第三十八話「会社をノートに書くのは、思ったより面倒だ」
翌日の午前中、俺は机の前で大学ノートを開いていた。
父さんに言われた通り、まずは手書き。
パソコンで表を作った方が早いと思う。
検索した内容をそのまま貼れるし、並べ替えもできるし、後から直すのも楽だ。
ただ、それを言ったら父さんはまた同じ顔をする。
『手で書け。自分で説明できるか見たい』
実に父親らしい。
いや、上司っぽい。
前の人生でも、妙にきれいな資料を持っていくと「で、お前は何が言いたいんだ」と聞かれたことがある。
あの時の嫌な汗を、中二の夏に思い出したくはなかった。
俺はシャーペンを持ち、昨日書いた見出しを見る。
『会社を調べる』
その下には、まだほとんど何も書いていない。
会社名、何をしている会社か、なぜ伸びそうだと思うのか、危ないところ、分からないこと。
欄だけ考えて、そこで手が止まった。
未来知識を使えば、候補の名前はいくつか出せる。
浮かぶのは、ガンホー、ミクシィ、任天堂、ソニー、村田製作所、TDK、東京エレクトロンあたりだ。
でも、そのまま父さんに出したら終わる。
どうしてその会社なんだ、と聞かれて、「未来で上がるから」とは言えない。
言った瞬間、父さんはノートを閉じる。
たぶん母さんも麦茶を持ってくる。
落ち着きなさい、という意味の麦茶だ。
父さんに見せるなら、今この時点で見える理由が必要になる。
俺はパソコンを起動した。
手書きでまとめるとは言われたが、検索するなとは言われていない。
調べたものを自分の言葉でノートにする。
たぶん、それが父さんの言いたいことだろう。
起動の遅さを待ちながら、俺は一つ目の仮説をノートに書いた。
『スマートフォンが普及するかもしれない』
書いてから、少しだけ首をひねる。
俺にとっては、これはほとんど確定事項だ。
もう前の人生で見ている。
だが、父さんに見せるノートでは、そこを断定しない方がいい。
未来を知っている俺の確信と、今の資料から言えることは分ける。
面倒だ。
でも、この面倒な分け方をしないと、説明が全部怪しくなる。
検索欄に、iPhone4と打つ。
画面に出てくる記事や紹介ページを見ながら、俺はノートに短く書き足した。
画面を指で操作できて、ネットが見られて、写真や動画も扱えて、アプリを入れられる。
改めて文字にすると、少し変な感じがした。
未来では当たり前すぎて、こんなことをわざわざ書く必要もなかった。
でも二〇一〇年の今なら、まだ十分に材料になる。
携帯電話が、ただ電話とメールの道具から、小さなパソコンみたいなものになる。
そう考えれば、父さんにも少しは通じるかもしれない。
俺はページの端に、白石に言われそうなことも書く。
『思っているだけにならないように、資料を探す』
白石の声が頭の中で再生された。
この理由だと、佐伯くんがそう思ってるだけに見える。
まだ言われていないのに、もう言われた気がする。
俺は口元だけで少し笑い、すぐに次の欄へ進んだ。
スマートフォンが普及するなら、何が増えるのか。
本体を作る会社、中に入る部品、通信、アプリ、ゲーム、広告。
書きかけて、手を止める。
これも危ない。
広げすぎると、何でもありになる。
会社の会議でも、こういう資料はだいたい怒られる。
市場が伸びます、関係ありそうな会社は全部です、なんて話は資料ではなく願望だ。
俺は一度、候補を日本株に絞ることにした。
アップルやグーグルは、頭には浮かぶ。
だが、海外株は為替も買い方も説明が面倒だ。
今の俺が父さんに見せるノートとしては、ハードルが高い。
まずは日本の会社。
それも、スマートフォンが増えた時に、なぜ関係しそうかを説明できる会社。
俺は検索しながら、ノートに名前を書いていく。
村田製作所は、電子部品の会社だ。
スマートフォンの中に、小さな部品がたくさん必要になるなら、関係するかもしれない。
TDKも、電子部品や記録媒体のイメージが強い。
詳しく調べる必要あり。
名前だけで判断すると危ない。
ソニーは、ゲームや音楽の会社というイメージもあるが、カメラやセンサーもある。
スマホで写真を撮る人が増えるなら、関係するかもしれない。
ただ、会社が大きいので、スマホだけで説明するのは雑かもしれない。
東京エレクトロンは半導体製造装置。
正直、中学生向けの説明としてはかなり難しい。
でも、スマホが増えれば半導体が必要になる。
半導体が必要なら、作るための装置も必要になる。
この流れは、父さんに説明しやすいかもしれない。
説明しやすいだけで、株が上がるとは限らないが。
ここまで書いたところで、指が少し疲れた。
手書きは面倒だ。
パソコンなら一瞬で並べ替えられる。
父さん、やっぱり表計算を許してくれないだろうか。
俺は閉じたノートの端を指で叩いて、また開いた。
駄目だ。
嫌そうな顔をしただけで見抜かれる父親である。
ここで手を抜いたら、次に見せた時にすぐばれる。
次はゲームだ。
スマートフォンが普及したら、ゲームはもっと手軽になる。
ゲーム機を買わなくても、携帯に入れられる。
通学中や休み時間に少し触るような遊び方が増える。
これは、前の人生で嫌というほど見た。
電車の中で、みんなが画面をなぞっていた。
パズルも、RPGも、位置情報を使うゲームも、やたら流行った。
ただし、今の資料ではまだ弱い。
父さんに「スマホでゲームが流行る」と言っても、たぶん半分くらいは首をかしげる。
今の携帯にもゲームはあるが、未来のスマホゲームとは少し違う。
俺は候補を並べる。
ガンホーは、今の時点で父さんに説明しようとすると、かなり難しい。
将来のスマホゲームで大きく跳ねる記憶はある。
だが、現時点の資料でどこまで言えるかは弱い。
父さんに見せるなら、後回し。
ミクシィは、SNSの会社という印象が強い。
スマホで人とつながる時間が増えれば、関係するかもしれない。
ただ、ゲームの会社として説明するには今の段階だと苦しい。
これも、父さんに見せるには注意。
任天堂は、ゲーム会社としては分かりやすい。
ただ、スマホゲームが手軽になると、専用ゲーム機には逆風かもしれない。
逆に、人気のキャラクターやソフトを持っている強さもある。
良いところと危ないところの両方を書く必要がある。
ソニーはゲーム機もある。
音楽、映画、カメラ、センサーもある。
スマホ時代に関係しそうな要素は多いが、事業が多すぎて、何を理由にするか絞らないと雑になる。
ノートがだんだん汚くなってきた。
候補が増えるほど、父さんに見せられる形から遠ざかっている気がする。
しかも、俺の中には未来の記憶が混ざっている。
どこまでが今の資料から言えることなのか、自分でも分からなくなりそうだった。
俺はノートの上に、新しい見出しを書いた。
『父さんに見せる用』
その下に、少し考えてから書き足す。
『仮説。スマートフォンが普及した場合、部品、半導体、ゲームに関係する会社が伸びるかもしれない』
断定せず、かもしれない、で止める。
父さんに見せるなら、このくらいでいい。
自分用のメモには、もう少し踏み込んだ名前を書く。
でも、父さんに見せるページでは、まず仮説と根拠を分ける。
白石が見たら、たぶんそこを言う。
俺は赤ペンを取り出し、ページの端に小さく書いた。
『資料』
『危ないところ』
『分からないこと』
短い単語だけが並んで、少し嫌な感じがした。
俺はすぐ横に線を引き、文章に直す。
資料は、今あるニュースや会社の説明を使う。
危ないところは、スマホが普及しない場合や、競争が強い場合を書く。
分からないことは、株価の動きや、実際にどの会社が儲かるのかを書く。
これなら、少しはノートらしい。
少なくとも、未来の記憶をそのまま貼った怪文書よりはましだ。
ふと、白石の顔が浮かんだ。
このノートを見せたら、何と言うだろう。
たぶん、最初に言うのは「スマートフォンって、佐伯くんはそんなに使うと思うの?」あたりだ。
いや、白石ならもっと控えめに聞くかもしれない。
俺はノートの余白に、白石に聞かれた時の答えを書いた。
『iPhone4を見て、小さいパソコンに近いと思った。もし同じような携帯が増えたら、部品やアプリ、ゲームの需要も増えるかもしれない』
書いてから、少しだけ満足した。
未来知識を隠したままでも、これなら今の資料から話せる。
少なくとも、「何となく上がりそう」よりはいい。
その時、部屋の外から母さんの声がした。
「悠真、麦茶いる?」
「いる」
返事をしてから、俺は慌ててノートを閉じかけた。
別に見られて困るような内容じゃない。
だが、母さんに見られると「また白石さんに見てもらうの?」くらいは言われる。
今はやめてほしい。
手書きノートだけでも面倒なのに、家族のからかいまで処理する余裕はない。
母さんが部屋の前まで来て、コップを渡してくれた。
「勉強?」
「一応」
「難しそうね」
「難しい」
「お父さん、厳しかった?」
「普通」
「普通、ね」
母さんはそれ以上聞かず、少し笑って階段を下りていった。
ありがたい。
いや、たぶん後で父さんに何か聞くのだろうが、今聞かれないだけ助かる。
俺は麦茶を一口飲んで、ノートをもう一度開いた。
ページには、村田製作所、TDK、ソニー、東京エレクトロン、ガンホー、ミクシィ、任天堂と、会社名がいくつも並んでいる。
並べてみると、我ながら節操がない。
部品からゲームまで広すぎる。
白石に見せたら、まずそこを指摘される気がする。
俺はページの下に、もう一行だけ書いた。
『まずはスマートフォンに近いところから調べる』
それなら、部品や半導体から入れる。
ゲームは少し後でいい。
未来の記憶ではゲームの方が派手に見えるが、父さんに説明するなら、地味な部品の方が通りやすい。
地味な方から始める。
中学生に戻ってまで、結局これである。
俺はノートを見下ろした。
赤ペンとシャーペンの文字が混ざって、かなり散らかっている。
だが、最初の白紙よりは進んでいる。
これ、白石に見せたら普通に突っ込まれるな。
そう思いながら、俺はページの角を折った。
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