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社長令嬢とライバル令嬢(?)

 朝日に照らされた本社ビルは、目に滲みるくらい銀色に光っていた。見慣れた自動ドアが無機質な音を立てて開く。

 エントランスホールに響くハイヒールの音を、社員たちは何を思いながら聞いているのか。

 あるいは何も思っていないのか。


「おはようございます、榊原室長」


 受付の社員は、いつものように頭を下げる。


「ええ、おはよう」


 拍子抜けするほどに、朝の社内はいつも通りだった。

 エレベーターホールで乗り合った重鎮社員も、朝早く出勤して給湯室を整えていた若手社員も、驚くほどにいつも通りだった。


「別に、そんなに気を遣わなくてもいいのに」


 ブランド戦略室の一番奥、室長のデスクに座ると、誰に聞かせるでもなく口からこぼれた。


「室長、今日の予定ですが……」


 部下の小鳥遊ちゃんが、恐る恐るといったように話しかけてきた。

 視線を上げれば、出社しているメンバーがそれぞれの席で息を潜めているのに気づいた。

 彼女は代表して、様子を窺いに来たらしい。


「大丈夫よ。予定通り進めてちょうだい」


 意識して微笑み、予定が書き込まれたホワイトボードに視線を向ける。


「別に、サプライズでも何でもないわ。事前に話は通されていたもの」

「でも……ユニセックス部門の立ち上げで、一番動いていたのは伊織さんじゃないですか」

「ありがとう。そう言ってくれるだけで十分よ。だから、予定通り進めてちょうだい。今日の打ち合わせに来てくださる取引先の方を待たせてはいけないわ」

「……分かりました」


 小鳥遊ちゃんは手にしていた資料を提出すると、自分の席へ戻っていった。


 私はパソコンを立ち上げて、メールのチェックから始める。

 未読の山を淡々と処理すると、ルーティンのようにニュースサイトを開く。

 我らがサカキの新展開――紳士服の老舗がユニセックスのラインナップを新しく展開することに関する解説記事が乱立する中、ふと『シラフジ』の名前が目に留まった。


 シラフジといえば――白藤玲。私が勝手にライバル視している相手だ。

 いえ、ライバル視というのも少し違うかもしれない。とにかく、嫉妬とも憧れとも言える感情を抱いている存在だ。


 彼女は、女性向け下着ブランド『ウィステリア』を軸に展開する大手下着メーカー『シラフジ』の次期社長と目されている人物だ。

 シラフジもサカキと同じように一族経営の大企業で、近々代替わりがあるだろうと噂になっている。


 しかし、彼女はなぜかメディアの前に全く姿を現さないのだ。

 白藤玲の名前を聞くようになってからのシラフジの業績の伸びを見れば、ただの七光りなのではなく、有能な人物なのだろうと推測できる。

 それなのに姿を見せない彼女を、眩しくも恨めしくも思っていた。


 ちなみにシラフジのニュースは、現会長が愛犬と戯れていた際にぎっくり腰になって緊急搬送されたというものだった。

 なんと平和なニュースだこと。




 午前十時。第二会議室。

 大きな窓ガラス越しのビルの反射光が、テーブルの上の資料を容赦なく照らし出している。

 何ヶ月もかけて準備し、何度も練り直した新規ユニセックスブランドの企画書。ページの端に、自分で書き込んだ赤いメモがいくつも残っている。

 これは、私渾身のサカキ新ブランドをどう社会に売り込んでいくかを詰める、広告代理店や出店先となる百貨店の担当者も交えた大事な会議だ。


「それでは、本日の議題について――」


 進行役の声に続いて、その場の視線が一か所に集まる。

 私ではない。隣に座る結仁だ。


「まず、榊原結仁統括からお願いします」


 呼ばれた本人は、少しだけ困ったように笑ってから頷いた。


「はい。今回の新ブランドは――」


 思いのほか落ち着いた声で、要点を外さずに説明していく。

 聞きやすい。分かりやすい。

 そして、その内容のほとんどは私が組み立てたものだ。

 指先でペンをもてあそぶ。カチ、と小さく音が鳴った。


「――以上となります」


 結仁がそう締めると、向かいの席から感心したような声が上がる。


「いいですね。非常に筋が通っている」

「ありがとうございます」


 結仁は一歩引いたような笑みを浮かべた。

 その横顔を、ほんの一瞬だけ見やる。その内心は、いかほどのものか。

 視線を戻し、軽く手を上げる。


「補足、よろしいですか」


 向かいの席、タブレットを片手にした男が穏やかに微笑んだ。広告代理店のディレクターだ。


「ひとまず結構です。不明点があれば、こちらから伺います」

「……そうですか」


 笑って、言葉を引っ込める。ディレクターもそれで話が済んだというように、すでにタブレットへ視線を落としていた。

 一拍遅れて、結仁が口を開いた。


「ただ、実務面の設計については、こちらの伊織が中心になって進めています。現場との連携も含めて、かなり細かく詰めてくれているので」


 フォローのつもりなのだろう。

 分かっている。頼りになる弟に成長したものだ。


「そうなんですね。では、そのあたりは引き続き、榊原様のチームで詰めていただければ――」


 話題はそのまま流れていく。会議は滞りなく進み、予定通りに終わった。

 取引先の反応は上々だったと言えるだろう。

 それでも、どこか雲をつかまされているような感覚が残った。

 結仁が近くまで来て、少しだけ声を落とした。


「……ごめん。さっき、ちゃんと姉さんに振るべきだった」

「いいのよ。貴方の説明、分かりやすかったわ」

「でも――」


 結仁はなにかを言おうとして口を開き、しかし何も発しないまま歯を食いしばった。


「だから、僕は姉さんの方が上に立つべきだって、ずっと言ってるのに」

「でも、これが会社の判断だわ」


 遠い昔にしてやったように、結仁の頭をなでてやる。


「頼んだわよ、結仁統括」


 結仁は苦虫を噛みつぶしたような顔をした。




「いっそのこと無能な弟だったら良かったのに」

「弟くんのこと、認めているんだね」


 カウンターにドンと、ジョッキになみなみのビールが置かれる。


「マスター、このバーにジョッキなんてあったのね。というより、頼んでないわ」

「でも、今の伊織ちゃんに必要なのはエールかな、なんて」


 パチリとウインクして見せた。


「ダジャレを言い出すなんて、おじさんじゃない」

「ひどいっ、言いつけてやるっ」

「誰に?」

「俺に、かな」


 ふいに背後から落ちてきた声に、肩が跳ねる。

 振り向けば、見覚えのある長身の男が、悪びれもせずそこに立っていた。


「えっと、お名前。なんだったかしら」

「ひどいな、ナナシノだよ。君が名付けたんじゃないか」

「そういうことを言っているんじゃないの」


 ナナシノは当然のように隣に腰を下ろす。嫌味なくらい綺麗な所作だった。


「はいはい。で、今日は何に噛みついてるの」

「はぐらかさないで」


 ナナシノは意に介さない様子で「今日はダイキリの気分だなー」なんて嘯いている。


「マスター、この男なんなのよ」


 話を振ってみたけど、マスターは『シェーカーの音がうるさくて何も聞こえていませーん』とでも言いたげな顔をしている。


「つれないなあ。せっかくまた会えたのに」

「私は別に会いたくなかったわ」

「おや、今日は一段と刺々しいね」


 ナナシノのダイキリがカウンターに差し出される。


「では、今日の仕事が終わったことに乾杯」


 勝手にビールジョッキにカクテルグラスを軽やかに当ててきた。


「勝手にしないで」

「せっかくのマスターからのエールだ。ぱぁっと飲んで忘れてしまえ」

「忘れられるわけがないじゃない」

「おや、仕事のことと踏んでいたが、失恋でもしたかい」

「冗談言わないで」


 ビールジョッキに手をかける。

 厚みのあるガラス製のジョッキは、思ったよりも重く感じて、持ち上げるのをやめた。


「……私はなんだったの」


 思わず口からこぼれた。


「今日の打ち合わせで、いないみたいに扱われて……私が何ヶ月もかけて、念入りに準備してきたのに。私が」


 一度あふれた言葉は、もう止まらなかった。


「周りはもう弟を跡継ぎとして見ている。私はあくまでお嬢さん。だったら、最初からそういう風に、育ててくれれば良かったのに。なんで、男みたいな名前を、跡を継ぐことを期待しているような名前を、私につけたの」


 ジョッキの持ち手を握る指に、知らず力がこもる。


「それは災難だったね。名前は、親から贈られる最初の呪いだからね」

「呪い?」

「ああ、『名は体を表す』と言うだろう?」


 ナナシノは白く濁ったカクテルに口をつけ、グラスをコツとカウンターに置いた。


「……白藤玲が羨ましい」

「ほう?」


 ナナシノは頬杖をついて、こちらを見た。


「私のことを知っていたくらいなんだから、彼女のことも知っているでしょう? シラフジの次期社長と言われている」

「……ふむ」

「同じような立場の相手だと思っていたのに、あちらはちゃんと跡継ぎとして扱われているのに」

「昔の人は良いことを言っているよ。『隣の芝生は青い』、と」

「うちの芝もまた、青いとでも言いたいの?」

「別にそういうわけでは、ないんだけどさ」


 ナナシノはカクテルグラスからライムのスライスをつまみ上げると、興味なさそうに囓った。


「私には何が足りなかったの? 紳士服メーカーのトップに女はふさわしくないってこと? 女性向け下着メーカーならよかったの?」


 ビールジョッキを伝う滴が、指先を不快に濡らす。


「それとも弟がいたのが悪かったの? 白藤玲は一人っ子だというじゃない」


 一度あふれ出したら、止まらなかった。


「私だって頑張ってるのに、白藤玲は表に出てこないで、裏でコソコソしてるのに」


 ナナシノは囓りかけのライムをもてあそびながら、気のない相づちを打つだけだった。


「……その目は何よ」

「いや、今の君の頭の中は『白藤玲ちゃん』でいっぱいなんだなあって思ったのさ」

「そんな言い方しなくてもいいじゃない!」


 ぐいと、ジョッキビールを一気飲みする。


「おっ、いい飲みっぷりだね」

「……はぁっ、ごちそうさま!」

「あれ? 俺、今しれっと奢らされた?」


 そのくらい、いいじゃないのよ。ねえ!


「あ、空きっ腹にビールは良くないわ。マスター、イチジクとクリームチーズのカナッペと、それに合いそうなカクテルお願い」

「待って、それも俺に奢らせる気じゃないよね?」


 ナナシノは囓りかけのライムを飲み込んで、薄く笑った。


「……ま、でもクイーンの顔に戻れたなら、良しとするか」


 あら、貴方、案外色男じゃないの。

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― 新着の感想 ―
色男ー! ジョッキって重たいよね〜などと、本筋と関係ないところで共感しつつも楽しく拝見しました。 期待されて、頑張って、結局それを取り上げられるというのは辛い。 報われてほしいな〜、なんてね。
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