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日瑠葉の工房

 日瑠葉の工房へ着いたのは昼過ぎだった。

 平日の昼日中とあって静かな住宅街を歩いていくと、その灰色のコンクリート壁の建物が見えてくる。

 私はできるだけ静かに近づき、二階にある工房の入り口まで猫のように階段を登っていった。扉を開ける前に柔道家が帯を締めるときのよう、鋭く息を吐く。

 日瑠葉からの協力をなんとしてもとりつけてみせる。

 たとえ彼が、自分の叔父である藤木をかばっていたとしても、犯罪を取り締まるのが警察の使命なのだ。

(彼から手がかりを引き出してみせる)

 覚悟を決め、道場破りのような心境で工房のドアを開けた私は、大声で出すはずだった挨拶を思わずのみこんでしまった。

 工房の中は見たことがないくらい人でいっぱいだったのだ。

 四つある長机の席に数名ずつ女性が座り、笑顔で作業をしている。

 人数はざっと十五人ほど――その全員が女性で四十代くらいだ。

 扉を開けたこちらには気づかず、工房内は和気あいあいとしていた。よく見れば五反田と日瑠葉はそれぞれが立ち、各テーブルの様子を見ながら何かを教えていた。

(あ、そっか)

 今日は日瑠葉の開くミニチュア教室の日だったのだ。

 そういえば前に来たとき、五反田がそんなことを言っていた。

 どうしたものかと悩む暇もなく、こちらに気づいた五反田が目を丸くして歩いてくる。

 気づいた日瑠葉も顔を上げたが、その表情からは感情がまるで読み取れなかった。

「どうも、前野さんでしたよね? 今日はどうされましたか?」

「こんにちは。日瑠葉先生に、すこしお話があって」

 その言葉に顔をしかめた相手をなんと説得したものか考えていると、遠くから日瑠葉が「五反田くん!」と手招いた。

「あ……ちょっと、すいません」

 五反田は日瑠葉から何事か指示を受けると、すぐにまた戻ってくる。

 いまや教室中がこちらを見ており、私はたいそう居心地が悪かった。

 工房内の視線のうちには、私の美しさに対する純粋な驚きから憧れ、嫉妬、敵意、不愉快さなど、様々な感情が露骨に含まれている。いつものことだが、大勢の前に立つと衆目の無粋な観察と身勝手なイメージをこれでもかと浴びせかけられてしまう。

 私は不快さに耐えるあまり、睨むような顔つきになっていたらしい。戻ってきた五反田がじゃっかん怯えながら「どうぞ」と作業台のあいている椅子を示した。

「教室が終わるまで待っていてほしいとのことです。えっと、今あいてる椅子がここしかないので……」

「あ、はい。構いません」

 どうやら日瑠葉は話を聞く気はあるようだ。あるいは、教室に来ている他の生徒たちの前で、警察との大っぴらな争いを避けたいだけかもしれない。

 私が座ったのは、他に三人が作業をしている長机の一席だった。

 同じテーブルの全員が何事もなかったように笑顔で作業を続けているが、互いに談笑をかわすその意識が露骨に私へ向いているのを肌で感じた。

(外で待ってても良かったんだけどなぁ)

 あとどれくらい待てばいいのかしらないが、このいたたまれない手持無沙汰に文句を言いたい気分だ。

「はい、前野さん。これ」

 ぼんやりしていると、五反田が目の前に透明のアクリルトレーを運んできた。

 中にはピンセットやガムテープ、接着剤などの道具一式と、塗料や色つき粘土などの素材、そしてフルーツケーキの写真が一枚入っている。

「日瑠葉先生が、待っている間これを使ってもらうようにって。初心者用のミニチュアキットですから、さほど難しくないですよ。なにかわからないことがあれば、いつでも聞いてください」

「いやあの、私は――」

 離れた場所でなにごとか教えていた日瑠葉が、ちらりとこちらを見てきた。一瞬だけ目があうが、強張った表情ですいと視線をそらされてしまう。

 五反田が苦笑しつつ小声で言った。

「あのですね。前野さんにただ、ここに座っていられるのもちょっと、他の方にあれなんで」

 この場の雰囲気を壊すということだろうか。

「なら、私は外で待ちますので」

「いやいや、せっかく来てくれたんですから。一度試してみてくださいよ、ね? 作ってみれば前野さんにも、ミニチュアの良さと先生の素晴らしさがわかりますから! それにほら、このフルーツケーキ」

 五反田が笑顔で見せてきたのは、キットの完成形であろう一枚の写真だ。そこに映るフルーツケーキは、まるでミニチュアとは思えないくらいの精巧さだった――つまり一見するとふつうの食べ物の写真だ。

(これはたしかにちょっと……すごい)

 写真なので完成形のサイズがどれくらいかは分からないが、ミニチュアケーキに盛られたフルーツのひとつひとつが真に迫っている。オレンジのつぶやみずみずしさ、イチゴの種からへたにかけてのうす桃色の変わり具合など、とにかく作られたすべてが本物に見えた。

「この間、前野さんが持ってきてくださったフルーツケーキですよ。ほら、ミニチュアにするとものすごく素敵でしょう?」

「はあ……」

 私は仕方なく頷いた。これはたしかにアートだと認めざるをえない。

(待ち時間の手持無沙汰に、私みたいな初心者がつくれるものには思えないけど)

 目をキラキラ輝かせた五反田は「さぁ、どうぞ」と嬉しそうに作り方の指示書を渡してくる。私はその勢いと好意、熱心さに押し負けた形で仕方なく作業に入った。

「えっと、まずは――粘土」

 ケーキの土台やフルーツ、小物などはほとんど速乾性の紙粘土で作るらしい。

 説明書を読むと、まずは用意された型に粘土を入れ、形を固めてから取り出す作業をするようだ。

(なるほど)

 ミニチュアケーキの作り方は、大まかな流れとして次のようになっていた。


『一、粘土で必要なパーツ(ケーキ本体や上に乗せるフルーツ)を作る。

 二、各パーツに色をつけ、乾かす。

 三、ケーキの土台に各パーツを盛り付ける』


 作り方を読んでみればひどく手軽そうだ。けれど五分もたたないうちに、私はこれがやはり「初心者用キット」などではないと感じはじめていた。

 まず最初のケーキの土台を粘土で作る工程。これはまあ良かった。

 ケーキの台は一番大きなパーツだし、すでにクリーム色に着色済みの粘土を決められた直径、厚みへ近づけて成形するだけだ。幼稚園でやった粘土遊びを、すごく慎重にするだけともいえる。

 しばらくは横で様子をみていてくれた五反田も、私がケーキの土台を作り終えるのを見て(ちょっとだけ眉を寄せたが)、及第点はくれたらしく他のテーブルへと移っていった。

 しかし問題はその後だったのだ。

 ケーキにのせるカットフルーツの作成、これがまったくうまくいかなかった。

「ぅっ……くそっ! この――!」

 小さく悪態をつきながら、私は粘土と格闘した。

 作業内容は簡単なのだ。あらかじめ渡された青いシリコンの抜き型に紙粘土を押し込み、乾いたらそれを取り出すだけ。

 抜き型はあらかじめイチゴやオレンジの形になっていて、そこに速乾性の粘土をつめ慎重に取り出すだけで、精巧なフルーツの形ができあがる。ただそれだけのことが嘘みたいに難しい。

(なんでこんなに小さいのよ!?)

 実物の十二分の一スケールで作られた抜き型のへこみは、小指の爪半分より小さい。

 その面積の狭さゆえ、押し込む粘土がはみ出てしまったり、うまくつまらなかったりする。

 おまけに粘土は速乾性なので、もたついていると押し込もうとした形のままで固まってしまうのだ。

 私の手は緊張でふるえ、汗ですべりはじめていた。手元を細かく注視しているせいで目や首、肩のあたりに負荷がかかる。

 そうして悪戦苦闘しつつ、なんとか無理やりに紙粘土を型に詰め終えたところで、同じテーブルに座っていた人の視線がなぜか私を見ているのに気がついた。私を、というより、私の頭上へぼんやりと注がれている視線。

(なに?)

 見上げると、日瑠葉が上から私の手元をのぞきこんでいた。いつの間に来たのだろう。私が粘土を入れたばかりの型を手にとり、しげと眺めている。真剣な表情で目を細める日瑠葉を見て私は納得した。

(ほんとだ……あの藤木っていう人にちょっとだけ似てる、かな)

 細められた切れ長の瞳や通る鼻筋、優しげな口もとに藤木の面影があった。

 考えてみれば、日瑠葉と藤木には血のつながりがあるのだから、顔立ちが似ていてもおかしくはない。ないのだが。

(なあんか雰囲気が違うんだよね)

 ふたりに血のつながりがあるとは、教えられなければ分からないだろう。それほど藤木と日瑠葉は異質なものに思えた。

 日瑠葉にはどこかおっとりとした空気がある。自然体やほっこり、塩系男子、といった形容詞が似合うのが日瑠葉だ。けれどあの藤木は違う。

(ひと目見てはっとさせられる。なにが、とは言えないけど)

 品の良さや見目の麗しさは似るところもある。けれど藤木が笑うとき、その優しげな笑みがなぜか作りものめいて見えるのだ。

 ぼんやりと考えこんでいると、シリコン型を眺めていた日瑠葉はうすく笑みを浮かべていた。その口もとが緩むだけでふんわりとした甘い表情になり、瞬間だけ心がはねた。

 日瑠葉はかわらずミニチュアから視線を外さずに、

「前野さん、なかなか不器用ですね」

 ちょっと直しますと、すぐ横の机へシリコン型を置き、そのまま私のすぐそばへ身を屈め、詰めた粘土を修正しはじめた。

 座ったままの私と、横からミニチュアを直している相手の顔はかなり近い――というか近いちかい、髪が触れるほどの距離だった。

(いやいや、ない)

 なんとなく気まずくなって修正中の手元へ視線をやると、型からはみ出た粘土が手芸用のマチ針で器用にこそげ落とされていく。

 魔法のようにいともたやすく形を整えていく日瑠葉の両手は、ミニチュアと一緒に見ているせいでいやにばかでかく見えた。

 綺麗に整えられたつめと節くれた長い指、手元を見つめる日瑠葉の瞳は真剣で、かすかな油断をゆるさない集中力がある。

(こうして作ったのかな)

 殺人事件の起きた部屋のミニチュアも。

 あの「制作室」で、ひとりで何時間も閉じこもり、手元から視線をそらさずに作り上げたのだろうか。

 もしそれが、失踪した叔父・藤木の手がかりを探すためだったとしたら。

(それだけの想いを私につき崩せるかどうか)

 すこし作ってみただけでもわかるのだ。

 ミニチュアというのは非常に骨が折れる作品である。

 たとえ日瑠葉がその道のエキスパ―トだとしても、大きな作品となればかなりの労力が必要になるだろう。

 たとえば私が先日見たような、殺人事件の起きた部屋を再現した物なんて、作るのに一体何時間、いや何日かかったのかもしれない。

(この人は、それを倒れるまで集中して作るんだ。それもひとつじゃなく、もう何年もの間ずっとずっと、何個となく)

 それはなんのためだったのだろうか。

 ふと椎乙刑事の言葉がよみがえる。

『変わらない人間なんていねぇ』

(そうだ)

 日瑠葉はもうずっと、何年ものあいだ嘘をつき続けてきたのかもしれない。

 『自分には関係ない』と、そう言ったときの表情が思い出される。

 あんな風に押し殺したような顔で、息をひそめるように誰にも言えず、ずっと抱え続けてきたのだろうか。

(『関係ない』という魔法の言葉を、唱え続けるようにして)

 だとしたら、やはり私は正しくあらねばならないのだろう。

 どんなに嫌がられても、拒否されても、刑事としてのつとめを果たす責務がある。

(犯罪を取り締まるのが私の仕事なんだから)

「はい、できましたよ」

 日瑠葉はそこでようやく私を見て、ゆるやかな笑顔を驚きの表情に変える。

「前野さん?」

「え?」

「大丈夫ですか」

 なにが、と聞く必要はなかった。心配そうな相手の表情を見て、まだ近くにある黒い瞳の中に自分の表情が映りこんでいた。

 ええ、と私はしっかり頷く。

 辛いのは私ではない。悲しいのも私ではない。

(すくなくとも私にその権利はない)

 これから悩み苦しむことになるのは他ならぬ、日瑠葉なのだから。


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