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三十代社畜の俺、中二に戻って人生無双を始める 〜なお宝くじの番号は覚えていない〜  作者: らいお


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第七十六話「学校から帰れない」

 校庭で待っている間にも、余震は何度か続いた。

 そのたびに先生たちの声が飛び、生徒は頭を押さえてしゃがみ込む。最初の揺れほど大きくはなかったが、今度はいつ止まるのか分からない。足の下が少し動いただけで、身体が先に固くなった。


 やがて体育館の安全確認が終わり、俺たちはクラスごとに中へ移された。

 電気は消えたままだった。高い窓から夕方前の光が入っているので人の顔は見えるが、廊下へ続く扉の奥は薄暗い。壁際では、非常口の緑色だけが妙に明るく浮いていた。


「二年三組は、この線より内側に座ってください。鞄は安全確認が済んでから、先生がついて順番に取りに戻ります。勝手に教室へ戻らないこと」


 高村先生は出席簿を抱えたまま、生徒を床へ座らせた。

 ほかの先生と話すたびに体育館の入口へ走り、戻ると人数を数える。校庭で二度点呼をしていたのに、まだ足りないらしい。

 三十二歳の俺から見れば、高村先生も十分若い。こんな状況で三十人以上の子どもを預かれと言われたら、俺なら会社のトラブル対応より先に胃が痛くなる。今の先生の顔を見て、それを口にする気にはならなかった。


 しばらくして、五人ずつ教室へ鞄を取りに戻ることになった。

 教師が前後につき、窓から離れた廊下を歩く。教室には紙や教科書が散らばったままで、倒れかけた棚の近くには入らないよう言われた。

 俺は机の横から鞄を外し、肩へかけた。高校調査のノートも、筆箱も入っている。こんな時にまで中身を確かめる必要はないのに、手が勝手にファスナーを開けていた。

 白石は隣の列で、学校案内が鞄に入っていることを確かめていた。緑色の表紙を少しだけ見たあと、すぐに閉じる。

 今日の放課後、一緒に見るはずだった物だ。

 たった数時間前の約束なのに、ずいぶん前の話に思えた。


 体育館へ戻ると、高村先生から携帯電話を持っている生徒は家へ短い連絡をしてもいいと言われた。ただし、つながらないからと何度もかけ直さないこと、電池を減らさないことも続けて注意された。


 俺は携帯電話を開き、母の番号を押した。

 発信中の表示が続く。耳に当てても呼び出し音へ変わらず、しばらくすると接続できないという表示が出た。


「駄目か……」


 今度はメールを開いた。

『学校にいる。怪我はない。迎えを待っています』

 そこまで打って送信する。だが、画面には送信できなかったと表示された。

 もう一度押そうとしたところで、高村先生と目が合った。


「佐伯くん、連続で送らないでね。少し時間を置いてみよう」

「はい」


 携帯電話を閉じる。

 母は家にいるはずだ。家が無事なら、前に決めたとおり、道の安全を見てから学校へ来る。電話がつながらなくても行動できるよう、冷蔵庫に連絡先と避難場所の紙まで貼った。

 分かってはいる。分かっているが、無事だという返事がない状態では、何度確認しても落ち着かなかった。


「圏外じゃないのに、全然つながらないぞ?」


 少し離れたところで、田端が携帯電話を掲げていた。


「上に上げても変わらないと思う」

「いや、もしかしたら一本増えるかもしれないだろ」

「電池が減るだけじゃない?」


 久住に言われ、田端はおとなしく手を下ろした。

 いつもなら何か言い返すところだが、携帯電話の画面を見つめたまま黙っている。家族へ送ろうとしたらしいメールが、未送信のまま残っていた。


 小野と杉浦も、それぞれ携帯電話を開いていた。


「杉浦くん、今送った?」

「うん。小野さんのところにも」

「届いてないよ」

「俺も届いてない」

「隣にいるのに、何やってるんだろうね」

「……ほんとだな」


 二人とも笑わなかった。

 同じ体育館にいる相手へメールを送る意味はほとんどない。それでも、帰宅したあと連絡が届くのか確かめたかったのだろう。杉浦は小野の姿を一度見てから、携帯電話を閉じた。


「久住の家は?」


 俺が聞くと、久住は膝の上で携帯電話を裏返した。


「父は仕事中。すぐには来られないと思う」

「連絡は?」

「まだ。こういう時に無理して運転される方が困るから、待つ」


 普段と変わらない声だったが、話し終わるとまた携帯電話を表へ向ける。何も表示されていない画面を見て、すぐに伏せた。


 俺も鞄の上へ携帯電話を置いた。

 画面が点灯するたびに母からの返事かと思うが、時計が表示されるだけだった。


 周囲では、泣いている生徒を友人がなだめていた。先生に頼んで何度も家へ電話をかけてもらう生徒もいたが、学校の固定電話もほとんどつながらないらしい。

 教師が持ってきたラジオからは、沿岸部へ避難を呼びかける声が流れ続けていた。


 俺は膝の間へ視線を落とした。

 前の人生で見た映像を、もう一度頭の中から探す。津波がどこへ何時に到達したのか、どこならまだ間に合うのか。だが出てくるのは、すべてが起きたあとにテレビで見た場面ばかりだった。

 今さら場所が一つ分かったところで、ここから何ができる。

 携帯電話すらつながらない。教員へ話したところで、内陸の中学校にいる生徒がニュース以上の情報を持っている理由を説明できない。そう考えているうちにも、ラジオの向こうでは避難を急かす声が続いていた。


 手に力が入っていた。

 鞄の持ち手を握り込み、爪の先が白くなっている。それに気づいても、なかなか指を開けなかった。


「佐伯くん」


 顔を上げると、白石が鞄を抱えて立っていた。

 すぐそばには空いている場所がある。白石はそこを見てから、俺へ視線を戻した。


「ここにいてもいい?」

「……俺の隣?」

「うん」


 白石は鞄の肩紐を握り直した。


「今、一人で座っているより、その……いいかなって。嫌だったら戻るけど」

「嫌じゃないよ」


 答えると、白石は俺の隣へ腰を下ろした。

 近いといっても肩が触れるほどではない。床に置いた鞄を膝へ引き上げ、その上に両手を重ねる。よく見ると、白石の指先も震えていた。


「白石も怖いだろ」

「……うん。まだ揺れてる気がする」

「俺もする」


 実際には揺れていないのかもしれない。

 吊り下げられたバスケットゴールは動いておらず、体育館の窓も鳴っていなかった。それでも床へ座っていると、身体の奥だけがいつまでも揺れているようだった。


 白石は俺の手元を見た。

 慌てて鞄から手を離す。掌には持ち手の跡が赤く残っていた。


「肩、痛い?」

「肩は大丈夫」

「じゃあ、どこか気持ち悪い?」

「そういうのでもない。ちょっと考えてただけ」


 ずいぶん苦しい答えだった。

 白石も分かったはずだが、何を考えていたのかまでは聞かなかった。膝の上の鞄を抱え直し、俺と同じ方を向く。


「お母さん、来るといいね」

「白石の家もな」

「うん」


 そこで会話は終わった。

 励ましてくれる言葉も、何かを解決する方法も出てこない。ただ、隣に人がいることで、携帯電話の画面ばかり見ずに済んだ。


◇ ◇ ◇


 体育館の窓から入る光が、少しずつ橙色に変わっていった。

 保護者が到着するたび、入口で名前が呼ばれる。高村先生は迎えに来た大人の名前と生徒との関係を確認し、名簿へ時刻を書いてから一人ずつ引き渡していた。


 クラスの人数が半分ほどになった頃、久住の名前が呼ばれた。

 体育館の入口には、作業着姿の男性が立っている。久住は立ち上がる前に一度だけ俯き、息を吐いた。


「父、来たみたい」

「よかった」

「うん。みんなも気をつけて帰って」


 久住は鞄を肩へかけ、田端が返事をする前に入口へ向かった。父親の前まで行くと、何か短く言われて頷いている。普段どおりの顔に戻っていたが、歩く速さは少しだけ早かった。


 その後、小野の母親が迎えに来た。

 小野は鞄を持って立ち上がり、杉浦を見る。


「杉浦くん、帰ったらメールしてね」

「小野さんも。届かなくても、一回は送るから」

「うん。何回も送ったら駄目だよ」

「分かってるって」


 小野は頷いてから、白石へ手を振った。


「澪も、佐伯くんも、田端くんも。またね」

「うん。またね」


 またねと言っても、明日学校があるかどうかすら分からない。

 小野もそう思ったのか、一度振った手を下ろしたあと、もう一度小さく振ってから母親のところへ向かった。


 杉浦の迎えも、その少しあとに来た。


「じゃあ、俺も帰る。小野さんから何か来たら、届いたって送る」

「それ、また届かないんじゃないか」

「あ」


 杉浦は真面目な顔で携帯電話を見てから、頭をかいた。


「まあ、帰ってから考える。佐伯たちも気をつけて」


 田端の母親が来た時には、外はかなり暗くなっていた。

 田端は鞄を背負い、俺の前へしゃがむ。


「悠真、帰ったらメールするわ」

「電池が残ってたらでいい。何度も送るなよ」

「分かってる。お前も送れよ」

「ああ」


 田端は白石にも手を上げ、母親と一緒に体育館を出ていった。

 さっきまで六人で固まっていた場所には、俺と白石だけが残った。体育館全体ではまだ何十人か待っているのに、急に広くなったように感じる。


 白石は携帯電話を開き、何も届いていないことを確認して閉じた。


「お母さん、たぶん道を見ながら来てると思う」

「うちもそうだろうな」


 俺が答えた直後、入口で佐伯と呼ぶ声がした。


 母が立っていた。

 普段より歩きやすい靴を履き、片手には小さな懐中電灯を持っている。俺が近づくと、母は鞄を受け取るより先に、顔と腕を触って怪我がないか確かめた。


「悠真、大丈夫? 怪我はない?」

「肩を少しぶつけたけど、腕も動くし、平気」

「本当に?」

「本当。家は?」

「棚の物が落ちたくらい。電気はまだ戻ってないわ。お父さんとは連絡がつかないけど、会社にいると思う」


 父の無事が確認できたわけではない。

 母も心配しているはずだが、俺の前では声を乱さなかった。


 高村先生が名簿へ引き渡し時刻を書き込む。その横で、母はまだ座っている白石に気づいた。


「白石さんのお迎えは?」

「まだです。でも、先生もいるので大丈夫です」

「そう。じゃあ、お母さんが来るまで一緒に待ちましょう」


 白石は驚いたように目を上げた。


「えっ。でも、佐伯くんのお家も……」

「家は大きく壊れていないし、少しくらい待てるわ。悠真も気になるでしょ」

「まあ……うん」


 こんな時まで俺に確認を取らなくてもいい気はするが、否定する理由もなかった。

 母は高村先生へ待っていてもいいか尋ね、そのまま壁際へ座った。白石は何度も頭を下げている。


 十分ほどして、今度は白石の名前が呼ばれた。

 入口に立っていた白石の母親は、娘の姿を見つけると早足で近づいてきた。白石の両肩を抱き、顔を確かめてから、遅くなってごめんねと繰り返す。

 白石は大丈夫と答えていたが、母親の袖を掴んだ手はしばらく離れなかった。


 白石の母親は高村先生へ礼を言い、残っていた俺と母にも深く頭を下げた。


「一緒にいてくださって、ありがとうございました」

「いえ。無事でよかったです」


 母同士が話している横で、白石が俺を見る。


「佐伯くん、帰ったら連絡するね」

「今はメールも遅れると思うぞ」

「うん。それでも、送る」

「……分かった。俺も送る」


 白石は少しだけ迷ってから、もう一度頷いた。


「またね」

「またな」


 白石は母親と一緒に体育館を出た。

 無事に家へ着いたか確認できるのがいつになるかは分からない。追いかけて家まで送ると言える状況でもなく、俺は二人の姿が廊下の暗がりへ消えるまで見ていた。


◇ ◇ ◇


 学校の外へ出ると、日がほとんど落ちていた。

 信号は消え、店の看板にも明かりがついていない。歩道には家へ向かう人が何人もいて、道路では車が交差点へ入るたびに速度を落としていた。


「悠真、こっち側を歩いて。交差点は無理に渡らないでね」

「分かってる」


 母の隣を歩きながら、何度も振り返りそうになる。

 学校の方向を見ても、白石がもう出たのかは分からない。携帯電話を開いても、母へ送ろうとしたメールは未送信のままで、ほかには何も届いていなかった。


 家のある通りまで戻っても、どの窓にも明かりはついていなかった。

 母が手にしていた懐中電灯のスイッチを入れる。夏に電池を確認して、玄関の近くへ置くようにした白い懐中電灯だった。


「持って出てよかったわ」

「……うん」


 細い光で足元を照らしながら、俺たちは暗い家へ向かった。


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― 新着の感想 ―
 主人公と仲間たちの保護者が全員迎えに来て、良かったですね。 その前に備蓄した水があるから最低限は‥‥。
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