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三十代社畜の俺、中二に戻って人生無双を始める 〜なお宝くじの番号は覚えていない〜  作者: らいお


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第五話「原因はくだらない。傷はくだらなくない」

 紙の下に書かれていた名前は、森下直人だった。


 前の席の男子。

 サッカー部で、声が大きくて、悪気なく人をいじるタイプ。

 今日だけでも何度か話している。


 その名前を見た瞬間、俺の中で嫌な予感が形になった。


(嘘告白か)


 中学生の悪ふざけとしては、ありふれている。

 好きでもない相手を呼び出す。

 告白っぽい空気を作る。

 相手が真に受けたところで、周囲が笑う。


 最低だ。


 最低なのに、当事者たちはたぶんこう言う。


 冗談だった。

 そんなつもりじゃなかった。

 みんなやっていた。

 空気でそうなった。


 大人になってからも、似た言い訳は山ほど聞いた。

 言葉だけ少しきれいになるだけで、中身は変わらない。


 白石は紙を見つめたまま、しばらく動かなかった。

 それから、ゆっくりと紙を折り直す。

 鞄にしまうのではなく、手の中に握った。


 行くつもりなのか。


 胸の奥がざわついた。


 今すぐ声をかけることはできる。

 それは罠だ。

 行かないほうがいい。

 そう言えば、少なくとも今日の体育館裏は回避できるかもしれない。


 だが、それで終わるだろうか。


 紙は捨てられる。

 榊原たちは「何のこと?」で逃げる。

 森下は「知らねえ」と言うかもしれない。

 白石は、自分が変に疑われたせいで余計に目立つ。


 そして、別の形でまた仕掛けられる。


 俺は歯を噛んだ。


 大人の知恵なんて言うと聞こえはいい。

 だが実際は、すぐ助けたい衝動を押し殺して、相手の逃げ道を先に潰すということでもある。


 それは、思っていたよりずっと気分が悪かった。


「悠真、帰んねえの?」


 田端が鞄を肩にかけて声をかけてきた。


 俺は教室の後ろをちらりと見る。

 榊原のグループは、まだ教室に残っていた。

 そのうち二人がガラケーを手にしている。

 メールでも打っているように見えるが、視線は白石のほうへ向いていた。


「田端、ちょっと付き合ってくれ」

「どこに?」

「体育館のほう」

「部活? お前、今日どうしたんだよ。人生に続いて運動に目覚めたの?」

「目覚めてない。ちょっと確認したいことがある」

「何を」

「説明すると長い」

「じゃあ嫌だ」


 即答だった。


 俺は田端の肩を軽くつかむ。


「購買でジュース一本」

「行こう」


 安い。

 だが助かる。


 田端を巻き込むことに迷いはあった。

 ただ、完全に一人で動くのは危ない。

 俺だけが見た、俺だけが聞いた、では弱い。

 第三者の目がいる。


 田端には悪いが、目撃者になってもらう。

 もちろん、危ない位置には置かない。


 白石は教室を出た。

 少し遅れて、榊原たちも動き出す。

 わざとらしく別方向へ行くふりをしながら、廊下の角で曲がる。


 分かりやすい。


 いや、当時の俺なら気づかなかったかもしれない。

 今の俺だから見えるだけだ。


 廊下を歩きながら、俺は自分のガラケーを開いた。

 機能一覧を探る。

 カメラ。

 メール。

 赤外線。

 ボイスメモ。


 あった。


 録音時間は長くない。

 音質も良くないだろう。

 だが、ないよりはましだ。


 録音開始。


 画面を閉じ、ポケットに入れる。


「何してんの?」


 田端がのぞき込もうとした。


「虫の声を録ろうと思って」

「今?」

「風流だろ」

「お前、今日ずっと怖いんだけど」


 田端は本気で引いた顔をしていた。

 悪い。

 だが、今はこれでいい。


 体育館裏は、校舎から少し離れた場所にある。

 体育館とフェンスの間に細い通路があり、部活の道具置き場と古い倉庫が並んでいる。

 放課後は人通りが少ない。

 呼び出し場所としては、あまりにも分かりやすかった。


 俺と田端は、少し手前の曲がり角で足を止めた。


「なあ、ほんと何?」


 田端が声を潜める。


「静かに。ちょっとだけ見ててくれ」

「誰を」

「白石」

「は?」

「変な意味じゃない」

「変な意味じゃないやつは、先にそれ言わないんだよ」


 田端の言うことは正しい。

 だが、俺は今説明できるだけの言葉を持っていなかった。


 白石が来た。


 手には鞄。

 顔は硬い。

 周囲を見回してから、体育館裏の通路に入っていく。


 彼女は、たぶん半信半疑なのだろう。

 森下に呼び出された理由が分からない。

 でも、もし本当に何か用があるなら無視できない。

 そういう真面目さが、足をここまで運ばせたのだと思う。


 少し遅れて、森下が現れた。


 いつもの声の大きさはない。

 むしろ、落ち着かない様子で後頭部をかいている。

 罰ゲームをやらされている人間の顔だった。


 そのさらに奥。


 倉庫の影に、榊原たちがいた。

 女子が三人。

 そのうち一人はガラケーを構えている。

 もう一人は口元を押さえて笑っていた。


 森下だけではない。

 やはり、仕組まれている。


 田端も気づいたらしく、横で息を呑んだ。


「おい、あれ」

「静かに」

「いや、でも」

「まだ」


 まだだ。


 そう言いながら、俺は自分の声が嫌になる。


 まだ、とは何だ。

 白石が傷つくまで待つのか。

 証拠のために。

 逃げ道を塞ぐために。


 胸の奥で、三十二歳の俺と十四歳の身体が噛み合わない。


 今すぐ飛び出したい。

 けれど、今飛び出せば「何も起きていない」で終わる。


 ここで終わらせるには、相手が何をしようとしていたのかを、白石本人以外の目にも見える形にしなければならない。


 森下が白石の前に立った。


「あのさ」


 声が小さい。

 白石は両手で鞄の肩紐を握っている。


「うん」

「紙、見た?」

「……見た」

「そっか」


 沈黙。


 森下の視線が、ちらりと倉庫のほうへ動く。

 白石はそれに気づいていない。


 榊原のグループが、声を殺して笑っている。

 ガラケーのレンズが、白石のほうを向いていた。


 写メ。

 その言葉が頭に浮かぶ。


 写真を撮る。

 メールで回す。

 前略プロフィールや学校裏サイトに匂わせを書く。


 今の中学生にとって、世界は教室だけではない。

 ガラケーの小さな画面の中にも、逃げ場のない教室がある。


「で、用って……」


 白石が小さく言った。


 森下は唇を曲げる。

 困っている。

 だが、やめる勇気はない。


 周囲に押されて、空気に押されて、引き返せないままここに立っている。


 それでも、やっていることは加害だ。


「いや、その」


 森下が言葉を詰まらせる。

 倉庫の影から、女子の小さな声が飛んだ。


「言いなよ」


 笑いを含んだ声。

 白石の肩が震えた。


 そこで彼女も気づいたのだと思う。

 一対一ではない。

 自分は呼び出されたのではなく、見せ物にされている。


 顔から血の気が引いていくのが、離れた場所からでも分かった。

 森下がようやく口を開く。


「俺さ、白石のこと――」


 榊原たちの笑い声が漏れた。

 もう駄目だった。


 白石は真面目に聞こうとしていた。

 意味が分からなくても、相手の言葉をちゃんと受け止めようとしていた。

 だからこそ、その笑い声が刺さる。


 大人目線で見れば、原因はくだらない。


 嘘の呼び出し。

 嘘の告白。

 隠れて構えたガラケー。

 笑いをこらえきれない女子たち。


 くだらない。

 本当にくだらない。


 けれど、受けた傷はくだらなくない。


 白石の目が揺れた。

 泣く寸前ではない。

 怒る寸前でもない。

 ただ、表情を消そうとしている。


 それが一番きつかった。

 自分が傷ついたことすら、周りに見せないようにする顔。


 もう十分だ。


 俺はポケットの中のガラケーを握った。

 録音は続いている。

 田端も見ている。

 倉庫の影にいる女子たちも確認した。


 最低限、逃げ道を塞ぐ材料はある。


「田端」

「な、何」

「ここで見てたって、あとで言えるか」

「え」

「無理ならいい」


 田端は一瞬だけ迷った。

 それから、唇を結ぶ。


「……言える。今のは、さすがにない」


 それで十分だった。


 俺は曲がり角から出た。


 砂利を踏む音が、体育館裏に響く。

 森下が振り向く。

 白石もこちらを見る。

 倉庫の影で、ガラケーを構えていた女子が慌てて手を下げた。


 俺は、できるだけ何でもない顔を作って歩いた。


 怒鳴らない。

 責めない。

 ここで感情を爆発させれば、相手は被害者の顔をする。

 白石も余計に注目される。


 だから、ただ通りかかったように。


 偶然、そこに来ただけのように。


 俺は森下と白石の間に割って入る手前で、軽く片手を上げた。


「悪い。そこ、俺も通っていいか?」


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