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虚像の恋  作者: ゆり
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打開案?

 パラ


 パラ…


 静かな詰所に、紙をめくる音が響く。


 研修医たちが出してくれた研修レポートに目を通しながら、目覚ましのための缶コーヒーをすすった。


 段落分けや改行がきっちりされ、誤字もない読みやすいレポート。


 鉄平の書く勢いのある文章、司くんの「、。」ではなく「, .」を使うところに、紙の上でも個性が発揮されていて少し笑ってしまう。


 ……しかし当直明けの体には、チェックするのが少々しんどいものがあり。


 もうテキトーに「読みました」のハンコついとこーかなーなんて、悪魔の考えが頭をよぎった。


 視線が印鑑を探し、とらえた。


 だめだだめだ、と思いつつ手がすすす…と動き出したところで、


「……お疲れ」


 頭上から静かな声が降ってきた。

 そのおかげで、俺は自分の良心を悪魔に売り渡さずに済んだ。


 声の主に体を向け、彼の白い腕をとった。


「谷川さん……!ありがとうございます……!」


「……なんの話?」


 手を握りぶんぶんと揺らす俺に、彼が顔をしかめた。


 メガネの奥には、冬の空を思わせるきれいな灰色の瞳。


 思わず、屋上で黄昏れているときのように、彼の瞳の景色をぼんやりと眺めていると、「……怖いんだけど」と気まずそうに視線を逸らされた。


「あはは、すみません。なんかスイッチがオフになってました。ていうか、当直明けに文字読むのしんどいっすわー」


「……半分貸せ。手伝うから」


「まじっすか!ありがとうございます!!」


 願ってもない申し出に、ありがたく乗っかる。

 残数を全部渡すと、ふざけんなの声と共にきっちり半分返ってきた。

 とほほ、と大袈裟にポーズをとりながらデスクに座り直す。

 谷川さんがキィ、と椅子を引き、自分のデスクについた。


「……今どき手書きのレポートだなんて、上は何を考えてるんだ…」


「あはは、なーんかそこらへんまだ時代に追いつけてないですよねー」


 短い会話を交わした後は、しばらく無言の時が流れた。

 谷川さんは時折チェックでも入れているのか、キュッキュッというペンの音が聞こえてくる。


 眠気のため、再度悪魔に魂を売り渡しそうになった時に、落ち着いた声が鼓膜を揺らした。


「……例の件、どう。犯人は見つかった?」


 谷川さんを見ると、相変わらずの無表情。目線は文字を追っており、この人のマルチタスクの能力に驚愕した。


『今アプリに潜入して犯人探してるんですよ〜』


『……そう』


 いつぞやの会話が頭をよぎる。興味がないかと思っていたのに、覚えていてくれて、こうして進捗まで気にかけてくれていると思うと、なんだかとても嬉しくなった。


 言葉が一気に飛び出そうとして、舌がもつれた。


「あ、あぁ……。うーん。進展なしですね」


「……俺は犯人じゃない。信じろ」


「わかってますよ!」


 俺の歯切れの悪い物言いが引っかかったようだ。不器用な気遣いの言葉に心が和むのを感じた。


「いや、えーと、犯人?とメッセージのやり取りまではしてたんすよ」


「…………………………」


 谷川さんがペンを置き、俺を見た。


「そしたら『写真送って』って言われちゃって。そこで詰みました」


「……AIの画像でも送ればいいんじゃ」


「あははー!それ考えたんですけど、万が一似たような雰囲気の女の子が実在してたらやばいじゃないっすか。もうほんと、どうしよーって感じで…」


 頭をかくと、谷川さんがじぃっと俺を見つめてきた。


「……えっと……?」


「……せいか」


「はい?」


 よく聞き取れず間抜けな声を出した俺に、谷川さんが口の端を上げにやっと笑った。


「AIで女性化したお前の画像を送ればいい」


 普段から冷静沈着で冗談が嫌いな谷川さんと一光年ほど距離がある単語に、俺の思考は一瞬ストップした。


 10回くらい反芻し、ようやく意味を理解できた。


 そして ────笑いが止まらなくなってしまった。


「は……はは……谷川さん……!いや、谷川さんからそんな……提案されるなんて……!あ、みんなに言っていいですか……!やばまじ笑い止まんない……!」


 机に突っ伏して笑い続ける俺に、谷川さんの「……もういい」という声が聞こえた。


 せっかく俺のことを思って言ってくれたのに失礼だったな、と反省し、笑いを引っ込めパンと両頬を叩き気合いを入れた。


「いやすみません……ぶはっ……いえ、すみません。ご助言いただきありがとうございます」


 冷静に考えればそんなに悪くない案だった。そうか、自分の顔を使えばいいんじゃん!


「早速やってみますね」


「……うん」


「できたらチェックしてくださいよー」


「……見たくない」


「そんなこと言わずにー!」


 彼ならきっと冷静な意見をくれるだろうと思った。


 冷めたコーヒーを口に運ぶ。


 不謹慎だけれどもなんだかわくわくしてきて、緩む口元をおさえた。








「あ」


 重大なことに気付いた。


「……どうした」


「いや、なんでもないっす」


 谷川さんはちら、と俺に目をやってから、また自分の手元に視線を落とした。


『犯人は身近にいる人間かもって感じなんですー』

『もしそうだとしたら俺の女性化写真なんて意味ないし、ていうか俺社会的に死にます』


 ……気付いてよかった。

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