第10話 ジュリ賞をあげる(3)
——その後、あたしとイチルがどうやって皇居跡に戻ったのかは、正直のところ記憶がない。
あたしたち以外はとっくに戻っていたし、たぶん、その後を追うようにして帰ったんだと思う。
なんかもう、イチルに言われたことの全部に驚いて、未だに放心してしまう。十三歳の男の子が、自分の将来をそんなふうに考えていることも、大人を心の底では信用していないこともそうだが、臨時の世話係であるあたしを妬んでいるらしいことにも、とにかく驚愕してしまったのだ。
でも、思慮深いイチルは、年下の子供たちのために前線に立っていて、彼らのことを誰よりも考えている。自分たちが生き抜くために、この世界を見据えている。
あたしからしたら、自分だって子供じゃん、というところなのだが、彼からしたら、それも承知のうえで、自分の役目を奪われた、と錯覚したのかもしれない。
おかげであたしは事あるごとにイチルの目が気になりはじめた。気まずいというかなんというか。子供たちと仲良くなりすぎると、イチルにとってはよくないんじゃないかとか、思うようになってしまった。
けれど、ありがたいことに、ニィナだけでなく、最近はヨハクやミクロまで、なんとなくあたしに懐いてくれてるんだろうな、と感じることが増えたのだ。今だけはやめろ。イチルの視線が痛いんだよ。このクソガキども、わざととちゃうやろな。
あたしは常にイチルの視線にはらはらしながら、彼らの相手をしていた。すると、その様子を気にかけてくれたゴローさんが、二人きりのときに話しかけてくれた。
「ジュリさん。昨日から、疲れているように見えますけど……大丈夫ですか? なにかありましたか?」
イガラシ首長のいる執務室に向かう道すがらのことだった。イガラシ首長から話があるとかで、ゴローさん伝いに呼び出されたあたしは、彼と一緒に官邸へと向かっていた。
「えっと……こう、年頃の男の子の考えてることってわかんないもんなんだなあ、と思いまして」
たぶんだけど、イチルはあたしに言ったようなことを、ゴローさんには言っていない。
だから、あのとき漂ったイチルの思惑を言うことも、彼の葛藤を勝手に吹聴することもできなくて、あたしがこぼしたのは、上澄みも上澄みの、反応にも困るような言葉だった。
しかし、ゴローさんは「チルドレンに手を焼いておられるようですね」と汲み取ってくれたのか、苦笑で返してくれた。
「すみません。臨時とはいえ仮にも世話係が」
「お気になさらず。元はと言えば、イガラシ首長が無理に推したようなものですし……これまでの世話係も彼らには手を焼いていました」
「そうでしょうね」あたしも苦笑する。「イチルに限ったことではありませんが、あの子たちって、妙に達観してるというか、見透かすようなことを言うじゃないですか。たまに、こっちがハッとさせられたり、びっくりしたりすることがあります」
「やんちゃ盛りの賢しらな子供たちですからね。言葉に詰まるのはよくわかります。特にヨハクは口が達者で……昨日は大変でした」
ゴローさんはヨハクとお留守番していたんだった。
そのことが申し訳なくて、思わず目を逸らす。話を変えよう。
「前の世話係は、過労で倒れたんでしたっけ?」
「ええ。体力のある者を選んだのですが、さしものチルドレンにはついていけず。ジュリさんが来てくれて本当によかったです」
「毎日かすかな筋肉痛は感じてますよ。でも、チルドレンの世話なんて、一種の公共事業じゃないですか。多少しんどくても雇われたいってひとはたくさんいたんじゃないですか?」
「そうでもありませんよ」ゴローさんは肩を竦める。「ジュリさんはトウキョウの情勢に疎いでしょうし、実感もあまりわかないでしょうが……そもそも、チルドレンは、タブーですから」
「タブー……」
先日、落伍社もミクロのことをそう呼んでいた。
先人たちの遺した人間遺産。宇宙空間でおこなわれた実験により誕生した、驚異の子供たち。そのように囁かれてはいるものの、これまでトウキョウが大々的に彼らの存在を発表しなかったのは、現在では存在自体がタブーとされているからだ。
禁忌培養児。
人体実験という、非人道的で、倫理に背いた研究により、この世界に産み落とされた子供たち。
「当時は『神の落とし子計画』と持て囃されたようですが、概念としては、人造人間に近いですからね。神工ニューロンで構成された脳は、通常の人間の発火とは、頻度もタイミングも違うと言われています。姿かたちや臓器こそ僕たちと同じ人間ですが、まったくの別種と捉えられても無理はない。この汚れた世界を生き抜くために生み出されたポスト・ヒューマンであり、その成功体が彼らなのですから」
「それは……チルドレンに対して否定的な派閥も存在するということですか?」
「うーん。否定するにも肯定するにも角が立つ、という感じでしょうか。あんまり関わりたくないというのが本音でしょうね。チルドレンについては、繊細な問題なんですよ」
あたしの顔色が芳しくなかったのだろう。ゴローさんはフォローを入れてくれた。
「けれど、現状、イガラシ首長の指揮下で、チルドレンは世のため人のために働いてくれています。先人の目論見どおり、人類の希望の光です。ただ、そんな光など求めていない者もいるということです」
「たとえば落伍社とか?」
「彼らは厭世主義のデストルドーと思われがちですが、実のところは刹那快楽主義。どうせこんな世界は長くはもたないんだから、苦しいまま延命するよりは楽しく死のう、というわけです。穀倉の開放を求めているのもそのためですね。だからこそ、下手に希望を振りまくようなチルドレンという概念、存在が厭わしいんですよ」
ゴローさんはチルドレンについて繊細な問題だなんて言っていたが、繊細なのは問題じゃなくて、彼らの心だ。
世のため人のために働きながら、疎まれることもあるのだとしたら、イチルの胸中も道理だ。自分たちの立場を思えば、周りの大人なんて信じられないし、無事に明日を迎えられるかも不安だし、自分でどうにかしなければと思い詰めてしまうだろう。
——首長会議の議席とか穀倉の管理権とかくれたらいいのに。
ずっと引っかかっていたことがある。それは、彼らと出会った、首長会議のあの日。一般的な礼儀と常識を持ち合わせているイチルが、会議の中に乱入するなんていう暴走を、見逃したりするだろうか。
もし、あのときの乱入が、ただお遊びがヒートアップしすぎたからではなく、たとえば首長会議の出席、内容を知ることも、彼の中での目的だったからだとしたら。
薄ら寒さを感じつつも、胸の奥が煮えたぎるような、どうしようもない思いに駆られる。もどかしさに、体中を掻き毟りたくなる。
執務室の前についたあたしたちは、会話をやめる。ゴローさんが扉をノックすると、扉の向こうから「入れ」という声が聞こえた。
ゴローさんが扉を開けると、デスクで書類仕事をこなすイガラシ首長がいた。中に入ると、「ゴローは下がっていいぞ」と告げられる。ゴローさんは一礼して、そのまま部屋を出た。
あたしはイガラシ首長に促されるまま、デスクの前にある大きなソファーに腰かける。目の前にイガラシ首長が座るのかと思ったが、彼は自分のデスクの椅子に腰かけたままだった。
「急に呼び出してすまなかったな」
「いえ」
「たいそうな話ではない。ゴローから君の様子は聞いていたが、直接話す機会は少なかったからな。なんの準備もなく仕事を任せてしまった。君の近況の確認と、不自由はないかと改めて知っておきたかった」
つまり、面談のようなものだろう。
たしかにイガラシ首長には長いこと放置されたが、首長という職務がいかに過酷か、あたしも元オオサカ首長補佐として理解しているつもりだ。今回こうして時間を作ってくれたこと自体がありがたいし、きっとイガラシ首長も大変なのだろうな、と察している。
気を遣っていただかなくとも、なにも不自由はしていない。
不満ならば、少し、あるのだが。
「……ここに来てから、とてもよくしていただいているので、なにも不足はありません」あたしは言った。「子供たちのお世話は思ったよりも体力仕事ですし、はじめは右も左もわかりませんでしたが、最近はずいぶん慣れてきたように思います」
「そうか。いつだったか、医務室の医師を脅したと聞いたから、さぞかし不満が溜まっているのだろうと思っていたのだが、杞憂だったか」
あっ、ちげえな、これ。
あたしをねぎらうためでなく、叱るための面談だ。
「……すみません。あのときはここの勝手がわからず」
「いや、いい」意外にもイガラシ首長は笑った。「ヨハクが怪我をしたのを心配してのことだと聞いている。普通の人間なら、心配するに決まっている」
普通の人間とは、どちらの意味でだろう。
あたしが普通の人間だからか、彼らが普通の人間だったならか。
「お前なんて医者だと挑発したらしいな」
「いえ、その……」
「あれはたしかに麻医者だ。心配しなくていい」
「すみません、すみません」
イガラシ首長は声に出しこそしなかったが、表情は完全に笑っていた。あたしが困る様はそれほど愉快か。しかし、トカゲ相手ならまだしも、出向先の上司に舐めた口を利けるほどの命知らずではない。あたしはからかわれているのを承知の上でされるがままになっていた。
「藪医者の多くなった現代で、その皮肉はなかなかに愉快だが」
しかし、聞きなれない言葉が聞こえたので、あたしは手を挙げた。
「あの……藪医者、ってなんですか?」
「ああ。もう死語だったな」イガラシ首長は続ける。「昔は人の病を治す者を医者といい、それを出鱈目な方法で行う者や腕に信用ならない者を藪医者と言った。しかし、爆心期では、中途半端な知識しか持たない医者もどきでも、医者として崇められるようになった。いまでは藪医者から藪が取られ、真実知識のある医者に麻をつけるようになった。麻医者の語源だな」
「へえ」
純粋に面白い話だったので、あたしは関心を寄せた。それに気分をよくしたとは思わないが、イガラシ首長はさらに話を続けてくれた。
「では、何故、本物の医者を麻医者と呼ぶようになったかといえば、それは二つの諺による。一つは、藪の中の荊。もう一つは、麻の中の蓬」聞きなれない言葉の連続だったが、イガラシ首長は説明してくれた。「荊も麻も近頃はあまり見なくなったが、どちらも植物だ。藪の中で生えた荊は他の植物に邪魔されてまっすぐに伸びない。まっすぐに育つ麻に交じれば曲がりやすい蓬も曲がらない。この二つの諺において、藪は悪であり、麻は良いものとされる。藪の反対は麻ということだ。なので、よい医者が麻医者と呼ばれるようになった」
「面白いですね」
「このように、いまでは死語になっている言葉や、爆心期のあとから使われるようになった言葉は、山のようにあるぞ。驚いたのは、ゴローに〝転ばぬ先の杖〟と〝後悔先に立たず〟が通用しなかったことだな。先にあるのかないのかどっちなのかと聞かれた」
「どっちなんですか?」
「……ゴローも知らない言葉を君が知っているわけがなかったか」
イガラシ首長は味わい深い顔でしみじみと言った。馬鹿にされたような気はしなくて、イガラシ首長はただ、知らないことを惜しむような、どこか悔やんでいるような、そんな表情をしていた。
爆心期の只中を生き抜いた人は知識が豊富だ。当時の文明も文化も歴史も知っている。
あたしは「あの、隕石落下より前は、空や海が青かったって、本当ですか?」とイガラシ首長に尋ねた。
「空について言うなら、青というより水色か。千年も前なら真っ青だったろうが。海はその青さを映していた」
「水色が薄い青色なのは、当時の水がそんな色だったからですか?」
「私も専門的な学があるわけではないから、たしかなことは言えないが……水は本来わずかに青みがかっているらしい。プールに水を張るときなどがわかりやすかったな。底の色は真っ白いのに、何故か色が浮かびあがるんだ」
イガラシ首長は懐かしむような顔をしたが、あたしにはわからない世界の話だった。だけど、それはかつてのこの世界のことなんだよなあ、と思う。
インパクトの直後に比べれば、各地の学校体制も整いつつあるが、水泳の授業などは抹消されている。あたしはギリギリ学校に通えた世代だが、プール——というか、水の張られたプールを知らなかった。
「インパクトを経て、あらゆるものが消えていった。君が知らないというのも無理はない。純粋にこの世界の色数が減ったんだ」
生まれてからずっと、あたしの見上げる空の色は、どんよりと汚れた色をしている。あたしはニィナの瞳を見て、はじめて、真っ青という色を知った。
「空の色だけではない。ほとんどの植物も死滅したことも大きい。かつては四季を誇ったこの島も、いまでは見る影もない。本来は、どの季節も色彩豊かだった。春になると、淡い薄桃色の花が満開に咲く。夏は青々と緑が茂り、秋は赤と黄が散り落ち、冬は白の雪化粧」
「賑やかですね……本に載った写真でなら見たことありますよ。ヨハクが植物図鑑を見せてくれたんです。絶滅した植物なんて、不思議というか、ファンタジーみたいでしたが」
「君たちにも見せてやりたいとは思うな。君たちは、春の訪れのもどかしさも、夏の訪れの眩しさも、秋の訪れの切なさも、冬の訪れの目まぐるしさも知らない」目を細める。「私もはっきりとは思い出せない。いまとなっては幸か不幸か、うっかり死に損なった老いぼれだが、その色を再び見ることなく死ぬというのは、寂しいものだ」
イガラシ首長の齢はホッカイドウ首長と同じくらいだったか。爆心期より前ならまだまだでも、現代でいうと相当なお歳だ。それこそ、いつ死んだっておかしくはない。
「まだまだ死に損なってくださいよ、首長」
「ここまで足掻いたんだ。もう休ませてほしいところだが、そうもいかない。精々死ぬまで働くさ」イガラシ首長は笑った。「さて。雑談も多くなってきたところだが、私も多くは時間を取れない。君からはなにか相談事などはあるか?」
なにも不自由は、不足はなかった。ただ、不満が少しあるだけで。
いまなら、イガラシ首長もわかってくれるかも、と思い、あたしはついに相談することにした。




