コンソレーション
麻耶は、あれから結局1週間ほど入院することになった。
といっても熱が下がらなかったわけではなく。
熱自体は翌日には下がっていたものの、『心配だから、もう一日だけ泊まってく?』『あ、ついでに足のリハビリもしようか』『せっかくだから抜糸までいてもいいんじゃない?』とずるずる、ずるずる退院が先延ばしになったせいである。
『あの……傷もだいぶよくなっていますので、一旦自分の家に帰りたいのですが……』
麻耶が遠慮がちに言ってきたときに、俺は自分が世話を焼きすぎていることに気づいた。
『わ、いつまでも引き留めてごめん』
『いえいえ』
笑いながらいそいそと荷造りする麻耶。
その背中に一抹の寂しさのようなものを覚えた。
患者さんが退院するのにこんな気持ちになるのは不謹慎だと自分を戒めた。
麻耶が笑った。
『なんて顔してるんですか!まだ通院しますから、よろしくお願いしますね!それと、署まで来てもらうこともあると思うので、それも併せてよろしくお願いします!』
『わかったよ。あ、いつでもいいから洋服買いにいこうね。都合がいい日を連絡して』
事件のせいで、結局廃棄してしまった麻耶の洋服。
彼女は『安物だから別にいい』と遠慮したけれども、どうしても俺の気持ちが済まず、弁償させてほしいとお願いしたのだ。
『うーん、それで鈴木さんの気が済むのだったら…。ていうか、鈴木さんのせいじゃないんだから、気にしなくていいのに』
麻耶が苦笑いした。
『入院費もとってもらえなくて、正直、いいのかなってびくびくしてます……』
『いいんだって!それは副院長のはからいらしいから、本当に気にしないで!』
『はぁ……』
いまいち納得していない様子の麻耶。困惑しているのが手に取るようにわかるが、ここは俺も譲れない。
麻耶が俺の頬に手を伸ばし、頬の傷に触れた。
『鈴木さんも被害者なんですよ。痛々しい……』
『大丈夫、今はまだこんなだけど、時が経てば薄くなるから』
『そうだといいんですが……』
『大丈夫だって』
そう言って、笑った。
麻耶も、遠慮がちに、笑った。
・・・
麻耶が退院して数日後。
全ての外来が終わり、俺は人気のない食堂で、倉木さんと一緒にいた。
だらだらしていた俺に気付き、倉木さんが声をかけてきた形だ。
「────何なの、この有り様は?恋煩いなの?」
「倉木さーん」
「あらちょっと、クマひどいわよ?ちゃんと寝られてるの?」
「寝てますけど────」
「けど、なんなのよ?」
「…………………………」
言おうかどうか迷って、結局言わなかった。
恋煩いということにしておけば、心配をかけずに済むかも、と思ってのことだ。
眠っても、あのナイフで刺されそうになった場面が何度も何度も目の奥に浮かび上がって、すぐに目が覚めてしまうのだった。
目覚めた時は、大量の汗をかいていて、心臓もドクンドクンといつもより速く大きく脈打っている。
着替えて、もう一度目を閉じて、また飛び起きて────
最近はその繰り返しだった。いつもあの鉄平の狂気に見張られている気がする。
頭の中は常に霧で覆われていて、気を抜くとすぐぼんやりしてしまい、勤務中は栄養ドリンクが手放せない状態になっていた。
半ば机に突っ伏すような状態の俺に、倉木さんがため息をついた。
「ねぇ、こんなこと言うのは専門外なんだけど。もしかして…………って修也ちゃん!!!!えっ、修也ちゃんじゃない!!」
倉木さんが飛び上がった。
「やだ、ごぶさた〜!も〜最近全然会えなかったからあたし寂しかった!」
目がハートマークになり、何やらくねくねし始めた。
視線の先には、同僚の谷川さん。倉木さんの大のお気に入りだ。
その熱烈な挨拶も当の谷川さんはどこ吹く風、表情ひとつ変えず、ぺこ、と頭を下げた。
「……どうも」
「あ────んもう!いつ見てもいい男!好きぃぃぃぃぃ」
抱きついた倉木さんの背中を無表情のまま撫で、「もういいですか」と言った。
谷川さんが俺の向かいに座り、倉木さんもその隣に座った。谷川さんの腕に絡みついて周囲にハートマークを飛ばしながらうっとりと目を閉じている。
某漫画のスタンドとその使い手みたいだな、といつも思う。
「……大丈夫か」
谷川さんの落ち着いた声が響いた。
「……うっす」
「そうは見えないが」
「…………………………」
谷川さんの冬の空みたいな灰色の瞳が俺をとらえている。
相変わらず吸い込まれそうな美しさで、その瞳を見る度に、静かな湖面を眺めている時のようなしんとした落ち着いた気持ちになるのだった。
「手術、俺が代わるから。今のお前じゃ危なっかしくて任せられない」
「それは────」
「何か言い返せるか?」
俺の言葉を遮り、谷川さんが顔をしかめた。
おととい、俺が器具を落として、手術の準備がやり直しになってしまったことを言っているのだと思った。
事情を聞いた倉木さんが驚きで目を見開いた。
「あっきれた、そんな状態で勤務を続けるなんて無理よ!修也ちゃんに甘えた方がいいわ」
「…………………………」
確かにそうだと思う。
俺の事情より、一番は患者さん。
そう思い、谷川さんに頭を下げた。
「すみません、お任せしていいっすか。この埋め合わせはいつか必ずしますので」
「そんなの別にいいから。さっさと元気になれ」
ぶっきらぼうなその言葉の裏側にある優しさに気付き、少し笑ってしまう。
倉木さんが大感激したようで、谷川さんに抱きついて、嵐のようなキスを送っていた。
「もぉやだ、抱いて!今すぐここであたしを抱いて!」
谷川さんは相変わらず意に介さない様子で、倉木さんの頭をなでていた。
そのいつもの様子に、笑いが込み上げてきて、止まらなくなってしまった。
「はは……なんでそんな冷静なんすか……マジすげー」
「もう慣れた」
「ははは…!あ、俺も抱いてください。谷川さんだったらいいです」
「断る」
「ちょっと、いくら斗真ちゃんでも、今のは聞き捨てならないわ?修也ちゃんに何かしたら、もう斗真ちゃんからのコンサル受けてやらないから!」
「それは困るな────」
賑やかな(?)2人のおかげで、ずいぶん久しぶりに笑った気がした。
ふと外を見ると、ガラス窓の向こうの夕陽が、柔らかいオレンジ色になっていった。
「…………………………」
「そうだわ、あの子、麻耶?昨日抜糸終わったわよ。『鈴木さんは大丈夫ですか?』って心配してたから、連絡してみたら?」
「!それ早く言ってください」
「え〜だって〜連絡取り合ってるって思ってたし〜」
倉木さんが谷川さんの腕に巻き付いた。
「後のことはあたしと修也ちゃんに任せて、斗真ちゃんはちょっと休んだらいいと思うわ。ねっ修也ちゃん」
「……倉木さんは科が違うじゃないですか」
「あらま!形成と整形、一緒みたいなものじゃない!」
「……全然違います」
「もぉ、かたいこと言っちゃいやっ!でもそういうところが好きなの!」
ポカポカと谷川さんを殴り始めた倉木さん。その様子がかわいらしい乙女に見えてきたので、俺も相当疲れてるみたいだ。
「休める日に、休もうと思います。ありがとうございます」
「うん」
「ねっ私たちもお勉強会しましょ。2人の共同作業よ」
丁度良いタイミングで、谷川さんの院内コールが鳴った。
倉木さんが鬼の形相で舌打ちをした。




