表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/18

月曜日のジャンピング

 三鷹第二中学校で飛び降り自殺があった。

 通報を受けたのは月曜日の朝で、三鷹署には夜勤人員をのぞく三人がそろっていた。

 つまり椎乙シグマ刑事と、私の同僚の市川、そしてこの私――スーパーモデルもびっくりな美貌の持ち主、前野めりである。

「いやっすねー、月曜の朝から飛び降りなんて」

 そう言う市川は、出勤するなり朝イチでカップ麺を食べていた。

 私は向かいの席から漂ってくるとんこつ醤油の匂いを青ファイルであおぎ遠ざけながら、椎乙刑事をちらりと見る。

 朝からなぜか椎乙刑事の機嫌はすこぶる悪かった。

 表面上はいつもと同じく殺人鬼のごとき面相だが、口数の少なさから機嫌の悪さを察することができる。けれどそんなことをなにひとつ考えない市川が、あっけらかんと言う。

「ま、楽勝っすよ。月曜の仕事にしては良かったかもしれません。飛び降りならちょっと話聞いて終わりですから」

「市川さん……」

 私はそのあんまりな言いぐさをたしなめかけて止めた。ファイルで送っていた風を受け、市川が涼しげに笑顔でカップ麺を食べていたからだ。

 げんなりとあおいでいた手をおろしたとき、もの凄い音を立てて椎乙刑事が机を叩いた。雷が落ちたような音がして市川が飛び上がり、うしろの棚に乱雑に突っ込まれていたファイルが数冊崩れる。

「前野ぉ!」

「は、――はいっ」

 ギロリ、と効果音がつきそうな悪人面で見られては、さすがに私も身がすくむ。

 椎乙刑事は目からビームでも出すように辺りを睥睨すると、鞄を手に立ち上がった。

「行くぞ!」

「あ、はい!」

 とっさに「僕も」と立ち上がりかけた市川を私は両手で制した。

「ここで待機しててください」

「えでも」

「なにか、より重大な事件が起きるとまずいので。では」

 私がてきぱき嘘をつくと、市川は自らの使命を思い出したような顔をした。

 そうこうしているうちに椎乙刑事は部屋を出て行ってしまったので、慌ててその背を追いかけた。

「椎乙っ……刑事」

 語尾が尻すぼみになったのは、振りかえってきた顔に「危険・爆発する」と書いてあったからだ。

「こいつはただの飛び降りじゃねぇ」

「え?」

「俺は昨日、くだんの中学校まで行ったばかりだ」

「どういう、ことですか?」

 昨日といえば、日瑠葉の工房へ向かう途中で「用事を思い出した」と、椎乙刑事がどこかへ消えたときのことだろうか。

「わからん」

 なにか嫌な予感がする、と。

 鼻で空気の匂いをかぐように、椎乙刑事は顔をゆがめている。

 また例の「勘」だろうか。

(だとしたら、飛び降りた中学生は自殺ではない?)

 少なくとも三鷹署の誰に聞いても、椎乙刑事の事件に対する勘は外れたことがないのだから。




 訪れた中学校は、自然豊かな森の中に埋もれるように存在していた。

 グラウンドや校舎は背の高い広葉樹に覆われて、道路からは中の様子がうかがえないようになっている。

 全体的に小高い丘の上に立っていて、校門の入り口に着くまでに石段を数十段も登らなければならない。

 これにはさすがに頑健な椎乙刑事も参ったようで、腰をさすり息をきらしていた。その背に負けまいと私も必死に石段を登る。上にようよう辿り着くと、閉ざされた白い校門の前に意外な人物を見つけた。

「あ」

 そこに日瑠葉が立っていたのだ。

 白シャツにジーンズという相かわらずの簡素な装いで、閉じた校門の前で途方にくれている。

「よ」と気軽に椎乙刑事が声をかけると、振り返った日瑠葉は驚いた風でもなく、軽く頭を下げてくる。

 顔を上げた拍子に目が合ったが、強張った表情ですいと逸らされてしまった。

「先日はどうも」

 仕方なく私はそう挨拶したが、それを無視する形で二人は会話を進めていた。

「来ると思ってたぜ、日瑠葉」

 得意げに口の端を笑ませる椎乙刑事に、日瑠葉はむすりとした表情だ。

「当たり前でしょう。あなたが昨日、連絡してきたんじゃないですか」

「ふん。お前を捨てて消えた奴に、まだ一応の情はあるんだな」

 義理がたいこって、と椎乙に笑われて日瑠葉は黙りこむ。

 私はついていけないその会話を聞きながら、日瑠葉の様子を観察していた。

 彼はなぜか緊張しているように見える。少しだけ強張った表情は相かわらず青白く生気がない。先日工房で倒れたときみたいに気分が悪そうだった。

(あの時はたしか食事を抜いてたから、だったかな?)

 五反田に聞いたところによると、「先生はミニチュアを作るとき、寝食を抜いてしまうことがあるから、作業に没頭して倒れてしまうんですよ」ということだったが。

 よくあることだと笑っていたからそのまま聞き流していたが、考えてみれば大丈夫なんだろうか。

(ひょっとしてまた何か、新しいミニチュアを作っていたのかな)

 あの「制作室」という部屋で。

 それはどんな類のものなのだろう。五反田がひどく気に入ったフルーツケーキかもしれないし、まったく関係のない作品かもしれない。

(あるいはなにか、事件にまつわるものかも)

 考えているうちに、目前の正門が自動で開きはじめた。

 日瑠葉は私たちが来る前に、入り口のインターホンを押していたようだ。

 校門の上部には監視カメラとスピーカーがあって、門の開閉は自動で内から操作できるようになっている。

 日瑠葉はちらりと私たちを見て言った。

「どうします?」

 一緒に来るのかと聞いてきた日瑠葉に、椎乙刑事は「当たり前だろ」と息を吐く。

「当然。俺たちも入らせてもらうぜ」

「……そうですか」

 さっさと校庭へ足を踏み入れる日瑠葉から少しだけ離れて、私たちも中へと歩いていく。

 入った先は広いグラウンドだった。

 左と真正面に校舎があるが、正面の校舎の方が大きく時計がついているので、私はそちらがメインの校舎だろうと思った。

 案の定、日瑠葉は正面の方へまっすぐ歩いていく。

 月曜日の午前なので、学校のなかはいま授業中なのかもしれない。

 飛び降り自殺があったというわりに、訪れた学校の空気は静かだった。ひょっとすると他の生徒たちにはまだ知らされていないのかもしれない。

「前野、気づいたか?」

 椎乙刑事が日瑠葉に聞こえないように、ぼそりと言う。

「なにをです?」

「あいつ、俺たちがどうしてここに来たのか聞きやがらねぇ」

 私はぎょっとした。警察が中学校へやって来るのはよほどの事件があった時だけだ。けれど日瑠葉はなんの疑いもなく、私たちがここへ来たことを受け入れていた。それはなぜか。

「――椎乙刑事の勘、当たったのかもしれませんね」

 私は日瑠葉のすらりとした背を睨みつけていた。

 もしこの中学校で起きた飛び降り自殺が、ただの自殺でなかったとしたら。

 そして日瑠葉が、その事件のミニチュアをすでに作り終えていたなら。

(彼はここで何が起きたのかを、すでに知っているのかもしれない)

「ふん、俺の勘はいつだって当たるんだよ、残念なことにな……だが、奴がここに来た理由はそれだけじゃねぇ」

 見ろ、と椎乙刑事が顎で示した先に、校舎から誰かが歩いて来ていた。

 遠目でよくわからないが、おそらく日瑠葉を迎えにきた教師だろう。

 黒のかっちりとしたスーツ、白シャツにネクタイは絞めていない。

 男性で、髪はゆるやかなウェーブに流している。

 ふんわりとした微笑み、遠目でもかなりの美丈夫だとわかる。

 日瑠葉はぴたりと足を止めた。現れた人物からかなり離れた場所で、なぜかそれ以上は近づかずに立ち止まり、教師の顔を凝視している。

「……?」

 日瑠葉のすぐ横まで近づいていくと、教師の方がこちらに気づき頭を下げてきた。

「警察の方ですね? 僕が通報をした藤木といいます」

 やわらかな品のある話し方だった。私たちが警察手帳を見せ簡単に名乗ると、頷く藤木の目が日瑠葉に留まり、次の瞬間じわりとした笑みになった。

「久しぶりだね、心」

 日瑠葉は声が出ないようだった。

 睨むように藤木を見据えて、けれど視線は結局地面に落とされる。心なしか目が潤んでいた。

「お久しぶり、です」

「うん。元気そうで良かった」

 日瑠葉は顔を上げた。なにか言おうとした口がわななき、けれど言葉はのみこまれてしまう。藤木は苦笑を浮かべ、こちらへ視線を移した。

「すみません、いまご案内します。……心、せっかく来てくれてあれなんだけど、いま少しごたついていてね。悪いんだけど今日のところは」

「いえ、構いませんよ」

 そう口を挟んだのは椎乙刑事だった。

 日瑠葉はなぜかぎょっとしていたが、無視してニヤリと言う。

「藤木さん、実はね。さっきそこの彼と校門の前でばったり会いまして。聞けば数年ぶりに叔父さんに会いに来たのだとか。いやあ、せっかくの再会を邪魔するのも悪いですから……我々は構いませんので、彼も一緒にいてもらったらどうです? すぐに済みますから」

 思わず止めようとした私の横で、帰りかけた日瑠葉の片腕を藤木がしっかりと掴んでいた。

「っ、博士さん、僕は」

「いや、刑事さんの言う通りだよ。せっかく数年ぶりに会えたのに、僕の方が気が動転して、どうかしていたんだ」

 すまない、と謝る藤木の目は、しかし日瑠葉ではなく椎乙刑事を見ていた。

 一瞬だけ藤木が浮かべた鋭い笑みに、私は思わず息をのんだ。

(この人は……)

 藤木は、その場に留まっている日瑠葉と、一見して上機嫌に見える椎乙刑事、そして私を順繰りに見てやわらかに笑う。その顔はまるで天使のように澄みきってみえる。

 邪気のかけらもない純粋さ。それが一瞬だけ作り物のように見えたのは、気のせいだろうか……?

「それじゃ刑事さん、心も――こちらへどうぞ」




 案内されたのは小部屋だった。

 会議室のような白い部屋で、グラウンドの見える大きな窓とホワイトボードがある。

「どうぞおかけください。いま、校長と担任を呼んできますから」

「あぁ、いやその前に」

 出て行こうとした藤木を椎乙刑事が引き止めた。

「藤木さん、あなたが通報してくださったということですが、第一発見者はあなたですか?」

 藤木は目を丸くしていた。

「ええ、まぁ……」

「でしたら、まずあなたからお話をうかがいたい。よろしいですか?」

 すでに席についていた椎乙刑事は、藤木に視線で自分の真向かいの席を示した。

「わかりました」

 藤木はあっさりと了承した。

 テーブルはコの字型になっていて、私は椎乙刑事の右に、藤木は私たちと対面する場所へ、日瑠葉は直角になる部分に座った。

 椎乙刑事は相かわらずの凶相でちらりと私を見てくる。どうやら「話を進めろ」というサインらしい。私はひとつだけ咳ばらいして藤木を見た。

「藤木さん、あなたが今朝、生徒さんを発見したときのことをおしえてください」

「いいですよ。僕が彼女を見つけたのは、朝の……六時半ごろだったかなぁ」

 藤木が淡々と話した内容をまとめるとこうだった。

 今朝、少しだけ早くに出勤した藤木が校舎の裏手へ向かうと、そこに校舎の屋上から飛び降りた生徒の遺体があった。明らかに死んでいると思われる状態だったが、とりあえず救急車を呼んだという。

「それから他の先生方にも連絡をして、警察へ通報を」

 私は頷きながら、覚えた違和感に内心で首をひねっていた。

(この人、妙に落ち着きはらってるというか)

 ふつう、飛び降り自殺の遺体を見た人は、その損壊具合からかなり動揺するはずだ。

 この三鷹第二中学校の校舎は目視で五階建て、屋上から飛び降りたとなれば、遺体はかなりショッキングな状態だったろう。ましてや藤木は「明らかに死んでいると思われる状態だった」と言った。それを目にしたにしては、なんというのか。

(青ざめてもないし、特に動揺してもない。むしろ)

 平常運転。まるで今回の飛び降り自殺に関心がないようにすら見えるのだ。

「藤木さん。朝の六時半というのは、かなり早いように思えるのですが――いつもその時間に出勤されるんですか?」

 藤木はゆるりとした笑みだった。

「ええ、僕は園芸部の受け持ちでして。朝、水やりと花の手入れをしにくることがあるんです。ちょうど校舎の裏に園芸部の畑とビニールハウスがあって、今朝そこへ行ったのもそのためだったんですよ」

「なるほど」

 完璧な受け答えだ。彼が今朝早くに出勤した理由も、飛び降り自殺のあった校舎裏へ向かったわけもこれですべて説明がつく。

(どうします?)

 私は言葉を区切り、椎乙刑事に視線で指示をあおいだ。

 それまで熊のように黙り込んでいた椎乙刑事は、重々しく口を開いた。

「それでは、亡くなった生徒さんについてなにかご存じですか?」

 藤木はかすかに考え込むような素振りをした。

「そうですね……僕にはあんまり、印象がないですね。深澤さんは二年生ですし、僕は一年四組の担任です。こちらへ赴任してからまだ日も浅いですし」

「そうですか。藤木さんはいつ頃こちらへ?」

「今年の春からです。だからざっと……四か月かなぁ」

 日瑠葉がかすかに身じろいだ。

 椎乙刑事はそれに気づいただろうが、構わず話を進めていく。

「ありがとうございました。後は、亡くなった生徒さんの担任と、校長先生からお話をうかがいたく思います」

 椎乙刑事があっさりとそう頭を下げたので、私も慌ててそれにならう。

 藤木はかすかに頷き部屋を出て行った。校長と担任の教師を呼びにいったのだろう。

「どう思います?」

 藤木が消えてから椎乙刑事に聞いてみると、彼はゆるりと首を振る。

「わからん。――おい、日瑠葉」

 それまで黙りうつむいていた日瑠葉は、突然名を呼ばれてびくりと顔を上げる。

 その強張った表情を見て、椎乙刑事はなぜか笑みを浮かべた。

「悪かったな。せっかくの再会を邪魔しちまった」

「いえ……僕は、構いません」

 日瑠葉がまた黙り込んでしまったので、私はなんとなく口をはさんだ。

「再会って?」

「ああ。こいつの叔父は十年前に失踪したんだよ。まだ高校生のこいつを置いて、ある日突然消えちまったきり」

 こいつ、と示された先で日瑠葉はうつむいている。

 私は少しだけ戸惑ってふたりを見ていた。

「それが……さっきの?」

「奇遇だろ」と椎乙刑事は訳知り顔で笑っているが、私はなんとも言えない気持ちになった。

(とてもそんな風に見えなかったけど)

 なにしろ数十年ぶりに再会したにしては、双方反応が薄かったように思える。

 いや、そういえば日瑠葉の方はなぜかひどく緊張していた。だからあっさりとしすぎていたのは藤木の方だったのだ。

 そうこうしているうちに藤木が校長と担任の教師を連れ戻ってきた。

 椎乙刑事は立ち上がり簡単な挨拶をして、日瑠葉の方へ珍しくも優しい声で言う。

「お前、邪魔だから外へ出てろ。藤木先生も、すでにお話はうかがいましたのでもう結構ですよ」

 藤木は軽く頷いて、「それでは」と日瑠葉と一緒に部屋を出て行く。

 あの二人はどんな話をするのだろう。

 私は少しだけ気になり、その背を視線で追っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ