第八十七話「父さんと母さんに、進路の話をする」
週末の夕食後、俺は食卓へ三冊の学校案内と進路ノートを並べた。
父は湯呑みを持ったまま、それを端から眺める。母は食器を流し台へ運びながら、こちらを振り返った。
「ずいぶん持ってきたな」
「父さんが三校くらい調べろって言ったんだろ」
「言ったけど、食卓いっぱいに広げろとは言ってない」
「もう、片づけたばかりなのに」
母に言われ、慌てて学校案内を重ね直した。
会社で会議資料を広げすぎて、隣の人の場所まで使っていた同僚を思い出す。あの時は少し迷惑だと思っていたが、俺も同じことをやっている。
「これでいい?」
「まだ広いけど、まあいいわ」
母が布巾で空いている場所を拭き、俺の隣へ座った。
父は三冊の表紙を順番に見てから、一番上の県立高校を手に取る。
「これが、今一番気になっている学校か」
「うん。電車で四十分くらい。乗り換えはない」
「県立の共学ね」
母が横から案内を覗き込んだ。
写真には制服姿の生徒と、正門から見た校舎が載っている。白石と見た時は図書室や音楽系の活動ばかり気にしていたが、親が隣にいると別の紙に見えた。
「ほかの二校は?」
「一つは、これより少し偏差値が高い県立。電車を乗り換えて、一時間弱。もう一つは家から近い私立」
「私立は滑り止めか?」
「まだそこまで決めてない。通いやすいし、進学コースもあるから候補に入れた」
父は二冊目と三冊目も開いた。
進学実績、学科、部活動。俺が付箋を貼ったページをめくり、今度は進路ノートを見る。
「偏差値は書いてあるが、今の成績で届くのか」
「一番上の学校は、今の成績なら狙えると思う。でも安全圏ではない。こっちの県立は、もう少し上げないと厳しい」
「それは先生に聞いたのか?」
「まだ。高瀬って同じクラスのやつに言われただけ」
「同級生か」
「そいつ、俺より順位が上なんだよ。高校二年の姉ちゃんもいるから、学校のことは詳しい」
父は少し考え、進路ノートの余白へ指を置いた。
「なら、ここは先生に確認だな。模試も受けるんだろ」
「六月にあるみたい」
「結果が出たら、もう一度三校を見直せ」
俺はノートへ『先生に確認』『模試後に見直し』と書き足した。
隣から見ていた母が、最初の県立高校のページを戻す。
「この四十分って、家を出てから学校まで?」
「駅から駅までと、歩く時間を足したくらい」
「朝は何時に出るの?」
「そこまでは、まだ」
「お弁当を作る時間もあるから、調べておいてね」
いきなり俺一人の話ではなくなった。
弁当を作るのは母で、定期代を出すのは父だ。通うのが俺だから自分で決める、だけでは済まない。
「部活に入ったら、帰りはもっと遅くなるわよね」
「入るかは決めてないけど」
「冬は暗くなるのが早いから。駅から家まで自転車なら、そこも気になるわ」
「分かった。説明会までに調べておく」
母は納得したように頷いたあと、今度は制服の写真を指した。
「これも買うのよね。体操服も」
「教科書と、学校で使う物もだな」
父が学校案内の費用欄を探したが、細かい金額までは載っていない。
「公立なら、今は授業料はかからないんだよね?」
「原則はそうだったはずだ。ただ、学校に払う金が全部なくなるわけじゃない。制服、教材、行事の積み立て、通学定期は別だろ」
「私立は?」
「支援はあるが、学校によって違う。受けるなら、そこも調べないとな」
当然だが、二人とも制度を全部覚えているわけではないらしい。
父は私立高校の案内を閉じず、費用の欄へ細い付箋を貼った。
「私立は駄目ってこと?」
「まだ何も言ってない。分からないまま第一希望にするなと言ってる」
「父さんらしい」
「誰の進路だと思ってる」
言い返せない。
俺は進路ノートへ、定期代、制服、教材、行事費と書く。高校の比較表が、少しずつ父と母の心配事で埋まっていった。
「それで」
父が一番上の県立高校へ戻した。
「お前がここへ行きたい理由は何だ」
来た。
高瀬、白石、父と、これで三人目である。
「家から通いやすくて、進学と就職の両方を考えられる。図書室も広いし、家で勉強したり、パソコンを使ったりする時間も残せそうだから」
「それは条件だな」
「分かってる」
「なら、その先は?」
父は急かさずに待っている。
母も学校案内を見たまま、口を挟まなかった。
「まだ、これをやりたいっていうのはない」
俺は正直に答えた。
「大学へ行くか、就職するかも決めてない。でも、どっちかに決めた時、選べるようにはしておきたい。今までみたいに、何となく近いからとか、入れそうだからで決めたくないんだよ」
「今までって、中学校のこと?」
母に聞かれ、一瞬詰まった。
前の人生の高校と会社を思い浮かべていた、とは言えない。
「……この前までの俺のこと。最初は、近くて入れそうなところでいいと思ってたから」
「それで、三校も調べたのね」
「父さんに言われたのもあるけど」
母は少し笑った。
これなら、前の人生のことを話さなくても嘘にはならない。俺は膝の上で少し汗ばんだ手を、ズボンへ一度こすった。
「高校は三年間通うから、ちゃんと見て決めたい。今は、この学校が一番気になってる」
父は俺の言葉を聞いてから、もう一度ノートを見た。
「白石さんも候補にしているんだったな」
「うん。夏の説明会に一緒に行こうって話してる」
母の手が、制服のページで止まった。
「二人で行くの?」
「まだ分からない。家の人も一緒かもしれないし、ほかのやつも同じ学校を候補にするかもしれない」
「そう」
母はそれ以上聞かず、制服のページを一枚めくった。
口元が少し動いた気がしたが、見なかったことにする。ここで母に何か言われたら、進路の話を続けにくくなる。
「同じ高校へ行きたいのは、悪い理由じゃない」
父が言った。
「ただ、相手が志望校を変えた時、お前まで何となく変えるなら困る」
「それは、今日白石とも話した。白石は、俺が別の学校を選んでも、自分が見て気に入ったら候補に残すって」
「お前は?」
「俺も、説明会で見て、自分で決める」
父は少しだけ頷いた。
「なら、まず説明会だ。日程が出たら教えろ」
「分かった」
「六月の模試も受ける。今の成績だけで決めず、結果を見てからもう一度話す」
「うん」
父が三冊の学校案内を重ねた。
最初に俺が置いた時より、ずっと綺麗に角が揃っている。
「今日はここまでだな」
「待って。ノートに書いたところだけ片づける」
「食卓でやるな。自分の机でやれ」
正しいが、少しくらい待ってくれてもいいと思う。
俺がノートを閉じると、母が何かを思い出したように立ち上がった。
「そういえば、悠真に封筒が来てたわよ」
「封筒?」
「証券会社から。棚に置いておいたの」
母が居間の棚から、厚めの封筒を持ってくる。
春休みに資料請求した三社のうち、最後の一社だった。先に届いた二社分は、自室の机へ置いてある。
「高校の次は株か。忙しないな」
父が学校案内と証券会社の封筒を見比べた。
「一気に増やすなよ。どっちも中途半端になるぞ」
「分かってる。今日は中を見るだけ」
「本当だな?」
「申し込みは勝手にできないだろ」
俺は封筒の端を開け、中の案内を取り出した。
口座開設までの流れ、必要書類、手数料。細かい文字が何ページも続いている。
「これが未成年口座か?」
「たぶん、このページ」
父と並んで説明を追う。
申し込みできる年齢、親権者の同意、本人確認書類。その下に、小さな注意書きがあった。
『未成年口座のお申し込みには、親権者様の当社総合口座が必要です』
「父さんの口座?」
「そう書いてあるな」
「先に?」
「そう読めるぞ」
俺一人の申し込み用紙を書けば終わると思っていた。
父は封筒からもう一枚の申込書を出し、表と裏を確かめる。
「悠真」
「何?」
「これ、父さんの書類から始めるんじゃないか」
学校案内を片づけたばかりの食卓へ、今度は父名義の口座開設書類が広がった。
「面白かった」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ぜひブックマーク・評価・感想などで応援していただけると嬉しいです。
▼登場人物まとめ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3706198/




