表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三十代社畜の俺、中二に戻って人生無双を始める 〜なお宝くじの番号は覚えていない〜  作者: らいお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
53/57

閑話「白石澪は、隣の声を聞きすぎる」

 放課後の教室は、いつもより少し落ち着かなかった。

 机を動かす音や、楽譜をめくる音が重なっている。

 私はアルトの列で、ファイルを胸の前で持ち直した。


「澪、あとで一緒に帰ろ」

「うん」


 小野さんがソプラノ側から手を振ってくれた。

 それだけで、少し息がしやすくなる。

 小野さんはいつも、何でもないことみたいに声をかけてくれる。だから私も、普通に返事をしていい気がする。


 隣には久住さんがいた。

 前の音楽の時間に、私がアルトへ入った時、久住さんは少し横へずれて「こっちで大丈夫?」と聞いてくれた。

 その声が、今日も近くにある。

 優しすぎるわけでも、遠すぎるわけでもない。必要な時だけ、ちゃんと届く声。


 私は楽譜を開いた。

 もらったばかりの紙は、指で押さえていないと閉じようとする。

 黒板の前では高村先生が立ち位置を確認していた。

 男子は教室の後ろ寄りに集まっている。田端くんの声が、すぐ分かった。


「放課後って、放課後じゃん」


 何を言っているのかはよく分からなかったけれど、佐伯くんが何か返して、田端くんがまた少し大きな声を出した。

 そのやり取りに、教室の何人かが笑う。

 私も少しだけ笑った。


 佐伯くんの声は、田端くんほど大きくない。

 でも、聞こうと思うと聞こえてしまう。

 聞こうと思っている時点で、たぶん私は少しおかしい。

 そう思って、楽譜へ目を落とした。


 練習が始まると、男子の方からすぐに少しずれた音が聞こえた。

 田端くんだった。

 杉浦くんが笑いをこらえているのが見える。小野さんも口元を押さえていた。


「田端、そこ違う」

「え、俺?」

「今のは完全に田端」

「俺だけ名指しはひどくない?」


 男子の方は賑やかだった。

 私は楽譜を見ながら、少し羨ましいと思った。

 間違えても、笑って、言い返して、また戻れる。

 そういうことが普通にできるのは、簡単そうで、私にはまだ少し難しい。


 アルトの音が流れた。

 久住さんが隣で歌う。

 低めで、落ち着いた声だった。

 大きく出しているわけではないのに、ちゃんと周りを支えている。


 私はその声に合わせようとして、口を開いた。

 声は出た。

 でも、自分でも小さいと思った。

 喉の奥で、音が戻ってしまう感じがする。


 前よりは平気になったと思っていた。

 教室で小野さんと話せるようになったし、田端くんや杉浦くんとも前より普通に話せる。

 でも、みんなの前で声を出すとなると、胸のあたりが少し固くなる。


 横から久住さんが、少し首を傾げた。


「白石さん」


 名前を呼ばれて、私は楽譜から顔を上げた。


「今の音、合ってると思う。もう少し出しても大丈夫」


 最初、何を言われたのか分からなかった。

 怒られたわけではない。

 直されたわけでもない。

 合っている、と言われた。


「でも、私、つられてない?」

「つられてない。むしろ、合ってる」

「……そう、かな」

「うん。小さいから分かりにくいだけ」


 久住さんは、当たり前みたいに言った。

 それが少し不思議だった。

 褒めようとしている感じではなく、本当にそう聞こえたから言っただけ、という顔をしている。

 だから、私は返事に困った。

 困ったけれど、嫌ではなかった。


「澪、今のところ合ってたよ」


 小野さんもソプラノ側からそう言ってくれた。


「小野さんも、聞こえた?」

「うん。だから、もうちょっと聞きたい」


 もうちょっと聞きたい。

 その言い方が、くすぐったかった。

 私は楽譜の端を押さえ直して、少しだけ息を吸った。


 もう一度、同じところから音が流れた。

 久住さんの声を隣で聞きながら、私はさっきより少しだけ声を前に出した。

 大きな声ではない。

 でも、さっきよりは楽譜の中に戻らなかった。


 その時、男子の方で少し音がずれた。

 田端くんかなと思って見たら、杉浦くんが佐伯くんに何か小さく言っていた。

 佐伯くんが少し気まずそうに楽譜を見直している。


 もしかして、と思ってしまった。

 私の声が聞こえたのだろうか。

 そんなわけない、とすぐに思った。

 教室は広くないけれど、男子も歌っていたし、ラジカセの音も鳴っていた。

 それなのに、佐伯くんが少しだけこっちを見た気がして、私は楽譜に目を戻した。


 見間違いかもしれない。でも、そうじゃなかったらどうしたらいいのか分からない。


 練習は何度か止まりながら続いた。

 田端くんは時々違うところへ行って、杉浦くんが隣で戻していた。

 小野さんはそのたびに笑いそうになって、でも途中から、杉浦くんの方を少し気にしているように見えた。


「杉浦くん、そこ、こっちの段だと思う」


 小野さんが楽譜を指で示す。

 杉浦くんは「あ、ほんとだ」と言って、いつもより素直に頷いた。


「助かった」

「うん」


 小野さんの返事が、少しだけ小さかった。

 私は自分の楽譜を見ているふりをした。

 あまり見てはいけない気がした。

 でも、気づいてしまう。

 小野さんが杉浦くんに説明する時、少しだけ声が柔らかい。

 杉浦くんも、田端くんに返す時とは違う顔をする。


 私も、あんなふうに見えているのだろうか。

 佐伯くんと話している時、小野さんや久住さんから見たら、すぐに分かるのだろうか。

 考えた瞬間、顔のあたりが熱くなった。

 私は楽譜を少し高く持った。


 練習が終わる頃には、教室の中の音が少し減っていた。

 部活の人たちは急いで鞄を持ち、先生に声をかけられながら廊下へ出ていく。

 私はファイルを閉じたあと、佐伯くんのところへ行くか少し迷った。


 聞きたかった。

 変じゃなかったか。

 合っていたか。

 久住さんや小野さんに言われたのに、佐伯くんにも聞きたいと思ってしまった。

 それは少し欲張りな気がした。


 でも、足は動いていた。


「佐伯くん」

「おう」


 佐伯くんがこちらを見た。

 いつも通りの返事なのに、今日は少しだけ落ち着かなかった。


「変じゃ、なかった?」


 聞いてから、すぐに後悔しかけた。

 変だったらどうするのだろう。

 気を遣われたら、たぶん分かってしまう。


 佐伯くんは、少しだけ困った顔をした。

 その顔を見て、私はファイルの角を指で押さえた。


「普通に良かった」


 普通に。

 思っていたより、すごく佐伯くんらしい言葉だった。

 綺麗な言葉ではない。

 けれど、変に飾られていないから、すっと入ってきた。


「普通に、って」

「いや、悪い意味じゃなくて。ちゃんと聞こえたし、音も合ってたと思う」

「佐伯くんも、聞こえた?」

「聞こえた。だから俺がちょっとずれた」


 聞こえた。

 その言葉だけで、指に力が入った。


「私のせい?」

「違う。俺が勝手に気を取られただけ」


 今度は、何も言えなかった。

 佐伯くんは余計なことを言った、みたいな顔をしている。

 たぶん本当に、余計なことを言ったと思っている。

 でも私は、その余計な一言を、すぐにしまえなかった。


「……そっか」


 それだけ返すのがやっとだった。

 変な顔をしていないといい。

 耳が熱い気がして、少し横を向いた。


 そこへ、久住さんが声をかけてくれた。


「白石さん」


 私は少しだけ助かった、と思った。

 このままだと、何か変なことを言ってしまいそうだったから。


「帰り、小野さんと一緒?」

「うん」

「じゃあ、途中まで一緒に行っていい?」

「うん。もちろん」


 小野さんが嬉しそうに近づいてくる。


「じゃあ、三人で帰ろ。澪、さっきのところ、私もっと聞きたい」

「え、帰りながら歌うの……?」

「確かに、それは恥ずかしいか」


 小野さんが笑う。

 私も笑った。

 笑っている間に、さっきの熱さが少しだけ落ち着いた。


 教室を出る前、私は一度だけ佐伯くんの方を見た。

 田端くんに呼ばれて、佐伯くんは入口の方へ歩いている。

 こちらを見たような気がして、私は慌てて歌詞カードを鞄に入れた。

 端を整えるふりをした。

 たぶん、整えなくてもよかった。


 昇降口へ向かう途中、久住さんがぽつりと言った。


「白石さんの声、私は好きだけど」


 私は靴箱の前で足を止めそうになった。


「え?」

「さっきの。無理に大きくしなくても、音がまっすぐだったから」

「そんなこと、初めて言われた」

「じゃあ、今日が初めてだね」


 久住さんは本当に普通の顔でそう言った。

 小野さんが隣で大きく頷く。


「私も好き。澪の声、優しい感じする」

「小野さんまで……」

「本当だよ」


 褒められると、どこを見ればいいか分からない。

 私は靴を出しながら、うまく返事を探した。


「ありがとう」


 結局、それしか言えなかった。

 でも久住さんは、それで十分みたいに「うん」と言った。

 小野さんも笑っている。


 帰り道は、三人で楽譜の話をした。

 久住さんが、どこで息を吸うと楽かを教えてくれた。

 小野さんは「私、杉浦くんに説明してたところ、自分でも少し怪しかった」と言って、少しだけ笑った。


「小野さん、杉浦くんに説明する時、分かりやすかった」

「え、そう?」

「うん。いつもより丁寧だった」

「いつも雑みたいに言わないで」


 小野さんはそう言ったけれど、少し頬が赤かった。

 久住さんが何か言いそうになって、やめた。

 私はそれを見て、少しだけほっとした。

 久住さんは何でもはっきり言う人だと思っていたけれど、言わないでおくこともできる人なのかもしれない。


 ◇ ◇ ◇


 家に帰ってから、私は制服を着替えて、机に楽譜を出した。

 鞄の中で少し曲がった歌詞カードを、そっと伸ばす。

 今日、久住さんが指で示してくれたところ。

 小野さんが「もっと聞きたい」と言ってくれたところ。

 佐伯くんが聞こえたと言ったところ。


 全部、同じあたりだった。

 私はシャーペンを持った。

 書き込みすぎると目立つから、ほんの小さく印をつける。


 その印を見ていると、また佐伯くんの声を思い出した。


『普通に良かった』


 もう少し上手な褒め方は、たぶんある。

 でも私は、その普通に、が何度も頭の中で戻ってきてしまう。

 困る。

 宿題もあるのに。


 私は歌詞カードを閉じようとして、閉じられなかった。

 もう一度だけ印を見てから、机の端に置く。


 携帯を開くと、小野さんからメールが来ていた。


『澪、今日よかったよ。また一緒に練習しよ』


 私は少し笑って、返事を打った。


『ありがとう。帰りながら歌うのは、まだ無理です』


 送信してから、歌詞カードの印を指で軽く押さえた。

 消しゴムで消せるくらいの小さな印なのに、今日はたぶん消せない。


「面白かった」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ぜひブックマーク・評価・感想などで応援していただけると嬉しいです。


▼登場人物まとめ

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3652582/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 未だ、恋愛感情について疎いヒロインですネ。 こればかりは、性格と生活態度等で決まる様なモノでしょうから。  (少し、『甘い』です。← コジンノカンソウデス)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ