傷あと
谷川さんと倉木さんのおかげで気持ちが軽くなったのか、その日以来、眠れる時間がわずかだけれど長くなった。
もちろん、劇的に体調が回復したわけではない。
けれど頭もすっきりした気がして、ぼんやりしていた視界も少しずつはっきりしてきた。
この頃には、手術にもまた参加できるようになった。谷川さんには本当に感謝だ。
麻耶にもメールをしてみた。
元気そうな返信にほっとした。
『そうそう、洋服いつ買いにいく?俺楽しみにしてるんだけど』
『えっ、まだ覚えてたんですか!?ほんとにいいんですって』
『えーじゃあ食事くらいは一緒に行こうよ』
あまりにも服!服!と言いすぎたかもしれない。
女性にとっては怖いものがあるかもしれないと思い、提案を改めた。
衣服に関しては、外商さんに持ってきてもらうことにする。
『うん、そうしましょう。じゃあ場所は……』
この後数回のやりとりで段取りが決まった。
あっさりしたものに少し残念な気持ちになったが、約束は楽しみだ。
にんまりして、スマホをポケットに押し込んだ。
あ、出かけるついでにスマホのカバーも買おう。
麻耶に選んでもらおうか、いや、そんな恋人同士みたいなこと最初から言うなんて変か……
そこまで考えて、自分の思考に苦笑いした。
あの事件がなかったら、きっとこんな風に、恋の予感に、ただ浮かれていられたのだろうか。
考えても仕方のないことに、一つため息をついた。
・・・
そして、約束の日。
待ち合わせ場所にいた麻耶は、いつぞや『百合のようだ』と感じたときと同じように、凛とそこに咲き誇っていた。
おかげですぐにわかった。
「麻耶ちゃん」
「鈴木さん、こんばんは」
俺を見た麻耶は、なぜだか泣きそうに顔を歪めた。
「……?」
「お誘いありがとうございます!私も何回か送ろうとしてたんですけど、タイミングがわからなくて……」
「あ、あぁ、そんなの気にしないでいいのに。読めるときに読んで、返せるときに返すから」
「え〜それ送った方としては気になるじゃないですか〜!」
朗らかに笑う様子を見て、さっきのは見間違いだったかな、とほっとした。
「はは、じゃ、行こっか。あ、俺実はスマホのカバーとかも見たくて……」
「あ、私も丁度変えたいなって思ってて〜」
歩きながら、自然と手を繋いでいた。
それに気付き、慌てて離した。
「わ、ごめん」
「いえ、いいんです。こうします?」
「……なんで俺手首つかまれてるの?」
「これ、鈴木さんも私の手首を握ったら、ヒューマンチェーンって言って、離れにくい握り方なんですよ」
「あっはっはっはっは!!」
麻耶の天然(?)ぶりに思わず笑ってしまった。
「あ、ごめんなさい……ひきました……よね……?」
ハッとしたように、手を離した麻耶。
そうじゃないと安心させたくて、できるだけ優しく言った。
「いや、全然。よく知ってるなぁって思って。でもこれ確か救助?のやつだよね。はは、街中では普通に繋ごうか」
「えっ鈴木さんこそ、お医者さんなのによくご存知ですね!」
「……うん、麻耶ちゃんの『医者への偏見』、面白そうだからゆっくりききたいな」
手を繋いで、他愛無い話をしながら、街を歩く。
そんな小さな喜びを、噛みしめた。
────結局その日はカバーは決まらず、後日また、という形になった。様々な商品があり、2人とも「これ!」というものを見つけられなかったからだ。
「私たちって優柔不断」
「はは、そうだね」
予約していたレストランで食事をしながら、笑いあった。
「これおいしいね〜」
「そうだね〜」
段々緊張もほぐれてきたのか、敬語からラフな話し方になってきたのも嬉しかった。
麻耶は、すごく美味しそうに食べる。
その笑顔を見られただけで、満足だった。
そして、こうしていると、時折睡魔が襲ってきた。
せっかくのデートなんだから、耐えろ!と何度か閉じかけたまぶたを必死に引き上げながら、自分を律した。
・・・
「ごちそうさまでした。今度は私が出しますので」
「いや、誘ったの俺なんだし……」
律儀にお礼をしてくれる麻耶。
その姿にかつての恋人が重なり、ほんの少し苦笑いした。
このまま解散するのはなんとなく嫌だったので、そのまま少し散歩することにした。
正直に言うと、このままホテルに行きたい気もあったけれど、麻耶とはゆっくり関係を築きたい思いと、何より最近の睡眠不足で最後までできる自信がなかったので、ただぼんやり歩き続けただけだった。
何も特別なことは起きず、まぁそろそろ解散しよっか、となったとき、麻耶がおずおずと言った。
「あの……ちょっと鈴木さんを触ってもいいですか……」
「?どうぞ……」
大胆なお願いに思わず両手を広げた。
麻耶は俺の二の腕を触った後、握手をして「ありがとうございました」と言った。
「??????」
「じゃあ今日はこれで。また今度、カバー見にいきましょうね」
「ちょっと、ストップ。どうしたの?何か言いたいことあるんじゃない??」
帰ろうとした麻耶を引き止めた。彼女は泣きそうに顔を歪めた。
「あ、えっと、ごめん……」
「すみません。鈴木さんはすっかり元気なのに、私だけなよなよしてて……」
「え?」
麻耶が悲しそうに笑った。
「ずっと、あのときの夢をみるんです。夢の中で、私、間に合わないことがあって……。泣きながら起きたこともあります。どちらが現実なのか、今鈴木さんと過ごしているこの時間の方が本当は夢なんじゃないかって思えてきて……」
「────────」
衝撃だった。
麻耶も、俺と同じように悪夢にうなされていたなんて。
彼女はさっき『鈴木さんはすっかり元気』なんて言ってたけど、それは違う。
俺だって、まだ
「すみません、変なこと言ってますね私……って鈴木さん??」
気付いた時は、麻耶を抱きしめていた。
「鈴木さ……」
「こっちが、現実だから。俺たち、生きてるから」
自分で言っておきながら、目頭が熱くなった。
あの事件以降、声をかけられるのも怖かった。
建物から出るときは、無意識に辺りを警戒した。
それは麻耶も同じようなものだったのだろう。
先ほど店を出るとき手を強く握られたことを思い出した。
その行動の意味がわかり、切なさに震えた。
「鈴木さん」
麻耶の手が俺の背に回った。
「うん」
「……あったかい」
「うん」
そうやって、しばらく抱きしめ合っていた。
2人にしかわかり合えない傷。
『俺だけじゃなかった』
それを確認できて安心したのか、急に力が抜けてきた。
「鈴木さん……?」
「うん……」
返事はしたけれど、俺の意識はほぼブラックアウトしていた。
「ごめん……すごく眠たくて……タクシーに放り込んで…鈴木病院に…行ってもらえば……いいか…ら……」
「ほんと……ごめ…………」
そのまま、麻耶の腕の中で眠ってしまったのだった ────。




