麻耶
救急のベッドで眠る麻耶を、眺めていた。
出血のせいか、青白い肌が痛々しい。
顔にかかっていた髪を払ってやり、ベッドの横のパイプ椅子に腰掛けた。
鉄平襲来からどれくらいの時間が経ったのだろう。ようやく、一息つけた気がした。
(…………襲来、か)
自分で使った言葉に大きな違和感を持ち、けれどその言葉以外の表現は思いつかず、そっと目を閉じた。
浮かぶのは、街灯を反射したナイフ。
ハッとし、思わず目を開けた。
それから何度も仮眠をとろうと目を閉じるのだが、その度に同じ場面がちらつき、うまく眠れなかった。
まあ、当たり前か。
休憩することはあっさりと諦め、椅子から立ち上がった。
眠る麻耶に異常がないことを確認して、ベッドから離れた。
「兄ちゃん何やってんだよ、寝とけよ」
患者さんを手術室に運ぶための動線を確保したり、細々と動いていると、絢斗が焦ったようにやってきた。
「いやこの状況で寝れねぇって。むしろ動いてる方がいいから」
「やーめーろ。むしろちょろちょろされたら目障りなんだって。そんなに暇だったら院内散歩してこいよってあーだめだ、倒れたら厄介だ……」
ぶつぶつ言う絢斗。
「わかった、邪魔にならないようにしとくからさ。ほら、また電話鳴ったぞ」
今日は当たりの日みたいだ。
疲労の色が見え始めた絢斗が、忌々しそうに舌打ちした。
「……おとなしくしててよ」
「はーい」
元いた椅子に戻された。
と言っても眠れないので、ポケットからスマホを取り出す。
画面は蜘蛛の巣が張り巡らされたようにバリバリに割れており、俺は無言で天を仰いだ。
・・・
麻耶が目覚めたのは、鳴り響いていた電話が一段落しスタッフ全員で飲み物(俺の奢り)を飲んでいるときだった。
上半身を起こし辺りをキョロキョロ見回している。
対応しようとしたスタッフを「俺が行くから大丈夫」と制し、麻耶のベッドへ向かった。
知っている顔を見て少しほっとしたようだ。
「麻耶ちゃん。大丈夫?」
「鈴木さん!よかった、生きてますね!?大丈夫でしたか!?」
想像していなかった返答に面食らった。
いつもは医師として自分が心配する側なので、患者さんから心配「される」というのは、なんだかとても新鮮だった。
会話が途切れてしまい、意図せずお互いを探るように見つめ合う形になった。
麻耶が腕を動かした時、顔をしかめた。
「あ、いたた……」
「あ、だ、大丈夫?痛かったら痛み止め持ってくるけど」
「大丈夫です、なんか、ひりひりするけど…ってえー!足もどうかしたんですか私!?」
包帯を巻いている足に今更気付いたようで、麻耶が目を白黒させていた。
本気で気づいていなかったような様子に笑いが込み上げてきて、思わず吹き出してしまった。
「ふ……ははっ……いや、ごめん、笑い事じゃないんだけど……」
「骨折してます?」
「ううん、折れてない。ひどい捻挫みたいな感じだから、ちゃんと治そうね」
「あー……むしろ折れてた方がよかったっていうあれか……」
むー、と眉を寄せる麻耶。その可愛らしい姿に、あの時の、俺を助けてくれたときの泣きそうな笑顔が重なった。
『大丈夫ですか?』
「…………………………」
「鈴木さん?」
急に無言になった俺を訝しむようにこちらを見ている。
今すぐ抱きしめたいような妙な衝動が湧き上がってきたが、こらえた。
「……麻耶ちゃん、ごめんね」
神妙な声が出た。申し訳ない気持ちが音というものに形を変えたせいなのか、少し涙腺があつくなった。
「何がです?」
「何がって、怪我のこと。俺のせいでそんな目に遭って……」
何が?と返ってくるとは思わなかった。
きょとんとしている麻耶。
からかっているのかと思い、その場違いさにムッとしてしまった。
パイプ椅子に腰掛けた。
「何がです?とか、そんな風に気をつかわなくていいから」
麻耶が慌てたように言った。
「いえ、気をつかっているわけではなく、一般市民を守れただけで私は嬉しいので。ていうか、鈴木さんも怪我してるじゃないですか……」
麻耶が心配そうに俺の頬のガーゼに手をやった。
「あ、すみません、痛いですね」
「ううん、いいんだけど……」
言いながら、麻耶の言葉に何かがずれているような違和感を覚えていた。
えと。
普通の女性だったら、あの場面に居合わせて、体が動くだろうか?
仮に動けたとして、自分も切創がある状態で、興奮した成人男性に向かっていくなどできるのだろうか?
『あー折れてた方がむしろいいやつですね』?
『一般市民』??
ばらばらだったパズルがゆっくりとはまっていき、麻耶の人物像が出来上がっていく。
しかしまだ全体像は見えない。
考え込む俺の手を麻耶が優しく握った。
「怖かったですよね。すみません、私の力及ばずで」
「……いや、全然そんなことは」
「これから事情を聞かれたりして、大変ですけれど、私もいますから。安心してください」
「えと、ちょっと待って、待って????」
麻耶の手を、傷に触らないよう握り返した。
「うん、麻耶ちゃん」
「はい」
「君、何者か聞いてもいい?」
「え?」
「いや、なんか、ずいぶん場慣れ?してるなーて思って」
麻耶が俺の言葉に5秒くらい静止した。
あぁ!と照れくさそうに笑った。
「すみません、言ってませんでしたか」
「えー聞くの怖いなー」
「私、警察に勤めています。といっても警察官ではなく事務方なんですが」
にこにこと笑う麻耶。敬礼をしてくれたのだが、背中の傷が痛んだようで顔をしかめた。
「いたた……」
「ほら、無理しちゃだめだって」
そう言いながら、彼女の今までの行動に合点がいった。
鉄平にひるまなかったこと。
事件後の落ち着いた応対。
警察事務官という職業故だったのか。
「えーと……ひきました……?」
麻耶が少し怯えたように俺を見ている。
その様子から彼女が傷ついた過去が垣間見えた気がして、気の毒になった。
明るく言った。
「いや、全然!むしろすごいなー思う。だからあんなに動けたんだね」
「一般人を守るのは警察の義務ですから」
麻耶が誇らしげに胸を張った。
「それに、鈴木さんだったし」
「え?」
聞き返すと、麻耶がまたもや慌てた。
「あ、いえ、決して変な意味ではないです。知っている人だったから尚更ってことを言いたかっただけで」
「そうなの?」
「そうそう」
麻耶がこの話はやめましょうとばかりに手を振った。
そのままなんとなく笑い合っていると、絢斗がカーテンの隙間からにゅっと顔を出した。
「あのー、いい雰囲気のところ申し訳ないんですが、高崎さんはひとまず一般病棟の方に移ってもらっていいですか。兄ちゃん、案内よろしく」
「あ、麻耶ちゃん、こいつは弟の絢斗。絢斗、こちら麻耶さん」
「プレート見たらわかるって」
絢斗がわざとらしくため息を残して、向こうへ行ってしまった。
案内は俺に任すとのこと、入院の必要はないけれど少しの間でも特別室に連れて行ってあげたくて、空き状況を調べた。
・・・
「……で、楽しくおしゃべりしている内に発熱、結局入院してもらった、と」
兄が呆れ返ったように、ため息をついた。
「何をやっているんだ、お前は」
「……返す言葉がございません」
「…………………………」
「……反省してるって」
肩をすくめると、先ほどよりも大きなため息をつかれた。
ここは、副院長室。
兄の副院長のデスクの端には、この間までにはなかった小さい魚の小さい水槽があった。ベタというらしい。
司くんの実家の話(金魚屋さん)に触発されたな、と想像した。
兄が口を開いた。
「まぁとにかく、お前が無事でよかった。絢斗から連絡もらった時は驚いたぞ」
横に控えていたがっちゃんも無言で頷いている。
「それと駒井くんの父から連絡があった。────家にいた母とお手伝いさんを縛って別室に閉じ込め、脱走していたそうだ。お父さんも帰宅が遅く、気付くのが遅れた、と」
「え、お母さん達大丈夫なの?」
ドラマでしか見たことがない展開に、驚いた。
まさかそんなことをしてまで、俺のとこに来ていたなんて。
それを考えると、麻耶も俺も、命があったことが奇跡的なのかもしれない。
人間の執念というものに、心底ぞっとした。
「……※※病院に入院されているそうだ。お父上が謝罪に来たいとおっしゃっていたが
「そんなのいいって!まずは自分の奥さんとお手伝いさんの回復が先だから!」
かぶせるように言うと、兄がにこっと微笑んだ。
「お前はきっとそう言うだろうと思って、お断りしておいたぞ」
「よかった────」
心底ほっとした。
そのタイミングでがっちゃんが「お茶でもいかがですか」と言った。
全員でテーブルを囲む。
がっちゃんがおもむろに口を開いた。
「……警察から連絡がありました。事件当時の様子を教えてほしいので、なるべく早く伺いたいとのことです」
「え、向こうが来てくれるの?じゃあ麻耶ちゃんの熱下がったタイミングでいいかな。2人一緒だったら手間も省けるんじゃない?」
「どのような形になるかは私にはわかりませんが、かしこまりました、そのように提案いたします」
「あぁ、その麻耶さんにも説明しないといけないな」
兄がお茶を飲みながら言った。
「駒井くんについては、病院のそもそもの対応がまずかった面があると訴訟でも起こされたらたまらん」
「そんなことしないって!」
思っていたよりも大きな声に、俺自身驚いた。
兄もがっちゃんも固まり、俺をまじまじとみつめている。
「────いや、あの、麻耶ちゃんはそういうタイプじゃないと思うし、ていうか警察に勤めてるんだって。だから、ね?」
何が「ね?」なのかはよくわからなかったけれど、麻耶が『これ幸いとばかりに色々とふっかけてくる女』扱いされるのは絶対嫌だった。
俺の思いが伝わったのか、副院長が何かを考えるように目を閉じた。
「では副院長としてではなく、お前の兄として会いにいくとしよう」
「なんでだよていうかどんな人か見たいなっていう野次馬根性だろどうせ」
兄は真面目そうな見た目によらず、こういう、変なところにミーハーな面がある。
邪推する俺に、苦笑いした。
「まぁそれもあるが。兄として、弟を助けてくれてありがとうくらいは言いたいだろ」
優しい声音に、不覚にもうるっとしてしまった。
どうも感情の起伏が激しくなっている。




