雷鳴
悠介くんの協力のおかげで、なりすましアカウントの人物と会う約束をとりつけることができた。うん、それはもうとんとん拍子で。
けれど、約束の日が近づくにつれて気が重くなっていく。
……やっぱり今からでも会うのをやめようかな、なんていう気持ちも出てくる。
そんな中、まるで犬のように「斗真先生!斗真先生!」と懐いてくる鉄平や、飛びついてくるタイプではないけれど、そっといつも近くにいる司くんに癒されていた。
本当にかわいい後輩たちだ。
『っしゃ、ラーメン食いにいくぞー!!』
『俺たまには斗真先生と2人で行きたいですー!』
『何言ってんの、そんなこと言う奴を置いてくぞ。司くん、ほら、行こうよ。この間迷って諦めたやつを今日食べればいいじゃん』
『……はい』
『また司ばっかり気にかけてるー!先生俺もー!』
『あーはいはい、わかったわかった』
『やった!ていうか先生、司を贔屓してません?俺のことも忘れないでくださいよ?』
拗ねたように言う鉄平に思わず笑ってしまった。
『してないってば。そして忘れてないから。大丈夫大丈夫』
あはは、と鉄平の頭をくしゃっとなでると、彼はくすぐったそうに、とても嬉しそうに、笑った。
なんてことない、いつもの風景。
────しかしこのとき、この2人の間に流れていた不穏な空気を察知できなかったことに、俺は後ほど頭を抱えることになるのだった。
・・・
カチャカチャとカトラリーを動かす音。つけっぱなしのテレビには車のコマーシャルが流れている。
がっちゃんが作ってくれた夕食を口に運びながらも、なんとなく今日は会話が続かず、2人黙々と口を動かしていた。
最後の一切れにフォークを刺したところで、がっちゃんが遠慮がちに言った。
「……いよいよ明日、ですね」
「うん」
「……そんな大事なときに私の家でハンバーグを召し上がっていていいのですか?」
「いーのいーの。いつも通りの方が緊張しなくていいからさ。うん、このデミグラスソース最高。がっちゃんまた腕あげたね」
「ありがとうございます……?」
がっちゃんが首をかしげながら、困ったように笑った。
どうやら俺の緊張は見抜かれているらしい。
観念して背を椅子に預け、ソースが最高なのは本当だと伝えた後、ほんの少しだけ弱音を吐かせてもらう。
「……はは、やっぱなーんか気が重くて。『怖いなー一体誰なんだろー』とか『院内の奴かな、知ってる奴だったらマジでショックなんだけどー』とか色々考えちゃって」
「自然な心の動きだと思います」
がっちゃんの落ち着いた声が、俺のそわそわしている気持ちを穏やかに包み込んでくれる。
食事を終えたがっちゃんが、ごちそうさまでした、とぼそっと言い、そのままお皿の片付けを始めた。
がっちゃんの後をアヒルのように追いながら、俺も自分の皿を流しに持っていった。
「あっがっちゃん!またフライパン洗ってんじゃん!も〜そのままにしてていいって言ってるのに!!」
「大きいものはさっさと洗っておきたい性分なんですよ」
「それじゃあ作業のバランス取れないじゃーん!どっちかが我慢する関係って俺いやなんだけど」
「……先生が心配してくださるほど料理は手間になっておりませんし、食費もお給料と一緒に振り込まれていますからそこはお気遣いなく」
お金の話題になり、顔をしかめるがっちゃん。不快の色が濃い視線にたじろいだ。
うん、だってさ。
「こうでもしないとがっちゃん受け取ってくれなかったじゃん!俺だって職権濫用みたいなことはしたくなかったよ?」
「院長のご子息という立場をこんな形で利用なさるなんて……」
「仕方ないじゃん!他に受け取ってもらえる方法思いつかなかったんだから!あ、口座のこととかは俺全然わかってないから安心して!……もしかして足りてない?」
俺の言葉に、がっちゃんが慌てた。
「いえ、現状、不足はありません。むしろ余っているくらいなので、それは別口座で貯蓄しています」
「えー!がっちゃんしっかりしすぎ!!えらいね!」
「ありがとうございます……」
困ったようにメガネをなおし、少しため息をついた後、食後のお茶の用意を始めた。
俺もささっとお皿とシンクを洗い上げる。
食後のお茶を飲み、2人ぼんやりとテレビを眺めた。
こうしていると、子供の頃の家族団欒のときを思い出すようだった。
俺と弟はテレビを見て、兄はテーブルでお勉強していたっけ。テレビの音がうるさいだろうに、よくここでやれるよなぁと不思議に思ったことを覚えている。
────いつも自分の部屋で勉強していた兄が、あの時間だけはリビングにいた理由も、今ならわかる気がする。
そんなことを思っていると、あっという間に時間が過ぎていた。
さぁあとは風呂に入って寝るか、となっていたときに、お約束のように電話の呼び出し音が鳴り響いた。
がくっと肩を落とした。
「……なんかさー今日来ると思ってた」
「いってらっしゃいませ」
がっちゃんが苦笑いしている。電話をとった。
「はい鈴木ー。はい、はい、わかりました、今から来ますので。はーい、連絡ありがとうございます」
通話を切り、スマホをポケットに押し込んだ。
荷物を手に取り、さっと靴を履いた。
がっちゃんが律儀に見送りに来てくれた。
「えと、行ってきますのちゅーとかした方がいい?」
「からかわないでください。なんとなくついてきただけです」
ぴしゃっと一線を引かれた。
「ごめんごめん、つい。あ、もし明日さー俺が夜まで帰ってこなかったら警察に通報してね」
「縁起でもないこと言わないでください。もし勤務が長引いて行けそうになかったら私が代わりに行きますので」
「ははっ、そんな危険な目には合わせられないよ。ま、とりあえず行ってくるね」
「…………………………」
会釈をしてくれたがっちゃんに片手をあげ、俺は部屋を後にした。
そして、翌日。
・・・
(……………………今、何時……。やば、10時じゃん)
朦朧とした意識で、時計を確認する。
なりすましの彼との約束の時間まであと1時間しかないことに気付き、しかしもうどうにでもなれという投げやりな気持ちがわいてきていた。
昨夜は、とにかく忙しかった。
近くで大きな交通事故があり、怪我をした人が何人も運びこまれてきたのだ。
救急科だけでは手が回らず、手が空いている者はヘルプに入った。
その間、他の患者さんが来ないかというとそういうこともなく。
歩いて夜間外来に訪れた患者さんが急に倒れたりなどして、てんやわんやの一晩だった。命を落とした人がいなかったのが幸いだ。
────
『あ、斗真先生!来てくれたんすか!』
『うん。鉄平、お疲れ様。よく対応してたね』
『……おしゃべりは後にしろ。続けるんだったら出ていけ』
『わぁ谷川さんいたら安心だー』
────
───
─
椅子に腰掛けぼんやりしていると、ポケットの中のスマホが鳴った。がっちゃんだ。
『先生、お疲れ様でした。大変だったみたいですね』
「うん、それはもう。はは。もう今日はこのまま帰って寝たいな」
本音を漏らすと
『それがいいと思います。なりすましの方は私にお任せください。行ってみます』
「え、それは危ないって!」
『いえ、そちらの方が都合がいいのです。犯人がもし院内の者でしたら、斗真先生の姿が見えたら逃亡する可能性がありますので。
幸い私でしたら、あまり私の顔は知られていないけれど、職員の顔は大体把握しておりますから』
そう言われてみれば、がっちゃん以上の適任はいないかもしれない。いや、しかし……
常だったら絶対許可しないことを、「先生」とがっちゃんの言葉の力強さに押され、「……じゃあ、お願いしていい?」と言えるのが疲労の怖さなのだと思う。
『はい、お任せください。つきましては、約束の時間ごろになりすましにメッセージを送っていただけますか?確認する仕草で目星をつけますので』
「うん、オッケー。着てくる予定の服装とかも転送しとくから。くれぐれも、気をつけて」
『はい』
そう言って電話を切った。
ふぅ、と短く息を吐き、天井を仰いだ。
そっと目を閉じ、何分か気絶した。
院内からの呼び出しの電話に飛び起き、また戦場へ向かった。
そしてその日の夕方、ようやく一段落し、がっちゃんに連絡しようとしたところタイミングよく向こうから電話が入った。
「怪しい動きをしていたのでひとまず一緒に来てもらいました。会議室で少しお話ししませんか」ということだった。
俺は重い足を引きずって会議室に向かった。
廊下の窓から見える夕暮れが、空を赤く染め上げていた。
会議室のドアを開ける。
そこには、会釈して、俺を気遣うようにぎこちなく微笑むがっちゃんと────椅子に座り、がっくりとうなだれている司くんが、いた。




