第七十話「友達が付き合うと、逃げ場が少し減る」
小野と杉浦が付き合い始めて、三日目になった。
翌朝は挨拶だけで二人とも妙に固まっていたが、三日目になると、ようやく前と同じくらいには話せるようになっていた。
昼休み、いつものように机を寄せて弁当を広げる。
杉浦がペットボトルの蓋を開けようとしたところで、小野が横から声をかけた。
「今日も部活、遅いの?」
「昨日と同じくらい。たぶん六時半」
「帰る頃、寒そうだね」
「走ってる間は暑いけど、終わると寒い」
「ちゃんと上着着なよ」
「分かってる」
普通の会話だった。
ただ、小野は杉浦の部活が終わる時間を知っているし、杉浦も聞かれることに慣れた顔で答えている。
田端が箸を止め、二人を見比べた。
「それが付き合ってる会話?」
「何、その質問」
「いや、何か変わったのかなと思って」
「田端、見すぎ」
杉浦が嫌そうに言った。
「だって、付き合う前とあんまり変わらないだろ」
「急に何か変わる方が変じゃない?」
「例えば、弁当のおかず交換するとか」
「それ、付き合ってなくてもするよね」
小野が白石の弁当箱へ視線を向ける。
この前の卵焼きのことを言っているらしい。
「じゃあ、一緒に帰るとか」
「杉浦くんは部活があるでしょ」
「名前で呼ぶとか」
「それはもう聞いた」
小野の声が少し低くなった。
田端はまだ何か言いたそうだったが、久住が先に口を開く。
「メールは増えたんじゃない」
小野と杉浦の手が同時に止まった。
「久住さん、何で分かるの」
「学校で話せないなら、そっちかなと思って」
「話せてないわけじゃない」
「昨日よりは話せてるね」
久住はそう言って、普通に弁当を食べ続けた。
小野は言い返せず、箸でご飯を少しずつ崩している。
「メール、増えたの?」
白石が聞いた。
からかう感じではなく、本当に気になったようだった。
「少しだけだよ」
「何話すの?」
「部活終わったとか、宿題どこまでやったとか」
「それだけ?」
田端が口を挟む。
「田端くんには絶対見せない」
「見せろとは言ってないだろ」
「顔が見たそうなの」
小野に睨まれ、田端は俺の方を向いた。
助けを求められても困る。人のメールを見たがる方が悪い。
「でも、前より気にすることは増えたかも」
杉浦が言った。
「部活が遅くなったら、連絡した方がいいかなとか。メール返すの遅かったら、寝たのかなとか」
「私も、部活終わったかなって気にする」
小野はそこまで言ってから、弁当箱へ顔を向けた。
付き合う前から似たようなことは考えていたのだろうが、今は口に出しても怒らなくなった。
白石は二人の話を聞きながら、箸を持つ手を止めていた。
気づいた小野が少し笑う。
「澪、そんなに真面目に聞かなくても」
「ご、ごめん」
「謝ることじゃないけど」
白石は慌てて卵焼きを口へ運んだ。
俺と目が合いそうになり、すぐに弁当箱へ視線を戻す。
何となく、こちらまで落ち着かなくなる。
誰かの予定を気にするだけなら、俺もとっくにやっていた。白石が図書館へ来る時間も、家へ帰ったかどうかも、メールの返事が遅い時も気になったことがある。
それを何と呼ぶかは、今は考えない方がいい。昼休みから弁当の味が分からなくなる。
「佐伯くん」
白石に呼ばれ、箸を止めた。
「どうした?」
「進路のノート、返してもいい?」
「もう見たのか?」
「うん。昨日の夜に少し」
白石は鞄から俺のノートを出し、机の間へ置いた。
何か書き込んだわけではなく、細い付箋が三枚挟まっている。
「通学時間とか、学費は分かりやすかったよ」
「そこは調べれば出るからな」
「でも、佐伯くんがその学校で何をしたいかは、あまり書いてなかった」
「何をしたいか……」
「部活とか、学校の雰囲気とか。見学しないと分からないこともあると思う」
痛いところを突かれた。
進路を決めるためのノートなのに、俺が書いたのは比較しやすい数字ばかりだ。通学時間、学費、進学実績。会社を選ぶ時の条件表と大差ない。
「相変わらず、見るところが細かいな」
「変だった?」
「いや。助かる」
白石はほっとしたように肩を下ろした。
「私も、少し調べてみようと思ってるんだ」
「候補あるの?」
「まだ。通えるところから見ようかなって」
「その方がいいな」
田端が横からノートを覗き込もうとしたので、俺は手で押さえた。
「俺にも見せてくれよ」
「お前はまず自分で調べろ」
「購買のパンが美味い学校」
「その条件はホームページに載ってないと思う」
久住の言葉に杉浦が笑い、小野もつられて笑った。
昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴る。
机を戻す途中、小野と杉浦がぶつかりそうになり、今度は普通に「ごめん」「大丈夫」と言い合っていた。
三日前よりはだいぶましらしい。
◇ ◇ ◇
放課後、昇降口で杉浦が部活用の鞄を肩へかけた。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。頑張って」
小野が返す。
杉浦は少し照れたように鼻の下をこすり、田端に「早く行くぞ」と声をかけられて部活へ向かった。
田端も勢いで数歩ついていったが、途中で「俺、サッカー部じゃない」と言って戻ってきた。
何をしに行ったんだ、お前は。
校門を出てしばらくは、五人で歩いた。
小野は杉浦が走っていった方を一度だけ振り返り、久住に見られて「何でもない」と言っている。
久住は何も聞いていない。
交差点で小野と久住が別れ、その少し先で田端も別の道へ曲がった。
昨日と同じように、俺と白石だけが残る。
白石はマフラーへ口元を隠し、足元を見ながら歩いていた。
今日は風が少し強く、歩道の端に残っていた枯れ葉が何枚か転がっていく。
「小野さんたち、少し戻ってたね」
「何が?」
「普通に話せるようになってた」
「まだ三日だからな」
「でも、付き合う前より気にすることが増えたって言ってた」
「ああ」
白石は一度前を向き、それから少しだけこちらを見る。
「付き合うって、どんな感じなんだろうね」
俺に聞くのか。
三十二歳まで生きた人間として何か答えるべきなのかもしれないが、浮かんだ言葉はどれも白石へ言うには大人びすぎていた。
一緒にいるだけで済む話でもないし、好きなら全部うまくいくほど簡単でもない。そんなことを十四歳へ説明してどうする。
「そうだな……二人を見る限りだけど、気にすることが増えて少し面倒になるんじゃないか」
結局、かなり雑な答えになった。
白石は目を丸くしたあと、マフラーの中で小さく笑った。
「佐伯くんらしい」
「悪かったな」
「悪いって言ってないよ」
白石は歩きながら、鞄の持ち手を両手で握り直した。
「面倒でも、相手が何してるか気になるのかな」
「小野たちはそうみたいだな」
「佐伯くんは?」
質問がこちらへ来た。
白石の帰宅時間も、メールの返事も気にしている、とそのまま言えるわけがない。
「俺は……」
返事に困っていると、白石が慌てて首を振った。
「ごめん。変なこと聞いた」
「いや」
「小野さんたちの話だから」
「うん」
二人とも前を向く。
助かったはずなのに、妙に言い残した感じがした。
しばらく歩いたところで、白石が話題を変えるように口を開いた。
「進路のノートにあった学校、私の家からも通えそうだった」
「調べたのか?」
「うん。少しだけ」
「早いな」
「佐伯くんが調べてたから、気になって」
白石はそこで言葉を切った。
マフラーから出ている頬が、寒さのせいだけではなく少し赤い。
「同じ学校に行けたら、楽しいのかな……」
小さな声だった。
俺が横を見ると、白石はすぐに続けた。
「小野さんたちも、田端くんも、久住さんも。みんな同じだったら、ってことだよ」
「全員は……難しいだろ」
「うん。分かってる」
杉浦はサッカーを続けられる学校を考えるだろうし、小野や久住にもそれぞれ希望がある。田端については、まず本人が条件を考えるところからだ。
全員同じ進路なんて、現実にはたぶん無理だ。
「でも」
俺は頭をかいた。
「白石が同じ学校なら、俺は楽しいと思う」
言ってから、少し直接的すぎた気がした。
白石は足元を見たまま、鞄の持ち手を握り直す。歩く速さが少し落ちたので、俺も合わせた。
「……そっか」
「ただ、進路はちゃんと自分で決めろよ。俺もまだ決めてないし」
「うん。一緒に調べよう」
白石が顔を上げた。
その言い方が自然だったせいで、俺はすぐに返事ができなかった。
「佐伯くん?」
「分かった。調べよう」
ようやく答えると、白石は少しだけ笑った。
◇ ◇ ◇
家へ帰り、夕飯を済ませてから机へ向かった。
進路希望調査の紙と、高校を調べたノートを並べる。
昼に白石から言われた通り、俺のノートには数字ばかりだった。
どの学校なら無理なく通えるか。学費はいくらか。卒業後の進路はどうか。必要なことではあるが、それだけで決めると、また前の人生と同じように「何となく無難な方」を選びそうになる。
新しいページを開き、シャーペンを持った。
『誰と、どこで、どう生きるか』
書いたところで手が止まる。
何だこれは。
会社の研修で出される、人生設計シートの見出しみたいだ。
恥ずかしくなり、上から線を引いた。
一度では文字が見えたので、もう一度引く。まだ読める。さらに重ねたら、紙の表面が少し毛羽立った。
俺はため息をつき、その下に『高校見学の日程を調べる』と書いた。
さっきよりはましだ。
ただ、上の黒い線が目立ちすぎる。白石に見せる前にページを替えるべきか迷い、俺はまたシャーペンを置いた。
以降の執筆内容の取り扱いが難しく、少々難航しております……。
そのため、今後はこれまでよりもゆっくりとした更新になるかと思いますが、何卒ご容赦いただけますと幸いです。




