第12話 きらきら光るエレメノピー(1)
その日の夜、あたしが出かけたのは、世話係としてではなく、オオサカ首長補佐としての仕事のためだ。
出向したとはいえ、あたしの出所は紛うことなくオオサカだ。そもそもあたしが出向になった理由は、オオサカ・トウキョウ間の取引によるもので、空気清浄機との交換条件のためだ。
あたしがこちらに差しだされたのと同様、トウキョウは空気清浄機二基をオオサカに差しだしている。オオサカはそれをもとに空気清浄機の製造を目論んでいるのだ。なので、空気清浄機を手に入れればそこまで、なんてことはなく、オオサカでも製造できるようにしなければならない。
というわけで、『オオサカでの開発が行き詰った。現地の空気清浄機を見て、どんなふうに作動してんのか見てきてくれへんか~』とトカゲから連絡が入ったのだ。
見てきてくれと言われても、マジであたしは見てくることしかできないぞ。機械の仕組みなんてものにはてんで疎いんだからな。
とはいえ、なんの収穫もなしでは報告のし甲斐もないので、せめてその効果の立証のため、ゴローさんに頼んで手配してもらった空気汚染測定器を持ちながら、あちこちを測りまくっていた。どれだけ効果的かがわかれば現場の士気も上がるだろうという魂胆だ。
ダイマオウイカの一件のときにも乗った、四輪駆動のオフロード車を乗り回し、あたしは一人でピッピと測りつづける。
街灯もなく、車の灯りだけが頼りの走行は、どれだけ慣れても恐ろしいものがある。インパクトよりも前ならば、街灯だってなんだってあっただろうし、少なくとも月明かりを頼りにすることはできたはずだ。だが、現代の汚染された空ではそれも叶わない。分厚い雲のような汚染物質に遮られているため、昼だろうと夜だろうと関係なしに光を鈍らせる。太陽も月も星も見えないこの世界では、人工の灯りを失うってしまっては、生きていけないのだ。
正直、早く帰って寝たい。あの子たちの寝静まったころに出かけたからまあまあの深夜だし。どうせ粗方は測ったんだから、最後にトウキョウ湾のほうまで寄って終わりにするか。
そうしてあたしは車を走らせ——そのとき見た光景に、目を見開くことになる。
「……ほあっ」
なんと、海に宇宙が広がっていた。
「あんたたち、夜中に抜けだしてドライブするわよ」
食堂で昼食を終え、部屋に戻ろうとする道すがら、周りにあたしたち以外の誰もいないことを確認して、そう告げた。
これにいい反応を示したのはニィナとミクロだ。ニィナは「えっ、冒険?」と身を乗りだし、生き物の尻尾のように自由な動きではしゃいだ。ミクロは「ドライブっつってんだろ」とツッコみつつも楽しそうで、ヨハクも控えめながら目を輝かせている。意外にもレーヨンも「する」と乗り気だった。
一方、イチルは「ジュリちゃん?」と胡乱な目をあたしに向けていた。たぶんだが、〝夜中に抜けだして〟という言葉が引っかかったのだろう。あたしは宥めるようにイチルへ声をかける。
「まあまあ、そんな固いこと言わず」
「まだ言ってないけど」
「悪いようにはしないから。ちょっとついて来てよ」
「ジュリ賞くれる?」
「あ、おま、その名を出すなて」
イチルのわざとらしい言葉に反応して、ニィナが「ジュリ賞!?」と目を剥いた。ニィナはあたしの腰にしがみついて「ねえねえ、ニィナもジュリ賞もらえるの?」と頬擦りをする。最近のニィナはジュリ賞をもらったイチルが羨ましくて仕方がないのだ。こうなったニィナを剥がすのは面倒だぞ。
あたしはイチルを睨みつけたが、イチルはにこにこと微笑み返すだけだった。こいつ、意外と煽ってきよる。
顕著なのはニィナだが、みんなの中でジュリ賞という言葉はブームとなっていた。日常の事あるごとに「これはジュリ賞」とか「ジュリ賞もらえないぞ」とか使うのだ。
今回はヨハクが「いまのイチルの対応はジュリ賞」と嘲笑った。あたしは「やかましいねん」とツッコむ。
「とにかく、今日の夜、ドライブに行くわよ。しっかり厚着して一階に集合ね」
「まあいいけど……どこに行くの?」
「トウキョウ湾」
「なんでまた。ダイマオウイカが出たとか?」
「任務じゃないわ」あたしは笑う。「宇宙を見に行くの」
いまや図鑑でしかお目にかかれないような、星座だとか天の川だとかのような、満天の星々を。
——真っ暗闇の中、極小の炎を散らしたかのように、光の飛沫が走っていた。夜にはあるまじき眩さで、海そのものが発光しているようにも見えた。あんなに神秘的で幻想的なものを見たことがない。波と潮風の冷たい音が響く世界で、あの輝きだけが熱烈だった。
海に宇宙が広がっていた——というのも、トウキョウ湾の海には、青色に発光するホタルがいるのだ。
昔は美しい川に棲む発光する虫をホタルと言い、海の蛍はウミホタルと言ったらしいが、いまや川のホタルは絶滅した。そのため、当時のウミホタルを、いまはホタルと呼ぶのだと、イガラシ首長から教わった。
もちろん、水質が変わった海に、当時のウミホタルがそのまま生息しているわけではない。その環境に適応したなんらかの個体が生まれたのだろうと推測されており、その正体も明らかになっていない。
しかし、そんなことはどうでもよかった。この絶景を、あの子たちに見せてあげたいと思った。そう思い、今夜、あたしは五人を浜辺まで連れてきたのだが。
「宇宙って言うから、もっと壮大なのを期待した」
「これの正体も所詮はプランクトンの一種だよ」
「ジュリちゃんって、けっこうロマンチストなんだね」
宇宙って——と半ば白けた反応で、彼らは光る海を眺めるだけだった。ちなみに、順にミクロ、ヨハク、イチルの台詞である。
なんでやねん。もうちょっと楽しんでくれてもええやろ。
五人ともこの絶景に対する感動は薄い。ミクロはフードを目深に被って「眩し……」と目を細めるし、ヨハクは「プランクトンの生態には興味があるけどさ」などとかわいげのないことを言う。寒がりなイチルは潮風に耐えきれなかったのか、ジャケットのポケットに両手を匿ったうえで、あたしを風除けにしていた。もっと景色を見ろ。ニィナだけは最初「わあ! きらきら!」と声を上げたが、いまはレーヨンと一緒に砂の城を作っている。景色を見ろて。
ちなみに、今回は、ダイマオウイカと対峙したときのような埠頭ではなく、ビーチだった浜辺まで来ている。なるべく近くで見たほうが喜ぶかな、と思ってのことだったが、まさかここまで彼らの関心が薄いとは。わざわざイガラシ首長に車を借りられないか直訴した——燃料の無駄遣いだと言われるかと思ったが、意外と快諾してくれた——うえで、ここまできたというのに。
ミクロはあたしの持っていたバスケットを覗きこむ。この景色を見ながら食べようと思って作ってきた夜食だ。ミクロが「あ、サンドイッチだ」とこぼすと、「ニィナお腹いっぱい」という遠回しの拒否が返ってきた。傷口に強酸性の海水を揉みこまれて死にそうだ。
「くそ……せっかく作ってきたのに」
「えっ、ジュリの手作り?」顔色を変えたミクロは、遠慮もなしにサンドイッチの一つを啄んだ。「……ん? おいしい」
ミクロの反応が意外だったのか、ヨハクが「嘘だあ」とこちらへ近づいてくる。イチルもあたしの背後から手を伸ばす。二人がサンドイッチを食べたのは同時のことだった。次の瞬間、あたしの前後で「うっま!」「なにこれ!」という声が響く。いくらなんでも驚きすぎである。
「どれだけあたし料理下手だと思われてたのよ」
テンションの上がったヨハクたちの声を聞きつけて、ニィナも慌ててこちらへと駆け寄る。さっきまで満腹だと言っていたその口で、バスケットからサンドイッチを掠め取った。
「んんん~! ほんほにおいひぃ!」咀嚼を終えたニィナが、目をきらきらとさせる。「ジュリー、お料理上手! 料理人やってたの?」
「そんなわけあるか」
「いや、本当に。ジュリちゃんすごい。いままで食べたサンドイッチの中で一番おいしい」
「そんなわけあるか」
まるでゴマでも擂られてるみたいな手の平返しだ。
四人は——レーヨンは例のごとく「お腹すいてない」とのことだったので——むしゃむしゃとサンドイッチを頬張っている。
星の海には目もくれず。こういうのなんて言うんだっけ。色気より食い気? 昔は〝花より団子〟という言葉があったとイガラシ首長から聞いたことがあるが、星よりサンドイッチとでも言うべきか。
まあ、夜のピクニックを楽しんでくれているなら、それはそれでいいんだけども……。
「喜ぶと思たんやけどな」
そんなあたしの呟きを聞きつけたのは、あたしを風除けにするために真後ろに潜んでいたイチルだった。
「……もしかして、ジュリちゃん、星が好きなの?」
イチルの言葉に、あたしは「んー……」と唸る。
「好きというか、綺麗でしょ、きらきらしてて。夜空のエレメノピーってなんのことかわかんなかったけど、きっとこれのことを言うんだって思った」
あたしがそう言うと、ニィナは「きらきらリトルスター 夜空のエレメノピー」と歌いだした。すると、輪唱が始まる。ヨハク、ミクロ、レーヨンと続いていく。あたしはそれを聞きながら言葉を続けた。
「オオサカじゃ見られない光景よ。観光名所になるわ。昨日の夜、たまたま見つけたんだけど、あたしメッチャびっくりしたもん」
「ああ、出かけてたよね、ジュリちゃん」
「げっ。出ていく音聞こえた? 起こしたくなかったんだけど」
「レーヨンも気づいてたよ。どこに行ってたかは知らないけどね。ドローン飛ばそうにも、あれ、夜は映像がだめだめで」
「追跡しようとすんな」あたしは呆れる。「元上司から仕事を頼まれて、それでちょっと出かけてたのよ。んで、たまたま海岸沿いを通ったら、海が光ってんの見えてね」
「俺たちにこれを見せようとしたってことは、ジュリちゃんはこれを見て喜んだってこと?」
「だって、こんなに綺麗なのよ?」あたしは星の海を眺める。「きらきらしたもの見ると、わくわくするじゃない。心が洗われて、楽しくて幸せな気分になるじゃない。イガラシ首長が言ってたんだけど、昔はプラネタリウムっていう、星を見るためだけの建物があったんだって。正直なんの意味があるのってそのときは思ったけど、あの雲の奥の星空がこんなに綺麗なら、そりゃあ、いつだって見られるようにしたいって、考えるわよね」
この子たちにも見せてやりたいと思った。
汚いものに溢れた世界で、こんなにも綺麗なものがあるんだって。
「……ふうん」
イチルの返事は短かった。あんまり心に響かなかったようだ。イチルだけでなく、輪唱を終えたニィナもミクロもヨハクも、お互いに顔を見合わせている。そんなあからさまな〝こいつこんなこと言ってるけどお前らはどう思うよ〟って反応をするな。ちょっとくらいはあたしを気遣え。
不服なあたしは、レーヨンに助けを求めることにした。
「どう? あんたは楽しい?」
「楽しい」
「本当に?」
「本当」
「具体的には」
あたしの言葉に、イチルが「その切り返しはジュリちゃんの中でのブームなの?」と悴んだ声で言った。呂律も微妙に回っていない。寒さが限界に来ているのかもしれなかった。
ただ、レーヨンははっきりと、考えるそぶりさえ見せずに、即答した。
「みんなやジュリさんと一緒にお出かけできて、楽しい」
あたしは小さく笑った。
想像とは違った反応だったが、楽しんでくれていたならよかった。
「……ていうか、レーヨンに初めて名前呼ばれたかも……あんた、あたしのことそんなふうに呼ぶのね……」
「ジュリさん」
レーヨンが覆面越しに笑ったように見えた。
それからしばらくして、イチルが「凍死する」と限界を向かえたので、あたしたちの夜のピクニックはそこでお開きになったのだった。
その日は、午前中から猿山で鬼ごっこをして、昼食を摂ってまた鬼ごっこ、というハードスケジュールから始まった。途中、小雨が降り出したので、部屋に戻ったのがついさっき。
ちなみに、へとへとのあたし以外はまだまだ元気だ。
ヨハクは『光増幅放射の実用』とかいうよくわからん強面の本を読んでいて、イチルはドローンを飛ばして遊んでいるらしく、目を光らせているところだった。
ニィナは自作の編みぐるみでおままごとに興じていた。あたしと自分の編みぐるみを携えて、「ニィナはかわいいわねぇ、大好きよ」「ニィナも大好きよ、ジュリー」とキャッキャしている。
ミクロはボードゲームを持ち出して、レーヨンに対戦を挑んだ。他の三人も、二人の試合が白熱しているとわかるや否や、各々遊びを投げだして、その周りに集まった。
あたしも近くでプレイを見ているが、ちっともルールがわからない。盤上にかわいい駒をひたすら並べて鑑賞しているようにしか見えないのだ。
ミクロが長考の末、指人形の駒を動かす。間もなく、レーヨンが自陣の駒を進めた。なにがなんだかわからなかったが、イチルとミクロは二人揃って渋い顔をした。
「やられたね、さすがレーヨン」
「五手前の道化師が利いてる。銀の女王ももうすぐで成駒かよ」
「金の女王はトレード済みだし、手元でばたついてる歩兵をどう進ませるかが鍵になりそう。真ん中の剣を、レーヨンよりも先に取りたいところだな」
真剣に悩んでいる二人の姿を横目に見ながら、「ずっと思ってたんですけど、これ、どういうルールなんですか?」とゴローさんに尋ねる。ゴローさんからは「僕にもなにがなにやら……」という苦笑いが返ってきた。
ゴローさんはさきほどまで侍従職の面々とのミーティングがあったらしく、この皇居跡まで来ていたのだ。ついでのようにあたしたちのほうへ顔を覗かせてくれただけで、普段は連絡係としてしかこちらには訪れない。それでも、このボードゲームの様子は見慣れているようで、「またやってるんですね」という言葉はこぼしていた。
「ていうか、ゴローさん、まだルール覚えてなかったの?」イチルが顔を上げる。「俺たちとも何回か対戦してるから、てっきり理解してると思ってた」
「いやあ、実はあれ、適当に駒を動かしてるだけだから」
「だからか。いつもゴローはボロ負けしてんのに何故かゲームを進めてくるから、おかしいなって思ってたんだ」
「自分の駒全部取られてんのに、相手の駒を勝手にぶん盗って動かしまくるから、気でも狂ってんのかと」
ゴローさんは「いやあ……」と困り顔で頭の後ろを撫でた。あたしにはゴローさんの気持ちがよくわかったので、深くはツッコまないでおいた。代わりに、ゴローさんに話しかける。
「今日はなにやら大事なお話があったようですね」
「ええ、実は面倒なことになりまして……薬座の抗争です」
あたしは驚いて「抗争?」と顔を顰める。




