第六十二話「おみくじの恋愛欄を、見なかったことにした」
「勝負って言ってもさ」
おみくじ売り場の前で、小野が財布を出しながら田端を見た。
「運勢って勝ち負けなの?」
「大吉が一位だろ」
「じゃあ小吉とか末吉は?」
「そのへんは雰囲気」
「雑すぎる」
杉浦が呆れた声を出す。
田端は気にしていない。こういう時だけ妙に前向きだ。
おみくじは一回百円だった。
正月の神社で払う百円は、普段の百円より軽い気がする。財布から小銭を出す時、屋台で使う分が一枚減ったことにはちゃんと気づくのだが、それでもまあ仕方ないかと思える。
問題は、このあと田端が何にいくら使おうとするかだ。
「よし、俺からな」
田端が箱を振り、細い棒を一本出した。
巫女さんから紙を受け取ると、勢いよく開く。
「中吉!」
「普通にいいじゃん」
「待て、勝負としては微妙じゃないか?」
「自分で喜び方を難しくしてるね」
久住が淡々と言うと、田端はおみくじを持ったまま少し悩んだ。
中吉で悩むな。人生、もっと悩むところはある。
次に小野が引いた。
紙を開いた瞬間、少しだけ目を丸くする。
「大吉」
「うわ、強い」
「小野さん、今年つええ」
「そういうものじゃないでしょ」
口ではそう言いながら、小野は少しうれしそうだった。
杉浦が横からのぞきかける。
「何書いてある?」
「ちょ、見ないで」
「いや、大吉ならいいこと書いてあるだろ」
「そういう問題じゃないから」
小野が慌てて紙を胸元へ寄せた。
その動きが妙に速い。田端が「何だ何だ」と食いつきかけたところで、久住が小野の横に立った。
「田端くん、そういうところ」
「まだ何もしてない」
「しそうだった」
田端は黙った。
久住の言い方は強くないのに、なぜか効く。
杉浦は、少しだけ気まずそうに頭をかいた。
「悪い。普通に見ようとした」
「う、うん。別に怒ってないけど」
小野がそう言って、目をそらす。
ほんの少しだけ頬が赤い。
ああ、これはあれだ。本人たちが気づいているのかいないのか、横で見ていると胃がむずむずするやつだ。
田端なら気づかない。久住は気づいていそうだ。白石はたぶん、気づいているけど言わない。
順番はそのまま杉浦へ回った。
杉浦は小吉だった。
「微妙だな」
「微妙って言うなよ。小吉だって吉だろ」
「田端くん、急に優しい」
「俺が中吉だからな」
「上から言うな」
杉浦が笑って田端の肩を軽く押す。
その横で、小野が杉浦のおみくじをちらっと見た。
今度は杉浦が気づいて、紙を少しだけそちらに向ける。
「見る?」
「え、いいの?」
「小吉だし」
「そこ関係ある?」
小野はそう言いながら、少しだけ近づいて紙をのぞき込んだ。
二人の距離が、さっきより少し近い。
正月の神社というのは、なかなか油断ならない場所だ。賽銭箱より先に、こっちの財布が持っていかれそうになる。何の財布かは自分でも分からない。
久住は末吉だった。
本人は特に動じず、内容を静かに読んでいる。
「久住さん、どう?」
「焦るとよくないって」
「だいたい全員に当てはまりそう」
「田端くんは特に」
「名指しじゃないのに俺に来るの?」
白石がそこで小さく笑った。
それから、少し緊張した顔でおみくじ箱の前に立つ。
「白石さん、いけるいける」
田端が軽く言うと、白石は「うん」と小さく返して箱を振った。
紙を受け取り、そっと開く。
「吉、です」
「いいじゃん」
「うん」
白石はほっとしたように頷いた。
けれど、途中まで読んだところで、手が少し止まった。
何かに引っかかった顔だった。
「どうかした?」
小野が聞くと、白石は慌てて首を振った。
「ううん。大丈夫」
そう言って、おみくじを折りたたもうとする。
その時、紙の端に「恋愛」の文字がちらっと見えた。
俺は反射的に視線を外した。
見ていない。
見えてしまっただけだ。
この差は大きい。たぶん。
「佐伯くんは?」
白石に声をかけられて、俺は少し遅れて反応した。
「ああ、引く」
箱を振る。
棒を出し、番号を伝えて紙を受け取った。
結果は吉だった。
悪くない。というか、さっき白石も吉だったな、と余計なことを考えてしまうあたり、俺の正月はもうだいぶ怪しい。
内容を上から読む。
願望は、時間をかければ叶う。
失物は、近くにあり。
学問は、怠らなければよし。
まあ、おみくじらしい。だいたいの人間に当てはまるし、だいたいの人間が少し安心する。
そして、恋愛欄。
急ぐな。誠実に待て。
俺は一度、紙を閉じた。
「どうだった?」
田端がのぞき込もうとする。
俺は紙を少し持ち上げて避けた。
「吉」
「普通だな」
「普通でいいんだよ」
「ふーん……恋愛は?」
「読むな」
思ったより強い声が出た。
田端がにやっとする。
「お、何かあったな」
「ない」
「じゃあ見せろよ」
「ないから見せないんだよ」
「その理屈、変じゃね?」
変だ。
でも、今さら引けない。
杉浦が横で笑いをこらえているし、小野は口元を押さえている。久住は俺のおみくじではなく、白石の方を一瞬見た。
やめろ。久住。その視線はやめてくれ。
白石は自分のおみくじを両手で持ったまま、こちらを見ないようにしていた。
耳が少し赤い気がする。
冬のせいだ。たぶん。俺も冬のせいにしたい。
田端が全員のおみくじをまとめて見比べようとしたが、小野と俺と白石が拒否したため、勝負はうやむやになった。
大吉を引いた小野が一番ということでいいはずなのに、田端は「中吉は安定感がある」とよく分からない主張をしている。
「じゃあ、結ぶ?」
杉浦が、境内の端にある結び所を指した。
白い紙がいくつも枝に結ばれている。
「俺は持って帰る」
「なんで?」
「中吉だから」
「理由になってない」
田端は大事そうにおみくじを畳んだ。
小野も少し迷ってから、持って帰ることにしたらしい。杉浦は結ぶと言って、紙を手に結び所へ向かった。
小野がその後ろを少し遅れてついていく。
白石は俺の横で、折りたたんだおみくじを見つめていた。
「持って帰る?」
「うん。たぶん」
「そっか」
会話はそこで止まった。
止まったのに、妙に静かではない。周りには人がいるし、田端は屋台を気にしているし、鈴の音も聞こえる。
それでも横に白石がいると、少しだけ周りの音が遠くなる。
こういう表現は、自分で考えていて腹が立つ。中学生みたいだ。いや、身体は中学生だった。
「佐伯くん」
「ん?」
白石が、おみくじを両手で持ったまま言った。
「今年も、よろしくね」
昨日メールで見た言葉だった。
さっき顔を見て挨拶もした。
それなのに、改めて言われると返事に困る。
「こちらこそ」
出てきたのは、会社メールの締めみたいな返事だった。
こちらこそ。
何だそれは。
もっとこう、同級生らしい言い方があるだろ。あるはずだろ。
白石は少し目を丸くして、それから笑った。
「佐伯くん、たまに大人みたい」
「たまにで済んでるなら助かる」
「助かるの?」
「いや、こっちの話」
だめだ。墓穴を掘る前に話を終わらせたい。
そう思ったところで、田端が大きめの声を出した。
「屋台! 今度こそ屋台!」
助かった。
いや、田端に助けられるのは少し悔しい。
屋台の通りへ戻ると、匂いが一気に強くなった。
田端はたこ焼きの値段を見て固まった。五百円。
中学生にはなかなか重い。大人になっても安くはないが、中学生の五百円は財布の中で場所を取りすぎる。
「高い」
「さっきまで全部うまそうって言ってたじゃん」
「値段を見る前の俺は自由だった」
「見た後の田端くんは?」
「現実の男」
久住が少し笑った。
田端は悩みに悩んだ末、ベビーカステラの小さい袋を買うことにした。三百円。六人で少しずつ分けるらしい。
そういうところは悪くない。
小野は甘酒を買うか迷ってやめた。
杉浦が「半分飲む?」と言いかけて、自分で固まる。
小野も固まる。
二人とも、何をそんなに難しい顔をしているのか。横で見ていると面白いが、笑うとたぶん小野に怒られる。
白石は、焼きたてのベビーカステラを一つ受け取ると、両手で包むように持った。
「熱い?」
「少し。でも、あったかい」
そう言って、白石は小さく息を吹きかけた。
白い息がふわっと出る。
俺は自分の分を口に放り込んで、熱さに少し後悔した。
「熱っ」
「大丈夫?」
「大丈夫。中が思ったより本気だった」
白石が笑う。
田端が「分かる」とうなずき、杉浦が「早く食いすぎ」と言う。
正月の神社で、中学生六人が三百円のベビーカステラを分け合っている。未来知識も会社ノートも、今だけはあまり出番がない。
その後、屋台を少し見て回ったが、全員の財布事情はだいたい同じだった。
田端は射的をやりたそうにしていたが、一回の値段を見てやめた。杉浦も「当たらなかった時がきつい」と現実的なことを言う。小野は綿あめを見て少し迷い、久住に「袋が大きいから帰りに邪魔」と言われて諦めた。
中学生の初詣は、楽しいことの半分くらいが財布との相談でできている。
夕方になる前に、駅前で解散することになった。
白石は帰る方向が途中まで俺と同じだったが、小野と久住も同じ電車に乗るらしく、今日は三人で帰ることになった。
少しほっとして、少し残念だった。
自分でも面倒な感情だと思う。
「じゃあ、また学校で」
白石が言った。
「うん。また学校で」
俺が返すと、白石はマフラーに少し口元を埋めてから、もう一度だけ小さく手を振った。
小野が横で何か言いかけ、久住に軽く袖を引かれてやめる。
何だその連携は。怖い。
家に帰ってから、俺はコートを脱ぎ、机の上におみくじを置いた。
吉。
願望は時間をかければ叶う。
学問は怠らなければよし。
そこまでは普通に読める。
問題は、その下だった。
急ぐな。誠実に待て。
俺はおみくじを裏返した。
見なかったことにするには、紙が薄すぎた。
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▼登場人物まとめ
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