所詮は禁忌培養児でしかないあの子供たちがかわいくて仕方がないのだから。僕や落伍者がなにを考えて、彼らをどうやって討滅しようとしているか。残された彼らの今後を案じながらトウキョウ湾に沈みたいですか?」
あたしは舌を打つ。
いやらしい相手だ。こんな男を、あたしはいいひとだ、なんて信じてた。同じ苦労を分かち合う首長補佐として、気安い相手だと思ってた。最悪だ。その薄ら笑いすら虫唾が走る。
「貴女には驚いているんですよ……イガラシの見立てどおり、彼らは貴女に懐いた。ただ貴女を喜ばせたいというそれだけで、エアロゾルを焼ききるほどに。さすがは、晩年の先人たちが死に物狂いで生みだした禁忌。彼らの力は脅威そのものです。本来ならば、旧人類とも言える僕たちなんて、なすすべもなく殲滅されるはずだった。しかし、つけいる隙ができた。いくらあのタブーでも、危険な目に遭っている貴女を、見捨てることなんてできないでしょう」
「違う」あたしの声は氷点下を這った。「あの子たちはきっとあたしを助けに来るけど、それはひととして当然だからよ」
あの子たちを人でなしのように扱われたのに腹が立った。視野が狭まるほどの怒りにくらくらした。血を吐くように言葉を続ける。
「もし誰かが危険な目に遭っていて、そのひとのためにできることがあるなら、助けようと思うのが普通でしょ。あの子たちは心ない脅威じゃない。人質になったのがあたしじゃなくたって、絶対に見捨てたりしなかったわ」
「…………」
「馬鹿にすんなやワレ。いてこますど」
ゴローさんはルームミラー越しにあたしを見遣り、肩眉だけを跳ね上げて、それから口を閉ざした。
しばらく車を走らせて、見えてきたのはコスモツリーだ。
雷雨の中でも気高く聳える破格のタワー。
展望台として、電波塔として、雷の観測施設として、かつてはトウキョウのランドマークだったというそれも、いまではほとんど廃墟のようなものだ。特殊ガラスの窓も割れている箇所があちこちあって、降りつける雨に晒されている。
ここに落伍者の仲間がいるのか……自然とあたしの身は強張る。
車が止まり、ゴローさんはドアを開ける。後部座席のあたしを引っ張りあげた。無理矢理あたしを連れて出た。雨に降られ、あたしの肌がきしきしと悲鳴を上げる。フードを深く被ることで凌ぐ。コスモツリーの足元まで来て、そのまま中へと入った。
「結局、落伍者の目的はなに」あたしは先を歩くゴローさんを見据える。「延命治療よりは安楽死って、まさか本気で思ってるの?」
「安楽死よりも延命治療だと、貴女たちは本気で思っているんですか?」ゴローさんは尋ね返した。「隕石落下から五十年。世界は衰退の一途を辿っている。僕の生まれはカナガワですが、あちらも酷いものですよ。生きているだけで体は汚染され、飢えに苦しみ、明日をも知れない。僕の祖父母はすでに亡くなっていますが、その死体から発生した病で両親も死にました。こんな惨めなことがありますか。別に生まれたくてこんな世界に生まれたわけじゃないのに、いつの間にかこんな世界で生きていた。僕は愛する誰かのせいで病んだり、愛する誰かを病ませたりするのは真っ平御免だ。幸せなまま共に死にたい」
壮絶な人生だが、この世界ではよくあることだ。
この列島の各地で、そういう不幸が擦り切れるほどに起こっている。
「必死にがんばることに疲れたんです。もうついていけないんです。生きられるかもわからない未来よりも、生きている今のほうがよっぽど大事だ。倉庫を開放して食べ物をみんなに分け与えましょう。そして、思いつくかぎりの贅沢をして、それで突然死んだとしても、悔いはない。僕たちは悔いのない人生を送りたいんです」
あたしとゴローさんはエレベーターに乗る。目まぐるしく階数は上がり、展望デッキへと着いた。
灯りもないため薄暗かったが、見晴らしのいい窓の外で空に亀裂が入ったのが見える。閃光であたしたちの影が浮き彫りになった。遅れて深い音が割れるように轟く。
「……あんたらの考えはわかったわよ」あたしは、ずっと言いたかったことを言う。「でも、そんなことにあの子たちを巻きこまないでくれる? そういうのは大人の問題よ。人生を悔いれるくらい生きてきたやつらの特権みたいな話。あの子たちにはなんの関係もないわ」
負の遺産を与えられたと喚いてるが、あの子たちのほうがよっぽどだ。こんな世界に生まれ落ちて、こいつらみたいな破滅思想に付き合わされそうになっている。
「自分がされて嫌だったことを他の誰かにしてんじゃないわよ」
「タブーこそが先人たちの遺した最悪の象徴です」ゴローさんは声を尖らせる。「希望の光? 神の悪戯? 馬鹿馬鹿しい。隕石からのリンチでぶっ潰れるような文明にいつまでも縋りついて……超人的な能力を持っていたってたったの五人でなにができますか? 一瞬は救われたとて、そいつらを使い潰したあとは? どちらにしろ地獄ですよ。早く死ぬか後で死ぬかの違いだけ。仮初の光に救われた気になるくらいなら、そんな灯火は吹き消してやりましょう」
もう聞き捨てならなくて、あたしは縛られた両手でゴローさんの胸倉を掴みあげる。ゴローさんは踏鞴を踏んだが、曇天よりも澱んだ目であたしを見下ろした。
「つまりあんたらは、あたしであの子らを強請って、殺してやろうって魂胆なんやな」
「言ったでしょう。そんな非人道的なことは僕たちだってできません。そもそも殺したって死なないような相手ですからね。ただ、自分たちで勝手に死んでくれたらとは思っています」
「こっんの、」
あたしは頭突きを食らわせてやろうとしたが、それよりも先に、ゴローさんはあたしの腹に膝蹴りを浴びせた。
もろに入ったあたしはその場で蹲りそうになって、しかし、ゴローさんに胸倉を掴みあげられる。
呻くように息をするあたしを、ゴローさんは眇めた。
「冷静に考えてみればわかります。僕たちにできることといえば、この世界に耐えきれなくなる日を指折り数えることだけ。大地も海も空も汚れたこんな世界のどこに未来があるんですか? みんなで仲良く死ねばいいじゃないですか」
「うっさい黙れや」あたしは言った。「死にたいんなら一人で死んでろ。あんたや世界にはなくたって、あの子たちは……まだ子供なのよ。あの子たちはこれからもこの世界を生きていくの」
ゴロー補佐はあたしの言葉を鼻で笑った。あたしの胸倉を掴んだまま、乱暴に別のエレベーターへと連れていく。コスモツリーの最上階、展望回廊へと直通するエレベーターだ。
ごうんごうんと階が上がっていくごとに、体にも静かな圧力を感じた。箱の中で押さえつけられ、髪を結わえていたバナナクリップがぱちんと解ける。
いよいよあたしもただではすまないのだろうな——そう思うのに、こみあげるのは怒りだけ。
「貴女も『神の落とし子計画』なんて馬鹿げた話をいつまでも信じているんですね」ゴローさんは吐き捨てる。「あの子供たちの持つ脅威の力も失われた技術。今あるそれだっていつかは失われる運命です。あれを希望の光として掲げるなど、愚かにも程がある」
チルドレン。神の落とし子。先人たちの遺した人類の希望。
子供たちよ、君たちこそが希望なのだ。いつかこの世界をきらきらと照らす光となりますように——チルドレンの入っていたカプセルには、そのような文言が刻まれていたと聞く。
未来が絶望に塗り潰されてゆく時代、先人たちの期待を一身に受け、晴れてこの世に生まれたのが、あの五人の子供たちだった。
でも。
「希望の光になんてならなくていい」
なんのために生まれたのかだとか、なにをすべきかだとか、そういうことはどうでもいい。
だって、あの子たちはただの人間だから、太陽みたいに照らしたり、星みたいに輝いたりしなくていいのだ。
「誰かのために生きなくていい。それをしていいのは、あの子たちが自分のためにそうしたいときだけ。いい加減に、あの子たちは世界のためだけにあるような、物としか見てないような言いかたをやめろ!」
ポーン、と音が鳴って、エレベーターの扉が開く。
ひゅううと湿気を孕んだ冷気が吹きこんで、あたしの頬や髪を撫でた。
また一つ雷が落ちる。ぴかりと視界が白んだら、あたしを押さえつけるゴローさんに眼光が宿った。研ぎ澄まされるような静寂。
「……貴女を餌に、タブーを誘き寄せます」ゴローさんの声には一切の感情が乗っていなかった。「貴女をトウキョウ湾に沈める、なんて脅し文句としてちょうどいいでしょうか。逆に彼らに沈んでもらいましょう。潜水スーツがなければ、然しものタブーも死んでくれると思います。その責任をイガラシ首長に擦りつける、なんて筋書きならば、邪魔者は一気に消せる。希望でないなら絶望になればいい」
ゴローさんが呪いのように言葉を吐く——その背後に、あたしは信じられないものを見た。
ガラス張りの回廊で逆光に染まった、赤錆のように鮮やかな髪。その右手にはずぶ濡れのレインコートを携えている。よく見ると前髪の毛先が濡れていた。間違えて嵌めこまれたみたいに左右で色の違う目が、笑む。ペイントシールの賑やかな頬と鼻筋が、いたずらな顔に顰められた。
あたしが呆然とするのを見て、ゴローさんは訝しむ。そのままあたしの視線の先を追い、振り返った。息を呑む。
「待ってたぜ」
言うが早いか、ミクロは右手のレインコートをゴローさんの顔面へと投げつけた。
そのまま弾丸のように飛びだして、レインコートごとその頭を鷲掴み、骨っぽい膝をめりこませる。
あたしはすかさず背後から逃れ、エレベーターから抜けだした。ハッとなって展望回廊を見渡す。トウキョウの街並みと空を一望できるよう、ぐるりと円形に巡らせたスロープ状の回廊では、頂上デッキへと続く道順に、落伍社の者らしき連中が伸びていた。
まるで嵐に巻きこまれたみたいな惨事。あたしは素で「なんやこれ」とこぼす。
「あーっ、ジュリーだ!」
明るい声と共に、真っ青な二つ目が、回廊の先から覗いた。ニィナだ。
ニィナは、気絶した落伍社の連中を避けるよう、器用なスキップであたしに駆け寄り、むぎゅっと腰から抱きしめる。
「ニィナ? なんで……ていうか、こいつらはニィナが?」
「うん! ちょうど上のほうまで伸してきたとこ。イチルもいるよ。レーヨンとヨハクは念のために他の階も観に行くって上のエレベーターで下りてった」
すると、あたしの乗ってきたエレベーターのほうから砲弾が吹っ飛んできたので、ヒッと情けなく声を漏らす——砲弾の正体はゴローさんだった。剥きだしの鉄骨と特殊ガラスで張り巡らされた回廊の窓に、強かに身を打ちつける。荒く呼吸をするゴローさんが身を起こすと、エレベーターのほうからミクロがひたひたと歩いてきた。
「何故、ここに、」ミクロを見据えながら、ゴローさんが呻く。「まさかレーヨンが知らせたのか?」
「いんや。俺はここの天辺に登って雷の様子見てただけ」
「……は?」
「でも、猿山で走り回ってたニィナがさ、〝ゴローの車にジュリーが乗ってるのが見えた! 二人で遊びに出かけたんだ! ずるい!〟って電信で全員に喚きやがってさ。イチルとヨハクが手分けして、トウキョウの防犯カメラにコネクトして、二人の乗ってる車を追い回したんだよ。そしたらこっちに向かってるって言うから、お迎えドッキリ仕掛けてやろっかなって思って」
「でも、ジュリちゃんについて留守番してたレーヨンが車には乗ってないみたいで、変だなって思ったんだよね」
言葉を継いだのはイチルだった。イチルもニィナがやってきたほうから鷹揚な足取りでやってくる。その手には、落伍社の連中が持っていたであろう、武器の数々が押収されていた。手抜かりない。
イチルはあたしの隣までやってきて、ゴローさんに言う。
「しかも、ミクロ曰く、落伍社の人間がコスモツリーにはうようよいた。あんまり怪しいから、一応レーヨンに〝事件?〟って聞いたら、〝話しちゃだめって言われた〟って返ってきてさ」
「それもう言うとるやん」
「でしょ。てことで、ゴローさんよりも一足先にコスモツリーに乗りこんじゃおうと思ったんだ」イチルはジャケットのポケットに手を突っこみ、優雅に微笑んだ。「でも、俺もびっくりしたなあ。ゴローさんが落伍社の人間だったなんて。しかも、ジュリちゃんを人質に俺たちを脅そうって? トウキョウ湾に沈むのは、俺たちとゴローさん、どっちが先かな?」
イチルにしては珍しく脅すようなことを言った。いつも通りの爽やかで柔和な物腰が白々しく感じられる態度。
あたしは呆れて、しかし、笑いそうになっていた。
——本当にとんでもない子たちだ。
そのとき、ピカッと鮮烈な光に照らされる。分厚い雨雲が真っ二つに裂けた。たちまちゴロゴロと地響きにも似た音が鳴って、「雷がやばい」「えっぐい」とみんなが空を見上げる。無邪気で暢気で、ついさっき落伍社の集団を殲滅したとは思えないほどだ。
いや、この子たちは本当に無邪気で暢気だった。殲滅してはいなかった。
ミクロに吹っ飛ばされたゴローさんが、起き上がっていたのだ。
ゴローさんは棒立ちになっていたニィナに突き飛ばす。体重の軽いニィナはぬいぐるみのように容易く吹っ飛んだ。あろうことかその身体は、特殊ガラスの砕け落ちた大穴の向こう、天空へと浮いた。




