表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三十代社畜の俺、中二に戻って人生無双を始める 〜なお宝くじの番号は覚えていない〜  作者: らいお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/11

第九話「ビットコインを検索して絶望する」

 白石が教室に入ってきた日の放課後、俺はまっすぐ家に帰った。


 榊原の件は、まだ終わっていない。

 森下の部活経由で広がったメールも、完全には消えていない。

 教室の空気だって、昨日までと同じではない。


 それでも、白石は消えなかった。

 未来で学校からいなくなったはずの彼女が、今日は自分の席に座っていた。


 その事実だけで、俺の中の何かが少し浮ついていた。


 そして、人間というものは不思議だ。

 一つ問題が片づきかけると、すぐ次の欲が顔を出す。


 つまり。


(人生無双計画、本来の目的に戻る時間だ)


 俺は自室に鞄を置き、居間へ向かった。

 目当ては家族共用のパソコンだ。


 当時の佐伯家にあるのは、リビングの隅に置かれたデスクトップだった。

 白い本体。

 少し黄ばんだキーボード。

 電源を入れると、低い音でファンが回り始める。


 懐かしい。

 そして遅い。


 未来のスマホに慣れた体感では、起動を待っているだけで軽く一生が終わりそうだった。

 いや、一生は言いすぎか。

 でも、残業帰りのエレベーター待ちよりは確実に長く感じる。


「悠真、宿題は?」


 台所から母さんの声が飛んできた。


「あとでやる」

「そのあとでは信用できないやつね」

「今日は調べもの」

「変なサイト見ないでよ」

「見ない」


 見ない。

 少なくとも、母さんが想像している意味では見ない。


 だが、今から調べるものは、母さんから見れば相当変なサイトかもしれない。

 何しろ、まだ世の中のほとんどが知らない謎の電子通貨だ。


 ビットコイン。


 未来の俺は、それがとんでもない価格になることを知っている。

 もちろん、正確な値動きは覚えていない。

 いつ、いくらになるかも曖昧だ。

 だが、長い目で見れば、初期に持っていた人間が信じられないほど儲けたことだけは知っている。


 宝くじの番号は覚えていない。

 競馬もやってこなかった。

 株も、NVIDIAを買っておけばよかったという後悔だけはあるが、中学生の俺には証券口座も資金もない。


 なら、ビットコインだ。

 未来知識チートの王道。

 安いうちに手に入れて、十年以上寝かせる。

 これぞ人生逆転。


 俺は検索窓に、慎重に文字を打ち込んだ。


 ビットコイン。


 検索結果が表示される。

 少ない。


「……少なっ」


 思わず声が出た。


 未来なら、ビットコインで検索すればニュース、取引所、解説サイト、怪しい広告、もっと怪しい広告、さらに怪しい広告が山ほど出てくる。

 だが、今は違う。

 日本語の情報がとにかく少ない。

 出てくるのは、どこかの技術ブログ、海外の記事を翻訳しかけたようなページ、そして英語だらけのフォーラム。


 ここで俺は、重大な事実を思い出した。

 俺は英語が得意ではない。


 中学英語なら戦える。

 大人になってからも、仕事で簡単な英文メールくらいは読んだ。

 だが、暗号技術だの分散ネットワークだのウォレットだの採掘だのを英語で読むのは、話が違う。


「えーっと……ピア、ツー、ピア」


 画面に映る説明を、口の中で読む。


 ピア・ツー・ピア。

 中央管理者がいない。

 誰でも参加できる。

 専用ソフトを入れて、ウォレットを作り、アドレスを発行する。


 言葉としては分かる。

 分かるが、身体が警戒していた。


 中学生の俺の家のパソコンに、海外のよく分からないソフトを入れる。

 これ、普通に怖い。


 未来なら、公式サイトかどうか確認する。

 ハッシュ値を確認する。

 ウイルス対策ソフトで見る。

 いや、未来の俺もそこまで真面目にやっていたかと言われると怪しいが、少なくとも今よりは判断材料がある。


 二〇一〇年の俺には、ない。


「これ、親のパソコンなんだよな……」


 もしウイルスに感染したらどうする。

 父さんの年賀状データが飛んだらどうする。

 母さんの写真フォルダが消えたらどうする。

 家族共用パソコンで謎の電子通貨ソフトを入れて怒られる中二男子。


 人生無双どころか、家庭内信用が終わる。


 俺は一度、背もたれに体を預けた。


 ビットコインが上がることは知っている。

 だが、買い方が分からない。

 手に入れ方も分からない。

 保管の仕方も分からない。


 知識があるのに、手段がない。


 これが現実だった。


 俺は気を取り直し、さらに検索を続けた。

 英語フォーラムを翻訳サイトに突っ込む。

 翻訳結果は、だいたい謎だった。


 採掘。

 ブロック。

 報酬。

 ノード。

 秘密鍵。

 wallet.dat。


 最後の単語で、手が止まった。


 wallet.dat。


 ウォレットのデータファイル。

 たぶん、これを失くすと終わる。

 未来の俺の記憶にも、パソコンを捨てたせいで大量のビットコインを失った人の話があった。

 それが本当か都市伝説かまでは知らない。

 だが、初期ビットコインあるあるとして、秘密鍵をなくしたら終わり、という感覚は強く残っている。


 つまり、もし今ビットコインを手に入れても、十年以上保管し続けなければならない。


 家族共用パソコン。

 親の目。

 古いハードディスク。

 引っ越し。

 買い替え。

 俺自身のうっかり。


 敵が多すぎる。


「宝くじより簡単とは誰も言ってないけどさ……」


 俺は頭を抱えた。


 この時代に戻ったら、ビットコインを買えば勝ち。

 誰もが一度はそう思う。

 俺も思った。


 だが実際には、買う以前にウォレットで詰まる。

 英語で詰まる。

 家族共用パソコンで詰まる。

 未成年で詰まる。


 人生無双、思ったより足場がぬかるんでいる。


 それでも、検索結果を閉じる気にはなれなかった。

 画面の向こうに、未来へ続く細い糸が見えている。

 細すぎて、今にも切れそうな糸だ。

 でも、確かにある。


 俺はさらにページをたどった。


 そこで、一つの言葉を見つけた。


 Bitcoin Faucet。


「蛇口?」


 直訳すると、蛇口。

 ビットコインの蛇口。


 なんだそれ。

 怪しさがすごい。


 だが説明を読むうちに、俺の背筋が少し伸びた。

 どうやら、簡単な認証を解くと無料でビットコインがもらえるサイトらしい。

 しかも、もらえる量が五ビットコイン。


 五。


 今の価値では、ほとんど何でもない数字。

 未来の俺から見ると、胃が痛くなる数字。


「……これだ」


 思わず声が震えた。


 買わなくていい。

 未成年でも、口座がなくても、理屈の上では受け取れる。

 必要なのは、ビットコインの受け取りアドレス。

 つまり、ウォレット。


 結局そこか。


 俺は画面を見つめたまま、しばらく固まった。


 蛇口は見つけた。

 水は出ている。

 でも、コップがない。


 コップを用意するには、親のパソコンに謎のソフトを入れる必要がある。

 そして、そのコップは十年以上割らずに保管しなければならない。


 難易度が急に現実的になった。


 さらに調べていると、取引所らしき名前も見つけた。


 Mt.Gox。


 未来の俺は、その名前を知っている。

 知っているどころではない。

 ビットコインを少しでもかじった人間なら、だいたい一度は聞く名前だ。


 便利だった。

 大きかった。

 そして、最終的に破綻した。


 その程度の記憶しかないが、警戒するには十分だった。


「ここに置きっぱなしは絶対駄目だな」


 俺はノートを開き、今日の分のメモを書いた。


 ビットコイン。

 日本語情報、少ない。

 英語フォーラム中心。

 ウォレット作成が必要。

 wallet.datをなくすと危険。

 Bitcoin Faucet、五ビットコイン。

 Mt.Gox、便利そうだが将来危険。

 親のパソコンにソフトを入れるリスク。

 バックアップ方法を調べる。


 書いていて、ふと笑いそうになった。


 昨日まで俺は、いじめの時系列メモを書いていた。

 今日はビットコインの保管メモを書いている。


 中学二年生の英語ノートが、急に人生攻略ノートになってきた。


「悠真、ご飯よ」


 母さんの声がした。


「分かった」


 俺は慌てて検索履歴を閉じようとして、手を止めた。

 閉じるだけでいいのか。

 履歴が残る。

 ダウンロードはしていない。

 怪しいサイトには入っていない。


 いや、入ったかもしれない。

 何をもって怪しいとするかは難しい。


 未来の知識があるのに、今の俺は検索履歴一つでびくびくしている。


 それが妙におかしくて、少しだけ肩の力が抜けた。


 俺は画面をもう一度見た。

 英語だらけのページ。

 意味の分からない単語。

 不安だらけのウォレット。

 無料でもらえる五ビットコイン。

 将来破綻するかもしれない取引所。


 どれも面倒だ。

 宝くじの番号を覚えているほうが、百倍楽だった。


 でも。


「宝くじより面倒だけど、これは本当に未来につながってる」


 小さく呟いてから、俺はパソコンの電源を落とした。


 ファンの音が止まる。

 画面が暗くなる。


 未来への入り口は、いったん閉じた。

 だが、場所は分かった。


 次は、開け方を調べればいい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ