表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三十代社畜の俺、中二に戻って人生無双を始める 〜なお宝くじの番号は覚えていない〜  作者: らいお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/50

閑話「白石澪は自分の席に戻る」

 白石澪(しらいしみお)は、答案用紙が回収されていくのを見ながら、そっと息を吐いた。


 期末テスト初日。

 朝からずっと、肩のあたりに力が入っていた。

 国語の問題用紙をめくった時も、社会の用語を思い出そうとした時も、数学の途中式を書いている時も、気を抜くと鉛筆を握る指が少し痛くなった。


 それでも、思っていたより手は動いた。

 漢字は、昨日確認したところが出た。

 社会の用語も、暗記カードで見たものがいくつかあった。

 数学は少し迷ったけれど、途中式だけは飛ばさなかった。

 佐伯くんが、何度も言っていたから。


『面倒くさいことを省くと点が消える』


 その言い方を思い出すと、少しだけ笑いそうになる。

 真面目なことを言っているのに、言葉の選び方が少し変だ。

 大人みたいなのに、時々ちゃんと中学生みたいでもある。


 テスト前、私は佐伯くんに「落ち着いて」と言った。

 本当は、自分に言いたかった言葉だったのかもしれない。

 でも、佐伯くんは「ありがとう。助かった」と返してくれた。


 言っただけなのに、そんなふうに返されると、どうしていいか少し分からなくなる。

 答案用紙が回収された後も、耳の奥にその声が残っていて、私は意味もなく消しゴムの角を指で押した。


 教室は、テストが終わった後のざわめきに包まれていた。

 答え合わせをする声。

 悲鳴みたいな声。

 机に突っ伏す音。


 田端くんは、机に顔を伏せたまま佐伯くんと話していた。

 佐伯くんは少し笑っている。

 その横顔を見つけて、ほっとする自分に気づいた。


 すぐに目を逸らす。


 見すぎだと思った。

 ただ同じクラスの人を見るだけなのに、どうしてこんなに意識してしまうのだろう。


 助けてくれたから、というのはたぶんある。

 普通に話してくれるから、というのもある。

 私を、ただかわいそうな人みたいに扱わないから。


 そこまでは分かる。

 でも、それだけで全部説明できるかと聞かれると、違う気がした。

 何が違うのかは、自分でもまだうまく言えない。


 その時、高村先生が教卓の前で声を上げた。


「佐伯くん、田端くん。ちょっとプリント運ぶの手伝ってくれる?」


 佐伯くんが顔を上げる。

 田端くんは一瞬だけ「今ですか」という顔をしたけれど、すぐに立ち上がった。


「行くぞ、田端」

「俺、数学で体力使い切ったんだけど」

「プリントは数学より軽い」

「心が重い」


 二人のやり取りに、近くの男子が笑った。

 佐伯くんは教卓へ向かい、答案用紙とは別のプリントの束を持つ。


 教室を出る前、彼はこちらを一度だけ見た。

 目が合う。


 大丈夫か、と聞かれたわけではない。

 でも、そう言われたような気がした。


 私は小さくうなずいた。


 佐伯くんも、少しだけうなずいて廊下へ出ていった。

 田端くんがその後を追う。


 教室から二人がいなくなると、少しだけ空気が変わった。


 さっきまで普通だった場所が、急に広く感じる。

 佐伯くんの席のほうを見そうになって、私は途中でやめた。

 見たところで、そこには誰もいない。

 分かっているのに確認したくなる自分が、少し嫌だった。


 私は机の上に次の教科のノートを出した。

 帰るわけではない。

 席を立つわけでもない。

 ただ、自分の席でノートを開く。


 それだけのことなのに、指先に少し力が入った。


「ねえ」


 教室の前のほうから、小さな声が聞こえた。

 榊原さんの近くにいる女子の声だった。


「白石さん、最近ずっと佐伯くんたちといるよね」

「勉強会してるんでしょ」

「いいよね。守ってくれる人がいると」


 名前を呼ばれたわけではない。

 直接言われたわけでもない。

 でも、聞こえる距離だった。


 心臓が、嫌な鳴り方をする。


 前なら、ここでノートを閉じていたと思う。

 何も聞こえなかったふりをして、鞄を持って、早く教室を出ていた。

 自分がいるから空気が悪くなる。

 自分が何かをしたから言われる。

 そう考えていた。


 今も、少しだけそう思いかける。

 でも、その時、佐伯くんの言葉を思い出した。


『嫌だったなら、嫌でいい』


 その言葉は、私の中でまだ消えていない。

 嫌だと思っていい。

 怖いと思っていい。

 そう言われた時、すぐには信じられなかった。

 今だって、完全に信じられているわけではない。


 私はノートの端を押さえた。

 紙が少しだけ震えている。

 それでも、閉じなかった。


 嫌だと思った。

 怖いとも思った。


 それでも、ページを開いた。

 次の教科の範囲を確認して、暗記カードの束を鞄から出す。

 輪ゴムが少し引っかかって、カードの角が一枚だけ浮いた。

 私はそれを指でそろえた。


 視線はまだある。

 気づかないふりをするのは難しい。

 でも、視線だけで席を立たなくてもいい。


 私は、小さく息を吸った。


「白石さん」


 急に横から声がして、肩が跳ねた。


 振り向くと、田端くんが立っていた。

 いつの間に戻ってきたのか、手にはプリントの束を持っている。

 佐伯くんはいない。

 まだ先生に何か頼まれているのかもしれない。


「ご、ごめん。驚かせた?」

「ううん。大丈夫」


 大丈夫、と言ってから、自分で少し驚いた。

 本当に、そこまで大丈夫ではなかった。

 でも、声に出したら、少しだけ大丈夫に近づいた気がした。


 田端くんはプリントを机に置き、私のノートをのぞき込まないように少し距離を取った。

 こういうところは、意外とちゃんとしている。


「これ、何て読むんだっけ」


 田端くんが暗記カードを一枚見せる。

 そこには、少しゆがんだ字で化学変化の用語が書かれていた。


「質量保存」

「しつりょうほぞん?」

「うん。質量保存の法則」

「それ、漢字だけ見ると強そうだな」

「強そう?」

「必殺技みたい」


 思わず、笑ってしまった。


 さっきまで胸の奥で固まっていたものが、少しだけほどける。

 田端くんは真面目な顔でカードを見ていた。


「つまり、反応の前と後で、全体の質量は変わらないってやつだよね」

「うん」

「よし。今なら言える」

「テスト中にも言えるといいね」

「白石さんが佐伯みたいなこと言う」


 田端くんが大げさに肩を落とした。

 その言い方が少しおかしくて、また笑いそうになる。


 あ、会話になっている。


 そう思った途端、少し変に緊張した。

 佐伯くんが隣にいるわけではない。

 誰かが間に入ってくれているわけでもない。

 それでも、田端くんに聞かれたことへ答えられた。


 たったそれだけなのに、さっきまで冷たかった指先が少し戻ってきた。


「白石さんのカード、見やすいよな」


 田端くんが言った。


「え?」

「いや、俺の字だとさ、自分で書いたのに読めない時あるし」

「それは、少し困るね……?」

「少し?」

「……かなり」

「そこは優しくない」


 田端くんは笑いながら、自分の席へ戻ろうとした。

 その途中で、教室の前のほうをちらりと見る。


「変なこと言われたら、佐伯に言えばいいと思うけど」


 声は軽かった。

 でも、目は少しだけ真面目だった。


「佐伯がいない時なら、俺でもいいし」


 私は返事に迷った。

 助けてもらうことは、怖い。

 また迷惑をかける気がする。

 また大ごとになる気がする。


 でも、田端くんの言い方は大げさではなかった。

 ただ、忘れ物を貸すみたいに言った。

 それが少し、ありがたかった。


「ありがとう」


 そう言うと、田端くんは少し照れたように鼻の下をこすった。


「まあ、俺、記録係らしいし」

「記録係?」

「悠真に任命された。地味な部活」


 何だろう、それ。

 よく分からないけれど、少し笑えた。


 田端くんが席に戻る。

 私はもう一度ノートを見た。


 教室の前のほうからの視線は、まだ少しある。

 でも、さっきほど怖くない。

 田端くんとの会話が、少しだけ周りの音を薄くしてくれた。

 教室のざわめきも、前のほうから向けられる視線も、なくなったわけではない。

 でも、ノートの文字を追えるくらいにはなった。


 佐伯くんが廊下から戻ってきたのは、その少し後だった。

 手には何も持っていない。

 先生に何か言われたのか、少しだけ考え込んだ顔をしている。


 目が合う。


 私は、反射的に安心しそうになった。

 でも、その安心に沈み込む前に、自分の机を見る。

 開いたままのノート。

 手元の暗記カード。

 田端くんに説明した用語。


 私は、その間ずっと席に座っていた。

 佐伯くんがいない間も、ノートを閉じずにいられた。


 誰かに言うようなことではない。

 でも、ページの端を押さえている自分の指を見た時、少しだけ変な感じがした。

 恥ずかしいような、ほっとするような。


 佐伯くんは私の机の上を見て、ほんの少し目を細めた。

 何かを言うわけではない。

 大丈夫だったか、とも聞かない。

 ただ、分かったように小さくうなずく。


 その距離が、やっぱり心地よかった。


 全部を聞かれたら、たぶん答えられなかった。

 でも、何も見ていないふりをされても、きっと少し寂しかった。

 佐伯くんはたぶん、そういう聞き方をしない。

 そこがずるいと思う。

 少しだけ。


 私は暗記カードを一枚めくった。


 まだ、怖い。

 視線も気になる。

 榊原さんたちの声を聞けば、胸の奥は固くなる。


 それでも、さっき私は席を立たなかった。

 ノートも閉じなかった。

 田端くんに、質量保存の法則を説明した。

 そんなことをわざわざ思い返している自分が少しおかしくて、私はカードをめくるふりをした。


 チャイムが鳴った。

 次のテストの準備をするため、教室がまた少し静かになる。


 私は鉛筆を机の上に置いた。

 消しゴムを横に並べる。

 暗記カードを鞄へしまう。


 そして、自分の席に座り直した。


 ここは、まだ少し怖い場所だ。

 けれど机の上には自分のノートがあって、鞄の中には暗記カードがあって、前の席からは田端くんのぼやきが聞こえる。

 怖さ以外のものも、ちゃんとあった。


 佐伯くんが前の席に戻る音がした。

 田端くんが小さく「次、理科か」とつぶやく。

 私は鉛筆を握り直して、机の端に置いていた消しゴムを少しだけ真っすぐにした。


 次の問題用紙が配られるまで、ノートは開いたままにしておいた。


「面白かった」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ぜひブックマーク・評価・感想などで応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
他人視点だとおじさんマインドから出た言葉が厨二病みたいで草 AIっぽい言い回しが中2が背伸びしてカッコつけているみたいになっていておもしろい。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ