芽生え
また、いつもの夢を見ていた。
鉄平の狂気で地面に縫い付けられたように、体は動かない。
全ての時が止まる。
俺は、振り下ろされるナイフを────
いつもここで飛び起きるのだが、今日はそうではなかった。
周りが霧散していき、なぜだか「もう大丈夫」という思いで安堵していた。
『あ、がっちゃーん!』
がっちゃんが自分のメガネをくいっと上げながら、静かに微笑んでいる。
『あのとき来てくれてマジでありがとうね!恩は一生忘れないからね!』
『勿体無いお言葉』
がっちゃんが軽く会釈し、誰かに気付いたようにそちらにも会釈した。
『?』
そちらを見やると、百合の花を持った女性が、俺に向かって手を振った。
『────ま
途端ナイフが振り下ろされる場面に戻った。
声をあげるのも忘れ、もうだめだ、と観念した時に、鉄平の形をした何か悪いものが跡形もなく消え去った。
先ほど百合を持っていた女性が、肩で息をしている。
こちらを見て、微笑んだ。
『大丈夫ですか?鈴木さん』
麻 耶
言葉にならない声で、名前を、呼んだ。
麻耶が、にっこりと微笑んだ ────
そこで、目が覚めた。
目に入ってきたのは見慣れぬ天井。
「え?」
がばっと身を起こすと、豪華な装飾が施された部屋。俺は自分が病室の特別室のベッドに寝かされていることに気付いた。
腕には点滴の針がささっている。
袋を確認すると、ただの脱水防止のためだった。
自分で針を抜き、カーテンを開けた。
あたたかな太陽の光が差し込み、その眩しさに一瞬目が眩む。
ゆっくり目を開けると、思った通り、俺が勤務する鈴木病院だった。
窓を開けると、心地よい風が頬を撫でた。
なぜここにいるんだ?と思いを馳せたとき、俺は自分のやらかしに血の気が引いていった。
『寝かせて……』
『タクシーで鈴木病院にって言って……』
だいたいこんな感じのことを────デートをしていた麻耶に頼んで、俺はそのままぶっ倒れたのではなかったか。
男だったらいざ知らず、かよわい女性はさぞ後始末に困ったろう。
頭をかかえ、ひとまず麻耶に謝罪をと思いスマホを探す。探している最中に今日の日付が目に入ってきて、固まってしまった。
(ちょ……待て……俺丸二日寝てたってこと……!?)
カレンダーの日付が、2日分進んでいた。
ちょっとしたパニックになっていると、ちょうど病室の入り口のところに弟の絢斗が現れた。
「あ、起きてる」
「いいところに来た────!ちょっと、え、何、俺2日寝てた??まじで??」
「うん」
絢斗が淡々と言う。点滴を見て「あっ勝手に」とぼやいていた。
「なぁ、俺どうやってここまで来た?」
「ききたい?」
絢斗が点滴の片付けをしながら、にやっと笑った。
……嫌な予感がする。
「えと、自分で歩いて来たわけ……ないよな?」
「ないない。この間会った…麻耶さんに担がれて来た」
「はぁあ!?」
己の失態に、間抜けな声が出てしまった。
待て待て待て。近年まれに見る大失態だ。
「まじで…まじで?」
絢斗は、すがるように見る俺をいたぶるように、にやにやしながら答えた。
「まじ。まぁ、担がれてっていうか、おんぶされて?んで兄貴はそんな麻耶さんの胸を鷲掴みにしてもみしだいてて」
「ちょっとそこの窓から飛んでくるわ」
「早まらないで」
絢斗が笑った。
「胸云々は嘘だから」
「悪趣味だぞ!」
「あはは。でも、おんぶして来てくれたのは本当」
絢斗がささっと俺の瞳孔や体温を確認している。
「お礼言っときなね」
「……言われなくても」
「はい、異常なし。検査も異常なし。2日も寝続けるなんて、よっぽど疲労していたんだね」
ま、あんなことあったから当たり前か、と言いながらも、入院プレートの紙を外し、さっさと退院の準備に入っている。
支払いは俺の給料から天引きらしい。
へーい、と返事をしながら大事なことに思い至り、焦って聞いた。
「麻耶ちゃん、背中の傷大丈夫だった?足は?」
心配だった。
治りに影響が出たら、俺が責任を持って最後まで治療しようと密かに決意していたところ、意外な返事が返ってきた。
「俺も気になって診てもらったよ。大丈夫だった。安心して」
「よかった────」
「ふふ、麻耶さん元自衛隊員でもあるんだって。『鈴木さんの1人や2人、羽衣みたいなものです』って笑ってた」
「なんて?」
思ってもいなかった情報に、吹き出してしまう。
絢斗も手を口元にやって、笑いを堪えている。
「……ま、今日も様子見にくるって言ってたから、その前にちゃちゃっと身支度しとけば?」
「!あ、確かに2日も風呂入ってねえし、腹も減ったわ」
この部屋にはシャワーもついてるのでそこで汗を流した後、院内のコンビニで弁当を買ってこよう。
部屋の片付けは自分でやるから放っておいて大丈夫だから、と後を頼み、俺はシャワー室へ向かった。
いつぞや院内お仕事スタンプラリーで回ったときに叩き込まれた部屋の整え方が、また役に立つ日がくるなんてびっくりだ。
人生何が起こるかわからない。
……本当に。
麻耶が病室を訪れたのは、俺がシャワーを浴び、Tシャツとジャージとスリッパという姿で、ベッドを整えているときだった。
「鈴木さんが起きてる!」
「麻耶ちゃん」
「よかったああああ」
抱きついてきた麻耶を受け止めた。シャワーを浴びてて本当によかったと思った。
「具合はどうですか?」
「おかげさまですっかりよくなりました」
「よかった」
麻耶が俺の手を取り、上下に軽く振った。
「麻耶ちゃん、迷惑ばっかかけてごめんね」
「いえ全然!お気になさらず。ところで鈴木さんもジャージって着るんですね」
麻耶が俺を上から下まで見た。
「似合ってます」
「えーなんかやだなー」
「なんでですか。こういう鈴木さんもいいですよ」
ぽん、と俺の肩を叩く。
その動作がとても心地よかった。なんだか全身の力が抜けた。
「……ありがとね。みんなさ、俺のいいとこばっかり見てくれるけど、それって所詮虚像だからね。ほんとの俺はジャージだって着るし、色々ほったらかして2日も寝るし……」
「今回の睡眠は、仕方がないですよ」
麻耶がくすくす笑った。その姿が愛しくて、自然と頬が緩んだ。
「麻耶ちゃんには、かっこいいとこだけ見せたいんだけど」
「それは難しいかもですね。でもほら、私だって最初はここで大泣きしたんだし」
麻耶が頭をかきながら、恥ずかしそうに言った。
そうだった、そんなこともあったっけ。
「────────」
開けていた窓から、さぁっと風が入ってきた。
レースのカーテンが膨らみ、その影が壁で踊った。
「そういえば麻耶ちゃんって自衛隊にいたの?」
「あれ、言ってませんでした?」
「きいてないきいてない。他にもまだ何かある?」
「えーなんだろー」
麻耶との出会い方はちょっと変わっていて、そして仲良くなっていく過程もかなり特殊だけれど。
「まぁ、そのときそのときにわかりますよ」
「あはは、それもなんか怖いなー」
この人は、きっと、俺の唯一無二の存在になる。
そんな予感に、胸躍っていた。
「鈴木さんも何かあるんじゃないですか」
「えーないよー。こう見えて俺医者一筋だしー」
「えー嘘ー!」
「残念ながら、ほんと」
楽しそうに笑う麻耶が眩しかった。
窓の外は、雲一つない、抜けるような青空。
こんな日は、麻耶を連れて海岸線沿いをドライブしたいなと思った。
見届けてくださり、ありがとうございました!




