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三十代社畜の俺、中二に戻って人生無双を始める 〜なお宝くじの番号は覚えていない〜  作者: らいお


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閑話「小野美咲は、付き合うの意味をまだ知らない」

 家に帰って自分の部屋へ入ったところで、私は鞄を持ったまま立ち止まった。


 今日、杉浦くんと付き合うことになった。

 ……たぶん。


 教室でも二人でそう確認したし、帰り道では田端くんに何度も聞かれた。澪からも「よかったね」と言われた。

 だから間違いではないと思う。


 それでも、家へ帰って一人になると、誰かの話を思い出しているような感じがした。


 鞄を机の横へ置き、制服のポケットから携帯を出す。

 新着メールはなかった。

 杉浦くんは部活中だから、来るはずがない。分かっているのに、念のため受信箱を開いてから閉じた。


「付き合うって、何すればいいんだろ……」


 口に出しても、部屋には私しかいない。

 ベッドへ腰を下ろし、携帯のアドレス帳を開いた。


『杉浦くん』


 登録名は今までと同じだった。

 急に健太くんへ変えるのはおかしい。そもそも、本人を名前で呼んだこともない。

 恋人になったら呼び方を変える、という決まりがあるのだろうか。田端くんなら知ったような顔で何か言いそうだけれど、あまり信用できない。


 私はメールの新規作成画面を開いた。


『今日はありがとう』


 そこまで打って、指が止まる。

 何に対するお礼なのかが分からない。付き合ってくれてありがとう、では少し変な気がする。話してくれてありがとうなら合っているけれど、教室でもう言った。


 全部消した。


『これからよろしくね』


 今度は転校してきた時の挨拶みたいだった。

 また消す。


『部活、頑張ってね』


 これなら普通に送れる。

 普通すぎて、今日わざわざ送る意味がない気もする。


 送信ボタンの上へ親指を置いたまま迷い、結局その文も消した。


 杉浦くんは、部活が終わったらメールすると言っていた。

 それなら、待っていればいい。

 でも、付き合い始めたのに最初のメールまで相手任せなのはどうなのだろう。


 考えるほど分からなくなった。

 私は携帯を閉じ、机へ置いた。すぐに気になって、画面が見える向きへ置き直す。


 澪に相談しようかと思った。

 ただ、澪は最初から最後まで教室にいた。私が教科書で顔を隠していたところも、杉浦くんに「たぶん」と答えたところも、全部知っている。

 今さら何を報告すればいいのだろう。


 久住さんは、言うまでもない。

 あの人はチョコを買いに行った日から気づいていたらしい。たぶん私より先に、私が杉浦くんを気にしていると分かっていた。

 相談したら、必要なことだけ短く答えてくれそうではある。

 その代わり、私が聞かれたくないことまで一つくらい聞いてきそうだった。


 携帯が震えた。

 反射的に手を伸ばす。


 画面に出ていたのは、澪の名前だった。

 少しだけ肩の力が抜けたような、残念なような、自分でもよく分からない気持ちでメールを開く。


『家、着いた?』


 いつもの短い文だった。


『着いたよ。澪も?』


 送ると、少しして返事が来た。


『私も着いたよ。今日はお疲れさま』


 お疲れさま、と言われるようなことをしただろうか。

 教室で話しただけなのに、部活を終えた後より疲れた気はする。


『ありがとう。澪、今日は待っててくれてありがとう』


 私は送信した。

 すぐに澪から返ってくる。


『私は何もしてないよ。でも、よかったね』


 教室でも聞いた言葉なのに、画面で見るとまた顔が熱くなった。


『うん』


 それだけ返し、携帯を閉じる。

 澪は、それ以上何も聞いてこなかった。

 あの場にいたのだから、改めて説明することもない。久住さんも、たぶん同じだろう。


 ふと、佐伯くんの顔が浮かんだ。

 教室の前で鞄を何度も開け閉めしながら、こちらを見ないふりをしていた。あれで気を使っているつもりだったのだと思う。

 澪と佐伯くんは付き合っていない。

 でも、二人は隣にいる時の方が自然に見えることがある。今日の帰りも、田端くんと別れたあと、きっと二人で歩いたのだろう。


 前なら、あとで澪へ聞いていたかもしれない。

 今日は無理だった。

 人のことを聞く前に、自分が明日どうやって杉浦くんへ挨拶するかも決まっていない。


 机の上の携帯は、まだ静かなままだった。


◇ ◇ ◇


 夕飯を食べ、お風呂から上がっても、杉浦くんからのメールは来ていなかった。

 部活が長引いているのかもしれない。

 それとも、杉浦くんも何を書けばいいのか分からないのだろうか。


 髪を乾かしている途中で携帯が震えた。

 慌てて手に取ると、今度は杉浦くんの名前が表示されていた。


 すぐに開くのは待っていたみたいで恥ずかしい。

 そう思い、携帯を机へ戻した。


 五秒くらい待った。

 それ以上は無理だった。


『部活終わった。今日はありがとう』


 文はそれだけだった。

 私は昼から何度も考えたわりに、杉浦くんも最初のメールは同じところへ戻ったらしい。


『部活お疲れさま。私もありがとう』


 今度は消さずに送れた。

 返事はすぐに来た。


『明日、普通に話せる?』


 思わず笑ってしまった。

 私もずっと同じことを考えていた。


『たぶん』


 送信してから、教室での返事と同じだと気づいた。

 直せないまま、杉浦くんからもう一通届く。


『俺もたぶん』


 私は携帯を持ったまま、しばらく画面を見ていた。

 付き合う前と大して変わらない、短くて少し困ったメールだった。

 それなのに、受信箱を閉じる前にもう一度読み返した。


◇ ◇ ◇


 翌朝、教室へ入ると、杉浦くんは田端くんと話していた。

 いつもと同じ光景なのに、足が少しだけ遅くなる。


 杉浦くんがこちらに気づいた。

 目が合う。


「お、おはよう」

「おはよう」


 それだけだった。

 昨日までだって何度も挨拶しているのに、二人とも声が硬い。


「何か、距離できてない?」


 田端くんが私たちを見比べた。


「できてない」

「昨日、付き合ったんだよな?」

「確認しないで」

「いや、付き合う前の方が普通に話してた気がして」

「田端、朝からうるさい」


 杉浦くんが止めてくれた。

 止め方もいつもと同じで、少し安心する。


「でもさ、呼び方とか変えないの?」

「呼び方?」

「お互い下の名前で呼んだり」

「呼ばない!」

「呼ばないから!」


 杉浦くんと声が重なった。

 二人で顔を見合わせ、すぐに逸らす。


「そこまで同じにしなくても」


 田端くんが笑う。

 私は鞄を机へ置き、田端くんを睨んだ。


「田端くんが変なこと言うからでしょ」

「普通の疑問だろ」

「朝から聞かなくていい疑問なの」

「田端くん、聞きすぎ」


 後ろから久住さんの声がした。

 助かったと思って振り返ると、久住さんは私と杉浦くんを交互に見た。


「でも、昨日より話せてないのは本当だね」

「久住さんまで言うの?」

「見たまま」


 やっぱり、全部分かっている。


 その少し後に、澪と佐伯くんが教室へ入ってきた。

 二人は一緒に登校したわけではないらしく、入口では少し離れている。

 佐伯くんが席へ着き、鞄から一冊のノートを出すと、澪がすぐに気づいた。


「それ、進路のノート?」

「うん。見せるって言っただろ」

「持ってきてくれたんだ」

「変なところあったら言って」


 佐伯くんが差し出したノートを、澪は普通に受け取った。

 そのやり取りに、変に慌てたところはない。


 私と杉浦くんは、挨拶だけであんなに固くなった。

 あの二人の方が、よほど付き合っているように見える。


 そう思ってから、私はすぐに自分の席へ顔を向けた。

 今の私が澪をからかっても、たぶん全部返ってくる。


「小野さん」


 澪が私の席まで来た。


「昨日、ちゃんと眠れた?」

「どういう心配?」

「その……いろいろ考えてそうだったから」

「澪に言われると、ちょっと複雑」

「え?」

「何でもない」


 澪は不思議そうに首を傾げた。

 その向こうでは、佐伯くんが受け取ったノートをもう開いている。


「でも、昨日はありがとう」

「ううん」


 澪は少し迷ってから、声を小さくした。


「よかったね、小野さん」


 また同じ言葉だった。

 今度は教科書で隠れることもできない。


「……うん。ありがとう」


 そう返したら、また顔が熱くなった。

 昨日よりは、ちゃんと返事ができたと思う。


 予鈴が鳴り、澪は自分の席へ戻っていく。

 途中で佐伯くんの机に寄り、進路ノートの開いている場所を指で示していた。

 佐伯くんが何か聞き、澪が頷く。


 あとで澪へ、佐伯くんのことを少し聞いてみたい。

 そう思ったけれど、今朝の挨拶を見られたばかりだった。こちらまで何か聞かれたら困る。

 私は何も言わず、自分の席で一時間目の教科書を出した。


◇ ◇ ◇


 その日の夜、布団へ入ってから携帯を開いた。

 杉浦くんとは何通かメールをしたけれど、学校では結局ほとんど話せなかった。


 受信箱の一番上に、新しいメールがある。


『今日は昨日より話せなかった気がする。明日は普通に話そう。おやすみ』


 普通に話そう、と二日続けて言っている。

 付き合う前は、そんな約束をしなくても普通に話せていたのに。


 私は布団を鼻の辺りまで引き上げ、携帯の画面をもう一度見た。


『うん。明日は普通に話そうね。おやすみ、杉浦くん』


 送信する。

 携帯を閉じた時の音が、布団の中で思ったより大きく聞こえた。


 おかしくなって、私は声を出さないように少しだけ笑った。


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