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三十代社畜の俺、中二に戻って人生無双を始める 〜なお宝くじの番号は覚えていない〜  作者: らいお


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第六話「中学生の皮を被った社会人」

「悪い。そこ、俺も通っていいか?」


 怒鳴れば、全員が敵になる。

 正義の味方みたいに名乗り出れば、白石の逃げ道がなくなる。

 俺が今やるべきなのは、悪を成敗することではない。

 この場を壊して、白石を外へ出すことだ。


「……佐伯?」


 森下がぽかんとした顔で俺を見た。

 白石も目を丸くしている。

 倉庫の影では、榊原たちが慌てて身を引っ込めようとしていた。


 遅い。

 もう見えている。

 ガラケーを構えていた手も、口元を押さえて笑っていた顔も。


「何してんの、こんなとこで」


 森下の声は少し裏返っていた。

 俺は肩をすくめる。


「いや、こっちのほうが近道かなと思って」

「近道って、どこへの」

「校門」

「全然近くねえだろ」


 その通りだ。

 だが、ここで大事なのは理屈の正しさではない。

 場の流れを止めることだ。


 俺は白石のほうを見た。

 彼女は右手で鞄の持ち手を握りしめている。

 指先が白くなっていた。


「白石、帰るなら今でいいぞ」


 白石がわずかに息をのむ。


「え……」

「用事が終わったなら帰っていい。まだ何かあるなら残ればいいけど」


 助けに来た、とは言わない。

 逃げろ、とも言わない。

 彼女が自分で選んだ形にする。


「ちょっと、何それ」


 倉庫の影から榊原が出てきた。

 表情は笑顔だ。

 ただし、目は笑っていない。


「佐伯くん、空気読めなさすぎ」

「読んだ結果、通ることにした」

「は? 意味分かんない」

「俺もだいたい意味分かってない。中学生のノリって難しいな」


 つい本音が出た。

 田端が曲がり角の向こうで小さく吹き出したのが聞こえた。

 お前、そこは笑うな。


 榊原の横に、女子が二人出てくる。

 一人はガラケーを握っていた。

 画面は閉じている。

 今さら隠しても遅い。


「別に、ただの冗談だし」


 榊原は軽い声で言った。

 便利な魔法の言葉だ。

 ただの冗談。

 そんなつもりじゃない。

 本気にするほうが悪い。

 三十代まで生きていると、この手の言葉を会社でも聞く。

 だが、冗談かどうかを決めるのは、やった側だけではない。


「そうなんだ」


 俺はうなずいた。


「じゃあ確認しよう」

「確認?」

「冗談なら、誰が何をしたか言えるだろ」


 榊原の笑顔が少し固まった。

 森下が目をそらす。


「まず、白石の机に紙を入れたのは誰?」

「紙?」

「放課後、体育館裏に来てってやつ。森下の名前が書いてあった」


 森下の肩が跳ねた。

 榊原の隣の女子が、ちらりと森下を見る。

 それだけで十分だった。


「次。森下は白石に何を言う予定だった?」

「だから、冗談だって」

「うん。冗談の中身を聞いてる」


 俺は声を荒らげなかった。

 会議室で議事録を確認するみたいに、できるだけ普通に話した。


「あと、倉庫のところでガラケー構えてたよな。撮るつもりだった?」

「撮ってないし」


 女子の一人が即答した。


「撮ってない、ね。じゃあ、撮ろうとはしてた?」

「してない」

「じゃあ、なんで白石と森下のほうに向けてた?」

「たまたま」

「たまたま、体育館裏で、白石と森下のほうに、ガラケーを向けてた」


 俺が言葉を区切って繰り返すと、女子は黙った。

 自分の言い訳がどれだけ苦しいか、耳で聞いて初めて分かったのだろう。


 森下が慌てたように口を開く。


「いや、俺は別に、莉奈たちに言われただけで」

「森下」

「な、何だよ」

「今の、もう一回言えるか」

「え」

「榊原たちに言われただけ、って」


 森下の顔が青くなった。

 榊原がぎろりと森下を睨む。


「直人、何言ってんの」

「いや、だって」

「みんなでちょっとからかっただけじゃん。ね?」


 榊原は周囲に同意を求めた。

 女子たちは困ったようにうなずく。

 森下はうつむいた。


 これが中学生の空気だ。

 誰かが仕切り、周りが合わせ、危なくなると責任だけが宙に浮く。


「田端」


 俺は曲がり角に向かって声をかけた。


「うわ、呼ぶの早っ」


 田端が気まずそうに出てくる。

 完全に隠れていたつもりらしいが、足音も気配も丸出しだった。


「今の、見てたよな」

「見てた」

「聞こえてた?」

「だいたい。ていうか、普通に聞こえてた」


 榊原の顔から、ほんの少し余裕が消えた。

 これで、俺一人の言い分ではなくなる。


「田端、白石を校門のほうまで送ってくれ」

「え、俺?」

「購買のジュース、二本にする」

「任せろ」


 即答だった。

 こいつの軽さが今はありがたい。


 白石はまだ立ち尽くしていた。

 俺は少しだけ体の向きを変え、森下たちから白石が見えにくい位置に立つ。


「白石」


 彼女が顔を上げる。

 目の奥に、混乱と恥ずかしさと、まだ消えきらない恐怖があった。


「今すぐ全部話さなくていい」


 白石の唇が小さく震えた。


「けど、今日あったことを、忘れたことにしなくていい」

「……忘れたことに」

「しなくていい。なかったことにしなくていい」


 白石は俺を見た。

 何かを言おうとして、言葉にならなかったようだった。

 それから、小さくうなずく。


「……ありがとう」

「礼は後でいい。今は帰れ」

「うん」


 田端がぎこちなく白石の横に立つ。


「えーっと、白石さん。こっち」

「……うん」


 二人が歩き出す。

 白石は一度だけ振り返った。

 俺は軽くうなずく。

 それ以上の言葉は、今は要らなかった。


 足音が遠ざかる。

 体育館裏に残ったのは、俺と森下、榊原たち。

 ただし、そのうち一人だけ、中身が三十二歳の残業疲れ会社員である。


「で、佐伯くんは何がしたいわけ?」


 榊原が腕を組んだ。

 声に棘が戻っている。


「別に」

「別にって何」

「今日はここまで。俺は見た。田端も見た。それだけ」

「先生に言うつもり?」

「必要なら」

「はあ? こんなの言っても、先生困るだけじゃん」


 その言葉に、少しだけ引っかかった。


 先生が困る。

 そうだ。

 たぶん高村先生は困る。

 悪い人ではないが、面倒な話を面倒なまま受け止めるには、まだ若くて、立場も弱い。

 だからこそ、言い逃れできない形にする必要がある。


「困るかどうかは先生が決めることだろ」

「何それ。まじでうざいんだけど」

「うざくていいよ」


 俺はポケットの上からガラケーを押さえた。

 録音はまだ続いているはずだ。

 電池残量は気になるが、今は確認しない。


「ただ、次に同じことをしたら、今日の話もまとめて出す」

「何をまとめるの」

「日時、場所、誰がいて、誰が何を言ったか」


 榊原が鼻で笑った。


「何それ。大人みたい」

「まあ、そういう気分の日もある」


 森下が小さくつぶやいた。


「……もういいだろ」


 榊原が森下を見る。


「何が」

「だから、もういいって。俺、帰る」

「直人」

「知らねえよ」


 森下は鞄を肩にかけ直し、俺の横をすり抜けていった。

 顔は合わせない。

 だが、その背中には明らかに動揺があった。


 主犯ではない。

 だから許されるわけではない。

 でも、崩すならそこからだ。


 榊原はしばらく俺を睨んでいた。

 それから、わざとらしく肩をすくめる。


「はいはい。佐伯くんって、そういうキャラだったんだ」

「俺も今日知った」

「気持ち悪」

「それは否定しない」


 榊原の表情が一瞬だけ揺れた。

 悪口を受け流されると思っていなかったのだろう。

 彼女は舌打ちし、女子二人を連れて体育館裏を出ていった。


 残された俺は、そこでようやく息を吐いた。

 手のひらに汗をかいていた。

 中身が三十二歳でも、人間関係の衝突は普通に怖い。

 平気なふりが少しうまくなるだけだ。


 俺はポケットからガラケーを取り出した。

 録音画面はまだ動いている。

 停止ボタンを押す。

 保存。


 ファイル名は自動で日付と時刻になっていた。

 今の俺には宝の山に見える。


「……宝くじより、よっぽど使い道があるな」


 くだらない独り言をつぶやいてから、俺は校門へ向かった。


 田端と白石は、校門近くの自販機の前にいた。

 白石はうつむいていたが、泣いてはいなかった。

 田端はなぜか両手をぶらぶらさせながら、やたら距離を取っている。

 女子と二人きりでどうしていいか分からない中学生男子の典型だった。


「悪い、待たせた」

「おう。ジュース二本な」

「覚えてるよ」


 田端はそれだけ言うと、ちらりと白石を見た。


「じゃ、俺先帰るわ。佐伯、あとよろしく」

「いや、お前も――」

「空気読んだ」


 そう言って田端は逃げるように走っていった。


 校門前に、俺と白石だけが残った。

 夕方の風が、制服の袖を揺らす。


 白石は少し迷ってから口を開いた。


「佐伯くん」

「うん」

「どうして、来たの」


 答えに詰まった。

 未来で君が学校から消えたから、とは言えない。


「変だと思ったから」


 結局、言えるのはそれくらいだった。


「紙を見た。森下の様子も変だった。榊原たちも変だった」

「……見てたんだ」

「ごめん」

「ううん」


 白石は首を横に振った。


「見ててくれて、よかった」


 その声は小さかった。

 けれど、さっき体育館裏で聞いた声より、少しだけ温度があった。


「今日は、帰ったほうがいい」

「うん」

「もし明日、何か言われたら、俺か田端に言って」

「田端くんにも?」

「あいつはジュース二本で動く。安定感がある」


 白石がほんの少しだけ笑った。


「分かった」

「あと」

「うん」

「今日のこと、無理に大事にしろとは言わない。でも、自分が嫌だったなら、嫌だったって思っていい」


 白石は目を伏せた。


「……私が、気にしすぎなのかと思った」

「違う」


 そこだけは、すぐに言った。


「あれは、された側が笑えないなら冗談じゃない」


 白石はしばらく黙っていた。

 それから、もう一度うなずく。


「ありがとう、佐伯くん」

「うん」


 彼女は校門を出て、住宅街のほうへ歩いていった。

 それでも、今日は消えなかった。


 家に帰ると、母さんが夕飯の支度をしていた。

 味噌汁の匂いを背にして、自室に入り、机の引き出しからノートを取り出す。

 表紙には、過去の俺の字で「英語」と書いてある。


 俺はページを開き、シャープペンを握った。


 まず日付。

 二〇一〇年六月十四日。

 月曜日。

 放課後。

 場所、体育館裏。


 関係者。

 白石澪。

 森下直人。

 榊原莉奈。

 榊原の友人二名。

 田端和也。

 佐伯悠真。


 次に出来事。

 白石の机に呼び出しの紙。

 森下名義。

 体育館裏で森下が白石と接触。

 倉庫の影に榊原たち。

 ガラケーを構えていた女子。

 嘘告白の可能性。

 発言。

 「ただの冗談」

 「榊原たちに言われただけ」


 書いているうちに、妙な感覚になった。

 これは日記ではない。

 社会人時代、面倒なトラブルが起きたときに作らされる時系列メモだ。

 いつ、どこで、誰が、何をしたか。

 感情ではなく事実を並べるための紙。


 俺には法的知識なんてほとんどない。

 先生を動かす権限もない。

 中学生の俺ができることは限られている。

 だから、証拠を残す。

 目撃者を増やす。

 大人が見ないふりをしにくい形にする。


 俺はノートの最後に、大きめの字で一文を書いた。


 中学生の喧嘩じゃない。

 これは、証拠があれば大人が動かざるを得ない案件だ。


 人生無双。

 その言葉から想像していたものとは、だいぶ違う。

 テストで百点を取って、女子にちやほやされて、未来知識で金を増やす。

 そんな都合のいい二周目を、どこかで期待していた。

 だが、実際に目の前に来たのは、体育館裏のくだらない悪意と、英語ノートに書く時系列メモだった。


 これはこれで、俺が二回目の人生で最初にやるべき無双なのかもしれない。


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