第五話 (二)
城下町のエルムグレン。
領都でも一、二を争う繁華街だ。マイヤー夫人の店、メゾン・マイヤーもそこにある。城に近い高級店ばかりが並ぶ通りにあると思っていたが、繁華街に店を構えているらしい。
大通りは綺麗な石畳で、通りの両側には多様な店が並んでいる。
石造りの建物は多くが二階建てや三階建てで、一階部分が店舗、二階より上は住居になっているという。窓には防寒のためらしい木のシャッターが備わっている。
まっすぐのメインストリートから至るところに小さな路地が延びていて、そこは細くて暗い坂道や階段が血管のように曲がりくねって街を走っている。
アイリスはまず大通りの店から見てみることにした。
「閣下じゃないですか。どうぞ寄っていってくださいな」
「閣下、また魔獣を討伐してくださったそうで、ありがとうございます」
店を覗くたび、主人や店員はアルフレッドに好意的だ。アルフレッドが良き領主であることが分かり、アイリスは嬉しくなる。
ちなみにどの店に顔を出しても毎回「妻だ」と紹介されている。
みなが一様に驚いて、そのあとに怒涛の質問攻めに遭い、各店の新商品や目玉商品を渡される。「お祝いに」とは言われるものの、去り際にはユリウスに支払いをお願いし、ポーターに品々を城へ運ぶよう依頼する。
雪深く寒い地域ではあるが、街の人たちは温かく、そして笑顔が印象的だった。
ユリウスによると、城に近いエリアは比較的高級店に分類される店が並び、少し離れると中産階級に人気の繁華街エリア──エルムグレンはここに位置する──、そこから一つ通りをまたいだ場所にはいわゆる平民たちが暮らす住宅街があり、さらに外側に位置する森に近い場所は、石切り場や皮なめし工場、製材所といった職人街が広がっているという。武器屋や鍛冶屋、製鉄所や魔石を加工する工房もあるらしい。今日一日ではとても回りきれないほどの広さだ。
近隣地域や隣国からも人が来ているということで、品揃えだけでなく通りを歩く人々の服装もさまざまだ。外套も色とりどりで、中には毛皮のマフラーや帽子を身につけている人もいる。
王都で聞いた噂とは大違いで、とても閉ざされた僻地とは思えないほど賑わっている。
城を望む通りに、生地や糸などの裁縫道具を扱う店があった。店先には見本として仕立てられた服がディスプレイされている。
リンドヴァルドにはない独特の文様の生地に目を引かれて近寄っていく。
この生地の濃い青色は、アルフレッドに似合いそうだ。だがアルフレッドが黒以外の服を着ているのを見たことがない。
「アイリス」
生地を手にしたまま動きが止まったアイリスを、アルフレッドが後ろから覗き込む。
「それが気に入ったのか?」
「はい、その、閣下に似合いそうだなと思って」
正直に言うと、アルフレッドは瞠目した。
「こういったお色は、あまりお好みではないでしょうか」
「そんなことはない」
「ではもし私がシャツを仕立てたら、着ていただけますか? サイズはミセス・マイヤーに確認すればすぐに分かると思いますし」
「ああ、もちろんだ」
アルフレッドが黒以外の服を着ないことに、特別な理由はない。
執務と討伐が主な仕事なだけに、おしゃれに気を遣うということをしてこなかった。毎朝着るものを選ぶのは面倒で、誰かに頼んでまで着飾ることに興味が持てないというだけだ。
「ただし、採寸はそなたがしてくれ」
耳打ちするように囁かれ、アイリスはあやうく生地を取り落としそうになった。赤い顔で睨むと、アルフレッドは人懐っこい顔で笑っている。
手元の生地は用尺も十分ありそうだ。針や糸などの仕事道具は持ってきているが、一応生地に合う糸も一緒に買うことにした。刺繍糸もいくつか見繕い、アルフレッドが選んだ淡く青みのある紫色の糸も買った。
昼食は街で一番人気という食堂に寄り、そのあとも大通りだけでなく細い路地も歩いた。隠れ家のような佇まいの骨董屋や古いながら趣のある本屋など、この街は見ているだけでも楽しい。本屋では刺繍の図案集を購入した。工芸品を扱う店では繊細なガラス細工や凝った意匠の木工品、錫細工の食器やアクセサリーなどを見て回った。
アルフレッドと並んで歩く道は、想像よりもずっと色鮮やかで、活気に満ちていた。
キャスに手紙を書くのが楽しみになった。
細い路地を抜けた先に、広場があった。中央には噴水があり、その奥側に見えるのは教会だろう。
人手が多く、入口の前には行列もできている。先頭まで視線をやると、どうやら炊き出しが行われているようだ。並んでいる人を見ると、その多くは女性で、くたびれたマントや裾の破れたズボン、薄汚れたシャツ姿の子どもたちもいる。子どもの多くは痩せていて、母親らしき女性も窶れて見える。
同じような人波なのに、そこにいるのは先ほどまで街を賑わせていた人間とは様相が異なる。
少し前の自分を思えば、アイリスにとっては他人事ではない。
美しく華やかなだけではない街の真実を垣間見た気がする。
「街の男たちには、魔獣討伐に志願してくる者もいる。依頼によっては普段の仕事より報酬がいいからな」
じっと目を離せないアイリスに気づいてか、アルフレッドが行列に目をやりながら話し始めた。
「それは……」
「その分、危険度も高い。ギルドにもその説明は義務付けているが、辞退する者は少ないようだ」
アイゼンガルドの森は、その危険度の高さから一人で立ち入ることが許されていない。
クマやイノシシといった獣類だけでも、訓練を受けていない人間には太刀打ちできない。しかもここの森には魔獣も出没する。普段は森の奥深くに潜み人間と出くわすことは少ないとは聞くが、可能性は帝国のどの地域よりも高い。
魔獣討伐は、原則として騎士団員や傭兵、冒険者たちがギルドを介して請け負う。この地に住む住民もギルドへ冒険者登録をしていれば魔獣討伐に参加することができる。
体内に魔石を保有する魔獣を倒せば、報酬は各段に上がる。爪や牙、毛や皮、肉に至るまで余すことなく報酬の対象で、なかでも魔石は大きさによっては買取の金額が桁違いになる。一攫千金を目指し、魔獣討伐に出かける男たちは後を絶たないという。だが、全員が無事に帰ってくることはない。命を落とすことも、少なくはないのだ。
「あそこにいるのは……残された妻や子どもたちなのですね」
この地ではまだまだ働き手は男性で、店主や職人も男性が圧倒的に多い。ミセス・マイヤーのように仕事を持つ女性は少数だ。
雨風をしのぐ家があるだけマシなのかもしれない。だが、生きていくのに必要なのは住処だけではない。今日明日の食事もままならないことは、大きな問題だ。
自身の食い分を削ってまで家のために尽くしてきたアイリスにとっては身につまされる課題でもある。
行列を見つめていると、背後から誰かが駆けてくる音が聞こえる。振り返ろうとした瞬間にはアイリスの体はアルフレッドの陰に隠されていた。
「うわ! 放せよっ」
少し高い声の主は、どうやら少年のようだった。
首根っこを掴むという言葉がピッタリ当てはまる仕草で、その子はアルフレッドに捕まっていた。
「俺の妻に何か用か」
まるで子猫を相手にするような鷹揚さもありながら、アルフレッドの目は鋭い。少年は負けじとアルフレッドを睨むが、効果があるはずもなく、アルフレッドの手から逃れようと両手で押しのけてもビクともしない。
「掏摸のようですね」
ユリウスが小声で教えてくれる。アイリスは目を開いて、アルフレッドに捕まった少年を見た。その視線に気づいた少年と目が合ったが、さっと逸らされた。
アイリスは一歩近づき、少年を見下ろす。視線が気になるのか、意識がアイリスのほうへ向いているのが分かった。
「年はいくつ?」
少年はちらりとアイリスを見たが、すぐにまた目を逸らせて口をつぐんだ。
袖口は汚れ、あちらこちらが擦り切れたシャツに、ズボンも丈が足りないようだ。そして何より雪深いこの地にはふさわしくない軽装。こんな子どもが掏摸をしなければならないほどだ。外套を買う余裕などはないということだろう。
「家はどこなの?」
アイリスの問いかけに少年はなおも口を閉ざす。警戒心をむき出しにし、吐く息の白さだけが二人の間に漂う。
アルフレッドは静観しているが、その手を緩めることはない。
「もう日が傾きかけているわ。ご家族が心配しているんじゃないかしら」
少年の肩がピクリと震えた。どうやら家族はいるようだが、それでもかたくなに口を閉じている。
あまり子どもと接したことがないせいか、どうやって話をすればいいのかとアイリスは途方に暮れかけていた。
「ルカ!」
今度は女の子の声が飛んできた。必死の様子で駆け寄ってきた少女は、ルカと呼ばれた少年よりは少しだけ年上に見えるが、身なりは同じように粗末なものだ。だが修繕のためかところどころに施された刺繍は、なかなかの腕前に見えた。
「あなたは?」
「あ、あの……ルカがなにか粗相をしたのでしょうか」
アルフレッドに捕まっているルカとアイリスを交互に見て、そして恐る恐るといった風にアルフレッドを見上げ、またアイリスに視線を戻した。
「いいえ、ぶつかりそうになっただけよ」
アイリスは少女に向かって優しく言い聞かせるように微笑むと、そのままルカに向かって「そうよね?」と念押しした。
ルカは観念したように「そうだ」と消えそうな声で呟いた。アルフレッドはアイリスの視線を受けてルカを解放し、腕を組んだ。いっそう威圧感が増すが、アイリスはその横で極力優しく見えるよう笑顔を保った。アイリスも無表情であれば冷ややかな印象のためだ。
「あなたはこの子のお姉さんかしら」
「あ、えっと……はい、そうです。デイジーといいます」
「デイジー、あなたに似合う可愛い名前ね。家はどこかしら」
デイジーは名前を褒められて頬を染めた。シンプルなワンピースに、腰には膝上丈のエプロンをつけている。
「私たちは楡の木亭というところに住んでいます」
「お、おい! 何で言っちまうんだよっ」
二人の背丈はそう変わらないようで、顔を突き合わせて言い合っている。ルカは明るい茶髪で、デイジーは赤毛だ。姉と弟とはいえ、あまり似ている要素は見られない。
「楡の木亭といえば、たしか救護院の名前ですよね」
「その通りです。ここから数ブロック離れたところにあったはずです」
マーサとユリウスの声が耳に届いた。
「ふたりは教会の炊き出しに来たの?」
アンナが人好きのする笑顔で話しかけると、ルカとデイジーはほんの少し警戒心をのぞかせながら、それでもゆっくりと頷いた。
アイリスは自分の表情筋の乏しさを嘆きたい気分で両手で頬をぐりぐりと揉んだ。その隣でアルフレッドがその姿を愛おしそうに見つめているが、アイリスは気づかない。
ユリウスが騎士に二人を送り届けるよう指示を出している。去っていく背中を見送りながら、アイリスはその境遇に思いを馳せる。
まだ十二、三歳のように見える彼らが住んでいるのは救護院だという。身寄りのない子どもたちが暮らす楡の木亭のような場所は、この街にはいくつか点在している。一家の働き手を失い、仕事もなく生活が立ち行かなくなった母と子どもが暮らせる場所でもある。そういった施設があることは資料で読んで知ってはいるが、実情までは分からない。掏摸にまで手を出そうとしたルカを、このまま放ってはおけないと思う。
「閣下、次回の救護院の視察には私もお連れください」
「承知した」
ほろ苦い締まりとなったが、ひとまずは街の視察を終え、アルフレッドのエスコートを受けて馬車へと戻る。
頭上では灰色の雲が風に流れ、数羽の鳥が風に逆らい揺れながらも力強く空を飛んでいた。




