なぜ、人を殺してはいけないのか?
教室が終了する時間になっても、あの女刑事……前野は、まだミニチュア作りに苦戦していた。他の生徒たちが道具を片付け、雑談に花をさかせて帰っていく中で、五反田が根気づよくその面倒をみている。
「日瑠葉先生、さよならー」
「ええ、また来週」
僕は笑顔で帰っていく生徒たちに頭を下げながら、いつものように不思議な気分だった。
みんな楽しそうにミニチュアを作っていた。
僕のつくったものを見て感動して、口をそろえて「すごい」と褒めちぎる。
それはどうしてなのだろう。
(あんなものに意味なんてないのに)
僕は必要に応じて再現しているだけだ。はじめは自分のため、そして収入を得るために現実を模倣してきた。
生徒が帰った後の教室で、残るは前野と五反田だけになった。
遠巻きに見ていると、前野が作っているケーキは最終段階をむかえ、フルーツを盛り付ける工程のようだった。
慎重にピンセットでカットフルーツを運ぶ彼女の手は震えて危なっかしい。
横で五反田がもどかしそうにそれを見ているが、けして自ら代わろうとはしなかった。
ひとつ作業が終わるたびに五反田だけでなく、前野までもが楽しそうな表情になる。なんだかそれを見ていられなくて、僕は教室を片付けはじめた。
(あれの何が楽しいんだろう)
ミニチュアとは、現実の世界を小さく再現したものなのだ。
それを作ることにより、またはミニチュアを見て感動できるのは、そこにある現実世界に感動しているだけにすぎない。
(意図するしないに関わらず。ミニチュアを通して、違う視点から俯瞰できるようになった物事に愛着をおぼえているだけだ)
あの五反田にしたってそうなのだ。
彼は僕のミニチュアを好きでいてくれるが、それだって本当はそうじゃない。
五反田はこの現実世界を愛している。だから僕のつくるミニチュアを見て、そこに目に見えない形で映りこむ現実に気づかずに「ミニチュアが好きなのだ」と思いこんでいる。
(現実の物事はそのままだと、受け入れるのに抵抗があるから)
結局、みんながそうなのだ。
世界を寸分たがわず小さくして、それが精密であればあるほど良いというのは、現実世界を投影しそれを愛でているにすぎない。
ミニチュアが自らの手のひらに収まることで、思うがままの現実を所有できる気分になれるのだろう――そのことに強い憧れをもつのは、考えてみれば当然なのかもしれない。
(けれど……)
僕は教室の片隅に飾ってあった自作を見てみる。
台所をかたどった大ぶりなその作品は、食器や窓、小物から家具にいたるまで本物の世界を小さくしたみたいに見えた。
(僕は違う)
そこにあった現実を、愛おしいとは感じられない。
あるいはそれが「現実である」と、完璧な意味で理解しているせいかもしない。
僕はフィクションを作っているわけではないのだ。
それをかってに周りのみんなが「作りもの」だと思っているだけ。
(そこに意味なんてないのに。気ままに幻想を重ねて、理想をのせて見るから、みんな僕のミニチュアを見て勘違いをする)
まるで自分みたいにと、そう考えたとき自嘲の笑みがもれた。
結局、かなわない現実から目をそらしているのは自分も同じなのだ。
「日瑠葉さん」
名を呼ばれて振り返ると、前野が完成したミニチュアを笑顔で見せてきた。
「どうでしょう? やってみると意外とおもしろいですね」
後ろで五反田が少しだけ心配そうに、けれど満足げにこちらを見ている。
僕は見せられた作品を見てみた。
白い手にのる十二分の一サイズのフルーツケーキは、完璧さとはほど遠い。
(形はガタガタ、色塗りが荒い、ケーキの粘土に継ぎ目が見える、それに……造形についてはだめなところばかりだ)
「うん。初めてにしてはよくできています。前野さん、才能がありますね」
けれど、技術的なことはすべて省いて、僕はそう笑った。別に嘘をついているわけではない。
五反田がはじめてミニチュアを作った時にもそう伝えたし、その他の教室で優秀な生徒はみんな彼女と同じだったからだ。
(つくる作業を楽しめる人間には才能がある)
前野は嬉しそうにミニチュアを眺めている。
彼女の顔は完璧な造形をしているけれど、笑うとその比率が変わりとても人間らしい表情になった。素直にミニチュアづくりを楽しんだらしい彼女に僕は苦笑するしかない。遠くで片づけをしていた五反田へ「あとはもういいよ」と伝えておいた。
「先生? でも――」
五反田はちらりと前野を見て気がついたようだ。心配そうな視線だけを残し、無言で部屋を出て行く。いずれ彼にはきっちりと事情を説明しなければならないだろう。
(余計な心配をかけすぎた)
「前野さん。僕に話があるのでは?」
彼女ははっとしたように頷くと、手にしていたミニチュアをどうしようかと焦り始めた。
「それを片づけてからでいいですよ。どうぞ、お持ち帰りください」
「えっと、すみません」
ありがとうございます、と壊れ物を扱うようにミニチュアをしまっているのを、ぼんやりと首を傾げて眺めていた。
ふと沸いた、疑問を。
「前野さん。あなたに聞きたいことがあります」
「はい?」
「人を殺すことは、そんなに悪いことなのでしょうか?」
彼女の表情が凍りつく。
それまで穏やかだった雰囲気がはりつめて、途端に瞳に敵意が現れた。
「……どういう意味ですか?」
僕は彼女の顔を見て、すこしだけ後悔していた。刑事の彼女に聞いたらどんな答えがかえってくるかはわかり切っていたはずなのに。
(それでも聞いてみたいと思ったんだ)
すこしだけ唇をしめらせて、僕は言葉をえらんでいく。
「たとえば、人殺しによって救われる人間がいるかもしれませんよね。誰かを殺すことで助かる人間がいるのかもしれない」
たとえば僕みたいに。
博士さんがしたのはつまりそういうことで、救われたのは僕なのだ。
(彼が罪に問われるなら、そのきっかけとなった僕はもっと)
「あなたが」と、彼女の声につられて、僕は床に落としていた視線を上げる。
彼女は真っ直ぐに僕の方を見ていた。力強い意志のこもる両目は、今まで見た彼女のどのパーツや表情よりも美しかった。
「日瑠葉さんがおっしゃっていることはわかります。たしかに、世の中にはいっそ死んだ方がいいと思えるくらいの人間もいるし、そいつらに苦しめられている人たちも、大勢いるでしょう。誰かを殺すことで別の人間が救われるなんて、実際ありふれたことです。ただ誰も、実行はしないけど」
「……」
「けど、そうなんです。人殺しは許されません。私はべつに、それが『悪い』と言っているわけではないんです」
「それは、どういう――?」
前野の答えには迷いがなかった。
「これは善悪の問題ではないからです。法律で定められているかぎり『殺人は罪』なんです。そこにどんな感情があり、どんな想いがあるかよりも我々警察は、事実関係や証拠、起きた現象を重視します。それがより良い社会につながると、定められた法を信じているからです」
公の秩序と平等、個々人の利害を法律にのっとり守ること――社会の秩序を守るのが警察のつとめなのだと彼女は言う。
「誰かを殺してそれが許されれば、他の人も同じように殺人を行える理屈になります。だから殺人は許されません」
僕は彼女の言ったことを考えてみた。
法治国家において当然のことながら殺人は許されない。
けれどその理由は公の利益と社会のためであり、善悪の問題ではない……?
「日瑠葉さん」
これから彼女が切り出すだろう話の内容が、僕にはなんとなくわかっていた。
考えてみれば彼女だけでなく椎乙刑事も、博士さんのいる学校へ足を運んだのだ。椎乙刑事は昔からなぜか異様に勘が良いし、まっさきに博士さんがこの町に戻っていると知らせてきたのも彼だった。それがどういうことか。
最初から疑われていたのかもしれない。もう隠し通せないのかもしれない。
(椎乙刑事にはじめて会ったときだって、彼は博士さんを見ている……)
博士さんを疑っているなら、先日起きた中学校での自殺も「他殺」だと、椎乙刑事は考えたかもしれない。
そこに博士さんがいたから。
「日瑠葉さん、あなたに捜査に協力してもらいたいんです。どんな小さなことでも構いません。藤木さんのことを教えてもらえませんか?」
僕は答えない。
固く口を引き結び、おそらく青白くなった顔で彼女をただみるだけだ。
(僕は博士さんに助けられた。それから彼は忽然と消えてしまって、ずっと今まで探し続けてきた)
さまざまな場所で起きた殺人事件、その部屋をミニチュアという形にして、そこに彼の持ち物、足跡、手がかりが残されていないか探し続け、そしてようやく見つけたときに彼は言ったのだ。
『君には関係ない』
優しく冷たい声音を思い出して、ぎくりと身がすくんだ。
僕のやってきたことはなんだったのだろう。僕が信じてきたものは、宝物のように扱ってきた思い出や言葉たちは、根底にあったかけがえのない物それらがすべて崩れ落ちていくようだった。
どうすればいい。僕には……、
「僕には」
僕には。
僕には。
僕には。
彼女はじっと答えを待ってくれている。唇をかみ、かすれた声でようやく言えた。
「すこしだけ……時間をもらえませんか」
彼女はひとつ頷くと「また来ます」と帰っていった。
思い出と向き合い、整理する時間が必要だ。
すべてを諦め、手放す前に覚悟をしなければならない。
(博士さんに会いに行く前に、言うべきことを言えるだけの心づもりをしなければ)




