表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三十代社畜の俺、中二に戻って人生無双を始める 〜なお宝くじの番号は覚えていない〜  作者: らいお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
69/74

第六十三話「三学期、先生は受験生と言った」

 三学期の朝は、布団から出るところでもう負けそうだった。

 正月の空気というのは厄介だ。学校が始まると分かっていても、身体のどこかがまだ休みのつもりでいる。三十二歳の頃も、年明け最初の出勤日はだいたいこんな感じだった。

 違うのは、今の俺には母さんの声が飛んでくることくらいだ。


「悠真、そろそろ出ないと遅れるわよ」

「分かってる」


 分かってはいる。

 分かっているから動きたくない時もある。

 そんなことを言っても学校は待ってくれないので、俺はマフラーを巻いて玄関を出た。


 通学路には、同じように眠そうな顔をした中学生がちらほらいた。

 冬休み明けの朝は、全員の歩幅が少し重い。正月に食べた餅のぶんだけ、足が遅くなっているのかもしれない。

 くだらないことを考えながら歩いていると、校門の手前で田端に追いつかれた。


「悠真」

「朝から声がでかい」

「やばい」

「何が」

「数学のプリント、どこまで出すんだっけ」


 俺は一度、田端の顔を見た。

 正月が終わっても田端は田端だった。安心するような、しないような。


「全部だろ」

「全部?」

「冬休み前に高村先生が言ってた」

「マジか」

「マジだ」


 田端は鞄を前に回し、歩きながら中を探り始めた。

 危ない。歩きスマホならぬ歩き鞄だ。時代に合っているのか合っていないのか分からない。


「家に置いてきたかも」

「朝から終わってるな」

「いや、まだ分からん。鞄の奥にいる可能性がある」

「プリントを生き物みたいに言うな」


 昇降口に入る頃には、田端の顔から少し血の気が引いていた。

 靴を履き替えて教室へ向かうと、廊下の空気もどこか眠い。誰かが「あけおめ」と言い、別の誰かが「宿題見せて」と返している。

 新年の挨拶と提出物の悲鳴が同じ場所にあるのは、学校らしいと言えば学校らしい。


 教室へ入ると、小野がすでに席にいた。

 机の上には提出物がきれいに重ねられている。こういうところは本当に小野らしい。


「おはよう」

「おはよう。田端くん、顔どうしたの」

「数学のプリントが行方不明」

「また?」

「またって言うなよ。新年一発目だぞ」

「一発目からそれなの?」


 小野の言葉は正しい。

 田端は反論しようとして、鞄の中からくしゃっとした数学プリントを引っ張り出した。


「あった!」

「よかったね」

「でも端が曲がってる」

「出せるだけましだろ」


 俺が言うと、田端はプリントを机に置いて、両手で伸ばし始めた。

 新品には戻らない。人生とプリントは、曲がった跡が残る。いや、朝から何を考えているんだ俺は。


 杉浦は少し遅れて教室に入ってきた。

 鞄を置くなり、机に突っ伏す。


「眠そう」


 小野が声をかけると、杉浦は顔だけ横へ向けた。


「昨日、部活の予定表見てたら嫌になった」

「そんなにきついの?」

「正月明けから走るって書いてあった」

「うわ」


 小野が素直に同情する。

 杉浦は少しだけ顔を上げた。


「小野さんは宿題終わってるんだろ」

「終わってるよ」

「だよな」

「杉浦くんも?」

「一応。字は汚いけど」

「出せるなら大丈夫だよ」


 何でもない会話なのに、二人の間に初詣の時の空気が少し残っている気がした。

 杉浦が小野の方を見る時間が、ほんの少し長い。小野も、田端へ突っ込む時より声がやわらかい。

 本人たちに言うと全力で否定しそうなので、俺は黙っておく。三十二歳の経験上、こういうものは外野が急かすとろくなことにならない。


 久住は予鈴の少し前に来た。

 席へ向かう途中で、提出物を持ったまま田端の机を見て、短く言う。


「田端くん、プリントが負けてる」

「負けてない。少し曲がっただけ」

「見た目は負けてる」

「久住さん、新年から容赦ないな」


 久住は少しだけ笑って、自分の席へ向かった。

 あの淡々とした一言があると、教室の空気が変に重くならない。田端は多少削られているが、本人も半分楽しんでいるので問題ないだろう。


 白石はその少し後に教室へ入ってきた。

 学校の制服姿に戻ると、初詣の時より少し落ち着いて見える。グレーのコートも白いマフラーもない。けれど、席へ向かう途中で俺と目が合うと、ほんの少しだけ表情がやわらいだ。


「おはよう、佐伯くん」

「おはよう」


 それだけだった。

 初詣の時みたいに、袖をつかむこともない。おみくじの話をするわけでもない。

 それなのに、俺は机の中に手を入れたまま、少しだけ動きが遅れた。

 年明け早々、我ながら面倒くさい。


 白石は小野の方へ行き、提出物の話を始めた。

 小野が何か言うと、白石が小さく笑う。久住もそこに加わって、三人で冬休みの宿題を確認していた。

 その光景を見て、少しほっとした。

 前の人生では、白石がこうして女子の輪の中にいるところを、俺はどれくらい見たのだろう。たぶん、ほとんど覚えていない。覚えていないということは、見ようとしていなかったのかもしれない。


 そこで綺麗に反省できれば格好いいのだが、実際には田端が隣でまた鞄をあさり始めたせいで、俺の思考は途切れた。


「今度は何だよ」

「国語のワーク」

「お前、朝の短時間で何回不安になるんだ」

「不安は無料だからな」

「いらない無料サービスだな」


 チャイムが鳴り、高村先生が教室へ入ってきた。

 冬休み明けの教室が、ようやく学校の形に戻る。


「はい、おはようございます」


 高村先生の声に、教室がばらばらに返事をした。

 眠そうな声、元気な声、口だけ動かしたような声。先生はそれを見て、少し苦笑する。


「冬休み気分は、今日中に片付けてくださいね。提出物はこのあと集めます」


 田端が小さくうめいた。

 小野が横から「出せるでしょ」と小声で言う。田端は曲がったプリントをそっと机の上へ置いた。


 連絡事項がいくつか続いた。

 始業式、委員会、部活、給食の開始日。どれも学校らしい話で、聞いているだけで現実に戻される。

 そして先生は、黒板の前で少しだけ声を落とした。


「それから、みなさんは春から中学三年生です」


 教室の空気が、ほんの少しだけ変わった。

 さっきまで宿題だの部活だのと言っていた連中も、少し顔を上げる。


「三年生になるということは、受験生になるということです」


 受験生。

 その言葉は、思ったより重く教室に落ちた。

 中学二年の三学期なんて、まだ中二だろ、と言いたくなる時期だ。けれど先生の口から言われると、途端に逃げ場が減る。


 田端が、俺の斜め前で手を上げた。


「先生、まだ早くないですか」


 教室の何人かが笑った。

 高村先生も少し笑ったが、首は横に振った。


「早くありません。今すぐ志望校を決めなさい、という話ではないです。でも、何も考えないまま春になると、そこから慌てることになります」

「慌てるのは嫌です」

「なら、少しずつ考えましょう」


 田端は「うっす」と言って手を下ろした。

 言い方は軽いが、たぶん半分くらい本気で嫌なのだろう。慌てるのが好きなやつはいない。慌てるしかない状況を作るやつはいる。社会人時代の俺も、わりとそっち側だった気がする。


 受験と聞くと、前の人生でなんとなく流れに乗って、なんとなく学校を選んだ時のことが少し戻ってきた。

 それで人生が全部決まるわけではない。三十二歳まで生きれば、それくらいは分かる。

 ただ、後で面倒になる選び方というのはある。行き先を適当にしておいて、あとから距離だの校風だの成績だので文句を言うやつだ。昔の俺に刺さる。やめてほしい。


 先生は黒板に「進路」と書いた。


「これから少しずつ進路の話もしていきます。おうちの人とも話してください」


 家で話す。

 その言葉で、父さんの顔が浮かんだ。

 株より先に進路だろ、と言われる未来が見える。かなり見える。父さんなら言う。


 ふと白石の方を見ると、白石は黒板をじっと見ていた。

 少し真剣な顔だった。

 進路希望調査の紙に、何を書くのか。

 白石が何を考えているのかは分からない。けれど、初詣の時におみくじを両手で持っていた姿と、今の横顔が変に重なった。


 おみくじにあった「急ぐな。誠実に待て」という一文が、ここでまた頭の奥に戻ってくる。

 俺は机の下で、少しだけ指を曲げた。

 おみくじの文言を学校まで持ち込むな。縁起物のくせに、妙に仕事熱心で困る。


 ホームルームが終わる頃、高村先生は思い出したようにプリントの束を持ち上げた。


「それと、これは今日配っておきます。提出はまだ先ですが、なくさないように」


 前の席から紙が回ってくる。

 上には、進路希望調査と書かれていた。


 田端が紙を受け取った瞬間、固まった。


「希望って、何書けばいいんだ」


 その声がわりと本気で、俺は笑いそうになってやめた。

 人のことは言えない。

 二度目の中学生でも、白い紙は普通に白かった。


「面白かった」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ぜひブックマーク・評価・感想などで応援していただけると嬉しいです。


▼登場人物まとめ

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3652582/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 主人公の三学期の名言「人生とプリントは、曲がった跡が残る。」コレも人生経験無いと思いませんね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ