↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三十代社畜の俺、中二に戻って人生無双を始める 〜なお宝くじの番号は覚えていない〜  作者: らいお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
86/96

閑話十「白石澪は、届かない返事を待っている」

 最初の揺れが大きくなった時、私は机の下で両腕を頭に乗せていた。

 机の脚が床を擦り、椅子が何度もぶつかる。窓の近くでは、ガラスが割れてしまいそうな音が続いていた。


「動かないで! そのまま!」


 高村先生の声に、出しかけていた顔を引っ込める。

 少し前に見た時、佐伯くんはこちらへ来ようとしていたように見えた。机の下から片膝を出し、私の方を見ていたから、たぶんそうだと思う。

 けれど、すぐに大きな揺れが来て、佐伯くんの身体は机の下へ戻された。


 私は大丈夫だと伝えたかった。

 口を動かしてみたけれど、机や窓の音が大きくて、自分の声さえ聞こえなかった。


 揺れが少し弱くなったあと、もう一度だけ顔を上げる。

 佐伯くんは私ではなく、黒板の方を見ていた。

 正確には、黒板の横に書かれた日付を見ていた。


 三月十日。


 そこに何か変なものでもあるみたいに、ずっと目をそらさない。

 呼びかけようとしたところで、高村先生からその場を動かないよう言われた。

 私はもう一度机の下へ戻った。

 床はまだ揺れていたのに、佐伯くんの顔だけが頭から離れなかった。


◇ ◇ ◇


 校庭へ避難してからも、佐伯くんは何度も日付を確かめているように見えた。

 先生たちが持ってきたラジオから、大きな地震や津波の話が聞こえる。周りの人たちは泣いたり、友達の名前を呼んだりしていた。

 私も怖かった。

 足の下がまた動くたびに息が詰まり、校舎の窓が鳴ると肩に力が入った。


 それでも、佐伯くんは少し違って見えた。

 地震が怖いだけなら、私と同じように校舎や先生を見ると思う。でも、佐伯くんはラジオから聞こえてくる言葉に反応して、何かを思い出そうとしているようだった。


 高村先生に顔色が悪いと言われても、大丈夫だと答えていた。

 膝の上では、手を強く握っている。

 開こうとしても指が動かないのか、握ったまま小さく震えていた。


 声をかけたかったけれど、男子と女子の列は離れていた。

 今ここで名前を呼んだら、先生の指示を聞いていないと思われるかもしれない。それに、何を聞けばいいのかも分からなかった。


 怖いの、と聞くのは違う気がした。

 大丈夫、と私が言えるほど、私も大丈夫ではなかった。


 体育館へ移ってから、私は小野さんと久住さんの近くに座った。

 携帯電話を開いて母へ電話をかけてみたけれど、つながらない。メールも送れず、画面には同じ表示ばかりが出た。


「澪、家は?」

「まだ連絡つかない」

「私も。たぶん、みんな同じだよね」


 小野さんの声も、いつもより小さかった。

 久住さんは携帯電話を膝へ置き、何も言わず画面を見ている。田端くんも、少し離れた場所で携帯電話を上へ掲げ、久住さんに電池が減ると言われていた。


 そのやり取りを聞いても、誰も笑わなかった。

 佐伯くんは鞄の持ち手を握り、俯いていた。

 周りには人がいるのに、一人だけ別の場所へ考えに行ってしまったように見えた。


 私は立ち上がりかけて、やめた。

 今行っても、何もできない。

 迷惑かもしれない。

 佐伯くんは一人で考えたいのかもしれない。


 理由はいくつも浮かんだ。

 でも、そのまま座っていると、今度は行かなかったことばかり考えてしまいそうだった。


「ちょっと、あっちに行ってくるね」


 小野さんに言うと、私の視線の先を見てから頷いた。


「うん」


 それだけだった。

 何も聞かれなかったことに少し助けられて、私は鞄を持って立ち上がった。


 佐伯くんのそばまで行く。

 空いている場所はあったのに、勝手に座る勇気が出なかった。


「ここにいてもいい?」

「……俺の隣?」

「うん」


 鞄の肩紐を握り直す。

 手が震えているのを見られたくなかったけれど、隠せるほど落ち着いてもいなかった。


「今、一人で座っているより、その……いいかなって。嫌だったら戻るけど」

「嫌じゃないよ」


 その答えを聞いて、少しだけ息を吐いた。

 私は隣へ座り、鞄を膝の上へ置いた。


「白石も怖いだろ」

「……うん。まだ揺れてる気がする」

「俺もする」


 佐伯くんも怖いのだと、初めてはっきり分かった。

 教室で何が起きても落ち着いていて、私が言葉を出せない時には待ってくれる。大人より先に先生へ話し、父親に見せるノートまで作ってしまう。

 そんな佐伯くんの手に、鞄の持ち手の跡が赤く残っていた。


「肩、痛い?」

「肩は大丈夫」

「じゃあ、どこか気持ち悪い?」

「そういうのでもない。ちょっと考えてただけ」


 本当のことを全部言っていないのは、私にも分かった。

 でも、私だって何を考えているのか聞かれたら、うまく答えられない。

 だから、それ以上は聞かなかった。


 隣に座っていても、何かを助けられた感じはしなかった。

 私の手もまだ震えていたし、母からの連絡もない。余震が来れば、二人とも同じように身を固くした。

 それでも、元の場所へ戻ろうとは思わなかった。


 友達が一人ずつ保護者と帰り、最後に佐伯くんのお母さんが来た。

 自分の家も心配なはずなのに、私の母が来るまで一緒に待つと言ってくれた。

 申し訳なくて断ろうとしたけれど、佐伯くんも帰ろうとせず、お母さんの隣へ座った。私は何度も頭を下げることしかできなかった。


 母の姿が体育館の入口に見えた時、立ち上がるより先に身体の力が抜けた。

 近くまで来た母に両肩を抱かれ、大丈夫と答える。そう言いながら、私は母の袖を掴んでいた。

 離した方がいいと思っても、指がなかなか動かなかった。


 帰る前に、佐伯くんを見る。


「佐伯くん、帰ったら連絡するね」

「今はメールも遅れると思うぞ」

「うん。それでも、送る」

「……分かった。俺も送る」


 またね、と言って体育館を出た。

 廊下を曲がる前に一度振り返ると、佐伯くんはまだこちらを見ていた。


◇ ◇ ◇


 学校の外は、もう暗くなり始めていた。

 信号も街灯も消えている。母は片手に懐中電灯を持ち、もう片方の手で私の手を握った。


「足元、気をつけてね」

「うん」

「学校で怪我はなかった?」

「大丈夫。お母さんは?」

「私も大丈夫。家も棚から少し落ちたくらいよ」


 母はそう言ってから、懐中電灯を見た。


「電池、替えておいてよかったわ。前に澪が聞いてくれたでしょ」

「……うん」


 あれは、佐伯くんから急に来たメールがきっかけだった。

 懐中電灯や水を確認したことがあるかと聞かれ、その時は少し不思議に思った。佐伯くんらしいとも返した。


 まさか、こんなに早く使うとは思わなかった。


「どうしたの?」

「何でもない。佐伯くん、大丈夫かなって」

「お母さんが迎えに来てたから、きっと大丈夫よ」

「うん」


 そうだと思う。

 それでも、無事に家へ着いたという一言を、自分の携帯電話で読みたかった。


 家の中も停電していた。

 本棚から落ちた本が廊下へ出ていて、台所では調味料の瓶がいくつか倒れている。母と一緒に危ない物だけ片づけてから、自分の部屋へ入った。


 机の上に置いていた物は床へ落ちていたが、大きく壊れた物はなかった。

 鞄を椅子へ置き、中から学校案内を出す。

 緑色の表紙に傷はついていない。角も折れていなかった。


 今日、佐伯くんと一緒に見るはずだった。

 朝には、放課後の約束を忘れないよう何度も確かめた。田端くんが購買の話をして、みんなで少し笑った。

 私は学校案内を開こうとして、やめた。

 今は高校の名前を読んでも、頭に入らないと思う。


 学校案内を机の上へ置き、携帯電話を開いた。

 新しいメールを作る。


『家に着きました。先ほどは隣にいてくれて、ありがとうございました。佐伯くんも、お母さんと無事に帰ることができましたか』


 最後まで打ってから、読み直す。

 長いし、学校から帰ったという連絡には少し硬すぎる。

 それに、隣にいたかったのは私の方だった。


 一度全部消して、短く打ち直した。


『家に着きました。佐伯くんも、無事に帰れましたか』


 送信ボタンを押す。

 しばらく待ったあと、送信できなかったという表示が出た。


「……届かない」


 もう一度押そうとした時、廊下から母の声がした。


「澪、携帯は何度も使わないでね。電池がなくなると困るから」

「うん」


 私は送信画面を閉じられず、そのまま机へ置いた。

 少し待つつもりだった。

 けれど、何分待てばいいのか分からない。時計を見て、携帯電話を見て、また時計を見る。


 十分ほど経ってから、もう一度だけ送信ボタンを押した。

 今度は送信済みになった。


 ほっとしてから、すぐに別のことが気になった。

 送信できたことと、佐伯くんへ届いたことは同じなのだろうか。


 送信済みの画面を閉じ、待受画面に戻す。

 机の上に置く。

 少ししてから、また開く。

 何も届いていない。


 携帯電話を学校案内の横へ置いた。

 離れたところに置けば何度も見なくなると思ったのに、今度は机の方ばかり気になった。


◇ ◇ ◇


 電気が戻ってから、母と遅い夕食を食べながらテレビを見た。

 大きな地震だったことは分かっていたけれど、画面に映るものは、学校で想像していたよりずっとひどかった。

 母が何度かチャンネルを替えても、どこも同じ地震の話をしている。

 私は箸を持っているだけで、ほとんど食べられなかった。


 私は携帯電話を膝の上へ置いた。

 小野さんたちも無事に家へ着いただろうか。久住さんのお父さんは一緒に帰れただろうか。杉浦くんと田端くんも、暗い道で怪我をしていないだろうか。

 みんなの顔を順番に思い出す。

 最後には、やっぱり佐伯くんのところで止まった。


 肩をぶつけたと言っていた。

 お父さんとは連絡がつかないとも聞いた。

 それに、地震が起きてからの佐伯くんは、私の知らない何かを怖がっていた。


 理由を聞かなかったことが、急に気になった。

 隣に座っただけでよかったのだろうか。もっと話した方がよかったのか。それとも、あれ以上聞いたら困らせたのか。


 考えても分からない。

 携帯電話は震えなかった。


「澪、今日はもう寝なさい」

「でも、まだ返事が……」

「メールは遅れてるんでしょ。朝になったら届いているかもしれないわ」

「うん」


 部屋へ戻り、携帯電話を枕元へ置いた。

 学校案内は机の上に残っている。

 鞄へしまおうかと思ったけれど、立ち上がる気になれなかった。


 布団へ入ってからも、何度か携帯電話を開いた。

 画面には時刻と電池残量が表示されるだけだった。

 返事を急かすメールは送らない。電話もかけない。そう決めても、確認する回数までは減らなかった。


 佐伯くんは、帰れただろうか。

 お母さんも、お父さんも無事だろうか。


 私が最後に時刻を見たあと、どれくらい起きていたのかは分からなかった。


◇ ◇ ◇


 携帯電話の振動で目が覚めた。

 外はもう明るくなっている。枕元から携帯電話を取り、開くまでに一度手が滑った。


 佐伯くんからだった。


『こっちも帰った。母さんも無事。父さんは会社にいるけど、怪我はない』


 送信時刻は昨夜になっていた。

 何度も読まなくても内容は分かる。それでも、私は最初からもう一度読んだ。


 佐伯くんは家にいる。

 お母さんも、お父さんも無事だった。


 息を吐くと、肩が少し痛かった。ずっと力を入れていたらしい。

 私は返信欄を開いた。


『無事でよかったです。返事をありがとう』


 少し迷い、一度だけ送信する。

 送信済みの表示を確認してから、携帯電話を閉じた。


「澪、起きてる? 朝ご飯にするよ」


 廊下から母に呼ばれた。


「うん。今行く」


 返事をした途端、お腹が鳴った。

 昨日の夜はほとんど食べられなかったことを思い出し、私はお腹へ手を当てた。


 ベッドから下り、携帯電話を机へ置く。

 その隣には、緑色の学校案内がある。

 いつ学校へ行けるのかも、佐伯くんといつ一緒に見られるのかも、まだ分からない。


 私は学校案内の位置を少しだけ直した。

 鞄へは戻さず、机の上に置いたまま、朝食を食べに部屋を出た。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。