社長令嬢とインチキまじない師
バーのカウンターに無造作に置いたスマホが震えた。
頼んでもいないのにご丁寧に、経済ニュースの速報がディスプレイに浮かぶ。
『【速報】老舗紳士服のサカキ、新たな挑戦へ』
早いわね。さっき記者会見が終わったばかりなのに。
思わず乾いた笑いがこぼれる。
アイキャッチに映るのは、弟の結仁の、どこか引き攣れた笑顔だった。
音を立ててスマホを裏返しにする。
「マスター、とにかく強いのをちょうだい」
「伊織ちゃん、今日はもうやめておいた方が良いんじゃない?」
「じゃあ、隣の人にあげて」
投げやりに言っただけだった。誰かが座っているかすら確認しなかった。
バーのざわめきを遮断するようにカウンターに顔を伏せると、隣の椅子のスプリングがきしんだ。
「女の子に奢られるほど、落ちぶれてはいないんだよなぁ」
低くて艶のある声だった。
ちらりと視線を向ければ、やたらと姿勢の良い背の高い男が真隣にいた。
この男、わざわざ移動してきたのか。
「なに、ヤケ酒したい気分なの? 付き合ってあげようか」
「そういう気分じゃなくなったかも」
マスターが「お待たせ」と言いながら、透き通った液体の入ったショットグラスを男に差し出す。
「マスター、容赦ないな」
「こちらのお客様からのオーダーですので」
「それじゃあ、断れないな」
男はグラスに手をかけた。
マスターは「伊織ちゃんにはこっち」と言いながら、ライムのスライスが乗ったフローズンスタイルの白いカクテルを目の前に置いた。
「ヤケ酒はご所望ではない。では、代わりに占いなどいかがですか」
「は?」
男はジャケットのポケットから、トランプのようなカードの束を取り出した。
「ま、とはいえ占いは趣味で嗜んでいる程度の、インチキまじない師なのですが」
「それって当たるの」
「ええ、当たりません」
彼は妙に慣れた手つきで、カウンターの上にカードを広げた。
「じゃあ、手始めに君が何者なのかを占ってみよう」
趣味程度と言ったが、カードをシャッフルするのが妙に様になっている。
トントンとカードを再び束にまとめると、彼は三枚のカードを引いてカウンターに並べた。
見慣れない絵柄のカードだった。
「タロットカードはご存じない?」
「耳にしたことぐらいは」
「なるほどね。ま、気楽にいこうか。一枚目はスリー・オブ・ソード」
三本の剣が心臓に刺さっている、とても痛々しい絵柄だ。
「君は、強いショックを受けてここに来た」
占いだなんてオカルトなことを言い出したから少し警戒したけれど、何のことはない。
女が一人でヤケ酒なんて、理由は想像するに難くない。失恋だとかペットロスだとか、「強いショック」なんて、いくらでも当てはまる。
断言していないくせに、当てたように聞こえる言い方だ。
「そう見えないなら、貴方の目は節穴ね」
「うん、そう見えるから言っているね」
食えない男だ。爪の整えられた指先が、二枚目のカードを示す。
顔の描かれた満月の下で、オオカミが遠吠えをしているような絵柄だ。
「次はザ・ムーン。そうだな……朧月を一人で見上げているような心細さ、かな」
「心細そうに見える?」
暗に「見当外れですけど?」と笑ってみせる。
男はそれに笑みで答えた。
「強がっているように見える、かもね。最後はテン・オブ・ペンタクルスの逆位置」
このカードは上下逆さまに置かれている。星の柄の黄色いコインが十枚描かれているのが目に付く。
「これら三枚から読めるのは、受け継いだものをうまく活かせなかったとか、あるいは……本当は君のものになるはずだった椅子に、別の誰かが座ってしまった、とか?」
「……何が言いたいの?」
「俺じゃなくて、カードがそう言ってるんだよ」
すらりとした長い指が、もう一枚カードを引いた。
背筋を伸ばした女性が、剣を構えている絵柄だ。
「クイーン・オブ・ソード。それでも君はいつまでもくよくよしている人じゃない。明日から君はまた顔を上げて、君の戦場に向かうのだろう? 榊原伊織さん」
弾かれるように、真正面から彼を見た。
バーの薄暗い照明に照らされた彼は、得体の知れない笑みを浮かべていた。
「貴方、何者なの」
「さてね。俺はしがない、名無しのインチキまじない師なんで」
「名乗るつもりはないってこと。じゃあ、貴方のことナナシノって呼ぶわよ」
「いいね、それ。じゃあ俺はナナシノだ」
どこまでも食えない男だ。
ここに居られるってことは、少なくともマスターのお眼鏡にはかなった人ではあるはずだけど。
「ははっ、そんなに見つめられちゃ顔に穴が開いてしまいそうだ。何、さっきのニュース速報と」
彼がマスターに視線を流す。
「マスターが『伊織ちゃん』って呼んでいたからね」
「マスター!」
「ごめんて。お詫びに、そのカクテルはサービスにしておくよ」
「んもう!」
抗議代わりに、カクテルに刺さったストローを軽く噛む。
ライムの爽やかさとフローズンの冷たさで飲みやすいが、アルコールをしっかりと感じるカクテルだった。
「フローズンダイキリ、かな。マスター、洒落たことをするじゃないか」
ナナシノがショットグラスを、私のカクテルグラスに軽く当てる。
「この出会いに乾杯」
「意味が分からないわ」
すっかりこの男のペースに巻き込まれている気がする。
改めて、頭からつま先まで観察してやる。
「……貴方、案外良い仕立てのジャケット着てるじゃない」
カジュアルに着こなしているようだが、皺の出方が綺麗だ。
ブランドも、既製品ではないようだ。
体型に合わせてオーダーメイドしている可能性もある。
「いいでしょ。お気に入りのジャケットなんだ」
そう言ってショットグラスを一気に呷った。
「ごちそうさま」
ナナシノはそのまま席を立ち、ふらりと歩いて行くと、四、五人の青年たちの輪に混ざって、何事もなかったようにダーツを投げ始めた。
つづく……かな




