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第16話 地の塩や世の光でなくとも(1)

「根性がないわ。不採用」


 あたしがペケ印をつけた履歴書を見て、ゴローさんはぽかんとした顔で立ちつくしていた。

 イガラシ首長の執務室、応接用のテーブルには所狭しと、チルドレンの世話係《シッター》候補の人間の資料が並べられている。そのほとんどには赤いペケがついていて、その全部はあたしがつけたものだ。

 ソファーに胡坐で腰かけ、肘をつき、資料を眺める。多少お行儀が悪くとも、イガラシ首長は意外と放任してくれるらしいと気づいたのは、ここ最近の話だ。

 資料と睨めっこしたり、世話係《シッター》候補者たちと面談したりするため、この執務室を借りる機会が増えた。そうして顔を合わせるうちに、イガラシ首長は気さくな方なんだと知ることができた。


「また不採用か」自身の机で作業をするイガラシ首長が、目も遣らずに呟いた。「ついに両手の指を超えたな。せっかくゴローが厳選した人員だったんだが」

「ゴローさんには申し訳ないのですが、妥協はしたくありません。そもそも、前の世話係《シッター》が辞めた原因が過労なら、体力の有無は絶対に外せません。あたしやゴローさんが最低ラインだと思います」

「首長補佐レベルか。だとしたら、その上の三人は足切りだな。頭はキレるが、運動面が他と比べてやや劣ったはずだ」

「なるほど。不採用」


 あたしが華麗に赤ペンを滑らせると、ゴローさんは「ああ……」とどこか重い表情でこぼした。

 トカゲと電話をしてから一週間ほど経った。

 臨時世話係(シッター)であるあたしは最後の仕事として、次の世話係(シッター)選びに口を出させてもらっていた。この話を持ちだしたとき、ゴローさんは少し驚いたものの、「お気遣いいただきありがとうございます」と快諾してくれた。しかし、その喜色もすっかり消え失せ、どんどんと落とされている候補者たちを、窶《やつ》れた顔で見下ろしている。

 ここまでお膳立てしてくれたゴローさんには心苦しいが、しょうがない。あたしが去ったあとのことを考えると、どうしても審査の目は厳しくなってしまう。

 もちろん、専門的なスキルを重要視しているわけではない。体力だって、仕事をしているうちに培われることがほとんどだ。首長補佐なんていう微塵も関係ない仕事をしていたあたしですら繋ぎを担えたくらいなのだから、あの子たちの世話係(シッター)は、極論、覚えれば誰だってできるのかもしれない。

 だからこそ、面接の通過者にはアシスタント実習もおこない、あの子たちと対面したときの実際の動きなども観察してみたのだ。こちらが指導すればなんとかやっていけそうな者もいれば、どうにも歯が立たない者もいた。

 あたしもゴローさんと同じように唸る。そうしているうちに、執務室の扉を叩く音が聞こえ、続いて「ジュリー、遊ぼうー」というニィナの声が響いた。


「ごめん、まだ」

「十分前も同じこと言ってた。お仕事いつ終わるの?」

「あとちょっと」

「そう言ってさっきから全然終わんないじゃん」

「そんなのほっといて俺たちと遊ぼうぜ」


 あんたたちのための仕事だっつの。

 あたしは顔を顰める。

 五人には、あたしがオオサカに帰る日が近づいていること、次の世話係(シッター)が見つかりそうだという話はもうしていた。みんなそれぞれ嫌がってくれたり、残念がってくれたり、受け入れてくれたり、だけど駄々をこねたりした。

 ニィナは片時もあたしから離れたがらないし、世話係(シッター)候補に会ったときには本を投げつけたり顔に落書きをしたりと、悪魔的な暴挙で相手を困らせたりもした。ミクロとヨハクは、ニィナに便乗する形で、あたしや大人たちの手を焼かせることが増えた。オオサカに帰ると話したときにはぶっきらぼうなことを言われたものの、そのときの二人の顔はどこかつらそうで、それはあたしの見間違いでなかったと思いたい。レーヨンもレーヨンで、一日に一回はボードゲームに誘われるから、あたしのことを惜しんでくれているのだと思っている。五人の中では比較的落ち着いているのがイチルだ。次の世話係《シッター》選びにも前向きで、あたしに要望を伝えてくれている。


「レーヨンを楽しませる計算力と、ニィナを相手取れる体力と、ミクロをサポートできる戦闘力と、ヨハクを窘められる包容力……って誰が当て嵌まるのよそんなん! あたしだって無理だわ!」

「あと、俺的には、気さくでしっかりしてて面白いひとがいい」

「扉越しに要望追加すんな!」


 扉の向こうが騒がしくなってきた。執務室の前の廊下にはあの子たちが屯《たむろ》しているんだろう。やんややんやと声を上げているので、見かねた(というよりも聞きかねた)ゴローさんが「今日はここまでにしては?」と苦笑まじりに言った。


「チルドレンもジュリさんと遊びたがっているようですし。それに、まだ時間もあります。僕のほうでももう一度見直しておきますから」

「いいこと言うねゴロー」

「やるじゃんゴロー」

「ありがとうゴロー!」


 と、扉の向こうで口笛が吹かれる。聞き耳を立てているわけではないにしろ、この子たちには聞こえてしまうのだ。あたしはゴローさんに向き直り、「すみません。ありがとうございます」と礼をする。仕事の邪魔をしてしまったであろうイガラシ首長にも頭を下げた。

 そもそも、先日の、チルドレンがエアロゾルに大穴を開けた一件のせいで、イガラシ首長の仕事が増えてしまっていた。星空を見上げたあの一瞬は最高の気分だったが、後々にして気づくのは、とんでもない環境問題だ。

 イガラシ首長曰く、「オゾン層がどれだけ破壊されているかわからない現状、太陽放射から地球を守っているのはエアロゾル」「一部とはいえ、それを焼ききるのは危険すぎる」「太陽熱により強酸性の海水を干上がらせて、どのような気象に発展するか」、エトセトラエトセトラ。事の報告を受けたときは、ゴローさんも絶句していた。

 しかも、これはトウキョウだけの問題にはとどまらないため、現状の把握と列島連邦各地への情報共有、今後の対策などが必要となっている。直接的には実行していないとはいえ、あたしは大やらかしをしてしまったというわけだ。

 ただ、イガラシ首長は一頻《ひとしき》りあたしとチルドレンを叱りつけたあと、「……で、星空はどうだった?」と耳打ちしたので、あたしはこのひとへの苦手意識を完全に喪失させた。

 そんなことをしみじみ思い返しているあいだに、あの子たちを待たせてしまっていたらしい。扉の向こうで、「ジュリは俺たちの力を甘く見てる」「こんな扉一枚も蹴破れないと思うてか」などと不穏な話し声が聞こえたので、あたしは「出るから出るから」と声を張った。

 急いで執務室の扉を開ければ、いの一番にニィナがあたしに抱きつく。あたしの腰にぎゅっと細腕を回して、胸に額を埋《うず》めた。


「ジュリー、あのね、ジュリーのためにね、編み物で靴下を作ったよ」

「そうなの? ありがとう」

「それとね、玉蟲蜚蠊《タマムシゴキブリ》の翅で、ネックレスも作ったの」

「ごめん……それは……いらんわ……」


 ニィナのトウモロコシの房みたいな髪を撫でながら、あたしは苦い声で言った。ぎゅううっとニィナの腕の力が強まる。普通に痛くて呻いた。

 ニィナの背後にいたイチルたちに、「今日の玉蟲蜚蠊《タマムシゴキブリ》の駆除は終わったんですね」とゴローさんが言う。イチルの代わりに、ミクロとヨハクが「楽勝」「片手でいけたね」「寝ぼけてても終わる」「むしろ寝てた」と答えた。余裕ぶっこきたいからって、逆にわけわかんなくなっていた。


「だから、ジュリちゃん、早く遊ぼう。レーヨンもボードゲームしたくてうずうずしてるから」

「あたし、未(いま)だにあれのルールわかんないんだけどな……気づかないうちにぼろ負けしてるらしいし」

「だったらチーム戦にしようよ。俺がジュリちゃんのサポートにつくし。一番強いレーヨンも、誰かのサポートにつく。どう?」

「誰がジュリと対戦するの?」

「競走で決めようぜ。一番最初に部屋についたひと!」

「よーいどん!」


 ばびゅんっと、ニィナ、ミクロ、ヨハクの三人が駆けだす。ニィナについて、レーヨンもいなくなった。その足音すらすぐに聞こえなくなったので、きっともう首相官邸跡を出たあとだ。

 そんな四人を「わあ」という間の抜けた声で見送ったのは、悠々とした態度であたしの隣に佇むイチルだ。


「ジュリちゃん、人気者だね」


 にこりと笑ってあたしを見上げる。自分が煽りたてたんやろ。しれっと絶対にゲームに参加できるポジションを獲得しやがって。

 ただ、「人気者」とあたしをからかうイチルには、一時期あったような嫉妬を感じなかった。成長なのかしら、とあたしはなにも言わなかった。

 皇居跡へと向かった彼らを追うわけではないだろうが、ゴローさんもイガラシ首長とあたしへ一礼して、執務室を出て行った。その背中を見送ったのち、イチルは「そういえば、」とイガラシ首長へ向き直る。


「あの件について考えてくれた?」


 あたしが「あの件?」と首を傾げたとき、イガラシ首長が答える。


「お前が以前に提案した、ホトケユリを巡って抗争している薬座《ヤクザ》を取り締まるという話だな」あたしが目を遣ると、イガラシ首長は説明してくれた。「ジュリ補佐とミクロを襲撃した落伍社の者が、ホトケユリの毒を持っていたことから、件《くだん》に上がった薬座《ヤクザ》と落伍者は繋がっているのではないかというのがイチルの見解だ」

「少なくとも、売買はしてるでしょ」とイチルが言う。「ホトケユリを独占しようとしている薬座《ヤクザ》で、落伍社と深い繋がりを持つ派閥が存在するのは確実だよ。毒なんて食らったところで俺たちはビクともしないけど、他のひとたちは違う。大事にならないうちに手を打っておくべきだと俺は思う」


 もうこの子たちがどんなことを考えていたところで、あたしが驚くことはない。イチルがイガラシ首長に口出しするというのも、まああるだろうなという気持ちだ。

 ただし、薬座《ヤクザ》の絡んだ売買を禁止するのは難しいだろう。ホトケユリの毒は自衛用として一般的に販売されているし、需要も高い。というのも、玉蟲蜚蠊(タマムシゴキブリ)と並ぶ害獣、アカギレドブネズミの駆除に有効だからだ。ホトケユリは、人間を助ける毒にも薬にもなる。


「販売を禁止することはできなくても、規制することはできるんじゃない?」イチルは主張した。「ルールを決めたところで、最初のうちは、簡単には守ってはくれないだろうけど、違反したら罰則を設けるなりすればいい。多少の抑止力にはなるんじゃない?」

「罰則すら効かなかったらどうする?」

「実力行使」

「誰がそれを?」

「俺たちが」


 イチルは平然と言ってのけたが、あたしは眉を顰めた。

 気乗りしない、というか、心底やらせたくない。イチルもみんなもきっと難なくこなすだろうが、それでも、進んでしてほしいとは思えない。


「……検討しよう」


 イガラシ首長は短く答えた。

 こういうところで、あたしとイガラシ首長は反りが合わない。

 あたしが不満に思うだけの返答を、イガラシ首長から引き出したというのに、当のイチルはどこか苛立ったように眉を跳ねさせた。しかし、流れるように「うん」と答えて、執務室から出ようとする。

 あたしは「片付けしてから行くわ」と言って、イチルを先に行かせた。執務室はあたしとイガラシ首長だけになる。


「……君がなにを言いたいのかはわかる」


 イガラシ首長はわずかに苦い顔をしていた。

 あたしの苦々しい思いを悟っているからだ。

 悟っているなら口に出しやすい。


「あの子たちにあんまり負担をかけないでください」

「……その負担を、自ら望んでいるのに?」

「子供の背伸びです。大人がそれにつけいるのはだめでしょう」

「本当に君は彼らをただの子供として扱うのだな……」

「ただの子供ですから。イガラシ首長はあの子たちに夢を見すぎてるんじゃないですか?」


 爆心期より前、つまりチルドレン計画が公然たる国際策であったときから生きているイガラシ首長としては、人類の希望と謳われた彼らを過大評価するのは無理もないことなのだろう。そうあるべくして生まれたからそう扱う。見た目はそのまんま子供で、人生経験が片手もない子たちを相手に、よくそういうふうに受け取れるものだが。


「夢もなにも、彼らの力は驚異的であり、脅威だろう。暴動の鎮圧など……ドローン映像のような画面越しに見ると、昔の特撮ヒーローみたいだ」

「特撮?」

「いや……なんでもない」失言をしたというふうに、イガラシ首長はわざとらしく咳をした。「前にも言ったように、私だけは、節度を持って、彼らと関わらなくてはいけない。トウキョウ首長として、公平であることが求められる」

「ご自身の対応が公平だとでも?」

「……ジュリ補佐は、ずいぶんずけずけと言うようになったな」


 皮肉でも愚痴でもなく、感嘆の音色でイガラシ首長は言った。あたしだってまさか自分がこんな態度を取るようになるとは思っていなかった。ただし、なにも怯むことはない。


「あたしはあの子たちの世話係(シッター)なので。あの子たちの事実上の後見人がこんなに頼りないなら、それを指摘するのは当然ですよ」


 イガラシ首長は〝後見人〟という言葉には顔を顰めたが、それ以上はなにも口にしなかった。


「イガラシ首長は、あの子たちに肩入れしすぎるとよくないって、均衡が崩れるって思ってるみたいですけど、そのくせ仕事を手伝わせてるんだから、本末転倒なんじゃないですか?」

「立っている者は親でも使えという諺を知らないのか」

「知らないですし、あの子らは親じゃなくて子供です」

「……喩えが悪かった。この際、君の言うとおり、私が未熟な子供に対して、過剰な期待を寄せているというのは認めてもいい。私は彼らを神の落とし子(チルドレン)として見ているのだからな。だが、ただの子供として接しろと言われても、正直、そちらのほうが難しい。どう対応すべきかわからない」

「どうって、普通に」

「普通に対応するものの陰では悪口を言われているような、耄碌した勘違い爺(ジジイ)にはなりたくない……」


 難儀なやっちゃな。口には出さず、あたしは呆れる。

 このひともこのひとで思うところはあるのかもしれない。別に悪いひとってわけじゃないし。

 あたしはフォローのつもりで「まあ、いまも嫌われてはないと思いますよ」と呟いた。そもそも嫌われるほども関われていないのだから当たり前だが……あの子たちにとってのイガラシ首長は、たまに小言を言ってくるえらい大人、という感じだ。


「だから、彼らの管理はゴローに、現場対応は世話係(シッター)に任せるようにしたんだ。チルドレンに対して、私はノータッチと言ってもいい」


 イガラシ首長も自覚はあるらしい。いや、彼らを見守る大人としては究極に無自覚ではあるが。


「これからはもう少し携わりましょう。トップである貴方の対応が変われば、他のひとたちも変わります。それがきっかけで、あの子たちも変わるかもしれない」


 トウキョウをコンサルするための提案ではないが、このように言ったほうがイガラシ首長にも響くと思った。よくも悪くも、全体の利益を見る人間なのだ。案の定、イガラシ首長は少しだけ顔色を変えた。


「……検討しよう」


 イガラシ首長は短く答えた。

 あたしもイチルに対してえらそうにはできないな。

 検討だけじゃ不服なのだ。

 あたしは「お願いします」と頭を下げて退室した。息をつきながら首相官邸跡を出たのだった。

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