第五十八話「クリスマス、小さな贈り物」
終業式の日は、朝から教室が落ち着かなかった。
通知表を渡される日というだけで、クラスの空気は妙に軽くなる。結果が良い奴はそわそわし、悪そうな奴は机に突っ伏し、田端はまだ見てもいない通知表に向かって「頼む」と手を合わせていた。
「今さら祈っても変わらないだろ」
俺が言うと、田端は顔を上げた。
「最後まで諦めない心が大事なんだよ」
「もう印刷されてる」
「……夢がない」
夢で成績は上がらない。
俺の方は、ひとまず父に没収されるような数字ではなかった。二学期は学校行事にだいぶ持っていかれたが、成績を落としてパソコンを取り上げられるのは避けたい。さすがにそこは気をつけている。
白石は通知表を静かにしまっていた。
小野が横から何か聞き、白石は少しだけ笑って答える。久住は自分の通知表を一度だけ見て、何事もなかったように鞄へ入れた。
杉浦は終業式のあと部活があるらしく、すでにジャージの入った袋を机の横へ掛けている。
「じゃあ、俺は部活終わったら田端にメールする」
帰りの会が終わると、杉浦がそう言った。
「俺にか」
「言い出したの田端だろ」
「責任重大じゃん」
「メール見るだけだよ」
小野に言われ、田端は胸を張った。
胸を張るほどの仕事ではない。
杉浦が部室の方へ向かい、残った五人は図書館へ移動した。クリスマスの予定とはいえ、いきなり駅前へ行くには早い。終業式は午前の早い段階で終わったし、杉浦の部活が終わるまで時間がある。
それなら冬休みの宿題を少しでも進めておこう、という話になっていた。
中学生の健全さがすごい。
三十二歳の俺なら、午前で仕事が終わった瞬間に帰って寝たい。まあ、終わらないから社畜になるんだが。
図書館は、同じことを考えた制服を着た生徒でそこそこ混んでいた。
俺たちは窓際の長机に座り、各自で宿題を広げる。暖房は入っているが、窓に近いせいで足元が少し冷えた。
「冬休みって短いのに、何で宿題は普通に出るんだろうな」
田端が数学のプリントを見ながら言う。
「短いからこそ早くやればいいんじゃない?」
「久住さん、正論が痛い」
「痛くても答えは変わらないよ」
久住は淡々と自分のプリントへ視線を戻した。
小野が田端のプリントを覗き込み、途中式の抜けを指摘する。白石は自分のノートを開きながら、俺の解いた問題にも少し目を通してくれた。
この辺りの動きが、もう自然になっている。
「佐伯くん、ここ、符号」
「あ」
言われて見直すと、普通にマイナスを忘れていた。
未来知識も社会人経験も、符号ミスには負ける。現実は地味だ。というか、同じミスを何回やるんだ俺は。
「助かった」
「うん」
白石は小さく頷き、自分のノートへ戻った。
その横顔を見ていると、少し前までクリスマスを友達と過ごしたことがないと言っていた子が、今は図書館で普通に宿題をして、あとで駅前へ行く予定を持っている。
しみじみするには早い。俺は頭をかいて、プリントへ視線を戻した。
しばらくして、田端の携帯が小さく震えた。
図書館なので、田端もさすがに音は切っていたらしい。そこは少し見直した。
「杉浦から。終わったって」
田端が画面を見て言った。
「駅前に向かうって」
「じゃあ、こっちも片づけよ」
小野がすぐにプリントをまとめる。
白石は消しゴムのかすを丁寧に集め、久住は小さな紙袋を鞄から取り出した。
「くじ、作ってきた」
「準備いいな」
「田端くんに任せると、田端くんが好きなお菓子に当たる仕組みになりそうだから」
「そこまでしないって」
「考えはした?」
「……ちょっとだけ」
正直でよろしい。
俺たちは図書館を出て、駅前のショッピングセンターへ向かった。
外は昼過ぎなのに空気が冷たく、息が少し白い。田端が途中でコンビニの肉まんを見て立ち止まりかけたが、小野に「プレゼント交換のあと」と言われて渋々歩き出した。
中学生の財布は軽い。三百円のプレゼントを買ったあとの寄り道は、けっこう真剣に考えないといけない。
ショッピングセンターの入口には、大きめのクリスマスツリーが置かれていた。
派手な電飾がついているわけではないが、赤いリボンと金色の飾りだけで十分それっぽい。平日の昼間だからか、店内には親子連れと学生がちらほらいる。
休憩スペースの端のテーブルに、杉浦が先に座っていた。
ジャージの上から上着を羽織り、スポーツバッグを足元に置いている。
「早かったな」
「先生の話が短かった」
「それは珍しい」
杉浦が苦笑する。
田端は隣の売店を見ていた。
「ポテト食いたい」
「自分のお金でね」
「財布に百円ちょっとしかない」
「じゃあ無理だね」
小野の判断は早かった。
結局、田端は自販機で紙パックのジュースを買い、俺は百円のお茶にした。白石と小野は水筒を持っていて、久住も「帰ったらケーキ食べるから」と何も買わなかった。落ち着いてる割には言う事は年相応なんだな、と思ったけど言わないでおいた。
中学生のクリスマス会は、これくらいでいい。妙に豪華にすると、親への説明が面倒になる。
「じゃあ、始めよ」
久住が紙袋をテーブルの中央へ置いた。
全員が持ってきたプレゼントを袋の中へ入れる。俺は家にあった包装紙で包んできた。母に「誰に渡すの」と聞かれて、交換会だと説明するのが少し面倒だった。
嘘はついていない。相手が決まっていないだけで、完全に何も考えていないわけでもない。
まあ、その辺りは突っ込まないでほしい。
久住は袋を軽く揺らし、番号を書いた紙を配った。
自分の物に当たったら引き直し、という簡単な決まりだ。
「俺、一番」
田端がさっそく紙を開く。
「一番は……これ」
久住が袋から小さな包みを出した。
開けた瞬間、田端が「あ」と言う。
中から出てきたのは、見覚えのあるクリスマス柄の菓子袋だった。
「俺のだ」
「引き直し」
「いや、でも運命が」
「引き直し」
久住に二回言われ、田端はおとなしく紙を戻した。
最初からこれだ。任せなくて正解だった。
引き直した結果、田端の手元には細いシャープペンが渡った。
小野が少しだけ「あ」と声を漏らす。
「それ、私の」
「おお、小野さんセンス」
「普通に使える物にしただけ」
小野はそう言いながらも、少し嬉しそうだった。
次に小野が引いた包みから出てきたのも、同じメーカーのシャープペンだった。色だけ少し違う。
杉浦が固まる。
「それ、俺の」
「え」
「いや、誰でも使えるかなって」
「私も、そう思って……」
二人の間に妙な間ができた。
田端が「同じじゃん」と言いかけたので、俺は机の下で軽く足を当てた。田端は俺を見て、なぜか親指を立てた。
分かっているのか、いないのか。……たぶん分かっていない。
杉浦は久住の用意した付箋セットを受け取った。
「部活の予定とかに使えるんじゃない」
久住が言う。
「使う。たぶん母親にも使われる」
「それはそれで役に立ってる」
久住の元には、田端の菓子袋が渡った。
田端は嬉しそうに説明を始める。
「それ、ちゃんと三百円以内にしたから。チョコと飴と、あと小さいクッキー」
「ほぼ自分が食べたい物だよね」
「でもうまい」
「そこは大事だね」
久住は短く笑った。
残りは、俺と白石だった。
テーブルの上に、二つの包みが残っている。
この時点で何となく分かってしまったが、口には出さない。出したら負けだ。何に負けるのかは知らない。
俺が引いた番号の包みを開けると、栞が出てきた。
紺色の細い紐がついた、落ち着いた色の栞だった。
日曜日に文房具店で、白石が見ていたものだ。
「それ、私の」
白石の声は小さかった。
「本とか、参考書に使えるかなと思って」
「使うよ。ちょうど、適当に紙を挟んでたし」
「そっか」
白石は安心したように笑った。
俺は栞を手のひらに乗せたまま、少しだけ返事に困った。
普通に嬉しい、と言えばいい。
それだけなのに、なぜか言葉がすぐ出てこない。三十二歳のくせに、こういうところで詰まるな。
「ありがとな」
結局、それだけ言った。
白石は目を細めて、小さく頷いた。
白石が最後の包みを開ける。
中から出てきた紺色のペンと、小さな灰色のメモ帳を見て、白石の指が少し止まった。
「これ……佐伯くんのだよね?」
「おう」
「ペンと、メモ帳」
「誰でも使うかなと思って」
自分で言って、少し苦しいと思った。
誰でも使う。たしかにそうだ。
ただ、誰が使うところを想像したかと言われると、まあ、そこは黙っておく。
白石はペンをそっと持ち上げた。
派手ではない紺色が、白石の指先にやけに似合っている。
「使うね」
白石が言った。
たったそれだけなのに、田端が菓子の説明をしていた時より周りが静かになった気がした。
気のせいだと思いたい。
「俺も」
俺は栞を軽く持ち上げた。
白石は少しだけ笑った。
「何か、二人とも地味にいい感じじゃない?」
小野がぽつりと言った。
白石が一気に視線を落とす。
俺はお茶に手を伸ばしたが、もう空だった。
「小野さんと杉浦も同じペン選んでたけどな」
田端が余計な方向へ話を振った。
今度は小野と杉浦が同時に黙る。
久住が紙袋をたたみながら、さらっと言った。
「今日は収穫が多いね」
「何の収穫だよ」
俺が聞くと、久住は「いろいろ」とだけ答えた。
こういう時の久住は、たぶん田端より面倒だ。
そのあと、田端がどうしてもポテトを食べたいと言い出し、百円ちょっとで買える物を探しに行こうとして小野に止められた。
杉浦が「家帰ってから食え」と言い、白石が小さく笑う。
安い紙パックのジュースと、水筒と、三百円以内のプレゼントで、見た目はだいぶ地味だった。
それでも、白石がメモ帳を鞄へしまう時、角が折れないように気をつけているのが見えて、俺は変に満足してしまった。高い物じゃなくても、こういう顔をされると困る。
帰る時間は早めにした。
冬は日が落ちるのが早いし、親へ説明した時間を過ぎるわけにもいかない。
駅前で別れる時、田端は「来年はもっと豪華にしよう」と言ったが、小野に「まず予算を考えて」と返されていた。
「佐伯くん」
白石が駅前のツリーの横で足を止めた。
「今日は、ありがとう」
「プレゼント交換だろ。俺だけじゃない」
「うん。でも、ありがとう」
白石はそう言って、鞄の持ち手を両手で握った。
俺は栞を入れた鞄の中を、無駄に意識してしまう。
「こっちこそ」
短く返すと、白石は少しだけ頷いて、小野と久住の方へ歩いていった。
◇ ◇ ◇
家に帰ってから、俺は机の上に栞を置いた。
読みかけの参考書に挟むだけなら、すぐ終わる。
なのに、包装紙を捨てる前にもう一度見て、紺色の紐を指で触ってしまった。
「……何やってんだ、俺」
小さくつぶやいてから、頭をかいた。
参考書へ挟むのは明日でいいかと思ったが、なくしたら嫌なので、結局その場で読みかけのページに挟んだ。
紺色の紐が、参考書の下から少しだけはみ出していた。
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▼登場人物まとめ
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