第六十一話「初詣は、六人で行くことになった」
初詣の集合は、午後になった。
午前中は杉浦が親戚の家へ行くとかで無理らしい。久住も家の用事があると言っていたし、田端は田端で「昼までに起きられたら」とか寝ぼけたことを言っていた。
正月から全員の予定を合わせるのは、思ったより面倒だ。会社の会議日程を調整していた頃の、あの嫌な感じを少しだけ思い出した。中学生六人の初詣と部長三人の予定調整を同列にするな、とは自分でも思うが。
ただ、最終的に小野がまとめたメールは早かった。
『午後二時に、駅前の時計のところ集合でどう?』
小野はこういう時、本当に頼りになる。
田端の「みんなで行こうぜ」だけだと、たぶん三人くらい違う場所に集まっていた。
出かける前、母さんに行き先を告げると、台所から顔だけ出された。
「お賽銭入れる小銭、ある?」
「ある」
「屋台で全部使わないのよ」
「子ども扱いしすぎだろ」
「中学生でしょ」
正論だった。
しかも俺は、昨日父さんにお年玉は五千円までと決められたばかりである。中学生の財布は思ったより薄いし、屋台は思ったより高い。
財布を開いて、小銭入れに五円玉と十円玉があることを確認する。
お賽銭用の五円玉を一枚、財布の端に寄せた。こういう準備をしている時点で、俺も十分中学生の初詣をやっている。
コートを着て外に出ると、空気が頬に刺さった。
晴れてはいるが、風が冷たい。冬休みの午後らしく、道には家族連れや自転車の中学生がちらほら見える。
手袋をしてくればよかったと、家から二分で後悔した。こういう小さな失敗は、三十二歳になっても直らない。むしろ悪化する。
駅前の時計の下には、すでに田端がいた。
マフラーを変な巻き方にして、ポケットに手を突っ込んでいる。見た瞬間、年賀状の虎を思い出した。
「悠真、おせえ」
「集合五分前だろ。お前が早いだけだ」
「初詣だからな。気合い入ってる」
「その気合いで、なんで年賀状に虎を描いたんだよ」
「強そうじゃん」
「今年、卯年だぞ」
田端は一瞬だけ固まった。
「……ウサギも強い時あるだろ」
「どんな時だよ」
返事を考える前に、小野が来た。
薄いベージュのコートに、白い手袋。普段より少し大人っぽく見えるが、田端を見るなり眉を寄せるあたりはいつも通りだった。
「田端くん、年賀状に虎描いてたよね」
「もう広まってるの?」
「私にも来てたから」
「小野さんにも出してたのか、俺」
「自分で出したんでしょ」
田端ががっくり肩を落とす。
その後ろから杉浦が歩いてきた。部活の時とは違う私服姿で、髪だけ少し寝癖っぽい。
「田端、干支くらい確認しろよ」
「杉浦まで言うなよ」
「いや、そこは言うだろ」
男子二人がいつもの調子で話していると、少し遅れて久住が来た。
紺色のコートに、派手ではない赤のマフラー。歩き方が落ち着いていて、正月の駅前でも浮ついていない。
「あけましておめでとう」
「おめでとう、久住さん」
「田端くん、十二年に一回の仕事を間違えたって聞いた」
「小野さん、広めるの早すぎない?」
小野が笑ってごまかす。
田端は抗議しているが、半分くらい楽しそうだ。こういうやつは、いじられている時もだいたい元気である。便利な性格だと思う。本人に言うと調子に乗るので言わない。
最後に白石が来た。
淡いグレーのコートに、白いマフラーを巻いている。髪はいつもより少しだけ丁寧に整えられていて、歩くたびにマフラーの端が揺れた。
正月だからだろうか。学校で見る白石より、少しだけ柔らかく見える。
「ごめんね、待った?」
「大丈夫。まだ時間ちょうど」
俺が答えると、白石はほっとしたように笑った。
「あけましておめでとう」
「あけましておめでとう」
昨日メールで済ませたはずの挨拶を、顔を見てもう一度言う。
たったそれだけなのに、妙に座りが悪い。会社の年始挨拶ならいくらでも言えるのに、同級生女子相手の「あけましておめでとう」は変に難しい。
俺がそんなことを考えている横で、田端が手を叩いた。
「よし、そろった。屋台行こうぜ」
「先にお参りでしょ」
小野が即答した。
「いや、でも匂いがさ」
「先にお参り」
「はい」
田端は弱い。
久住がその様子を見て、ぽつりと言った。
「田端くん、目的変わってる」
「変わってない。お参りもする。屋台も見る。両方大事」
「財布、大丈夫?」
「そこを突くな」
杉浦が笑い、小野もつられて笑った。
白石も小さく笑っている。
その顔を見て、俺は少しだけ肩の力が抜けた。
神社までは駅から歩いて十分ほどだった。
普段ならただの道だが、今日は人の流れが同じ方向へ続いている。親子連れ、制服ではない同級生らしき集団、祖父母と一緒の小さい子。正月の町は、いつもより少し歩く速度が遅い。
参道に近づくと、屋台の匂いが混ざってきた。
焼きそば、たこ焼き、甘いベビーカステラ。どれも別に珍しくはないのに、寒い日に外で匂うとやたら強い。
田端が横でうなった。
「やばい。全部うまそう」
「財布と相談しなよ」
「小野さん、正月から現実を出さないで」
「現実を見ないと帰りに困るよ」
小野の言葉に、俺も財布の感触をポケット越しに確かめた。
五千円あるとはいえ、全部使えるわけではない。帰りに飲み物を買うかもしれないし、冬休みの残りで文房具もいる。三十二歳の社畜だった頃より、五百円の重みを真面目に感じている気がする。
境内へ入る鳥居の前で、人の流れが少し詰まった。
前にいた親子連れが立ち止まり、後ろから来た人が横へ流れる。
白石が小さく息を飲んだ気配がした。
次の瞬間、俺のコートの袖が軽く引かれた。
見ると、白石の手が袖の端をつかんでいた。
ほんの少しだけ。指先で布をつまむくらいの力だった。
「大丈夫?」
声をかけると、白石ははっとして手を離しかけた。
「ご、ごめん。人が多くて」
「いや、危ないし。無理に離さなくていい」
言ってから、自分で少し焦った。
言い方。
もう少し他になかったのか。
白石は目を伏せて、ほんの少しだけうなずいた。
「……うん。少しだけ」
袖がまた軽く引かれる。
俺は前を見るしかなくなった。横を見ると、たぶん変な顔をする。
三十二歳の中身がどうこう言うなら、ここは自然に流せ。そう思うのに、十四歳の身体は妙に落ち着かない。面倒くさい。人間の仕組みが面倒くさい。
田端は少し前で屋台の看板を見ているし、小野は杉浦と人の流れを見ながら歩いている。
久住だけが一瞬こちらを見た気がしたが、何も言わなかった。言われたらたぶん俺が困るので、それでいい。
鳥居をくぐって少し進むと、人の流れがゆるんだ。
白石の手がそっと離れる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
普通に返したつもりだったが、少し声が硬くなった。
白石はそれに気づいたのか、気づかなかったのか、マフラーに口元を少し埋めた。
参拝の列は思ったより長かった。
六人で並ぶと、田端がやたら落ち着かない。
「賽銭ってさ、いくら入れるのが正解?」
「気持ちじゃない?」
「五円でいいかな」
「ご縁があるって言うし」
小野がそう言うと、田端は財布を開いて真剣に探し始めた。
「五円玉がない」
「じゃあ十円でいいだろ」
「十円って遠縁になるって聞いたことある」
「お前、そういう時だけ細かいな」
杉浦が呆れた声を出す。
久住は小銭入れを見ながら、淡々と言った。
「願い事の値段じゃないと思う」
「……久住さん、正しいけど刺さる」
田端が肩を落とした。
結局、田端は十円を入れることにしたらしい。遠縁を気にしながらも、財布の都合には勝てなかった。分かる。現実はだいたい小銭入れの中にある。
順番が来て、俺は五円玉を賽銭箱に入れた。
軽い音がした。
二礼して、手を打つ。
願い事は、すぐには決まらなかった。
金を増やしたい、と思った自分に少し呆れる。白石がこのまま学校にいられますように、家族が無事でありますように、友人たちと変にこじれませんように。並べれば並べるほど欲張りになっていく。
神様相手にまでタスクを積むな。正月からブラック企業みたいな願い方をするな。
結局、俺は目を閉じたまま、今年も周りの連中が大きくつまずかずに済むように、とだけ考えた。
それでも十分欲張りだと思う。
目を開けると、隣で白石がまだ手を合わせていた。
マフラーの白と、冷たい空気で少し赤くなった頬が目に入る。
何を願っているのかは分からない。
聞くものでもない。
俺は少しだけ視線を外した。
こういう時、黙って待つくらいしかできない。
全員の参拝が終わると、田端が待ってましたとばかりに屋台の方を見た。
「よし、次こそ屋台」
「おみくじは?」
小野が言うと、田端の顔が変わった。
「それだ」
「忘れてたんだ」
「忘れてない。順番を考えてただけ」
「今、完全に屋台の顔だったよ」
白石が小さく笑った。
田端は聞こえないふりをして、おみくじ売り場の方へ歩き出す。
人混みの向こうに、白い紙がたくさん結ばれた場所が見えた。
「勝負だ!」
田端が振り返って、なぜか得意げに言う。
「誰が一番いい運勢引くか」
「おみくじで勝負って、罰当たりじゃない?」
「小野さん、そこは乗ろうぜ」
「田端くんが大凶引いたら、たぶん笑っちゃう」
「久住さんまで?」
六人でおみくじ売り場へ向かう。
俺は財布の中の小銭を探りながら、さっきの袖の感触を思い出さないようにした。
無理だった。
正月の神社は、人も匂いも音も多すぎるのに、変なところだけ妙にはっきり残る。




