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2 夫婦という名の


 婚礼の日が近づくにつれ、フローラント家の自室には、リリーフィアがこれまで目にしたこともないような美しい品々が運び込まれるようになった。公爵家から届けられた婚礼衣装は高級な絹で仕立てられており、裾には銀糸で細かな刺繍がなされ、細かな真珠も惜しみなく縫い留められている。装飾は華やかでありながら決して派手すぎず、身に纏う者の品位を引き立てるように計算し尽くされているのだろう。添えられた宝石なども、王侯貴族の婚礼に相応しい価値を持つものばかりで、侍女たちは箱を開けるたびに感嘆の声を漏らしていた。


 だが当の本人であるリリーフィアは、それらを前にしても心から浮き立つことができない。本当に自分がこのようなものを受け取ってもいいのだろうかと、どうしても考えてしまうのだ。


「まあ、お嬢様。こちらの首飾りをご覧くださいませ。まるで星を閉じ込めたようなダイヤモンドですよ」


 長年リリーフィアに仕えている侍女のテリアが、白い布の上に置かれた首飾りをそっと持ち上げてリリーフィアに見せた。透明度の高い蒼い宝石を囲むように、小粒のダイヤモンドが花弁の形に並んでいる。光を受けるたびに星のような輝きが揺れて、見つめているだけで吸い込まれてしまいそうだ。


「とても綺麗ね」

「これほどのお品を贈られるなんて、アヴァランシュ公爵様はお嬢様をとても大切に思っていらっしゃるのですね」


 テリアは何気なくそう口にしたのだろうが、それを聞いたリリーフィアは思わず首を横に振った。


「そういうわけではないと思うわ。公爵家の婚礼なのだから、相応の品を用意してくださっただけだと思うの」

「ですがご用意なされている多くのものが、お嬢様の好みに合わせて選ばれているのですよ」

「わたくしの好みに……」


 そう言われて初めて、用意されている婚礼品のほとんどが彼女が普段から好んで身に着けている色であったり品質であったりしていることに気づく。華美な装飾品も得意ではなく、母から譲り受けた真珠の耳飾りを愛用しているが、婚礼品に耳飾りが用意されていないのと関係があるのだろうか。


 どこから彼女の好みの情報を仕入れたのだろう。彼との顔合わせの際に聞き出された覚えはない。彼女に近しい者たちから話を聞き出したのだろうか。





 ◇ ◇ ◇





 婚礼は、雲ひとつない晴れた日に執り行われた。


 王都の大聖堂には多くの貴族が集まっていた。飾られた白い花々からは清々しい香りが漂い、祭壇の周囲にはリリーフィアとフロストそれぞれの誕生花を編み込んだ飾りが並べられている。


 リリーフィアは父の腕に手を添えて、ゆっくりと祭壇に向かって歩いていた。純白の婚礼衣装は、差し込む光を受けて微かに輝いている。頭から流れる薄いヴェールの向こうでは、参列者たちが皆彼女を見つめていた。祝福するような微笑みもあれば、興味深そうに値踏みする視線もある。中には、何故フローラントの令嬢が公爵夫人に選ばれたのかと不満を隠しきれない表情を浮かべている者もいた。


 彼らが不思議に思うのも無理はない。彼女自身でさえ、どうして自分がこの場に立っているのかを未だ十分に理解できていないからだ。


 しかし、祭壇の前に立つフロストの姿が目に入った途端、彼女の意識は一気に彼へと引き込まれた。


 彼は、先日会った時と同じように落ち着いた表情で、彼女が近づいてくるのを待っていた。白を基調とした礼装にはリリーフィアの衣装と同じく銀糸の刺繍が施されており、胸元には公爵家の紋章を象った飾りが留められている。漆黒の髪と白い礼服の対比が目を引いて、感嘆のため息をついてしまいそうになるくらいだ。


「娘を、よろしくお願い致します」


 儀礼的にそう述べた父の手から、彼の手へと引き継がれる。フロストは深く頷き、緊張するリリーフィアに優しく微笑みかけた。


「大切にいたします。どうか、ご安心ください」


 その返答に驚いて彼女は彼を見上げたが、彼は既に祭壇へ視線を戻していた。今の彼の言葉について考えようとしたところで司祭の声が響き、意識を儀式へと戻す。


 そこからは、儀礼通りの行動を取る。誓約の言葉を交わし、互いの手に指輪を通す。リリーフィアに指輪をはめ終えたフロストは、彼女の手をそっと包み込んだ。


 大きな手。彼の指は長くて、手のひらには剣を扱う者らしい硬さが感じられたものの、その触れ方はとても優しい。握りしめるのではなく、彼女が振りほどけるくらいの力加減で手を包んでいるということが伝わってきた。


 今回の儀式に、誓いの口づけが含まれていないことはリリーフィアにとって救いである。誓約が終わり、司祭が二人の結婚を正式に宣言すると、聖堂に集まった人々から祝福の拍手が沸き起こる。フロストはリリーフィアの手を取り、参列者たちへ向けて美しく微笑んだ。





 婚礼を終え、リリーフィア・アヴァランシュとなった彼女は、参列者たちへの挨拶もほどほどに公爵邸へと直接向かった。日差しはすっかり傾き、世界は夕暮れ色に染まっている。


 屋敷の正門は花で飾られていて、玄関へ続く道の両脇には使用人たちが整列して二人を迎えていた。リリーフィアがフロストの手を借りながら馬車から降りると、彼らは一斉に頭を下げた。


「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」


 揃ったその声に、リリーフィアは思わず背筋を伸ばす。これからは「奥様」と呼ばれることに慣れないといけないのだ。


 以前は通ることのなかった屋敷の内部を通りながら、彼女に割り当てられた部屋へと向かう。埃ひとつない廊下には絨毯が敷かれ、壁には歴代当主の肖像画が飾られていた。


 扉を開けると、広い部屋が真っ先に目に入る。隣は寝室に続いているようだ。白いレースのカーテンが揺れる窓辺には、待雪草(スノードロップ)が飾られている。豪奢すぎず、不自由を感じることはないだろう。落ち着いていて、彼女好みの部屋だった。


「こちらが奥様のお部屋でございます。旦那様のお部屋は廊下を挟んだ向こう側にございます。何かご用がありましたら、いつでもお申しつけくださいませ」

「ありがとう。とても素敵なお部屋ね」

「お気に召していただけたのなら、何よりでございます」


 案内してくれた侍女が退出した後、リリーフィアは再び部屋をゆっくりと見て回った。ここが、これから自分が暮らす場所なのだ。住み慣れたフローラントの屋敷を離れる寂しさは少しあるけれど、この部屋には温もりがあり、窓からは庭園の花々を眺めることができる。好きな本を並べるための棚も用意されていて、自分の居場所を作っていけそうだった。


 ただ……不安はずっと心に居座っている。『白い結婚』とはいえ、夫婦とはどのように過ごすものなのだろう。彼女にとって自然な夫婦の姿は両親であるが、両親は互いを愛しており、自分とフロストの関係とは異なる。夫婦として必要な礼儀を守りながら、彼が望む以上の親しさを求めず、自分の時間を大切にしながら暮らそう。


 そう考えながら荷物を整理していると、控えめに扉が叩かれた。


「奥様、旦那様がお呼びです。夕食の前に、お話ししたいことがあるとのことでございます」


 侍女の声に、リリーフィアは手を止めて顔を上げる。結婚後の生活について、具体的な話をするのだろうか。食事の時間や、公爵夫人として出席する社交、使用人たちとの付き合い方など、覚えなければならないことは多い。


 リリーフィアは身なりを整えて、侍女に案内されるまま廊下を進んだ。向かいの部屋は彼の私室であるようで、今彼は執務室にいるらしい。


「入ってくれ」


 扉の向こうから聞こえた声に、彼女はふうと息を吐いてから室内へ足を踏み入れた。


 執務机に向かい書類に目を通していたフロストは、彼女を見ると顔を上げて立ち上がり、彼女にソファを勧める。


「急に呼び出してすまないね。式があって、疲れているだろう。手短に済ませようと思っている」

「いいえ。お気になさらないでください」


 リリーフィアがソファに腰かけると、彼も向かいに座った。


「これからの生活について、いくつか伝えておきたいことがあるんだ」


 彼は穏やかな口調で話し始めた。


 公爵家の管理や領地に関する仕事は基本的に彼が担うため、リリーフィアがすぐに覚えなければならないことはそれほど多くないということ。公爵夫人としていくつかの行事に出席する機会はあるものの、体調や都合が悪い時まで無理に参加する必要はないということ。屋敷の使用人たちには彼女の指示に従うよう伝えてあるため、困ったことがあれば遠慮なく相談してほしいということ。


 どの言葉にも、彼女を不安にさせまいとする気遣いが感じられた。


「それから、私は仕事によって帰宅時間がかなり変わる。夕食を共にできない日も多いと思うが、その時は私を待たずに済ませてくれて構わない」

「承知いたしました」

「君には君の時間を大切にしてほしい。私に合わせようと、生活を変える必要はないよ」


 リリーフィアは、彼の顔を見つめた。彼女が想像していた以上に、彼は彼女の生活に干渉しようとしていないらしい。夫婦になったからといって、妻としての役割を細かく指定するわけでもない。


「ありがとうございます、フロスト様。わたくし、できる限りご迷惑をおかけしないようにいたします」


 そう告げると、彼はわずかに眉を動かした。


「迷惑だなんて思っていないよ」


 リリーフィアが目を瞬かせていると、フロストは表情を和らげて言葉を続けた。


「君は今日、私の妻になった。何かを遠慮しすぎる必要はない。私に何か求めることがあれば、遠慮なく伝えてくれ」

「……はい。ありがとうございます」


 彼の声はとても優しい。その優しさに甘えてしまいたいという気持ちが胸に芽生えるけれど、その感情をすぐに押し戻した。きっと彼は、誰に対しても礼儀正しく、思いやりのある人なのだ。妻となった自分に対しても、誠実に接しようとしてくれているだけなのだろう。それ以上を望んではいけないのだ。


 話が終わり、リリーフィアが席を立とうすると、フロストはふと彼女の手元に視線を落とした。


「その指輪、きつくはないかな? 君の指に合っているか気になっていたんだ。もし窮屈なら、すぐに調整させよう」


 彼女は左手を持ち上げ、薬指にはめられた指輪を見つめる。婚礼の式にて彼から贈られたものだ。細い金の輪に、小さな青い石がひとつ留められている。指にぴったりと馴染んでいて、彼女自身もとても気に入っていた。


「大丈夫です。とても綺麗ですし、指にもよく馴染んでおります」

「そうか。それならよかった」


 フロストは、ほっとしたように微笑んだ。その笑みに見惚れてしまったが、すぐにはっとして視線を逸らす。指輪が合わなければ生活に不便が生じるので、それを確認するのは自然な流れだろう。自分に都合よく解釈してはいけない。


「では、夕食の時間までゆっくり休んでいてくれ」

「はい。失礼いたします」


 リリーフィアは丁寧に礼をして、執務室を後にした。

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