第14話 きらきら光るエレメノピー(3)
雷がやんで少ししたころにレインコートを羽織ったミクロが帰ってきた。イチルたちと鬼ごっこをしていないのかと聞くよりも先に、ずぶ濡れになったレインコートを脱いで、「んじゃ、行ってくる」と言ってもう一度出かけて行った。
猿山からは雨の打つ音とは別に、木々の折れていく音もする。強酸性の雨に打ちのめされて、弱いところから朽ちてしまうためだ。きっかり三時間を経て、四人は鬼ごっこから戻ってきた。肌のあちこちを赤くしながら「あったかいお風呂に入りたい」「でも沁みそう」「凍死する」「火火火!」と喚いていた。
あたしはその日、はじめて、晩ごはんを食べなかった。なにをするでもなく自室に閉じこもって、ベッドの上でぼんやりとしていた。窓を打つ雨を感じながら、レーヨンのことを思い出す。
レーヨンの身体は機械でできている。
出産前から体が弱くて、整備された宇宙空間どころか、汚染された地球上では、とてもじゃないが生きてはゆけなかった。しかし、実験施設において、チルドレンを生みだすための細胞には、精子や卵子には、限りがある。何一つとして無駄にはできない。だから、科学者たちは叡智を結集させ、レーヨンの魂を宿すための強靭な義体を作った。
でも、人工でない部位が脳だけなんて、人間といえるのだろうか。
レーヨンには心臓がない。血は通っていないし、酸素だって必要ない。食事もしなければ排泄だってしない。消化器官がない。首から下の臓器が一つも残っていない。
唯一残された彼の一部と言えるその脳ですら、チルドレンは改造された状態なのだ。かつての最先端技術によって開発された最高の知能。まさに、人工知能。レーヨンに限っては記憶どころか思考すらも、ただのデータなのかもしれない。だとしたら、それは機械義体でなく、機械擬態だ。
どうしてあの四人がレーヨンを雨や水から遠ざけたがるのか、やっとわかった。
人体であるかぎり自然治癒のできる四人とは違い、レーヨンは壊れたら修理できない。
レーヨンの身体を構成する材料も、知識も、技術も、きっとこの地球上には存在しないのだ。
イチルがあれだけ追いつめられていたのにも、本当の意味で理解した。
チルドレンの消費期限。大人になるのが先か、体内機械が壊れるのが先か。
もしその日が来たとき、真っ先に壊れるのはおそらくレーヨンで、そして、それはレーヨンにとって、きっと死を意味する。ガラクタとして捨てられる。チルドレンとしての利用価値がないから。
いつかこの世界をきらきらと照らす光となりますように——未来が絶望に塗り潰されてゆく時代に、人類の期待を一身に受け、その命を望まれたのが、あの五人だった。
あたしは思わず口元を手で押さえた。吐き気があるわけではないのに、そうせずにはいられなかった。お腹の中に泥水が溜まったような最低な気分だ。そういう病気だと言われたら絶対に信じる。この気持ちに名前をつけることができない。
——こんなの、ただの偶像だ。
チルドレンは、人類のためにと望まれた。機械だか人間だかも知れないようなありさまにしてまで、希望の光となるように、先人たちによって作りあげられた。求められたから生まれて、望まれたから生きている。
チルドレンである部分にしか利用価値がないのではない。
チルドレンであることこそが存在価値なのだ。
だから、あの子たちは、今日のように誰もがひきこもる雨の日であっても、外へと出かけて鬼ごっこをする。電力を供給しないといけないから。元気に遊ぶのは、チルドレンの権利ではなく、義務だから。
あんなに小さな体に、途方途轍もないものが押しつけられているように思えて、あたしはぞっとした。
「……ジュリ?」
扉のほうから声が聞こえたので、あたしは顔を上げる。
ミクロの声だった。
珍しい。ミクロがあたしの部屋を尋ねてくるなんて。しかも、ちゃんとあたしからの了承を待ってるなんて。あたしは「どうしたの」と尋ね返す。間も置かずに「ごはんは?」と返ってきた。どうやら心配をかけてしまったらしい。
「ちょっと気分が悪くて……ゆっくりしたかったんだ」
「大丈夫かよ? 一応、ジュリのごはん、持ってきたんだけど」
「ありがとう。扉の前に置いといて」
あたしがそう言うと、沈黙が返ってくる。床に置いてくれているのだろうと思っていたのだが、ややあって、カチャリと扉が開いた。
食事の乗ったお盆を両手で持ったミクロが、器用にも部屋の扉を開けて中に入ってきたので、あたしは思わず「なんでやねん」とツッコんだ。
ちなみに、ミクロは後ろ足で蹴って部屋の扉を閉めていた。行儀は悪いが鮮やかな手つき、いや、足つきだった。
「ジュリ、病気?」
「ちゃうちゃう」
「毛布いる? お願いしてストーブつけてもらう?」
「そんな大袈裟な」
「でも変だろ。ごはんいらないなんて」
「一食抜いたくらいでなに言ってんの」
毎食抜いているレーヨンじゃあるまいし——そう思っただけで、決して口には出さなかった。自分でも失言だと、すぐに気づいてしまったからだ。それなのに、ミクロは気づいた。
「ジュリの脈拍と体温が変になった」
「え、こっわ……そんなの見てんの?」
「顔色もよくない。そういえば、昼間に俺が帰ってきたときには、ジュリの様子ちょっとおかしかったよな」お盆を適当な場所へ置き、あたしのもとへと近づいた。「ジュリはレーヨンと一緒にいたみたいだけど、レーヨン関係?」
「悟りよる」
「もしかして、レーヨンの身体のこと?」
直球な質問だったが、この子たちはきっと全部知っているはずだから、あたしは素直に頷いた。
「なに? びっくりしちゃったってこと? レーヨンのことなんていまさらじゃん、むしろジュリは気づいてなかったのかよ」
「や、もしかしたらそうなのかなあ、くらいは思ってたわよ。本人から顔を見せてもらったのが今日だっただけで……」
「レーヨンは顔を見られるのを嫌がるんだよ。俺は銀色でカッコイイと思うんだけど、レーヨンは左右非対称なのがコンプレックスなんだってさ。左目が二重で右目は奥二重なジュリ的にはどう?」
「やかましいわ」
ミクロはレーヨンの身体が機械であることをずっと知っていて、しかし、レーヨンが一人の人間であるようにあたしに語る。なんとも言えない気持ちになった。
すると、ミクロが「あ、」とこぼした。
「ジュリが悩んでるのは、人間の定義と、レーヨンがそれに当てはまるかどうか、って話?」
ガキ大将なイメージの強いミクロだが、やっぱり頭は回るんだよなあ、とあたしはしみじみ思った。知識を好むヨハクよりも理屈っぽいところがあるし、五人の中で一番試行錯誤が上手なのがミクロだ。察しのよさは、イチルに勝るとも劣らない。
「アンドロイドは人権を獲得できるか、ってのと似たものがあるよな。あくまでも似て非なるものだと俺は思うけどさ」
「あんたがずけずけ言ってくれるおかげであたしもしゃべりやすくなったけど、まあ、そういうことよ。身体のほとんどが機械でできていて、脳みそだって手を入れられていて、だから怖いとか、そういうことじゃないんだけど……」
レーヨンが怖いわけではない。そうではなくて、そうまでして生かされた彼の宿命が、彼を生かしたその意志が恐ろしいのだ。
だが、慎重に言葉を選ばないと、生かすべきではなかったとか、死んだほうがよかったとか、レーヨン自身を否定するような言葉になりそうで、そんなことを言いたいわけじゃなかったから、あたしはしばし詰まった。
「……あー、やっぱ、上手く言えないわ。ただ、レーヨンとの接しかたがわかんなくなっちゃったのよね」
可哀想だなんて言って憐れみたくはない。レーヨンが自分の身体のことをどう思っているかもよくわかっていない。もっとちゃんと話せばよかったのに、あまりの衝撃にあたしは言葉を失ってしまった。
そもそも、レーヨンとの対話は会話ではなかった。思い返せば、いつも、レーヨンは尋ねたことにしか返してはくれない。それこそ、演算から弾きだされた最適解を音として発信するように、レーヨンは言葉を紡ぐ。その心理を感じとれたことなんて一度もなかった。
「でも……人間らしいなって思うこともあるのよ。この前、夜中に宇宙を見に行ったとき、みんなと一緒にお出かけできて楽しい、ってレーヨンが言ったじゃない? あれ、あたし、めちゃくちゃ嬉しかったのよね。レーヨンが本当に喜んでくれたんだって思えて」
けれど、それさえも、レーヨンが演算した台詞だとしたら。レーヨンには心も命もあってほしいと考えるあたしが、都合のいいように捉えただけの言葉だとしたら。
ミクロは純粋にあたしに尋ねる。
「それが、レーヨンが本心で言った言葉だって、思わないの?」
「思いたいけど……あたしは、それを、押しつけたくない」
これ以上この子たちに、大人の考えを押しつけるべきじゃない。レーヨンのありかたすら、チルドレンの存在すら、大人たちが望んだものでしかないのだ。あたしはそれに気づいてしまったから、せめて、そういうふうに扱いたくない。
「……ミクロや他の子たちは、レーヨンについてどう思ってるの?」
「どうって。レーヨンはレーヨンだしなあ」
「そりゃあそうだけど……」
そうやって当たり前のように受け入れられるミクロをすごいと思う。
無意識のうちに相手を尊重して、ただそばにいる。
この子たちは、気遣うことも譲りあうことも苦手なくせに、身を寄せあうことは抜群に上手だ。
「本来、人間にあるはずの器官がないこととか、人間にはないはずの機械があることとかは、あんま関係ねえよ。俺たちはレーヨンの言ったことを信じたい」ミクロは続ける。「たとえばだけど、ごはんを食べるか聞いたら、あいつは〝お腹すいてない〟って答えるんだ。食べられない、とか、いらない、じゃなくて。だから、俺たちも、お腹がすいてないなら食べなくていい、って思ってる。無理して食べなくても、レーヨンのお腹がすいたときに食べればいいんだよ」
「…………」
「それに、レーヨンの全部が作り物だとは思わない。その証拠に、俺たちはレーヨンにはコネクトできないんだ。レーヨンが創造物でない証拠だ。あいつにはなにかを考える脳やなにかを思う心があって、魂と人権のある人間として、この世界で産まれたんだ」
先人たちからなにをどう望まれたとて、レーヨンは、この世界で産まれ、そして生きている、生身の人間だ。
生身でなくとも、等身大の人間だ。
泥遊びも鬼ごっこも好きで、ボードゲームが得意で、泳ぐのが苦手で、だけど、そんなたくさんの遊びよりも、みんなでいることが大好きな、まだ幼い男の子だ。
レーヨンだけじゃない。チルドレンはみんなそうなのだ。誰にどう望まれたとて、人類の希望あるいは禁忌培養児と囁かれたとて、一人の人間としてこの世界に産まれ、あどけない命として生きている。
目の前の少年がそう証明してくれたのだと思えば、あたしの口からふと漏れた。
「なんでミクロはニィナが好きなの?」
漏れた瞬間、失敗だと思った。きっとミクロは「好きじゃねえよ!」とか「うるせえ!」とか言いながら怒ってしまう。からかいたかったわけでも、ましてや怒らせたかったわけでもなくって、もっと純粋な質問だったのに、あたしが茶化したみたいになってしまう。
そう危惧したのだが……意外にもミクロが騒ぎたてることはなかった。
雨が降ったあとのように、雲が晴れる直前のように静かだった。
あたしはミクロの顔をじっと見つめる。
ミクロはじわじわと顔を真っ赤にさせて、握りしめた両手で顔を隠した。恥ずかしがりながらも掠れた声で、ミクロは弱々しく答えた。
「目が綺麗でかわいいから」
じゅわっと血色の滲む耳から火が吹きでそうなほど、ミクロは真剣で、心からそう思っているはずで——だからこそ、等身大の人間が、あどけない命として生きているのがわかって、あたしは息を漏らす。
「……ふ」
「な……なんだよ」
「っふふふ、ふあは、はは、あははははっ!」
「そ、そんなに、笑うことかっ?」
「いやあ」愛おしくて頬が緩んだ。「ほぉーんま、あほやなあ」
あほと言われてショックを受けたミクロがさらにかわいく思えて、あたしはフードに覆われたその頭を撫でる。
どれだけ聡くて賢くても、ミクロはまだ十一歳の男の子だ。出産されてからと考えると、人生三年目。目が真っ青で綺麗だから、かわいいからっていう理由だけで、女の子を好きになる。そのいじらしい気持ちが尊くて愛らしい。捏ねくり回したいくらいだ。
本当に、まだ子供なのだ。純真で、なにも知らなくて。仕事をする大人の邪魔はするし、遊びと暴力の違いをわかっていないし、相手の気持ちを考えずに無神経なことを言ってしまいもする。でも、素直だから褒められたら嬉しそうにするし、真面目だから仕事はきちんとこなすし、無邪気だから相手を悩ませてやろうなんて悪意はない。
みんなの邪魔をしちゃいけないとか、痛がることをしちゃだめだとか、傷つける言葉を言わないだとか、そういうことを、世話係として、大人として、この子たちに教えてあげなくちゃいけないのだ。
自分たちはなんのために生まれたのかだとか、なにをすべきかだとか、そういうことはきっとどうでもいい。
だってこの子たちはまだなんにも知らない子供なんだから。
ミクロはされるがままだったが、あたしが「あほあほ」と歌うように言うと、「悪いかよ!」とやっと嚙みついた。そのとき、あたしのお腹から、ゴム風船の空気を絞りきるような音が響く。気が抜けたせいで、お腹がすいてきた。
「みんなはまだ食べてる?」
「ニィナとヨハクが豆と格闘してるのに、イチルが付き合ってる」
持ってきてくれたお盆を持って、あたしとミクロが食堂へ向うと、ニィナとヨハクが「もうやだあ」「菽穀類の死に損ないのくせに」「緑と茶色の悪魔」「悪霊退散」と生意気な感じでぶうたれていた。
イチルは手を焼きながらも笑っていて、その隣には意外にもレーヨンがいた。レーヨンは目を青白く光らせているだけで、食事に参加しているわけではないようだった。
すると、レーヨンが「あ、」と漏らす。
「コネクトした」
レーヨンの言葉に、子供たちが一様に、ぱあっと顔を輝かせた。




