第四十九話「放課後に残っていたら、落ち葉掃除をさせられた」
合唱練習が何度か入るうちに、朝の空気が少し冷たくなってきた。
十月に入った、というだけで中学生の教室は大きく変わらない。田端は相変わらず楽譜のページを間違えるし、杉浦はそれを見て笑うし、小野は呆れながらも結局教える。白石はアルトの確認を久住とすることが増えた。
日々は変わっていないようで、少しずつ変わっている。
まあ、そういうものはだいたい後から気づく。期初めの会社の席替えも、最初は面倒なだけなのに、一か月もすると前の配置を忘れる。そういうものだ。
その日の放課後も、短い合唱練習があった。
杉浦は今日は珍しく部活が休みらしく、出ていく様子はない。田端は当然のように残り、小野と白石も楽譜を見ながら話していた。久住は自分のファイルを片づけたあと、窓際の机に軽く腰を預けている。
「田端、今日は楽譜持って帰れよ」
「分かってるって。俺、もう忘れ物キャラ卒業するから」
「無茶言うな」
「合唱祭前に生まれ変わる」
「まずページを間違えないところからだな」
杉浦がそう言うと、田端はむっとした顔で楽譜を開いた。
そして、いきなり別の曲のページを出した。
「……今のは確認だから」
「何の確認だよ」
小野が笑いながら突っ込む。
杉浦も笑っている。
その横で白石が小さく肩を揺らし、久住は短く「田端くん、安定してる」と言った。
「久住さん、それ褒めてる?」
「ううん」
「即答つらい」
教室に軽い笑いが広がった。
合唱練習のあとに、こうして六人で残っているのは、たぶんまだ少し新しい。
前は、白石が誰かの輪の中で笑っているだけでも俺は変に構えていた。大丈夫か、無理していないか、誰かが変なことを言わないか。
今も全部が消えたわけではない。
ただ、白石が小野と久住の間で楽譜を見せ合っている姿を見ていると、肩に入っていた力が少し抜ける。
その時、教室の入口から声がした。
「元気が余ってるみたいね」
高村先生だった。
先生は出席簿らしきものを抱えたまま、俺たちを見ている。嫌な予感がした。
大人のこの言い方は、だいたい何かを頼む前の前置きだ。会社でも「ちょっと時間ある?」は、時間がない時ほど飛んでくる。
「先生、俺たち帰るところです」
田端が反射的に言った。
判断は早い。方向は間違っている。
「そう。じゃあ、帰る前に少し手伝って」
「しまった」
田端が小さく漏らす。
高村先生は笑顔のまま、廊下の方を指した。
「昇降口前と校庭の端、落ち葉が溜まってるの。ぼうきと袋を出しておくから、少しだけお願いできる?」
「先生、少しってどれくらいですか」
「田端くんが文句を言わなくなるくらい」
「永遠じゃないですか……」
杉浦が吹き出した。
小野も笑っている。
白石は先生の方を見て、少しだけ迷ってから頷いた。
「手伝います」
その一言で、田端が「白石さんが言ったら逃げられない」と肩を落とした。
俺も鞄を机に置き直した。
面倒だが、まあ、やるしかない。放課後の落ち葉掃除くらいなら、残業よりはずっと健康的だ。比べる対象がひどい。
◇ ◇ ◇
昇降口の外に出ると、風が少し冷たかった。
校庭の端にある木の下には、茶色や黄色の葉が固まっている。秋だな、と素直に思う前に、量が多いな、と思ってしまった。
高村先生が竹ぼうきと熊手、それから大きな袋を何枚か出してくれる。
「じゃあ、無理しない範囲で。袋がいっぱいになったら先生に言って」
無理しない範囲。
学生の頃は便利な言葉に聞こえたが、大人になると分かる。だいたい、無理しない範囲の線引きはこっちに任される。
とはいえ、文句を言っても落ち葉は減らない。
「俺、袋持つ」
田端が言った。
珍しく自分から役を取ったと思ったら、袋の口を開けたまま風にあおられている。
「田端、そっち向けると全部逃げる」
「袋って難しくない?」
「難しくはない」
杉浦が熊手で落ち葉を集めながら言った。
意外と手つきがいい。サッカー部で外の掃除に慣れているのかもしれない。
小野がそれを見て、少し感心したように言う。
「杉浦くん、こういうの慣れてるね」
「部活でたまにやるから」
「そっか。手早いね」
「……まあ、田端よりは」
「なんで俺と比べるんだよ」
田端が抗議する。
その間にも、杉浦は落ち葉をきれいに山へ寄せていた。
小野は竹ぼうきで細かい葉を集める。二人の動きが妙に噛み合っている。前の昼休みから、こちらの目が勝手に拾ってしまう。
白石は少し離れたところで、袋を持とうとしていた。
久住がそれに気づいて、袋の片側を押さえる。
「白石さん、こっち持つ?」
「うん。ありがとう」
「風、こっちから来てるから。口、少し斜めにした方がいいと思う」
「こう?」
「うん。それで入る」
久住の説明は相変わらず短い。
白石は言われた通りに袋の口を少し傾けた。
小野が集めた葉を、俺と杉浦が熊手で寄せる。田端は途中から袋係をやめ、落ち葉の山を大きくする係になっていた。
「田端、それ入れる山じゃなくて遊ぶ山になってるだろ」
俺が言うと、田端は落ち葉の山の前で胸を張った。
「どうせならでかい方が達成感あるだろ」
「入れにくい」
「そこは技術で」
「お前が言うな」
杉浦が田端の作った山を熊手で崩し、袋へ入れやすい形に直す。
田端が「俺の作品が」と大げさに嘆く。
小野が笑い、白石もつられて笑った。
その笑い声を聞いて、俺は手を止めかけた。
白石が、久住と小野の間で笑っている。
ただ、袋を持って、落ち葉を入れて、田端のくだらない言葉に笑っているだけだ。
でも、そういう普通の場面が、前は遠かった。
白石の視線がふと校舎の方へ向いた。
俺もつられて見る。
昇降口のガラスの向こうに、女子の姿がいくつか見えた。その中に榊原がいたように見えた。
距離があるから、表情までは分からない。
ただ、こちらを見ているような気はした。
白石の手が、袋の端を少し強く握る。
ほんの一瞬だった。
久住がそれに気づいたのか、袋の反対側を少し持ち上げた。
「白石さん、そっち重い?」
「ううん。大丈夫」
「じゃあ、次こっち入れる」
「うん」
久住は榊原の方を見なかった。
何も聞かなかった。
小野も、白石の横へ少し近づいて、竹ぼうきを動かす。
その距離の取り方が、うまかった。
守っていると大げさに見せるのではなく、ただ同じ作業をしているだけみたいに近い。
俺は熊手で落ち葉を寄せながら、少し息を吐いた。
出番がない。
いや、良いことだ。俺が出る必要がない方が、白石にはたぶんいい。
それでも少し落ち着かないのは、俺の悪い癖だろう。
「佐伯、そっち集めた?」
杉浦が声をかけてきた。
「集めた。田端の作品の残骸もある」
「残骸って言うな」
「じゃあ何だ」
「突発的な芸術?」
「袋に入る芸術にしてくれ」
田端がぶつぶつ言いながら、落ち葉を袋へ押し込む。
その勢いで少し葉がこぼれた。
久住が無言で熊手を差し出す。
「……すみません」
「うん」
田端が妙に素直に受け取ったので、小野が笑いをこらえた。
杉浦も肩を震わせている。
久住は別に怒っていない。ただ、田端が散らかした分を戻す道具を渡しただけだ。
こういう淡々とした強さ、田端にはじわじわと効くらしい。
しばらく掃除を続けると、昇降口前はかなりすっきりした。
袋は二つ分、しっかり膨らんでいる。
高村先生が様子を見に来て、少し驚いた顔をした。
「あら、思ったより進んだわね」
「俺の芸術のおかげです」
「田端くん、掃除で芸術を作らないで」
先生の返しに、全員が笑った。
田端は不服そうだったが、どこか満足げでもある。
高村先生は袋の口を確認し、校舎裏の方を見た。
それから、少しだけ声を落とす。
「せっかくだから、あとで少しだけいいもの出すわ」
田端の顔が、一瞬で明るくなった。
「いいものって何ですか?」
「まだ内緒」
「食べ物ですか?」
「田端くんは、そういう時だけ鋭いわね」
高村先生が笑って、袋を持ち上げる。
俺は竹ぼうきを片づけながら、田端がもう半分答えを当てたような顔をしているのを見た。
落ち葉掃除で終わると思っていた放課後が、どうやらもう少しだけ伸びるらしい。
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▼登場人物まとめ
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