安寧を蝕む
「どうしましたか!?」
「大丈夫ですか!」
パトカーから降りてきた警察官が、野次馬をかきわけ駆け寄ってくる。パトカーの回転灯が周囲を赤く照らし、ものものしい雰囲気を作り出していた。
警察官が、がっくりとうなだれ何やらぶつぶつ言っている鉄平の脇を抱え、強引に立たせた。
鉄平は警察官から質問をされているようだったが、反応なしと判断されたのか、ずるずると引きずられるようにパトカーの方へ向かった。
乗るように促されたが、自分からは乗らなかったのでやや強引に詰め込まれていた。
その様子をぼんやりと眺めていると、麻耶が「こちらに凶器があります。現時点で確認したのは一点です」とナイフを差し示しており、「19時28分、確保しました」と言っているのが聞こえた。
声がした方を見ると、麻耶が肩を押さえながら警察官とやりとりしていた。
「麻耶ちゃん!大丈夫?救急車来たから乗るよ」
「あ、はい……今終わったので……いたた……あ、ごめんなさいなんか緊張の糸が切れて……」
ふらついたかと思うと、そのまま麻耶がどさり、と倒れてしまった。
慌てて抱き起こし、抱えた。
こちらです、と救急隊員に誘導され、救急車に乗り込んだ。麻耶のバッグも回収した。
「同乗されますか」
「はい、お願いします。肩から背中にかけて斬られています。足首も負傷している可能性があります」
俺の態度に隊員が「ん?」となった。
「失礼ですが、医療従事者の方ですか」
「そうです。鈴木病院の医師です」
隊員が少し驚いた顔をした。
────おそらくだけど、繁華街も近いので、ホストとお客さんが出勤前に飯を食いに来たとでも思っていたのだろう。
「そうでしたか。じゃあ安心だ。……失礼、そういうわけではありませんね。どこか指定の搬送先病院はありますか」
そう言われ、この辺の地図が頭の中にぶわっと広がった。ここしかない。
「────鈴木病院に」
「了解。鈴木病院へ受け入れ可能か確認します」
別の隊員が麻耶にてきぱきと止血処置を施していく。
「先生、こちら圧迫していただけますか」
「はい」
「ありがとうございます。すみません、本来は私が指示に従うべきなのですが。医師だと確認が取れるまでは、患者でいてください」
「あぁ、いいんです。その辺はわかっていますよ」
にこっと笑うと、隊員が申し訳なさそうに微笑んだ。
サイレンが鳴り響き、車が動き出した。
走行中ふと前を見ると、車が両脇に寄って道を作ってくれていた。
その光景に、なんだか涙がこぼれそうになった。
・・・
「兄ちゃん!」
救急車が病院につき、受け入れ口では救急科勤務の弟・絢斗が待っていてくれた。
事前に隊員が状況を説明していたせいか、いつもの冷静な様子とは違い、少し慌てている印象を受けた。
まぁまさか兄ちゃんが刃傷沙汰に巻き込まれた挙句、救急車に乗ってくるとは思わないよな。
「絢斗、悪ぃ。止血はしたから。引き続き俺が担当するわ」
「だめだって!!」
絢斗の眼光が俺を射抜いた。こいつは綺麗な目をしているせいで、睨んできたら、怖い。
その鋭い視線にたじろぎながらも、素早く準備に取り掛かろうとした。……が。
「────────」
自分の手が、震えていることに気づいた。
止まれ、止まれ、と制御を試みるも、震えは止まらない。
「…………………………」
なんでだよ。
手を開いたり閉じたらしながらうろたえる俺を憐れむように、絢斗が言った。
「今日は、無理だって。しかも自分も受傷してるじゃん。そんな状態で処置に参加することは許可しねぇよ」
なるほど、今日の夜間救急のリーダーは絢斗らしい。
すっかり頼もしくなっていた弟に驚いた。
背丈も、俺より少し高くなってる。
「……だから、座ってて。頬、結構いってるかも」
「マジか」
全然気付かなかった。今も痛みは何も感じない。触ってみると確かにぱっくり開いてる感触はした。
「触るなって。……兄ちゃん、ラッキーだよ。今日は形成の倉木さんもいるから」
「マジで!」
なんという幸運だ。
形成外科の倉木さん。
大の当直嫌いでなかなかシフトに入ってくれないけれど。
彼の縫合の腕はピカイチだった。
けれどそんな先生は俺ではなく、
「麻耶ちゃ……一緒に運ばれてきた女性につけてあげて。きれいに縫ってやってくれ」
「あはは、大丈夫。もうお願いしてる」
「!そう、よかった」
救急受け入れの電話が鳴り響いた。今夜は忙しくなりそうだ。
「……兄ちゃん、後になるかもだけどいい?」
「いいよ別に。なんなら自分でやるし」
「うーん、俺がやるつもりだけど、もし手が回らなかったらお願いね。ってもちろん冗談で言ってるから、本当にやらないでね」
「わかったわかった。ほら、仕事戻れ。俺は俺で大丈夫だから」
「…………………………」
まだ少し震える手を心配そうにちらっと見やり、絢斗は現場に戻っていった。
「〇〇歳男性、路上で胸を押さえ倒れたそうです!倒れた際頭を打っており中程度の出血があるそうです!……」
「受け入れ可能です!」
と絢斗が言うのと同時に、少し離れたカーテンの向こうから「マジで?ちょっと、今日多い日?やんなっちゃう」という倉木さんの独特の喋りも聞こえてきた。
・・・
「…………………………」
カーテンの向こう側をじっと見る。
受け入れでバタバタしている向こう側とは別世界のような静かな世界。
カチャカチャと器具を動かす音が聞こえる。
近づいて、邪魔にならないよう声をかけた。
「こんばんは、倉木さん。お久しぶりです」
「なーにーよー。その声は、斗真ちゃんね」
口調とは裏腹の野太い声が返ってきた。
「きれいに縫ってあげてくださいね」
「あたしを誰だと思ってんの?斗真ちゃんに言われなくても、縫い目もわからないくらいきれいにしてあげるわ」
独特の話し方に、笑いが込み上げてくる。
恭しく礼をした。
「それはそれは、失礼いたしました」
「うふ、マカロン一つで許してあげる。それと、すぐに縫ってあげるからそこで待ってなさい」
「えー嬉しいなー」
そんな会話を交わし、待つこと数十分。
しゃっとカーテンが開き、倉木さんが腰に手をやってウィンクした。マスクをずらし、勝ち気に微笑んでいる。
「お待たせ。次、斗真ちゃんの番よ」
そこには、筋肉隆々で髭面のおっさんが立っていた。派手なアイメイクに派手な髪色。そのド派手な出で立ちは、まるでドラァグクイーンのようだ。
そうだった、実際彼はその腕前からクイーンと呼ばれていた。
処置がしやすいように、処置台に横になった。まな板の上に置かれた鯉にもし意識があったら、きっとこんな感じだろうと思った。
「うふ、じゃあ始めるわね。あらあら、ぱっくりいったわね〜」
傷口をきれいにしてくれながら、倉木さんが言う。
「テレビの速報で出てたわよ。『負傷した男女』がまさか斗真ちゃんだなんて思わなかったわよ〜」
「はは、俺もまさかこんなことになるなんて思ってもなかったよ…いって」
麻酔が打たれた。
しばらく待ち、倉木さんがちくちくと縫い始めた。
見た目によらず、手つきは流れるように滑らかだ。
「……犯人捕まったって、続報で出てた」
「うん」
「…………言葉がないわ」
「うん。俺も」
2人とも無言のまま、時が過ぎた。
と言っても、倉木さんの手にかかれば、俺の傷なんてあっという間に縫い終わってしまった。
「はい、終わり」と言われ、ゆっくり上体を起こした。
倉木さんが、縫合に使った道具を片付けながら、
「数日でくっつくと思うわ」
「ありがと。わーぉ、すげぇ。俺、縫合は下手な方じゃないと思うけど、やっぱ倉木さんにはかなわないわ」
手鏡で、まるでプロにメイクをしてもらった女性のように、縫い傷をうっとりと眺めた。
「縫合は形成外科のお家芸よ。……でね、前から言ってるけど」
倉木さんが俺の眉上を見た。
「その眉の縫い跡、やっぱり気になるのよねぇ。一体いつまで未練たらたらなんだか。ほんと男って笑っちゃう」
同僚の谷川さんと好きな女性を巡って大喧嘩した時に殴られた跡のことだ。
「消したくなったら、あたしがいつでもやってあげるから。言いにきなさい」
「あはは、そうっすね」
笑いながら、傷に手を当てた時だった。
『少し跡が残ってるんですね』
────不意に鉄平の声が蘇り、心臓が大きくはねた。
『俺もあなたに』
冷ややかな刃物の感覚。
『消えない傷を』
「斗真ちゃん?」
倉木さんの声ではっと我に返った。
目の前の光景をしっかり見る。
いつもの救急外来。いつもの同僚たち。
「?どうしたの?美形が台無しよ」
そう言って倉木さんが頭をなでてくれた。
この病院には、頭をなでてくれる人が多い気がする。俺はいつも、その手に安心するのだった。
「ま、そろそろアドレナリン切れてくる頃ね。他に痛みが出てきたら言ってちょうだい」
「……うん」
「今日はここで寝ときなさいな。ガールフレンドも、
目を覚ました時にあなたがいたら心強いわよ」
そう言ってウィンクしながら、頭部外傷の患者さんのところへ行ってしまった。
麻耶の方を見ると、絢斗が足首に包帯を巻いているところだった。
一連の処置が終わった後、『命に別状はない。今のところ神経等に損傷はみられない。適切に治療をすれば後遺症が残る可能性も低い』と聞き、心の底から安堵した。
よかった。




