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十年の理由

 中学校での飛び降り事件の聴取を終え、私と椎乙刑事は帰路についていた。

 事件に不自然な点は見られないし、このままいけば自殺として扱われるだろう。

 三鷹署の同僚であり、留守番していた市川あたりが聞けば「万々歳」と喜びそうな結果だが、先ほどから隣を歩く椎乙刑事の眉間の皺は深まるばかりだ。

「椎乙刑事?」

 彼はあれが「自殺ではない」と考えているのだろうか。

 私にはその考えが正しいのか、だんだんわからなくなってきた。

(椎乙刑事の勘はたしかに当たるわ、それは認める。でもあれはどう見たって自殺だし)

 生徒が飛び降りた屋上からは、手書きの遺書まで見つかっているのだ。その上、亡くなった生徒には精神科への通院歴があった。向精神薬を服用していたことを考えても、彼女が自殺である可能性はかなり高い。

(自殺にいたるだけの動機があった)

 それを無理やり「他殺」とする根拠は、今のところ何もない。

 今回ばかりは椎乙刑事の勘も外れたかと、少しだけ肩透かしをくらった気分で私は歩いていた。すると隣を歩いていた椎乙刑事はいつのまにか立ち止まっていた。

「? どうしました」

「お前、今からちょっと日瑠葉の工房に行ってこい」

「……まだあれが自殺ではないと思ってるんですね」

 彼は私に「事件に関するミニチュアがないか、日瑠葉の工房へ行き確認してこい」と言ったのだ。たしかにその可能性がないとは言いきれないが。

(もし椎乙刑事の勘が当たって、あれが殺人事件なら)

 日瑠葉が事件現場のミニチュアを作っている可能性はたしかにある。

「だけど」と私はひと言いわずにはいられない。

「行っても無駄ですよ。日瑠葉さんは私たちに協力する気がないですし」

 私はそこでふと、日瑠葉がミニチュアを作る理由について思いをはせた。

 彼はなぜ「殺人現場」なんてものを、リスクを冒してまでつくり続けているのだろう。

 ただの興味本位や芸術的な理由で作っているなら、椎乙刑事や私が見せてほしいと頼んだとき、あれほどに拒否するのはおかしい。

(それにあれは――)

 私に事件のミニチュアを見せることを拒んだとき、日瑠葉の様子や雰囲気は、まるで何かをかばっているようだった。

「……ひょっとして、なんですけど。藤木さんが関係しているんでしょうか」

「なぜそう思う?」

 椎乙刑事は驚かない。

 やはり彼もそう考えていたのだ。

「わかりません。だけど、日瑠葉さんがミニチュアを作る理由はなんだろう、と思って。人に見せたくないのなら、なぜ『殺人事件の現場』なんてものを、仮に夢で見たとしても作り続ける理由はあるのかと。けど、もしもそれが」

 十年前に失踪した、自らの叔父を追う手がかりとして作っていたなら?

 殺人事件のあった現場に、藤木博士の持ち物や遺留品が残されていないか、それをたしかめるためにミニチュアを作り続けていたとすれば。

 私は自分で思いついたことにぞっとしていた。

 だってそれって、どういうことなのだろう。

(これじゃぁまるで、あの藤木って人がいつも殺人現場にいるみたいじゃない)

「あの藤木は、確実に人殺しだ」

 椎乙刑事は苛々と胸ポケットから煙草を取り出し火をつけた。

 私は彼が喫煙しているところをはじめて見たので、少しだけ驚いていた。椎乙刑事は見た目に反しずいぶんと繊細でかわいらしい部分を持っているので、てっきりそんなもの吸わないだろうと思っていたのだ。

 視線に気づいた彼は変わらぬ強面のまま、けれど声音は多少照れたように言う。

「なんだ」

「いえ。吸われるんですね」

「ずっと禁煙してたが、藤木が現れたせいでぱーだ」

「はぁ……でもじゃあ、日瑠葉さんはあの藤木という人を庇っているんでしょうか?」

「おそらくな。だが証拠がねぇ」

 十年前もそうだったと、椎乙刑事は舌打ちとともにぼやいている。

「十年前?」

「前に話したろ。俺が日瑠葉とはじめて会ったときのこと。あの時も三鷹で事件があって、日瑠葉は現場の様子を絵に描いてた」

 そういえば先日、椎乙刑事に話してもらったばかりだ。

 たしか日瑠葉が高校生のときの話だった。

(火災現場の前で、高校生の日瑠葉さんを椎乙刑事が見つけたんだっけ……)

 日瑠葉が燃えた家の内部の絵を持っているのを、偶然にも椎乙刑事が見たのだ。

 鬼瓦のような顔が遠い目で、思い出すように宙を睨んでいる。

「あの事件では、近所に住んでた奴が逮捕された。家を燃やすのに使われた油や凶器が、そいつの家から見つかったからな。でもいま考えりゃ、あれはできすぎてる」

 被害者はナイフで殺され、油をまかれて家ごと燃やされていた。そのナイフや油のポリタンクが隣人の庭先から発見され、事件は急速な解決をみたのだ。逃れようのない証拠を前にして犯人が自供した形だった。けれど椎乙刑事はそれが今でも納得いかないという。

「勘ですか?」

 私がなかば呆れて問えば「いや」と強面の刑事は首を振る。

「それだけじゃねぇ。日瑠葉の絵だ」

 俺はそれを見た、と椎乙刑事は難しい顔で続けた。

「あの時はまだ、あいつの絵がどういうものかわからなかった。俺はただ日瑠葉が『ネットで写真を見て描いた』といった、その言葉通りにとっていたくらいだ。けどよく考えてみりゃ、俺の記憶にはそうじゃないという証拠が残ってる」

 日瑠葉が描いた一枚の絵――鉛筆でスケッチされただけの被害者の自宅の様子だ。

 同じ構図の写真がネットにあり、それと絵を見比べたとき、いくつかの相違点に椎乙刑事は気がついていた。

 まず被害者の姿は、日瑠葉の絵には描かれていない。代わりのようにユリの花が一輪、真ん中に描かれているのみだ。

 そしてネットの写真ではテーブルの上に雑然と物が積まれていたが、日瑠葉の絵では綺麗に片づけられていた。そしてそのテーブルにこそ、確たる証拠が描かれていたのだ。

「ジーンズ地のショルダーバッグだ。柄を調べてみたら、ビンテージ物だった。そうそう簡単に手に入るものじゃねぇ」

「バッグ? それがなにか……」

「藤木が持ってた物と同じだったんだよ。どこかで見覚えがあると思った」

 椎乙刑事が日瑠葉の家へ絵を届けに行ったとき、藤木はたしかにそのショルダーバッグを提げていたのだそうだ。

 ジーンズ地に大柄な花がプリントされた、人目を引く瀟洒なショルダーバッグ。

 椎乙刑事はその特徴をばっちりと覚えていたわけだ。

 それがたしかに藤木の物なら、彼は殺人事件のあった場所にいたことになる、のか……?

「ちょっと待ってくださいよ。でも、根拠は日瑠葉さんの描いた絵一枚なわけですよね? ……藤木さんの持ち物を、ただ彼が絵に加えただけかもしれないじゃないですか」

 日瑠葉と藤木は同居していたのだ。

 ネットの写真を模写した日瑠葉が、実の叔父の持ち物をアクセントとしてそこに描き加えていてもおかしくはない。

 それに、いくら藤木の持っていたのがビンテージのバッグとはいえ、たまたま同じものを二人が所持していた可能性だってあるだろう。

 椎乙刑事は吸いがらを携帯の灰皿にねじこみ、ため息をついた。

「いや、間違いねぇ。俺は日瑠葉のことならよく分かってる」

 椎乙刑事はあやまちをたしなめるような口調になっている。

 日瑠葉はミニチュアを作るとき、事件と一寸の差異もないように精巧に作るのだと。

「どういうわけか知らねぇが、今まであいつは現実を写し取るようにミニチュアを作ってる。だとすれば、奴が描いた絵にも同じことが言えるんじゃねぇのか?」

「それは……どうでしょう」

 なにしろ十年も前のできごとだ。

 最近の日瑠葉がどうであれ、昔のできごとに関して聞く限りはなんともいえない。

「でもそこまで考えていたなら、どうして十年前に藤木さんを問い詰めなかったんです?」

 藤木が犯人だと確信していたなら、そのまま彼を調べていけば手がかりを得られたかもしれないのに。

(あるいは藤木さんに直接、事件について問いただしていたら)

 すると椎乙刑事の強面はいっそう歪められた。人間の顔というものはここまで凶悪に変わるものなのか、それはブルドッグもびっくりの表情だった。

「だから、時間がなかったんだよ。奴が失踪したのは十年前、まさに俺が日瑠葉の家に絵を届けに行ったそのとき、その瞬間だったんだからな」

 椎乙刑事がはじめて日瑠葉の家を訪れたときのことだ。

 藤木は日瑠葉から弁当を受け取ると、いつものように仕事へ行くふりをして、そのまま帰ってこなかった。それから十年、その日を境に藤木の消息は杳として知れず。

「まさか、それが今日?」

「ああ。だから日瑠葉は俺のことを恨んでもいる。俺が……警察が奴の家に来たとたん、自分の叔父が失踪してみろ。その関連を疑いたくもなるだろう」

「なるほど。だとすると彼にはやはり、わかっていたのかもしれませんね」

 自らの叔父が何かの事件に関わっていたこと。

(あるいはそれが殺人事件で、藤木がその犯人かもしれないことも)

 だとすれば、彼がミニチュアを作っている理由にも得心がいく。

 それを誰にも見せたがらなかったわけにも、遅まきながら思い至った。

「だから前野、お前が行け」

「え?」

「俺が行っても日瑠葉の協力をとりつけることはできねぇだろう。俺は今まで、さんざん奴のミニチュアを見ようとあいつの回りをうろついてきたからな。だがお前なら」

「いやそれは……そんなの私が行ったって同じでしょ? 大体、日瑠葉さんが藤木さんを今までかばってきたのなら、今さら私たちに協力なんて」

「かばってきたからこそだ」

 椎乙刑事の声音は確信に満ちていた。

「この十年、日瑠葉がどんな思いで暮らしてきたのか。ひとつも変わらない人間なんていねぇ。藤木が目の前に現れた今なら、そして前野、お前が行けば、可能性はあると俺は思う」

 椎乙刑事の気迫に押されて、私は返す言葉がなにもなかった。


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